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旅先では、誰も「ふつう」を求めてこない。だから私はいつも旅に救われる

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本特集『「ふつう」を、問い直してみよう。』では、サイボウズ式ブックスから発売された書籍『山の上のパン屋に人が集まるわけ』をきっかけに、さまざまな人と一緒に「ふつう」について考えていきます。

今回は、フリーライター・片渕ゆりさんに、旅先で「自分のふつう」が壊れた経験についてコラムを執筆していただきました。

私が旅を好きな理由

旅が好きだ。特に、外国への旅が好きだ。まとまったお休みが取れるとなれば、頭は自動的に「どこへ行こうか」と考え出す。ひとたび航空券を予約すれば、その瞬間からすべての景色の彩度が上がる。

気づけば訪れた国は30カ国を超えていて、旅が好きだ好きだと言い続けているうちに、旅にまつわるお仕事もいただくようになった。文字通り、旅に生かされている。

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しかしこの気持ちを誰かに伝えるとなると、これが案外難しい。たとえば自己紹介をしたときに「海外旅行が好きなんです」と言うと、「さぞリッチなんでしょう」という反応がかえってきたりする。

「なんでわざわざ海外なの?」ともよく聞かれる。国内にも美しい場所はたくさんあるのに。日本は美味しいものだらけなのに。電波はどこでも通じるし、両替もしなくていいし、言葉の不自由もないのに。

──そう、そこなのだ。言葉の不自由がない。それが私にとって、どうしようもなく海外へ行きたくなってしまう大きな理由だと思う。

私の根底にある気持ちはいつも、言葉の壁を求めている。母国語が容易には通じない場所へ行きたい。

言葉は私たちの頭の中を司っている。今こうして文章を書いているときも、私の頭は「日本語の文法」にのっとって考えをめぐらせている。私は言葉が大好きで、その気持ちに揺らぎはない。だけど時として、その文法や発音、用法に、自分の行動までもが引っ張られてしまうように感じるときもある。

いつもの私は、常にちょっとずつ「ふつう」のフリをしている。にこにこと愛想よく。まわりから浮かない選択肢を。

だけど不思議なことに、英語であれば「No」のひとことがすっと言える。いつもより低い声で、きっぱりと。「こうしたい」も「これは嫌だ」も、英語だとなぜかするする言えるのだ。中身は何も変わっていない、同じ私なのに。母国語が通じない場所では、「ふつう」のふりした自分の奥底に仕舞い込まれていた自分が、ひょっこり顔をだす。

いつもちょっとだけ「ふつう」の線をはみ出てしまう

「ふつう」に近づかなくちゃ。はじめてそう思ったのは、擬態なんて言葉をまだ知らない、子どもの頃のことだった。

なにか大きな特徴が私にあったわけではない。天才でもなければ問題児でもなかったと思う。だけどたまに私は、うっかり「ふつう」の線引きをはみだしてしまうのだった。

たとえばみんながクラスで歌っている歌を、私だけ知らなかった。絵の具セットの色が、女の子はみんなピンクなのに、私だけブルーを選んでいた。お調子ものの子がマネしたお笑い芸人の一発ギャグがわからなくて、笑うテンポが遅れてしまった。そんなときに向けられる視線は、教室が世界のすべてである子どもをすくみあがらせるには十分だった。

居心地が悪いのは嫌だったから、徐々に私は「ふつう」に擬態する術を覚えていった。最初はセーラームーンを、モー娘。を、そしてKAT-TUNを、よく知らないまま好きなふりをした。「加護ちゃんが好き」と言うと、クラスの子に「私も」と言ってもらえて嬉しかった。本当は辻ちゃんとの区別もついていなかったのに。

擬態はだんだんうまくなって、恋をしたり仕事を得たり出来るようになった。だけどたまに、どうしようもなく苦しくなるのだ。

「就活 パンツスーツ 不利」「オフィス 髪色 何トーンまで」「〇歳 バッグ ブランド」……検索窓に言葉を打ち込んだのは自分なのに、検索結果を眺めながらむなしくなる。

そんなときに私を救ってくれたのは、いつだって旅だった。

自分が旅に救われていることを自覚したのは、会社員2年目の秋、逃げるような気持ちでインドに旅したときのことだった。

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「なんだ、私も踊れるんだ」

母なるガンジス川は悠々と流れ、白亜のタージマハルは写真で見るより美しかった。道の真ん中にはどっしりと牛が寝そべり、宿のベランダには気性の荒い猿がやってきた。ほんのりと薔薇の香りがするラッシーに、体温が上がるのを感じるスパイシーなチャイ。出会うどれもが刺激的だったけれど、中でもとっておきの思い出がある。

ある夜、泊まっているホテルの中庭で、インドの伝統音楽の演奏イベントがあった。小気味良い打楽器のリズムに乗って、艶やかな衣装で舞い踊るダンサーに私は拍手を送っていた。完全に観客として楽しんでいた次の瞬間、打楽器を叩いていたお兄さんに手招きされた。

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「踊って!」

ダンスは苦手だし、人前で踊るなんてもってのほか。普段の自分なら断っていただろう。

その場の空気のせいか、いつもより開放的な気分になっていたせいか、気づけば私も踊っていた。さっき出会ったばかりの人たちと手を繋いで、輪になって。息を切らしながら体を動かしていた。曲が終わると同時に、拍手が鳴った。

なんだ、私も踊れるんだ。踊っていいんだ。そう気づいた瞬間に、肩の力がふっと抜けた。

「ふつう」がどうか気にするきもちなんて、どこか遠くへ吹き飛んでいた。

旅先での「ふつうでない」私

旅先での私は、どんなに馴染もうとしても浮いている。髪色だのスカート丈だのバッグだの、そんなものの全てが吹き飛ぶ。

右手にくくりつけた一眼のカメラは「観光客です」と主張している。カメラをバッグに仕舞い込んだところで、両目は忙しなくきょろきょろしている。

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異国での自分は、はなから異質な存在で、誰も私に「ふつう」を求めてこない。

「私はよそもの」。そう思うと、自分で自分にすこしやさしくなれる。気になった食堂にふらりと入って昼間から瓶ビールを飲むことも、特大サイズのかき氷を注文することも、真っ赤なドレスを買うことも、電車で隣り合わせただけの人に話しかけることも。

いつもの私は無意識のうちに、こういう些細な自分の幸せを封じている。

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「ふつう」はどこまでもついて回るから

旅をするたびに思う。結局は、私自身が「ふつう」の線引きをしているのだ。

異国で出会う、小さいながらも「当たり前」をゆさぶってくれる光景に出会うたび、私は嬉しい気持ちになる。

客のまばらなスーパーで、店員が楽しそうに音楽を口ずさんでいる。

すれ違う人に「そのカメラかっこいいね」と褒められる。

失礼な人に対しては、愛想笑いもせずに「嫌だ」と返事をする。

そんな些細な瞬間が、私の中の「ふつう」の壁を壊してくれる。

だけど、そのあとにふと我に返るのだ。そもそも、「ありえない」ってなんなんだろう。そう決めているのは自分じゃないのか?「自分の身の回りでもありえる」を作ればいいじゃないか。

「日本にいると息苦しい」と言いながら、「ふつう」の線引きを超える人たちのことを、日常の私はどこか妬ましい目で見てはいないか。

ふつうになろうと力むあまり、見えないルールを自分が守ろうとするあまり、いつの間にか、「ふつうってこうだよね」というルールを作る側にまわっている。

一日三食ごはんを食べても数時間後にはお腹がすいているように、何度旅をしても、気づけば私の意識は「ふつう」の膜に覆われてしまう。

時折、自問自答することがある。いっそ、海外に住んでしまうべきなのだろうか?

その一方で、こんなふうにも思うのだ。

私はたぶん、息継ぎとしての旅を愛している。自分の性格上、どこに住んでもきっと「ふつう」はついてまわる。だからこそ、日常を泳ぎ続けるためにバランスよく旅をし続けることが必要なのだろう。

「ふつう」に囚われてしまう自分について、特に悲しむ必要もない。息苦しくなったら旅に出ればいい。もう今の私は、教室が世界のすべてだったあの頃とは違うから。

企画・編集:あかしゆか/執筆・写真:片渕ゆり/デザイン:駒井和彬

サイボウズ式特集「ふつうを、問い直してみよう。」

特集メイン画像。パンにもさまざまな食べ方がある

世の中にある、「ふつう」という言葉。「みんなと同じ」という意味で使われていますが、「ふつう」って、実は一人一人違うもの。長時間労働が「ふつう」な人もいれば、家族第一が「ふつう」な人もいる。世の中ではなく、それぞれの「ふつう」を尊重することが必要なのではないでしょうか。サイボウズ式ブックスから発売された『山の上のパン屋に人が集まるわけ』をきっかけに、さまざまな人と一緒に「ふつう」について考えてみます。

「なんで、ふつうにできないの?」そう浴びせられてきた人たちへ。
どうしたら自分の「ふつう」を大事に生きられる?——『山の上のパン屋にひとが集まるわけ』無料公開

「定年後も働かせてあげる」──年齢による差別がカイシャを潰す? 人口減少社会の処方箋はシニア社員との関係にあった

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これまでシニア社員は、50代ぐらいになると役職がなくなり、定年退職後は給与とモチベーションがガクッと減る中で、再雇用やアルバイトのような形で働くのが一般的でした。

つまり、会社からは「戦力としてはみなされていなかった」わけです。

一方、人口減少社会と言われ、労働力人口が減少しているいま、人手不足が解消する兆しは見えません。

片や「人手が足りない」といいながら、片や粗末に扱われるシニア社員の実情に、なんとなくモヤモヤすることも。

そこで、自身も当事者である、50代のサイボウズ式編集部員が、社会の変化や自身の今後も踏まえて「シニア社員の働き方」について考えました。

仕事は同じなのに、給与は減らされる現実

先日、定年後に再雇用された方が、正職員時代とほぼ同じ仕事をしているにも関わらず、「基本給が大幅に減ったのは待遇格差だ」として訴訟した裁判で、最高裁は審理を高裁に差し戻したという報道がメディアに流れた。

裁判の是非はさておき、これを「自分ごと」として捉えたとき、仕事はいままでと同じなのに、給与が大幅に減額されたとしたら、モヤモヤするかもしれない。

一方で、「仕方ないよな」とも思う。なぜなら、いままで企業によるシニア社員の雇用は「福祉的雇用」という考えが強かったし、労働者側も「働かせてもらっている」という意識が強かったからだ。

なぜ、同じ仕事なのに、給与は大幅に減額されてしまうのか?

ここで、福祉的雇用について触れておきたい。福祉的雇用を一言で言えば、「シニア社員は戦力ではないが、雇用はしてあげますよ」という考え方だ。

人材育成やキャリア形成の第一人者、法政大学教授の石山恒貴教授は、福祉的雇用について、著書『定年前と定年後の働き方~サードエイジを生きる思考』で次のように言っている。

企業はシニアが職場の戦力として中核になるとは、さらさら考えていない。しかし、社会的責任としてシニアを雇用する必要がある。

そこで、本当は職場で、さほど必要とされていない業務を作り出し、しぶしぶシニアを雇用する。これが、これまでの福祉的雇用の意味だった。

企業はシニア社員に対して、職場の戦力として中心的な役割を果たすとは考えていない。だが、それでは社会的な責任を果たせない。

そこで、シニア社員をしかたなく雇用して「あげていた」のである。

この状況について石山氏は、エイジズム(年齢による差別)と言っている。

だが、これからの日本社会を考えたとき、「いままでのような扱い方で本当によいのかな?」と感じる。なぜならいま、日本社会は、いままで経験のない大問題が差し迫っているからである。

深刻な人口減少問題

いま、日本では人口減少問題が深刻になりつつある

正確には、「なりつつある」ではなく、有識者の間では以前から問題視されていた。だがここにきて、社会の中で表面化してきた。

これをお読みのあなたも、「人口が減少している」という話は、一度ぐらいは聞いたことがあるだろう。最近では「ドライバーが足りない」「サービス業の人材が不足している」といった話題をよく見聞きする。

だが、どんなに「人が減っている」とはいえ、Amazonで頼んだ商品は翌日に届くし、コンビニに行けば商品がいつも通りにある。それほど差し迫った感じはしないし、「自分ごと化」できないのも当然だ。

ただ、実際はかなり深刻なのだ。

15年後、10人の仕事を8人でするようになる

厚生労働省が2023年2月28日に発表した2022年の自然増減数(速報値)によれば、日本の人口減少は78万人で、過去最大となった。

山梨県の人口が80万人弱だから、1年で1つの県がなくなるぐらいの規模で人口が減少していることになる。

人口減少が与える影響で、もっとも問題なのが生産年齢人口(15歳~64歳)の減少である。

令和4年版 情報通信白書によれば、2025年の生産年齢人口の推計は7,170万人だが、15年後の、2040年の推計は5,978万人となっている。わずか15年で現在の約8割になる計算だ。

つまり、今後は、老年人口が増え、生産年齢人口は減少し続けるわけだ。

この問題に対して、リクルートワークス研究所は『未来予測2040 労働供給制約社会がやってくる』で、今後「生活を維持するために必要な労働力を日本社会は供給できなくなるのではないか」と問題提起している。

しかし現状では、シニア世代はまだまだ活躍できるにも関わらず「適当な仕事を与えておけばよい」となっている。そして、多くの企業で関心があるのは「若い世代をいかに雇用するか」だ。

この状況に、わたしは危機感を抱く。そして、こう言いたくなっている。「そんなことを言っている場合なのかな?」「そもそも、若い世代も減っているのに」

エイジズムを脱し、年齢に関係なく活躍できるようにしていくことが、今後、企業の生命線になるのではないか?

これから必要なのは「リスキリング」なのか?

人手不足やシニア社員の話題になると、よく話題に上がるのは「リスキリング」である。リスキリング(re-skilling)とは、職業能力の再開発、再教育のことである。

リスキリングに必要なのは「資格」よりも「問い」? AI時代の生存戦略を考える

リスキリングはデジタル人材の不足も伴い、「資格を取ろう」「プログラミングを学ぼう」といった、「新たな知識を身に付ける」という理解が一般的だ。

だが、誤解を恐れずに、正直な気持ちをお話すれば、これから大切なのは、リスキリングではないのではないかと、わたしは思っている。というより、リスキリングという言葉を聞くたびに、わたしはモヤモヤする。

なぜなら、リスキリングの印象が「アンタたちのスキルはもう古いんだよ」「これからの時代を生き残るために、アンタたちはゼロから学び直さなきゃいけないんだよ」とお説教されている感じがするからである。

新たな知識をゼロから身に付けるのは容易ではないし、スキル身に付けたからといって、すぐに実務で生かすことができるのか、メシが食えるのかは分からない。

たとえば、わたしは以前プログラマーだった。その経験からあえて言わせてもらえば、ガチで仕事ができるぐらいのプログラミング技術を身に付けるのは、言うほど容易ではないよ。

しかも、最近ではAIの進化に伴い「プログラムはAIが書いてくれる」とも言われている。AIの学習スピードに勝てるわけがない。それにも関わらずAIに歯向かっていたら、みんな自信を喪失してしまうのではないか。

だからといって、「新たなスキルを身に付ける必要はない」と言いたいわけではもちろんない。

それならば、まったく畑違いのことでリスキリングするよりも、いかに「いままでの経験をよりよく生かせるか」や「自分の強みを発揮できるか」といった「アップスキル」の視点のほうが大切なのではないか

つまり、いままでの経験をなかったことにするのではなく、いままでの経験やスキルをアップデートするのだ。

いままでの経験をアップデートする2つのポイント

いままでの経験をアップデートするために、一体、シニア社員に何が必要なのだろうか。わたしは、大きく分けて2つのポイントがあるのではないかと思っている。

1つは、コミュニケーション能力である。

シニア社員が、これまでの経験を生かせない理由の1つに、コミュニケーションの問題がある。

たとえば、いままで成功体験があり、年齢が上であるがゆえに、相手の困りごとや、抱えている課題感をよく聞かずに、つい「そのやり方じゃあダメだよ」と批判的な言動をしたり、マウントを取ったりしてしまうケースがある。

大切なのは、自分が話したいことを話す前に「相手の話に耳を傾けること」である。

もう1つはノーコード、ローコードツールの活用である。

帝国データバンクが2023年4月に発表した『人手不足に対する企業の動向調査(2023年4月)』によれば、正社員の人手不足は51.4%となっており、多くの企業で人手不足になっている。

人口が急激に減少しているいま、特に人的リソースが少ない中小企業では、この傾向は今後も続くだろう。

ここで必要となるのは「デジタル化」だ。デジタル化によって業務を改善し、効率よく仕事をする必要がある。

だからといって、高度なプログラミング技術を身に付ける必要はない。大切なのはむしろ、これまでの実務経験や業務知識のほうだ。

幸いなことに、いまは、プログラミングのスキルがなくても、業務改善に必要なプロセスをデジタル化できる「ノーコード・ローコードツール」がある。

こういったツールを使うと、これまでの経験の中で身に付けてきた「業務を改善する能力」を発揮することができる

たとえば、サイボウズのkintoneを使い、業務改善をすることによって定年後に活躍する場を見出した「kintoneおばちゃん」という方がいる。

「豊富な実務経験」&「ノーコード・ローコードツール」を組み合わせることで、社内外で、シニア社員が活躍できる場が生まれるのではないか。

人口減少を「働き方を変え、長く活躍する機会」に

2020年初旬にはじまったコロナ禍によって、わたしたちは多くの制約を受けた。行動は制限され、いままで当たり前だった生活ができなくなった。

一方で、コロナ禍による恩恵もあった。テレワークが一般的になり、多くの人たちが、時間と場所の制約なしに、仕事ができる恩恵を知った。

つまり、すべての物事には二面性があるのだ。一見大きな問題に見える人口減少や少子高齢化も、実は、わたしたちの働き方を変え、活躍する場や形を変える大きな機会なのである。

それを実感するまでには、もう少し時間が掛かるだろう。だが、人口減少と少子高齢化は、これから間違いなく進んでいく事実だ。というより、これからがむしろ本番だ。

それならば、年齢や性別に関係なく、一人ひとりの個性や強みを生かしながら、できるだけ長く活躍しつづけることが大切なのではないか。

そうすれば、近い将来、きっとこんなふうに思える日が来るはずだ。「人口減少や少子高齢化は、本当に大変だったけれど、あのおかげで働き方が変わったよね」「働く年齢や場所に関係なく、ボクらは長く活躍できるようになったよね」と。

いまどんなに若くても、いずれ「シニア社員」と呼ばれる日がすべての人に来る。そのときに、前向きで楽しく働いていたいじゃないか。

最後に、企業の人事ではたらくみなさんへ

多くの人事のみなさんにとって、シニア社員の扱いは課題になっているのではないかと思います。

「上から目線で過去の経験を語る」「若い社員との関係が難しい」「役職定年をきっかけにモチベーションが下がった」「仕事と処遇が合わない」など、その対応が難しいですよね。

ましてや、これからは労働力人口の中でもっとも人口が多い団塊ジュニア世代がシニアになっていきます。これからますます、その対応が大変になっていくかもしれません。

一方で、「社員の役に立ちたい」と思っている人事の方であればあるほど、不当な扱いはしたくないでしょう。また、労働力人口がもっとも多い団塊ジュニア世代が会社を去るということは、人材不足に拍車がかかることを意味します。

わたし自身、いままでのような「あなたはもう会社にとって不要です。その分、ちょっと退職金を上乗せしておきました。さようなら」と、自己肯定感を削ぎ落し、社会に放流するいままでのやり方に違和感があります。

いままでは、どうすればよりよいのか分からずに「シニア社員だから」と、年齢で一律に扱うことしかできませんでしたよね。

でもこれからは、いままでとは違う、新たな関わり方があってもいいのではないでしょうか。

たとえば、本稿でお話したノーコード・ローコードツールの使い方を習得していただくような機会をつくって、これまでの経験を生かしてもらうような取り組みでもいいかもしれません。

また、給与はさがるけれども、そのぶん、労働時間を短くし、副業・兼業をOKにして、シニア社員が会社との関係をゆるやかに維持しながら、自立を促すのもいいかもしれません。

シニア社員との新たな関わりが、いま、はじまっています。

副業・兼業の促進。だが「中堅・ベテラン世代はニーズがない」はやるせない──どうする? これからのキャリア
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社長から「副業したら?」と言われてショックだった──会社一筋の執行役員が副業を始めるまでの話

「ていねいな暮らし」をなぞる前に、自分にとって快適な状態を知ろう

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本特集『「ふつう」を、問い直してみよう。』では、サイボウズ式ブックスから発売された書籍『山の上のパン屋に人が集まるわけ』をきっかけに、さまざまな人と一緒に「ふつう」について考えていきます。

今回は、『世界は夢組と叶え組でできている』著者・桜林直子さんに、「丁寧な暮らし」についてコラムを寄稿いただきました。

「時間とお金の使い方」を考えた30歳

「働きかた」とか「暮らしかた」という言葉をよく聞くようになり、すっかり耳や目に馴染んで久しい。しかし、それについて考えようとすると、なんとなくふわっとしたイメージに留まってしまう言葉でもある。

わたしは、「働きかた」「暮らしかた」が何を指しているかといえば、つまり「時間とお金を何に使うか」ではないかと思う。

働き始めてすぐの若い頃は、仕事と休みがくっきり分かれていた。単純に、仕事の時間以外は自由時間だったし、お金は仕事で稼いで休みで使うというわかりやすい構造だったので、限られたその自由時間とお金を何に使うかを考えて、やりくりしていた。

子どもが生まれ、シングルマザーになってからは、仕事の時間が終わってもやるべきことが山のようにあって、家事や子どもの世話をやっつけるように片付けるのが日常になった。大袈裟ではなく、寝ている時間以外は常にやることに追われていた。

そんな日常に疑問をもち、このままではいけないのではと思うようになったのは30歳に差し掛かる頃だった。それまでは、どんなに大変でも、疑問や不満をもったところで、シングルマザーという立場上、家事も育児も収入を得ることも、「他にやる人がいないのだから自分ひとりでやるしかないわけだし」と、考えることすらやめていたのだと思う。

時間が足りないのは「仕方ない」のだろうか?

子どもを育てていると、仕事と家事と育児の時間をすべて十分にとるのはむずかしい。大抵の場合は、まず仕事の時間が固定され、それ以外の時間をどう使うか、難易度の高いパズルに悪戦苦闘することになる。

しかし、それだとどうにも時間が足りないのだ。仕方なく睡眠時間を削ったり、子どもと一緒に過ごす時間をとれないままになったりする羽目になることに、「いやいや、それじゃ困るんだけど、本当に仕方ないのだろうか?」と、怒りにも似た疑問をもつようになった。

そこで、生活を「仕事の時間」と「それ以外の時間」に分けずに、すべてひっくるめた「時間」をどう使うかについて、根本的に考えることにした。

通常は夫婦ふたりで手分けしてできることも、わたしはひとりでやらないといけないので、時間が足りなくなることは明確だ(話を聞いていると、どうやらふたりでも足りないらしい)。どんなに願っても残念ながら1日の時間を24時間以上に増やすことはできないので、使い方を変えるしかない。

では、時間をどう使えば、ひとりで子育てをしても仕事と生活を両立できるのか。考えた結果、仕事の時間を固定せず、なおかつ仕事に使う時間を半分に減らして、収入をそれまでの倍にすること。それができないと、共稼ぎの夫婦と同じ時間の使い方ができないとわかった。

そんなことできるのか?と怯んだが、何度考えてもそれしかないので(大富豪に出会い突然経済面の解決をしてくれる可能性なども考えられるが、いささかファンタジーが過ぎる)、どうしたらできるかをひたすら考えた。

本気で考え続け、結果的には2年後に会社を辞めて独立し、自分で事業を始めることになった。

自分の欲を見つけるために、まず困っている状態をなくす

その2年間、考えるために徹底的に向き合ったことは、「自分がどうしたいか」の欲を見つけ、優先順位をつけることだった。

仕事とそれ以外に分けず、生活に望むものは何か。すぐにできそうなことから、高望みで到底できそうにないことまで、とにかくたくさん出してみる。それを、容易い順ではなく、本当に望んでいる順に並べ、優先順位をつけた。

ただ、わたしの場合、「こんな生活をしたい」と望む以前に、困っている状態があった。「こんな生活をしたい」と想像したときに「でも〇〇だからできない」と邪魔をするものがあれば、ひとまずそれを取り除く必要がある。

だから、まずは「困らない状態にすること」を最優先にした。わたしが困っていた要因は「時間が足りない」と「お金が足りない」だったので、とにかく「時間とお金を生み出すこと」だけを優先して、大事にすることにした。足元がグラグラで土台がないと、その先の望みは出てこないのがわかっていたので、一旦それ以外を捨てて全振りできた。

実際に働く時間を固定せずに減らし、仕事以外に使える時間を作り、収入を増やすことができたときに、ようやく「こんなことをしてみたい」と新たな欲が出てきた。そして、空いた時間で文章を書いたり、子どもと一緒にあちこちに旅行をしたりできた。やはり、まずは困っていることをなくし、平地に立たないといけない。踏み出せない状態では欲は出てこないのだと実感した。

誰かの真似ではなく、自分にとっての「快適さ」を知る

生活や暮らしについて改善しようとすると、つい理想を追いかけて背伸びをしてしまう。ただ、その理想の暮らしは、誰かから提案されたものや、誰かに羨ましいと思われるものなどで、なんとなく世間一般でいいとされているものでしかなく、自分にぴったりではないこともある。

とはいえ、雑誌の中の「ていねいな暮らし」を真似するのは楽しく、わたしもかつて試みたことがある。素敵なものを買うことで表面上は満足するし、生活に少し手間をかけることで心は潤うのだが、突き詰めようとすればどうしたって「結局はお金や時間に余裕がないとできないのか」とわかってしまい、中途半端に諦めることになる。

だから、誰かの「ていねいな暮らし」をなぞる前に、自分にとって快適な状態とは何かを知る必要がある。それは、100人いたら100通りそれぞれにあって、誰かのインスタを見てもライフスタイルを提案するお店に行ってもわからない。自分にしか知り得ないのだ。

「ていねいな」は所作であり、「快適な」は状態だ。暮らしについて考えるとき、所作の前に、まずは状態を整えるといい。住んでいる場所、同居家族の有無、時間の使い道、年齢、動かせない事情、譲れない希望、など、あらゆる条件が異なれば、「快適な暮らし」の形は当然人によって変わる。自分にとって快適な場所で快適な時間の使い方ができれば、ていねいに暮らそうがガサツに暮らそうがしあわせなのではないか。

自分にとって快適な状態とはなにか。自分だけのオリジナルの欲を知り、条件を探り、そのために何をすればいいか考える。もしも困っていたら、高望みしたり諦めたりする前に、まずは困らない状態にするのが先だ。

こうして「時間とお金を何に使うか」の配分を決め、具体的に何をすればいいかがわかれば、きっと「働きかた」「暮らしかた」をよりよくしていくための入り口が見えてくるだろう。

道のりが長く、気が遠くなるかもしれないが、これから先もずっと時間をどう使うかは決め続けるのだから、早いうちに考える癖をつけておくといいのではないかと思う。

執筆:桜林直子/編集:深水麻初/イラスト:芦野公平/デザイン:駒井和彬

サイボウズ式特集「ふつうを、問い直してみよう。」

特集メイン画像。パンにもさまざまな食べ方がある

世の中にある、「ふつう」という言葉。「みんなと同じ」という意味で使われていますが、「ふつう」って、実は一人一人違うもの。長時間労働が「ふつう」な人もいれば、家族第一が「ふつう」な人もいる。世の中ではなく、それぞれの「ふつう」を尊重することが必要なのではないでしょうか。サイボウズ式ブックスから発売された『山の上のパン屋に人が集まるわけ』をきっかけに、さまざまな人と一緒に「ふつう」について考えてみます。

「なんで、ふつうにできないの?」そう浴びせられてきた人たちへ。
旅先では、誰も「ふつう」を求めてこない。だから私はいつも旅に救われる
「自分のやりたいこと」がないと、肩身がせまい?──『夢組』と『叶え組』がいるから、組織はうまく回るんです

女性議員や子どもが増える街。改革の一歩は「政治は男社会」の先入観をなくすこと——武蔵野市長 松下玲子×サイボウズ 青野慶久

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ジェンダーギャップ解消が大きな課題だと認識されながら、日本企業の多くはまだまだ、理想と現実がほど遠い状態にあるのではないでしょうか。管理職が男性ばかりだったり、給与の男女差があったり。サイボウズも例外ではありません。

一方で政治の世界には新しい動きも。2023年4月に行われた統一地方選挙の結果、武蔵野市議会(東京都)では定数の半数が女性議員となったのです。他自治体でも女性が半数以上を占める議会が増えつつあります。

議員の女性比率を高めた武蔵野市では何が起きているのか。企業が政治から学べるアクションはあるのか。武蔵野市長・松下玲子さんを迎え、サイボウズ代表の青野慶久と対談しました。

謎の「おむつ持ち帰りルール」がなくならない理由

青野
青野
松下さんは2017年の市長就任以来、ほかの自治体に先駆けて新しい取り組みを進めていますね。
松下
松下
大きな柱は6年前に掲げた「子ども子育て応援宣言のまち」です。子育て経験のある当事者として、ずっと感じていた不便や不安を解消してきました。

たとえば、保護者に要請される「保育園からの使用済みおむつの持ち帰り」を廃止したのもその一つです。
話す松下市長

松下玲子(まつした・れいこ)。 東京都武蔵野市長、政治家。実践女子大卒業後サッポロビール入社、8年勤務後自己都合退職。早稲田大学大学院経済学研究科修了。松下政経塾25期生

青野
青野
私も聞いたことがあります! 保育園で子どもが使ったおむつは、すべて持ち帰らなければいけないんですよね。
松下
松下
謎ルールがまかり通っていると思いませんか?

なぜこんなルールがあるんだろうと思って担当部署に確認したら、理由は「日々の子どもの健康状態を確認してほしいから」だと。

「みなさん知ってました?」取材陣に語りかけるお二人

青野
青野
うーん……。家に帰ってから、わざわざおむつの中身を見る人なんているんでしょうか。
松下
松下
そこまではしないですよね。子どもを迎えに行ってからスーパーで買い物をすることもあるのに、使用済みおむつを持ち歩かないといけないのは大変。

だから保育園で回収することにしたんです。公立だけでなく民間の保育園も対象として、年間予算2000万円ほどで実現しました。
青野
青野
トップがその気になればできることなのに、なぜいまだに多くの自治体では「おむつ持ち帰りルール」が存在しているんですか?
松下
松下
ルールを決めたり見直したりする場に、おむつ持ち帰りの問題を認識している人がいないからだと思いますよ。

私は男女を区別するのは好きではありません。だけど、子育て実務経験の乏しい男性ばかりで政治を進めていたら、なかなかこの問題を認識できないのでは、と思います。
青野
青野
なるほど。些細なことかもしれないけど、誰かに何とかしてほしい。そんな問題が日本にはたくさんあります。

これらが解消されないのは、問題に気づいていないからではなく、気づいている人が意思決定の場にいないからなんですね。
松下
松下
はい。大切なのは意思決定の場に多様な人がいて、多様な問題に気づけることだと思います。

選挙カーを一切使わなくても選挙に勝てる

青野
青野
内輪の恥をさらすかたちになりますが、実はサイボウズの経営幹部には女性が2割しかいません。

その状況をなんとか変えたくて、社内に「アファーマティブ・アクション(※)をやろう」と提案したことがあるんです。
※積極的是正措置。少数集団の不利な状況を改善するため、採用や昇進などに特別枠や優遇措置を設けること。
話す青野社長

青野 慶久 (あおの・よしひさ)。サイボウズ代表取締役社長。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年サイボウズを設立。2005年に現職に就任し、現在はチームワーク総研所長も兼任している。著書に『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)、『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。』(PHP研究所)など

松下
松下
役員の半数を女性から選ぶなど、実際に取り組んでいる企業もありますよね。
青野
青野
でもそれを言ったら、社内から「数をそろえるだけでは対症療法にしかならない」「男女比率が偏ってしまう根本的な原因を解消すべき」と猛反対されてしまって。

そんなときに武蔵野市議会が女性半数を達成したと聞いて驚きました。民意の結果である選挙で、これが実現するのはすごいと。
広報誌「むさしの」を見て話す青野社長
松下
松下
地方では女性ゼロの議会もありますし、そもそも国会議員には女性が20パーセントくらいしかいません。それ以上に少ないのは女性首長で、全国の自治体の中で2パーセントしかいないんです。
青野
青野
たったの2パーセントですか!?
松下
松下
全国市長会に出席すると、いつも男子トイレが大行列(笑)。女性があまりにも少ないので女子トイレはガラガラです。
青野
青野
なぜ日本ではこうした状況が続いているのでしょうか。
松下
松下
選挙戦がハードすぎたことも理由の一つだと思います。

24時間選挙のことだけを考え、地元を回り、駅前や選挙カーで声を張り上げ続ける。

家事や子育てをすべて妻に放り投げられる男性でなければ、こんな戦い方はできなかったでしょう。
青野
青野
そもそも立候補すること自体が女性にとって高いハードルになってしまっていたんですね。
松下
松下
でも、こうした選挙の常識も変わりつつあるんですよ。

たとえば今年の武蔵野市議会選挙では、候補者全体の約半数が選挙カーを一切使いませんでした。
青野
青野
選挙カーを使わない?
松下
松下
自宅で子どもを寝かしつけているときに、選挙カーの拡声器の音はものすごく迷惑なんですよね。それを理解している候補者は、最初から選挙カーを使わない選択をしたんです。
話す松下市長
青野
青野
その戦い方でも女性がどんどん当選したんですね。
松下
松下
インターネット・SNSの力を活用できるようになったことが大きいです。

駅前や住宅地を回ってマイクで声を張り上げなくても、必死に個別電話をかけなくても、ネットやSNSでしっかり政策を伝えられるようになりました。

子育てや介護などの経験がある当事者として市民の課題を語り、解決策を示すことで、多くの女性候補者が市民の支持を集めるようになったんです。

多様な人々の課題に応えることで街を発展させる

青野
青野
議会に女性議員が増えたことで、どのような影響がありましたか?
松下
松下
「望まない妊娠をした際の相談窓口」に関する議会質問が出るなど、これまではあまり議論されることのなかった話題が注目されるようになりました。

新しい体制になった議会で、これから本格的に新しい議論が始まるのではないかと期待しています。
青野
青野
有権者の意識や反応も変わりつつあると感じますか?
松下
松下
市議会議員選挙の投票率が上がったんです。前回(2019年)選挙時の46.66パーセントから50.89パーセントに伸びています。
青野
青野
すごい!
驚く青の社長
松下
松下
身近な生活の課題に取り組む女性候補者に対して、新たに投票行動を起こす若い世代が増えたのではないでしょうか。
青野
青野
投票率の低い自治体も多いですが、むしろ新たな民意を掘り起こすチャンスが眠っているのかもしれませんね。

街の雰囲気も変わりつつあるのでしょうか?
松下
松下
人口増、子ども増が続いていて活気を感じますね。

武蔵野市は吉祥寺など人気の街を擁し、交通の便が良いという強みもあり周辺自治体と比べて家賃相場も土地も高い。それでも「子どもが大きくなるまでは武蔵野市に住みたい」と考える人が増えているんです。
青野
青野
若い世代が集まれば働く層が増えるわけで、税収増にもつながりますよね。
松下
松下
税収は昨年比で約30億円増えていますし、子育て世代による消費も増えています。

多様な人々の課題に多様な意思決定で応えていければ、これからもどんどん街を発展させていけるはずです。
机ごしに話すふたり

社内で解決しきれない問題を知り、社会を変える側に回った

青野
青野
立候補する女性が増えた背景には、市長としてリーダーシップを発揮する松下さんの影響もあったのではないでしょうか。

そもそも松下さん自身は、なぜ政治の世界へ入ったのですか?
松下
松下
きっかけは、会社員時代に経理の不正を見つけてしまったことです。

とても真面目に勤務していたパートスタッフの女性が、改ざんした領収証を提出し経費を不正に申告していました。
青野
青野
なぜそのような不正を?
松下
松下
そのパートさんは、当時「年収の壁」と言われていた、所得税が非課税となる年収ラインを守りながら夫の扶養の範囲内でどうにか稼ぎを増やそうとしていたんです。
青野
青野
なるほど。課税対象の所得にならない経費を水増し申告して稼ぎを増やしていたんですね。
松下
松下
はい。

不正はもちろん許されません。ただ私は同時に、「しっかり働く意欲と能力のある人が不正を働いてしまう世の中って何なのだろう?」と疑問を持つようにもなりました。

この不正の原因を社内でただすには限界があります。それなら私は、社会の制度を変えるために主体的に動ける側へ回ろうと思ったんです。
真剣な表情で話す松下市長
青野
青野
松下さんが初めて立候補した東京都議会議員選挙も武蔵野市から立候補していますよね。もともと武蔵野市が地元なんですか?
松下
松下
いえ、違います。だから最初は「よそ者」だと言われることもありましたね。

武蔵野市に住んで18年、市長になって、ようやくよそ者とは言われなくなりました(笑)。

私はこれでいいと思うんです。「この街が好き」という気持ちが地元の人と変わらないのなら、外から入ってきた人たちも街をどんどん良くしてくれるはずですから。
青野
青野
そうやって外から入ってくる人たちがいるからこそ、街の魅力が高まっていく面もあるのではないでしょうか。

よそ者を受け入れて多様性を高め、さまざまな課題を解決していく。松下さんはその象徴なのかもしれませんね。

はじめから無理だと思い込まないために多様性が必要

青野
青野
松下さんが進めている改革は他の自治体からも注目されていると思います。ただ一方で、「自分の街ではこんな改革はできない」とあきらめている人もいるかもしれません。
松下
松下
「武蔵野市だからできるんでしょ?」と。
青野
青野
はい。

私もたまに「先進的な働き方はサイボウズだからできるんでしょ」と言われることがあるんです。

それはイエスの部分もあります。柔軟に動けるIT企業だし、私が社長として意思決定している要因も大きいかもしれない。だけど、どんな企業でも真似できる部分があるはずだと思っています。
真剣に話す青野社長
松下
松下
武蔵野市には吉祥寺という人気の街があり、おかげさまで財政基盤も強固なので、恵まれている部分もたしかにあると思います。

でも私が言っていることは基本的には意思決定の話だし、税金の使い道の話なんですよね。
青野
青野
やる気になればどんな自治体でもできるはずだと。
松下
松下
はい。メジャーリーガーの大谷翔平さんが大切にされている「先入観は可能を不可能にする」という言葉をご存じですか? 私、この言葉が大好きなんです。
青野
青野
先入観は可能を不可能にする……。

そう、その通りですね。「自分たちには無理だ」という先入観を持っていたら、どんなことも不可能になってしまう。
松下
松下
先入観をなくすためにも、やっぱり多様性が大切だと私は思っています。自分とは違う考え方の人と会って話すことで、いつのまにか築いていた先入観が崩されますから。

「そんな世界もあるんだ」と知ることで、これまでは見えていなかった社会の問題も理解できるようになるはずです。
青野
青野
松下さんが市長として活躍し、市民の皆さんと接することで、「女性は政治の世界で活躍しづらい」という先入観を壊すことにもつながっているんじゃないでしょうか。
松下
松下
スーパーで買い物をしていると、市民の皆さんからびっくりした顔で話しかけられることもあります。「思いきり生活感が出ていますね」って(笑)。

だけど私だって市長であると同時に市民であり、母であり、主婦なので、「今日は大根が高いな……」と売場でしかめ面をしている日もありますよ。

そんな姿を見て「政治家といっても特別な存在じゃないんだな」と感じてもらえるなら、私も誰かの先入観を壊すことに貢献できているのかもしれませんね。
サイボウズのオフィスで話す松下市長と青野社長

企画:Alex Steullet・高橋団 執筆:多田慎介 撮影・編集:高橋団

時代が変わるとは、少数派が多数派に入れ替わること。未来は少数派の「わがまま」にある──明石市長 泉房穂×サイボウズ 青野慶久
市民のわがままを政策に生かすには、「きれいごとと本音」の両立が必要だった──明石市長 泉房穂×サイボウズ 青野慶久
働き方改革が進まないのは、「どうせうちの会社は変わらないでしょ」っていうあきらめ感のせい──小泉進次郎×サイボウズ青野慶久

「いいお母さん」になれない私ってダメだな、と悩んでいる人に伝えたいこと──夏生さえり

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本特集『「ふつう」を、問い直してみよう。』では、サイボウズ式ブックスから発売された書籍『山の上のパン屋に人が集まるわけ』をきっかけに、さまざまな人と一緒に「ふつう」について考えていきます。

今回のテーマは、子育てや家族との関係性において、自分が健やかでいられる「ふつう」をどう育み、どう守っていけばいいのか。子育てをしながら、コピー、エッセイ、脚本など書くことを生業にする夏生さえりさんに、話を聞きました。

理想のお母さん像とのギャップ

徳瑠里香
徳瑠里香
さえりさんは、2歳の息子さんと暮らしていらっしゃいます。子育てをする中で、「もっと◯◯がふつうだと思っていた」という発見はありましたか?
夏生さえり
夏生さえり
自分が妊娠・出産を経験する前はぼんやりと、赤ちゃんを抱いて優雅に微笑む聖母マリアのような母子像をイメージしていたんです。

でも、実際に子育てをしてみて、「ほんとにあんな人いるの!?」って思ったんですよ。

妊娠中も産後も心身が乱れ、私はあんなふうに穏やかには過ごせなかった。自分の経験や友人たちの話からも、頭の中にいた母性あふれる母親像は幻想だったんだと気づいたんですよね。

夏生さえり(なつお・さえり)。ライター。青山学院大学心理学科卒業後、出版社に就職。その後、web編集者に転職し、2016年にフリーライターとして独立。エッセイ、ショートストーリー、脚本、コピーライティングなど、文章にまつわる活動は多岐に渡る。

徳瑠里香
徳瑠里香
たしかに! もともと、“いいお母さん”像のようなものは抱いていましたか?
夏生さえり
夏生さえり
私にとっての“いいお母さん”像は、母でした。母は専業主婦だったので、嫌なことがあった日も悩んだ日も帰ればいつも家にいてくれた。それが当たり前だと思っていました。

でも大学生になって上京して、友だちや先輩、いろんな家庭の働き方や考えに触れるなかで、私は専業主婦ではなく働きたいと思ったんです。自分の性質的にも、母のようにはなれないなって。

いい意味で母という身近なロールモデルを手放し、母と自分の間に線を引けるようになりました。

みんなと「せーの」じゃなくても、自分のペースで進めばいい

徳瑠里香
徳瑠里香
そこから新たなロールモデルを見つけたり、世間の「ふつう」にとらわれることはなかったですか?
夏生さえり
夏生さえり
大学時代に、母になることも含め世の中の「ふつう」を手放すきっかけとなった出来事があって。

就活の波に乗れず、1年間山口県の実家に引きこもっていたんです。「私、がんばってくるよ」って決意して東京に向かったけど、やっぱり復学はできないっていうのを2回くらい繰り返して。

同級生は卒業して就職する時期だったので、Facebookを開いては、なんで私はみんなと同じように、「ふつう」に進めないんだろうって落ち込んで。決めたこともできない私はダメだって、人と自分を比べて苦しい時期でした。
徳瑠里香
徳瑠里香
そのつらい状態からどうやって抜け出したのでしょう?
夏生さえり
夏生さえり
実家でも暗い部屋に一人引きこもって、はじめての反抗期かっていうくらいに結構荒れてたんですけど、母も父も「久しぶりに一緒に暮らせて嬉しいね」ってむしろ、いいところにばかり目を向けてくれたんですよね。

「もう大丈夫だから。元気でいるから」と強がる私に、母は「元気がなくなっても、大丈夫。こうやってがんばれる日が来るし、元気がなくなったらまたいつでも戻っておいで」って。

その言葉をお守りに実家を出て復学し、そのまま東京で10年以上なんとかやっている感じです。思い出すと泣けてきちゃう……。
徳瑠里香
徳瑠里香
元気があってもなくても、さえりさんを丸ごと受け止めてくれた。親として世の中の「ふつう」にとらわれず、さえりさんを見つめているからこそ、かけられる言葉ですよね。
夏生さえり
夏生さえり
まさに、元気な自分もダメな自分も全部自分なんだと思えるようになって。

私にとって、当時はとても辛い時間でしたが、そこから何年か経って就職して仕事が楽しくなった頃に、あの時立ち止まったのは私にとっては最善の進み方だったんだと、やっと肯定できるようになったんです。

みんなと足並み揃えて「せーの」じゃなくても自分のペースで進めばいいんだって。

この先、仕事だけじゃなく、結婚や出産や子育てもあるかもしれないけど、全部同じように、誰かに合わせるのではなく自分のペースを大事にしよう、と思いました。

それからは、自分のやりたいことに忠実に生きていこうと思えるようになりましたね。

幻想のロールモデルを追うより、ご機嫌な毎日を重ねたい

徳瑠里香
徳瑠里香
素敵です。とはいえ、私も6歳の娘と暮らしていますが、つい他の誰かや世の中の「ふつう」と比べて揺らいでしまうことがあります。子育ては正解がわからないので。さえりさんはそういうとき、どうしていますか?
夏生さえり
夏生さえり
私も揺らぐときはあります。でも、私には私のペースがあって、選びたいものがあって、行きたい場所がある。他の誰かの現時点の状態と比べても意味がないと思っていて。

あの人が選んでいるものは、今の私がほしいものじゃないと境界線を引いて、じゃあ自分はどうしたい?と問うようにしています。
徳瑠里香
徳瑠里香
なるほど! SNSでいろんな距離感の人の日常に触れていると、自分との境界線がわからなくなるし、一瞬を切り取った像から勝手な理想を抱いて、自分にはできないと落ち込んでしまうこともあるように思います。
夏生さえり
夏生さえり
そうですよね。でも、理想のワンシーンしか見えていないので、実際にその人が何に悩んでいるかまでは知らない。だからロールモデルって幻想なのかなって思うんです。

理想にとらわれないという意味では、夫の存在も大きいですね。

妊娠中に夫に「どんなお父さんになりたい? 何がしたいとかある?」って聞いたら、

「そういうのはない。こうなりたいと理想を持つことが自分を苦しめることを知っているし、父親としてではなく、自分のままで子どもと接していきたい。」という答えが返ってきたんです。ほお〜と感心しました。
徳瑠里香
徳瑠里香
ほお〜。子どもが生まれても自分は自分のままで、生まれ変わるわけじゃないですもんね。さえりさんは今、理想を抱いていないですか?
夏生さえり
夏生さえり
こういうお母さんになりたいっていうのはない、というか、息子が振り返って決めてくれることだなと思っているんですけど、こういう毎日を重ねたいって意識していることはあって。

夫と結婚したときに、この人といつまでも仲良く暮らしていくために、できるだけ毎日仲良く過ごしていこうって決めたんです。

遠い未来を想像するんじゃなくて、毎日を重ねていった先に未来があるのだから、今を大事にしようって

息子とも成長してもいい関係でいられるように、できるだけ毎日大事に向き合って、見つめて、楽しい時間を一緒に過ごす。ただただ、家族とご機嫌な毎日を重ねていきたいんです。

自分の「ふつう」を手放さずに、夫婦ふたりの「ふつう」を新たにつくっていく

徳瑠里香
徳瑠里香
パートナーと息子さんとご機嫌な毎日を重ねていくために、意識していることはありますか?
夏生さえり
夏生さえり
自分がご機嫌でいること、ですかね。もちろん夫と喧嘩になることも嫌な雰囲気になることもあるんですが、できるだけ次の日に持ち越さない。

嫌な気持ちは長引かせず、その日のうちに伝えたいことは伝えて、すっきりした気持ちで1日を終えることを意識しています。
徳瑠里香
徳瑠里香
いいですね。夫婦間で子育ての方針など、価値観の違いがあったときはどうしてます?
夏生さえり
夏生さえり
夫婦間でも価値観は違って当たり前。だからふたりの価値観を新しくつくるのがいいんだろうねって話を夫としたことがあって。

私の価値観はこれで、あなたの価値観はこれで、じゃあ今回私たちはどうする? ってことを考える。

どっちかの価値観に寄せるんじゃなくて、私は私のまま、あなたはあなたのまま、家族の方針を決めるようにしています。
徳瑠里香
徳瑠里香
自分の価値観を捨てるわけでも押し付けるでもなく、ふたりの価値観をつくっていく。それって具体的にどうやってやっていけばいいんでしょう?
夏生さえり
夏生さえり
私はこうだけど、あなたは? って話を重ねていくしかないですよね。

結婚って、他人とちゃんとぶつかってぶつかって、それでも相手も変わらないし、私も変えられないということを受け止めることから始める修行のよう……。

すごく疲れるし労力がいることだから、誰とでもできることじゃない。でもそれができなくなったら、どんどんすれ違っていってしまうと思うから。

その過程で答えを出さない、白黒はっきりしないということも大事だと思っています。
徳瑠里香
徳瑠里香
たしかに、家事育児と仕事とか、夫婦のプロジェクトって常に現在進行形だから、答えを出さずに更新し続けるってことも必要になってくるのかもしれないですね。
夏生さえり
夏生さえり
長く一緒にいても、今になってわかる違いもありますから。その都度話して、違いを受け止めて、それぞれのまま一緒にいるための家族の価値観をつくっていくしかないと思います。

自分を満たして、余剰分の優しさを人に渡す

徳瑠里香
徳瑠里香
世間や誰かの「ふつう」と自分を比べて落ち込まないためにも、夫婦で家族の価値観をつくっていくためにも、自分はどうしたいか? という軸に戻っていくことが大事なんだと、お話を聞いていて思います。
夏生さえり
夏生さえり
私も忙しかったり考えすぎちゃうと、自分がどうしたいかを見失っちゃうこともあります。でも迷ったときは、自分が楽しいと思えるワクワクする方に進むと決めています。

あまりにも大きな選択でわからなくなったときは、身近な選択から実践してみる。

例えば今日のランチに何を食べるか。レストランのメニューでおすすめって書いてある……こっちのほうが安い……と惑わされても、私は今何を求めてる? これだよね! と選ぶ。

「私がこれを食べたいから、これを選んだんだ」とちゃんと意識するだけで、自己肯定感が上がるんですよね。
徳瑠里香
徳瑠里香
自分で選んで、自分を肯定する。
夏生さえり
夏生さえり
私は今でもすぐに元気がなくなっちゃうんですけど、些細な選択であっても、自分で選ぶことで、自分の人生は自分でつくっているんだって立ち直れる。

なので“自分のことは、自分で選び取る”という意識を持って生きています。自分で、人生をつくっている。そう思うことって、日々ご機嫌でいるためにものすごく大切なことだと思っています。
徳瑠里香
徳瑠里香
子どもや家族に絡む選択をするとき、自分を脇に置いて迷ってしまうこともあります。さえりさんはどうしていますか?
夏生さえり
夏生さえり
最近、私が住みたかった土地に引っ越しをしたんですが、転園することになるので、息子にとってはどうだろう? と悩んだんですね。

まだ本人の気持ちは聞けない年齢だし、彼がどう思うかはわからない。以前住んでいた場所のほうが、一見「子育てに向いている」という感じがする場所だったんです。

でも、息子にとっては親である私がご機嫌でいることが大事なんじゃないかと思ったんです。自分を削って子どものため、家族のためにがんばっているとピリピリしちゃうので。

疲れているのにごはんをつくったけど、夫の帰りが遅くてむかつくとか、子どものためにがんばったのに報われなかった! とか、思いたくない。

自分に余裕がないときに人に無理して優しくすると、見返りを求めちゃうんですよね。だから私は一番に自分を満たして、余剰分の優しさを人に渡そうって思っているんです
徳瑠里香
徳瑠里香
余剰分の優しさを人に渡す……!
夏生さえり
夏生さえり
自分が楽しくご機嫌に過ごせる環境を整えて、余剰分ができれば、子どもとも、夫ともたっぷり楽しい時間を過ごせる。

自分を犠牲にしてやったことって、相手が受け取ってくれないと悲しくなる。でも余剰分なら受け取ってくれなくてもいいよって思える。だから何より自分の気持ちを満たして、疲れているときはちゃんと休むようにしています。

そうやって自分にとって一番いい選択をすることは、回り回って夫や息子のためにもなると信じているんです。自分が幸せでいることは周りを幸せにすることにもつながると思うから、自分を一番大事にしたい。そしてもちろん、夫も息子もそうであってほしい。

それぞれが自分を満たしてやりたいことをやっていく先に、家族の幸せがあると思うんです。

育児も仕事も、自分が心地よくいられる「ふつう」を何一つあきらめない

徳瑠里香
徳瑠里香
さえりさんは、世の中の「ふつう」ではなく、自分の「ふつう」と家族の「ふつう」を探り続けているように思います。
夏生さえり
夏生さえり
自分が心地よくいられる状態が「ふつう」だと思うんですよね。

私も産後、自分の「ふつう」が揺らいで、自分が自分でなくなっちゃう感覚があったんですよ。だから産後2ヶ月で仕事復帰しました。世の中的には半年とか1年休むのが「ふつう」かもしれないけど、私にとっては違った。

でも無理かもな。夫は仕事が忙しいし。と逡巡しつつ、自分を満たすために、週に何回かは働きたいと夫に伝えたら、一緒に考えてくれたんです。

世の中の「ふつう」にとらわれて、私自身ができないと思っていたけど、周囲の人たちに気持ちを伝えて頼っていったら、やり方が見つかった

方法は一つじゃないし、自分1人で考えてあきらめなくてもいいんだということがわかった。だから今、すごく楽しいんです。
徳瑠里香
徳瑠里香
現時点のさえりさんにとっての心地よい「ふつう」が見つかったんですね。
夏生さえり
夏生さえり
もっと仕事したい! もっと育児したい! 1日が足りない! っていつも思っていますけど、それって毎日が好きなことでぎゅうぎゅう詰めだからなんですよね。

仕事も育児も好きなことは何一つあきらめたくないという気持ちでいます。
徳瑠里香
徳瑠里香
ふふふ。自分を生きている輝きを放っていますね!
夏生さえり
夏生さえり
共働きで子どもがいる生活、基本さいっっこうなんで。子育ての大変さはゲリラ豪雨でしかない。

楽園にいたら、突然子どもが手足口病にかかって仕事どうしよう! ってゲリラ豪雨に襲われて(笑)、そのうち小雨になってまた楽園が戻ってくる。

大変なこともあるし、悩むこともあるけど、それでもやっぱり最高です!

そうは言っても、私も来年どうなるかわからないし未知の中にいます。だからこそ、自分の「ふつう」と家族の「ふつう」を守りながら、1日1日を大切に積み重ねていきたいです。

執筆:徳瑠里香/撮影:もろんのん/編集:深水麻初

サイボウズ式特集「ふつうを、問い直してみよう。」

特集メイン画像。パンにもさまざまな食べ方がある

世の中にある、「ふつう」という言葉。「みんなと同じ」という意味で使われていますが、「ふつう」って、実は一人一人違うもの。長時間労働が「ふつう」な人もいれば、家族第一が「ふつう」な人もいる。世の中ではなく、それぞれの「ふつう」を尊重することが必要なのではないでしょうか。サイボウズ式ブックスから発売された『山の上のパン屋に人が集まるわけ』をきっかけに、さまざまな人と一緒に「ふつう」について考えてみます。

「なんで、ふつうにできないの?」そう浴びせられてきた人たちへ。
「パートナーが変わる」期待を手放そう。仕事も育児もがんばりすぎて疲弊していた、あの頃の自分へ

IT企業のサイボウズが「企業色ゼロ」のTシャツを作った理由──「チームワーク」を自由に描いてみた

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この度サイボウズ式は、新たな挑戦として「オリジナルTシャツ」を作りました。

3名のイラストレーターさんに依頼したところ、今までのサイボウズ式にはない、新しい「チームワーク」の姿が!

オウンドメディアのサイボウズ式が、なぜTシャツを作ったのか? 今回の記事では、本プロジェクトの背景やストーリーをお伝えします。

サイボウズ式が「Tシャツ」を作りました

この度サイボウズ式では、新たな挑戦として「"チームワーク"を表現したオリジナルTシャツ」を作りました。 サイボウズ式Tシャツ_着画画像_3パターン サイボウズ商店で発売中!

「デザインの指定はありません。みなさんが想像する"チームワーク"を、自由に表現してほしいです。」

先入観にとらわれない自由な発想で「チームワーク」を表現してもらうため、3名のイラストレーターに依頼。すると今までのサイボウズ式にはなかった、新しい「チームワーク」のイメージが現れました。

従来の「企業ノベルティ」らしくない新たなグッズが生まれたことから、「#サイボウズ式merch」というテーマを策定。

皆さんは、どのイラストに惹かれますか? 気になる方は、ぜひこちらより商品をご覧ください。

サイボウズ式Tシャツ_商品情報

「Tシャツ」のアイデア、ある投稿がきっかけだった

「サイボウズ式・Tシャツプロジェクト」の背景やストーリーを、プロジェクトリーダーの神保 麻希(じんぼ まき)さんから伺いました。

曽我
曽我
いきなりですが今回のTシャツ、とても素敵なイラストですよね! 良い意味で、企業のノベルティっぽくないというか(笑)。 

どういうきっかけで「Tシャツを作ろう!」 となったのですか?
神保
神保
きっかけは、サイボウズ式で普段からお世話になっているイラストレーター・芦野公平さんの投稿です。一言でいうと「絵心も自由に表現できる仕事がしたい」という内容でした。

この投稿をみたときに、普段サイボウズ式で描いていただく絵柄と、全くちがう雰囲気の作風を多くお持ちであることを知りました。
Tシャツプロジェクトリーダー・神保麻希

神保 麻希(じんぼ・まき)。サイボウズ株式会社 マーケティング本部所属。 2023年より、サイボウズ式の編集長に就任。マーケティング本部にてサイボウズのブランディング、メディアコンテンツの制作を担当。

神保
神保
普段はイラストレーターさんに、バナー画像の制作などを依頼しているのですが、かなり細かく要件を伝えているんです。

ただそれだと、イラストレーターさんの表現の幅をせばめているのでは? もしかしたら、多くのイラストレーターさんが「ビジネスで需要のある絵柄」と「自分で自由に表現してみたい絵柄」のはざまで悩んでいるのでは? と気づいたんです。
曽我
曽我
お仕事としての依頼があると、個人の表現したい気持ちは後回しになってしまいますよね。
神保
神保
サイボウズ式では、サイボウズが大切にしている「チームワーク」の価値を伝えるために、さまざまな形でコンテンツを発信しています。

その手段の一つとして、クリエイターさんの自由な絵柄を活かせないかな? ……と考えていたら、「オリジナルグッズ」を作るアイデアが浮かびました。
曽我
曽我
ちなみに、プロジェクトメンバーはどのように集めたのでしょうか?
神保
神保
「オリジナルグッズ」のアイデアを編集部チームで話してみたら、共感してくれたメンバーが2名いたんです。

私を含めて3人で「Tシャツプロジェクト」のコンセプトを磨いていくうちに、実現イメージが湧いてきました。

「言葉」をつかわず「チームワーク」を表現したい

曽我
曽我
クリエイターさんのアイディアを活かしながら、サイボウズ式として「チームワーク」を発信する場として、Tシャツプロジェクトがはじまったんですね。
神保
神保
実は、サイボウズ式としても「チームワーク」を何か新しい形で表現してみたいという思いもありました。

今までサイボウズ式では「チームワーク」をいろんな言葉で表現してきました。ただ、煮詰まる瞬間もけっこうあったんですよね。これからも「チームワーク」と向き合っていくために、新しい表現方法がほしかったんです。

普段は記事コンテンツを中心に発信しているんですが、「言葉」による発信って分かりやすい一方で、説明が長くなってしまう。「感覚」や「感情」的な部分まで伝わりにくい気がしていたんです。

「言葉による表現」の停滞感を打破するために、私たちサイボウズ式編集部・サイボウズという会社・イラストレーターさんの状況を整理してみました。
Wiil;-Can-Mustで整理した図
神保
神保
私たち編集部は、言葉の枠を超えて「チームワーク」を表現したい(Will)。イラストレーターさんは、私たちにはない発想をもとにイラストという形で表現できる力がある(Can)。サイボウズとしては「チームワーク」の価値を伝え続ける必要がある(Must)。

つまり、Tシャツプロジェクトは、クリエイターさん・私たち、そしてサイボウズにとってもプラスになるはず!

そう信じて、プロジェクトを進めていきました。
曽我
曽我
イラストを依頼したイラストレーターさんの方々は、実際にどんな反応でしたか?
神保
神保
ありがたいことに、皆さん快く引き受けてくださいました!

「〇〇さんが想像する"チームワーク"を、自由に表現してほしいです。」と、あえて細かい指定は無しでお願いしてみたんです。

すると、私たちが思いつかないような素敵なイラスト案を作っていただきました。

一言で「チームワーク」といっても、(下部の写真左から)ashinoさんは「細胞」、norahiさんは「バスケットボール」、MIOSHIROOMさんは「花」と、モチーフが三者三様でした。
芝生に並んだTシャツ

左から「ashino kohei」「norahi」「MIOSHROOM」。サイボウズ式オリジナルTシャツの商品情報はこちら

神保
神保
今回、「サイボウズ」という枠にとらわれない「チームワーク」のイメージを社外の方から表現していただいて、私たちにとってもイメージの幅が広がりました。

「イラストの背景にあるストーリー」に共感してくれる人へ届けたい

曽我
曽我
今回のTシャツを、どんな方に手に取ってほしいでしょうか?
神保
神保
そうですね……。しいていえば、 ストーリー性のある商品に魅力を感じる方へ届くと嬉しいです。「描かれたイラストの背景」や「商品が生まれるまでの物語」に共感してくれる方というか。
曽我
曽我
サイボウズを知っている方は、「チームワーク」という文脈に共感してくださりそうですよね。
神保
神保
そうですね! ただ、サイボウズを知らない人にも手に取ってほしいんです。

今回のTシャツは、あえて会社のノベルティ感を抑えて、プライベートでも着たくなるようなものにしました。「なんかこのイラスト、イケてるな」と直感的に思った方が手に取ってくれたら嬉しいですね。

もう少し未来の話をすると、ポップアップストアを出したり、海外アーティストの方ともコラボしたグッズを出したり……なんて、いろいろなアイデアをチームで妄想しています。
曽我
曽我
たのしそうです……!
神保
神保
実は今回のプロジェクト、社内のいろんな方にも相談に乗っていただいて、プロジェクト始動から販売開始まで3カ月で実現できたんです。

2023年11月に開催されたイベント「Cybozu Days(サイボウズデイズ)」で先行販売したのですが、多くのお客様からご好評の声をいただけて、とても嬉しかったです!
サイボウズデイズの様子
神保
神保
この取り組みを多くの方に知ってもらえたら、今後も社内外を巻き込んで、さまざまな形で「チームワーク」を表現できるよう積極的にチャレンジしていきたいです!

イラストレーターの皆さんからコメントをいただきました!

今回ご協力いただいたイラストレーターの皆さんからも、コメントをいただきました。

芦野 公平さん

芦野さんTシャツデザインとアイコン

これまで漠然と持っていたチーム像は、リーダーを中心に、ある意味で「個を殺して一丸となって」プロジェクトの成功に向かう姿でした。今回Tシャツをデザインするにあたり、それが窮屈な解釈ではないか?と最初はとても悩みました。

そして、よりTシャツに適した表現とは? と考えたとき、多様なメンバーが相互関係の中で自律的に活動し、その集合体として「チームが解放的でありながらも団結しエネルギッシュ」である形が理想的だなと思うに至りました。

その理想像をどんな風に描けるだろうと思いを巡らした末に「細胞」が思い浮かびました。当初は見た目をより細胞らしく描くことを意識しましたが、サイボウズ式編集部とのやり取りを経て、細胞の体に拘り過ぎずにパワフルな様子を強調する方向で楽しく描くことが出来たんです。Tシャツの制作過程においても、まさに素晴らしいチームワークを実感することが出来ました。

※芦野さんのInstagramアカウントはこちら

長谷 美央莉さん(MIOSHROOM)

長谷さんTシャツデザインとアイコン

「チームワーク」とは、目に見えないエネルギーをメンバーみんなで感じながら創りあげていくことだと私は思います。チームワークは魔法です。ぶつかりながらもチームとしていろんな角度から成功に導きだせたときに、やっと点と点が繋がる姿。それを、美しい花で表現しました。

この絵を描く上で1番楽しかった点は「わたし自身が今1番楽しんでいるか?」 の質問に対しての答えが完全にYESだったこと。今1番好きな場所スリランカにいて、好きなこと(サーフィン、絵描き)をしている状態の私で描けたことが、さらにこの絵を楽しませてくれているのだと気づいたのです。

一方で、チームワークという場所から少しかけ離れていた私にとっては、なかなか難しいテーマでもありました。ですが、結果的に生活すべてがチームワークに繋がっているとも気づきました。家族、友達、恋人、会社仲間、そして自然とも全ては1人では成り立たないものであり、みんながいてこその私。その気持ちを絵に表現するのは難しかったのと同時に大きな気づきになりました。

※長谷さんのInstagramアカウントはこちら

norahiさん

norahiさんTシャツデザインとアイコン

学生の頃、私はバスケットボールに夢中で、毎日をスポーツに捧げていました。それほどまでに部活に打ち込んでいたのに、実はずっとベンチウォーマーだったんです。でも、自分に何ができるかを必死に考え、試合の日には思い切りベンチから声を出していました。毎日たくさん走ったし、たくさん筋トレもしたけど、それでもバスケットボールは全然うまくならなかったんです。

ある日、顧問の先生から「君のベンチからの声援はいいムードを作るよ」と言われた時、その一言がすごく嬉しかったんですよね。「チームワークってそういうことなんだな」と思った瞬間でした。

今回「チームワーク」というテーマをいただいた時、真っ先にこの経験を思い出し、それをイラストに起こしてみました。大人になって社会に出てもこの経験は活かせるんだなと気づいて、ちょっと誇らしくなりました。

※norahiさんのInstagramアカウントはこちら

お気に入りのTシャツをぜひ見つけてください

サイボウズ式の新たな挑戦として「オリジナルTシャツ」を作った背景や、プロジェクトに込めた想いをご紹介しました。

t-shirts-3.png

細胞、花、バスケットボール…… 一言で「チームワーク」と言っても、こんなに多様な表現になるんですね。

皆さんは、どのイラストに「ピン」と来ましたか? 気になる方は、ぜひこちらより商品をご覧ください。

なお、ご購入いただいた方には下記の「オリジナルステッカー」をランダムで1枚プレゼントいたします。こちらもお楽しみに!

サイボウズ式オリジナルステッカー_3種類 サイボウズ商店で発売中!

執筆:曽我智恵里/撮影:高橋団/編集:神保麻希

「自分にしか描けないものは何か問い続けた」──イタリア人漫画家・ペッペさんに聞く、クリエイティブワークにおける多様性の活かし方
多様な「ふつう」に寛容でいられるのは、理念や文化がしっかりある組織だから──平田はる香×青野慶久
「ていねいな暮らし」をなぞる前に、自分にとって快適な状態を知ろう

無駄づくりのプロも、無駄に悩んでいた。「暇な時間がこわい」のはなぜ?──藤原麻里菜さん

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「こんな無駄な時間を過ごして、自分は何をやっているんだろう」「暇な時間があると、なんだか不安になってしまう」。

こんなふうに「無駄がこわい」と思っている人は多いかもしれません。でもそもそも、どうしてわたしたちは「無駄がこわい」と思うのでしょうか?

今回、お話を伺ったのは株式会社無駄の代表・藤原麻里菜さん。2013年からYouTubeチャンネル「無駄づくり/ MUDAzukuri」を開設して、「札束で頬を撫でられるマシーン」など、これまでに200個以上の“無駄な”発明品を制作・配信しています。

そんな藤原さんですが、かつては「無駄がこわい」時期があったそう。一体何があったのでしょうか?

当時のお話を伺いながら、「無駄」とどう関わればいいかを教えてもらいました。

「生産性がない時間」が無価値に思えた

流石
流石
藤原さんのインタビューやブログを拝見したのですが、「無駄が好きなのに、暇な時間ができると、その時間を埋めなきゃと焦っていた時期があった」と話していたのが印象的でした。

無駄づくりのプロでも、無駄な時間に焦ることがあるんだなと。
藤原
藤原
そうですね。少し前までは「暇な時間にも何かを生み出していないと、自分の存在価値はない」と思っていましたね。

2020年に入ったころ、コロナ禍で対面での活動が制限されてお仕事が減り、暇な時間が増えたんです。ただ、収入は減っても、国から支援金(※)のおかげで無駄づくりには打ち込めていました。

※奇想天外なことに挑む人を応援する、総務省「異能ベーションプログラム」を通過し、国から300万円の支援金を受けていた

インタビューに答える藤原さん

藤原 麻里菜(ふじわら・まりな)。1993年生まれ。コンテンツクリエイター、文筆家。株式会社無駄 代表取締役社長。頭の中に浮かんだ不必要な物を何とかつくり上げる「無駄づくり」を主な活動とし、YouTubeを中心にコンテンツを広げている。

藤原
藤原
ところが、その1年後に支援金の契約が切れたころから、だんだんと元気がなくなってきて。コロナ禍で人とも気軽に会えないし、やることもそんなにありませんでした。

何か明確なきっかけがあったわけじゃないんですけど、だんだんと「無駄」を削って生産性のあることをしないといけない気がして、精神的に体調を崩してしまったんです。
流石
流石
いろんなことが一気に重なって、心にゆとりがなくなってきたんですね。
藤原
藤原
はい。そうした焦燥感から、いままで楽しめていた「無駄」がこわくなったんです。家族や友人と過ごしていても、「生産性のない時間を過ごしていいのだろうか」と思ったりして。
流石
流石
それまで、暇な時間は何をしていたんですか?
藤原
藤原
散歩しながら考え事したり、読書したりぼーっとしたりして、リフレッシュしていましたね。

でも、体調を崩してからは、そういうことができなくなり、無駄づくりのアイデアも浮かばなくなって。生産性のない状態を肯定できず、さらに苦しくなっていました。
藤原さんの左顔が映るカット

必ずしも無駄なことから、何かが生まれなくてもいい

流石
流石
いまは「無駄」への恐れはなくなったのでしょうか?
藤原
藤原
そうですね。もう元気になったので、暇な時間があってもこわくないですね。
流石
流石
どうやって、「無駄」を肯定的に捉えられるようになったんですか?
藤原
藤原
これも何か特別なきっかけがあったわけではないのですが、とにかくものづくりのハードルを低くするようにしました。

よい反応がもらえなくても、しっかりと手を動かして、できあがったものを人に見せて反応をもらい、また考える。そのサイクルさえきちんと回せていればいい、と。
流石
流石
逆に言えば、それまではものづくりのハードルが過度に高くなっていたのですね。
藤原
藤原
そうですね。たぶん誰もわたしに期待していないのに、期待されているように思っちゃったんでしょうね。

生産性がなくて苦しかったとき、「みんなをもっと驚かせるような、おもしろいものをつくらなきゃいけない」と思い込んでいて。

それなのによいアイデアが思い浮かばず、「わたし、ものづくりの才能がないな」と落ち込みました。

でも、最終的には「才能があるかどうかじゃなくて、アイデアを形にするために、とにかく手を動かすことが重要なんだ」という考え方にたどりついたんです
顎をさすりながら話す藤原さん
流石
流石
その結果、どんな変化があったんですか?
藤原
藤原
ものづくりだけでなく、日常生活においても、ちょっとしたことで満足できるようになりましたね。

特別なことが起きなかった日でも、「コーヒーが美味しかったな」「お店で変な人を見かけたな」とか。
流石
流石
心にゆとりがある感じがしますね……!
藤原
藤原
現代社会では「生産性がないと価値がない」と感じて、苦しくなる人が多いと思うんです。かつてのわたしもそうでした。

でも、いまは肯定するべきものだと考えていて。「生産性がある」とされる既存のタスクをなぞっているだけでは、新しいことは生まれないんです。何かしらの革新は、無駄なことから生まれるわけで。

もちろん必ずしも無駄なことから、何かが生まれなくてもいいんですよね。生産性がない時間を肯定できるだけの強さを持つ必要があると思っています。

「心が満足すること」に集中するための合理性

流石
流石
藤原さんのように、暇な時間を肯定できる人にあこがれます。理由はわからないんですけど、「無駄」がめちゃめちゃこわいんですよね。
藤原
藤原
「無駄」ってこわいですよね。実はわたしも、無駄づくりの過程は合理的に進めているんです。

その一例が、プログラミングでコードを書くときです。自力だと1時間くらいかかるので、ChatGPTを使って5分間くらいで完成させることもあります。
流石
流石
テクノロジーをうまく活用しているんですね。
藤原
藤原
そうすれば、「自分でするからこそ、心が満足できること」に集中できるので。

たとえば、料理が好きな人は、他人に料理をつくってもらうよりも、自力でつくったほうが満足できるはずです。

そんなふうに「自分でするのが楽しい」と思えることの時間を確保するために、自分以外にもできることはテクノロジーや他人の力に頼ることもあります。
藤原さんの手が映るカット

「ただ楽しいから」で自分を納得させていい

藤原
藤原
ただ、合理性を求めていくと、「もっと効率的に進めたい」と工夫するようになって、生産性のない暇な時間がますますこわくなります。

好きなことができる余裕を生み出すために効率化しているのに、効率化するためのタスク処理に追われてしまう。それでは心が潤いません。
流石
流石
まさに本末転倒ですね……。どうすれば、その状態を回避できるのでしょうか?
藤原
藤原
1日に5分間だけでもいいので、無駄なことをするのがおすすめです。

仕事のスキルアップなど役立つことじゃなくて、踊るでも歌うでもとにかく自分の心が豊かになることをやってみる。

すると、たとえ生産性がなくても、「楽しい」という本能が満たされて、心が満足するはずです。
流石
流石
まずは「楽しい」を感じることが大事だ、と。
藤原
藤原
そうです。子どものころって、成長につながるかどうかを考えず、「ただ楽しいから」という理由で遊びに夢中になれましたよね。

そういう原始的な理由で、自分を納得させていいと思うんです。わたしの無駄づくりも、いちばんの動機は「ただ楽しいから」ですし。
笑いながら話す藤原さん

「好きなこと」を好きであり続けるために、無駄な時間をつくる

藤原
藤原
体調を崩したとき、わたしがいちばんこわかったのは、これまで好きだったことに興味が湧かなくなったことでした。

でも唯一、ものづくりだけは楽しいと思えて。ものづくりみたいに、自分の心が満足することに時間を費やすのはこわくないんですよね。
流石
流石
たしかに、「楽しい」という気持ちを満たす手段がなくなるほうがこわいですね。
藤原
藤原
そうなんです。ただ、「何かすごいものをつくらなきゃ」と焦ってしまうと、好きなことでも楽しいと思えなくなってきます。好きなことが「なんだか楽しくないな」と思い始めたら、疲れのサインです。

わたしはそれだけは避けたいし、好きなことを好きなまま続けていくことをいちばん重視していて。だからこそ、続けるための努力は必要だと思うんです。
流石
流石
たとえば、藤原さんはどんな努力をしているんですか?
藤原
藤原
好きなことでも寝食忘れて没頭するのではなく、ちゃんと暇な時間をつくって休むようにしていますね。ほかにも、しっかりとスケジューリングして、タスクを詰め込みすぎないとか。

そうやって自己管理しながら、「無駄づくりはもうしたくない」と思わないように自分の心を守っているんです。

人間は「無駄なこと」にも意味を見出せる

むだづくりスタジオの装飾から映る藤原さん
流石
流石
活躍している人を見ると、「自分はこんな無駄な時間を過ごしていいのかな……」と焦るんですよね。
藤原
藤原
その気持ち、わかります。でも、そういう気持ちに振り回されるのが人生な気がしますけどね。

そもそも人間って、無意味なことが苦手なんですよ。だから、何かの役に立ちたいし、何かしなきゃいけないと思ってしまう。
流石
流石
すごく心当たりがあります……。
藤原
藤原
でも、人間は無意味なことに意味を持たせることもできるんです。それを示すのが中国古代の『荘子』に出てくる「無用の用(むようのよう)」の大木のお話。

建築材料などに使えない木は、切り取られることないため、大木へと成長します。すると、無用だったその大木の陰で、みんなが休憩したりするようになる。

そんなふうに世間的には役立たないとされているものが、別の意味で非常に大切な役割を果たすこともあるんです。
流石
流石
言われてみると、世の中には「無用の用」に当てはまるものがたくさんありますね。
藤原
藤原
人間は何にでも意味を見出すことができるので、絶対的に無価値なものはないと思います。
流石
流石
無駄づくりのプロである藤原さんにとっても「価値のある無駄」と「価値のない無駄」はあるのでしょうか?
藤原
藤原
ありますね。行政関連の紙書類などの印刷やスキャンを繰り返すのは、わたしにとって「価値のない無駄」なので、デジタルで完結してほしいって思いますね。

逆に、わたしにとって「価値のある無駄」でも、別の人にとって「価値のない無駄」になることもあります。

例えば、わたしは旅行の記念品として、現地の石とか木の枝を拾うのが好きなんです。でも、わたしが拾ったものを見た夫は「どうしてゴミを拾うの?」と。ものごとの価値は、ひとつの物差しで決められないんですよね。
ジェスチャーを交えて話す藤原さん

「役立つかどうか」ではなく、好奇心のままに無駄なことと向き合う

流石
流石
では最後にあらためて、わたしたちが「無駄」を恐れずに、自立的にかかわるためにはどうすればいいと思いますか?
藤原
藤原
SNSなどの注意を引かれるものからはいったん離れて、暇な時間を過ごすのがいいんじゃないかなと。

たとえば、登って降りるだけの滑り台って、よくよく考えると無駄ですよね。それを前のめりでやってみるとか。何の価値にもつながらないんですけど、楽しくて満足できるかもしれません。
流石
流石
受動的に暇を埋めてくれるものではなく、能動的に暇な時間を過ごしてみる、と。
藤原
藤原
そうですね。わたしは社会の基準ではなく、「わたしはこれが好き」という自分を基準とした価値観をもって、生きることが大切だと思うんです。

その自分基準の価値を見つけるには、いろいろと無駄なことに挑戦しながら、「楽しい」と心が満たされる感覚に敏感になる必要があります
インタビューイー越しに映る藤原さん
流石
流石
「無駄」と自立的に関わることは、自分なりの価値基準を知るためにも、大切なんですね。

でも、その「無駄」が結果的に何の役にも立たない場合もあるわけで、熱量高く向き合えるかどうか不安です……。
藤原
藤原
世界有数の学術研究機関であるプリンストン高等研究所を創設したエイブラハム・フレクスナーが言った「『有用性』という言葉を捨てて、人間精神を解放せよ」という言葉がわたしは大好きで。

何かをするときに「役立つかどうか」でふるいにかけて、役立つからするんじゃなくて、好奇心に従ってあえて役立たない無駄なこともしてみる。

そうすることで、今日まで無駄だと思っていたことでも明日からは価値が生まれて、自分の可能性を広げられるかもしれません。

寛容な心を持っていれば、すべてが価値あるものに見えます。だからこそ、ただ好奇心のままに生きていってほしいですね。

企画:深水麻初 取材・執筆:流石香織 撮影:栃久保誠 編集:野阪拓海/ノオト

生産性を高めることだけを考えると、自分のキャリアに損失を生む
「できませんと言うのは負けだ」という思い込みから、頑張りすぎてしまった話
「合理性よりワクワクを選ぶ」。無理はしないけど利益は出す、すこやかな事業のつくり方──マール・コウサカ×木村祥一郎

8億人の飢餓を救うビジネスと年商3億円のパン屋が生まれた意外な共通点──TABLE FOR TWO土井暁子×平田はる香

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世界人口の8億人の飢餓と20億人の肥満を同時に改善するソーシャルプロジェクト「TABLE FOR TWO(以下TFT)」。

長野県で小売業を主体とした事業を展開し、年商3億円超に至ったパンと日用品の店「わざわざ」。

まったく共通点のないように見える2つの取り組みですが、ビジネス上の戦略や哲学には、従来とは異なる数多くの共通点があります。

今回サイボウズ式では、TFTの事務局長・土井暁子さんと、わざわざの平田はる香さんの対談を実施。「北風と太陽」をキーワード盛り上がった対談の様子を、お届けします。

複数の要素を組み合わせ、独自のビジネスモデルに

平田
平田
TFTとわざわざって、ビジネスのジャンルが全然違いますよね。でも、いくつかの共通点があるように思うんです。
土井
土井
たとえば、どんなことでしょうか?
平田
平田
1つは、複数の要素を組み合わせて、オリジナリティのあるビジネスモデルを生み出していることです。

TFTでは「飢餓」と「肥満」という2つの課題を、同時に改善する活動をされていますよね。
TFTの仕組み図版

TABLE FOR TWO(=TFT)プログラムは、先進国で1食とるごとに 開発途上国に1食が贈られる「2人のための食卓」がコンセプトの仕組み。肥満や生活習慣病予防のためにカロリーを抑えた定食や食品を購入すると、1食につき20円の寄付金が、TFTを通じて開発途上国の子ども1食分の学校給食になる。企業・団体でもっとも多く導入されているほか、「寄付つきウォーキングイベント」などのプログラムがある。

平田
平田
わざわざも、「わたしにできることで、人の役に立つこと」を複数かけ合わせていて。「パンづくり」、「ファッション」、「Webデザイン」といった複数の要素を"小売店"という形で表現しているんです。

これらの要素は、幼少期からパン作りをしていたり、ファッションの専門学校に通っていたり、DJ活動のために自分のホームページをつくっていたりと、わたしの経験から出てきたものです。

でも、どれもこれも中途半端で、どれかひとつのスキルでは一流にはなれない。そこで「全部かけ合わせたらおもしろいんじゃないか」と思ったんです。
土井
土井
なるほど。複数の要素がうまく組み合わさることで、ほかにはないインパクトのあるビジネスモデルが生まれるわけですね。

たしかに、わたしは2009年からTFTに関わっていますが、活動をはじめて知ったとき、かなり衝撃を受けました。というのも、TFTのプログラムでは誰も犠牲にならず、開発途上国と先進国双方の人々の健康を同時に改善できるから。

それまで「社会貢献」といえば、自己犠牲のイメージが強かったので、複数の要素を組み合わせることでwin-winの関係を目指せる仕組みがあることに驚きましたね。
問いかける土井さん

土井暁子(どい・あきこ)。明治大学公共政策大学院 ガバナンス研究科修了。 西武百貨店で経理のキャリアをスタートし、 ウォルト・ディズニー・ジャパン、 ビー・ブラウンエースクラップジャパン(独医療機器メーカー)の外資法人で財務経理全般に携わる。 2009年からTFTのサポーター、2019年に職員として入職。事務局長。

入り口のつくり方は「太陽アプローチ」

平田
平田
TFTとは「入り口のつくり方」も、似ているなと。それは、イソップ寓話の『北風と太陽』でいう“太陽タイプ”であることです。

従来のビジネスモデルでは、ユーザーを不安がらせたり、必要性を煽り立てたりして、半ば強制的に行動を促すことが少なくありません。これは“北風タイプ”です。

一方、TFTは”太陽タイプ”。日々の生活に欠かせない食事を「健康的にする」ことで、一部を寄付金に還元する仕組みになっています。

こうすることで、ユーザーには「いいことをしている」という気持ちが生まれて自ら寄付したくなります

もしかしたら、寄付している意識がないまま寄付している人もいるかもしれませんよね。
土井
土井
そうですね。TFTは、日本国内では715団体(2022年12月末現在)に導入していただいております。その理由のひとつが無理せずに続けられることだと考えていて。

「社員食堂でヘルシーメニューを選ぶだけで社会貢献できる」という手軽さ・導入のしやすさは大切にしています。
平田
平田
わざわざも、その点は意識しています。わざわざの商品は、ユーザーの健康や生産者の労働環境づくり、自然環境への影響にもこだわってはいます。

でも、ほとんどのユーザーはその仕組みを意識していません。わざわざが提供する「おいしい、楽しい、おもしろい」といった価値に魅力を感じて、商品を購入しているんです。

そうしてわざわざの商品を使い続けていくうちに、いつの間にか健康な社会につながっていくわけです。

わたしたちが行っているのは、言ってみれば“太陽アプローチ”ですね。
ディスプレイに映る平田さん

平田はる香(ひらた・はるか)。パンと日用品の店「わざわざ」代表取締役1976年生まれ。2009年、長野県東御市の山の上に趣味であった日用品の収集とパンの製造を掛け合わせた店「わざわざ」を1人で開業する。だんだんとスタッフが増え、2017年に株式会社わざわざを設立した。2019年、東御市内に2店舗目となる喫茶・ギャラリー・本屋「問tou」を出店。2020年度には、従業員20数名で年商が3億3千万円に到達。2023年、3店舗目となるコンビニ型店舗「わざマート」、4店舗目となる体験型施設「よき生活研究所」を同市内に出店。

ユーザーを飽きさせない工夫

平田
平田
わざわざが北風アプローチではなく、太陽アプローチをするのは、世界中の人たちが健康的に暮らせる社会になってほしいからです。

厚生労働省の発表によると、日本人の死亡原因の約6割が生活習慣病由来だそうです。でも、そのことを気にせず、不健康な生活を送る人もいます。
土井
土井
未病の段階では、どうしても健康を意識しにくいですよね。
平田
平田
そうなんです。だからこそ、ユーザーの意識を変えるのではなく、ユーザーが興味関心を持てることを提供して「おいしい、楽しい、おもしろいことをしていたら、いつの間にか元気に長生きできちゃった」という仕組みにしたんです。
土井
土井
興味関心を持てることなら、誰でも気軽に参加できますよね。

たとえば、目の前の食べ物が生活習慣病につながるとわかっていても、誘惑に勝つのはなかなか難しいでしょう。

でも、「ヘルシーメニューを選ぶだけで社会貢献できる」みたいな、「誰かのために」という選択肢があれば、その誘惑にも勝ちやすくなるんです。
平田
平田
たしかに何か1つでも後押しするものがあれば、選択を変えることがありますよね。
土井
土井
TFTでは、参加企業における従業員の運動不足解消や生活習慣病の予防、メンタルヘルス不調の解消を目的とした、心と体の健康増進プログラムも提供しています。

その中の1つが寄付つきウォーキングです。目標歩数を歩くと、開発途上国の子どもたちに給食を寄付するという仕組みになっています。

普段はそれだけ歩く習慣がない人でも、「給食を寄付できること」がモチベーションになって参加者が増えた事例があります。

ちなみに、プログラム内容は「1日5000歩」「週2回6000歩」など自由にカスタマイズできます。企業・団体がそれぞれに合った内容を考えて実施するからこそ手軽に続けやすくなり、よりプログラムが拡がっていくんです。
手を握りながら話す土井さん

反対も応援もされない、新たな田舎ポジション

土井
土井
わざわざでは、たくさんのチャレンジをされていますが、これまでに地域の人から反発を受けることってありましたか?
平田
平田
よく意外だと言われるんですが、実はほとんどなくて。移住者が「地域をよくしよう」と新しいことにチャレンジして、その地域の人たちからの反対に遭って退散するのは、地方での“あるある”です。

だからこそ、東京から長野県に移住したとき、それだけはやっちゃいけないと考えました。この地域が好きで引っ越してきたんだから、地域の人の声を守ろう、と。
土井
土井
「郷に入れば郷に従え」みたいな感じですか?
平田
平田
まさにそのとおりです。だから、地域行事にも積極的に取り組みますし、婦人会のバレーにも7年間参加していました。

ただ、それは自分のできる範囲内でしています。地域の会合への参加を打診されたら、「参加できるときはしますが、本業がいそがしくて、中心メンバーにはなれないかもしれません」と正直に話すようにしています。
語りかける平田さん
土井
土井
そうやって地域の人からも、応援される企業になれた感じでしょうか?
平田
平田
いえ、よくも悪くも、地域の人からの 応援はないんですよ。地域の人からすれば、「ああ、わざわざって山の上にあるよね」という存在だと思います。
土井
土井
本当にそこにあるのが自然というか、馴染んでいる感じなんですね。
平田
平田
そうですね。その地域に馴染むことを最優先にしてきて、「よい企業」を過剰にアピールすることもしてこなかったので。

わざわざをはじめたときと同じように、地域との関わり方も「わたしにできることで、人の役に立つ」というスタンスを淡々と守っているのかもしれないです。
土井
土井
移住者として、反対も応援もされない。はじめて聞きました。
平田
平田
その意味では、わざわざは「新しい田舎ポジション」をつくろうとしているのかもしれないですね。

田舎って、以前は濃密な人間関係で付き合うことが当たり前でした。でも、田舎と都会の境目がなくなってきたいま、わざわざは地域の人たちとフラットな関係性をつくろうとしているんだと思います。

田舎で移住者がビジネスをしようと思ったら、一気に何かを変えようとしないほうがよくて。あまり変えようともせず、迎合しようともせず、じっくりと関係性を構築したほうがいいんです。

気持ちは伝えても、ノウハウは押し付けない

平田
平田
社会貢献につながる活動を伝えていく際、想いが強いからこそ北風アプローチ的に押し付け感が出てしまう側面があると思っていて。

TFTでは自分たちの活動を伝えていくとき、どんなことを意識しているんでしょうか?
土井
土井
まずは「社会貢献が必要だからTFTプログラムをやりましょう」と参加者に義務感を押し付けないようにしていますね。

ただ、「開発途上国と先進国双方の人々の健康を同時に改善する」というTFTのミッションを伝えるときには、「我々はこのミッションを絶対に達成したいんです!」という気持ちの部分を伝えるようにしています。
ジェスチャーを交えて話す土井さん
平田
平田
「わたしたちは、こうしたい」と気持ちを伝えることは、すごく大切ですよね。わたしも地方でのビジネスや移住について講演するとき、ノウハウは伝えないようにしていて。

「自分がなぜこれをやりたいと思ったのか?」「これからどうしていきたいのか?」といった心の部分を中心にお話するんです。
土井
土井
どうしてノウハウを伝えないようにしているんですか?
平田
平田
ノウハウって方程式のようなもので、それを知ると自分のビジネスにすぐ当てはめて考えようとしちゃうんです。

でも、人それぞれに強みやビジネスの内容が違うのに、わたしが見つけたノウハウと同じことをしても、結果は出ません。

自分の頭で考えたり、自分なりのノウハウを見つけたりして事業は伸びるわけで、それこそが本当の学びなんです。

だからこそ、ノウハウよりも気持ちや考え方の部分を伝えて、各々に「自分が何をしたいか?」「これからどうしていきたいか?」という問いを持ち帰ってもらうようにしています。

世の中に活動を拡げるため、自ら変化していくことが必要

平田
平田
周りから共感されつつ事業を伸ばしていくには、気持ちを伝えるほかに何が必要だと思いますか?
土井
土井
やっぱり自ら変わっていくことが大事だなと。社員食堂が閉鎖するなどして寄付が一気に減ってしまったコロナ禍で、TFTは本当に変わらざるを得えませんでした。

「このままでは、わたしたちのミッションに届かないかもしれない」と思いはじめたとき、いままでのやり方にしがみつくのではなく、新しいことにもチャレンジしなきゃいけないことを痛感しました。

そうしてはじめた新たな取り組みが、興味をもってもらえる1つのきっかけになる可能性もあるので。
和やかな雰囲気で話すお二人
平田
平田
わざわざも同じ考えです。わたしたちは変わっていくために、2つの視点をもっています。

1つは、「どこで売るか」を変えること。小売業は定番商品を売り続けたり1店舗だけで継続したりすると、ユーザーから飽きられちゃうんです。

だから、ハーフビルド(※)で建てた「わざわざ」を20回ほどリニューアルオープンしました。また同一市内に、喫茶・ギャラリー・本屋「問tou」やコンビニ型店舗「わざマート」、体験型施設「よき生活研究所」などを出店して、ユーザーに飽きられないようにしています。

※基礎工事や躯体・外壁・屋根など、家の強度や安全性に関する重要な部分をプロの業者に任せ、自分でできるところは自分で施工(DIY)する建築手法

土井
土井
たしかに「老舗」と呼ばれる歴史ある企業も、シーズンごとに新商品を販売するなど、飽きられない工夫をしながら生き残っていますね。
平田
平田
はい。そしてもう1つは、世界の変容に合わせて、伝え方を変えることです。

いまは世界中で「環境に配慮するのがよい会社」という雰囲気があって、「国産小麦」や「天然酵母」といったキャッチフレーズは広く受け入れられるようになっています。

でも、わざわざをはじめた2009年ごろ、環境問題や食生活への関心が高い人は、わりとニッチな存在でした。

だから当時は「国産小麦」や「天然酵母」と書いた看板を出していたら、意識の高い人ばかりが集まるようになったんです。
土井
土井
なるほど、ごく一部の人にだけ刺さるフレーズになっていたわけですね。
平田
平田
はい。でも、わたしは健康志向の人だけじゃなくて、みんなが健康になっていくことをしたかったんです。だから、あえて看板を外しました。

そして、お店に来てくれた人だけに「健康や環境に配慮していること」をわかりやすくご案内するようにしたんです。それを繰り返すなかで「わざわざを利用していたら、いつの間にか健康になっていた、環境にいいことをしていた」という仕組みにしようと考えました。
土井
土井
よりたくさんの人が健康になっていくように、伝え方を変えたんですね。
平田
平田
ええ。同じことをやっていても、時代ごとに伝わり方は変わってきます。だからこそ、時代に合わせて伝え方を変えることが大切です。

それなのに、自分たちの思いをただ伝えるだけで、「相手にどう伝わるか」をあまり気にしていない人が少なくありません。ブランドに込めた価値や思いをちゃんと伝えることで、周りから共感を得ながら、持続していく事業になるのだと思います。

サイボウズ式特集「ふつうを、問い直してみよう。」

特集メイン画像。パンにもさまざまな食べ方がある

世の中にある、「ふつう」という言葉。「みんなと同じ」という意味で使われていますが、「ふつう」って、実は一人一人違うもの。長時間労働が「ふつう」な人もいれば、家族第一が「ふつう」な人もいる。世の中ではなく、それぞれの「ふつう」を尊重することが必要なのではないでしょうか。サイボウズ式ブックスから発売された『山の上のパン屋に人が集まるわけ』をきっかけに、さまざまな人と一緒に「ふつう」について考えてみます。

取材・執筆:流石香織/撮影:栃久保誠/編集:野阪拓海(ノオト)

どうしたら自分の「ふつう」を大事に生きられる?——『山の上のパン屋にひとが集まるわけ』無料公開
多様な「ふつう」に寛容でいられるのは、理念や文化がしっかりある組織だから──平田はる香×青野慶久

「同期の活躍にあせってしまう」君へ──目の前の仕事にていねいに向き合うことは、逃げではない

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「やりたい仕事ができない」「同期の活躍を喜べない」──仕事に一生懸命な人ほど、周りと比べてあせってしまうことがあると思います。

今回寄稿いただいたのは、広告代理店で20年以上働いてきたいぬじんさん。 「40代のいま、20代のころの自分にアドバイスしてあげるとしたら、何を伝えたいですか?」というテーマで、コラムを書いていただきました。

ぜひみなさんも、「20年後の自分自身からもらった手紙」だと思って読んでみてください。少しだけ気持ちが楽になるヒントがみつかるかもしれません。

40代のぼくが、20代の自分に伝えたいこと

20代の君へ。

どうも、40代中年のぼくです。おそらく君は、いつも周りと比べてあせっていると思います。

コピーライターになりたくて広告代理店に入社したのに、マーケティング部署に配属になって、毎日、苦手な数字とにらめっこを続けている。そして、「こんな時間が、これからどのくらい続くのだろうか」と、常にモヤモヤしていることでしょう。

クリエイティブ部門に配属された同期のグチを聞いては、「好きな仕事をしているクセに何の文句があるんだろう……そんなにイヤだったら代わってくれ!」と思ってもいますよね。

また、仕事の合間に、広告クリエイターたちの作品集をめくっていると、自分と同年代の人たちが新人賞を受賞したり、そこでスカしたコメントをしたりしている。それらを読むたびに、憧れと嫉妬の入り混じったドロッとした感情を味わい続けているかもしれません。

夜遅くに帰宅してテレビをつければ、活躍している同年代のアーティストやクリエイターが目に入る。 彼らの活躍を素直に賞賛することができず、どこかで「失敗したらいいのに……」とさえ思ってしまう。ほかの人と比べてあせってばかりの時間。

もちろん、そういう気持ちも適量なら、負けるもんかというパワーを与えてくれる。

でも君は、あまりにあせりすぎて、自分を追いこみすぎて、だけど具体的に何をがんばればいいのかわからず空回りしていることでしょう。

君は十分よくやっている

君は、理想を高く掲げすぎる傾向があって、ちょっとやそっとの努力ではたどりつけないところをゴールにしてしまうクセがあります。

たとえば、「世代を代表する有名クリエイターになりたい」のように。

そんな君にとっては、マーケティング部署で市場調査をできるようになったこととか、短い時間でいくつもの仮説を立てられるようになったこととか、そういう小さなことは、たいしたことではない……そう思っていることでしょう。

でも実は、その一見、価値のなさそうな経験が、これからの君のキャリアを、ずっと支え続けてくれることになります。

まあ若い時というのは、ずっと先のことなんて考えないものなので、そんなことはどうでもいいかもしれませんが。

でも、そんな君にぼくが伝えたいのは「君は十分によくがんばっている」ということです。

本当は、別にやりたいことがあるのに(そしてそれを実際にやっている人たちが目の前にいるのに)不本意な仕事に取り組んで、それでも逃げずに向き合い、着実に新しい技術を身に着け、ちゃんと経験を積んでいる。 それって、すごいことです。

誰がなんと言おうと、君は十分によくやっています。 君のがんばりのおかげで、中年になったぼくは毎日、充実した時間をすごせています。

ありがとう、と言いたいです。 だから、自分がやっていることに胸を張ってください。

それでもあせっちゃう君に

さて、そんなことを言われても、きっと君は「気休めにしかならない」と感じていることでしょう。 「自分が欲しいのはコピーライターになるという結果であり事実だ」。そう思っているかもしれません。

その夢が叶うかどうかを、ここで君に伝えることは、あまり意味がないと思うので、お伝えしません(ごめん、ずるい言い方しちゃった)。 また、早くよい結果が欲しくてあせっている君に、「あせらないで」って言ってもしかたないかもしれません。

そうそう、入社当時にも、そんな君の様子を見て、先輩が「まあ、あまり短気を起こさずに、じっくりやりなさい……」って声をかけてくれましたよね。

だけど、君は「なんだよ、みんな、あせるなとか短気を起こすなとか言っちゃって、そんな余裕は自分にはないんだ……」 「こうしているあいだにも、若い自分の時間は過ぎていくんだ……」 と思いましたよね。

わかります。

わかりますけど、ちょっとだけ聞いてください。 実はですね、君がいま当たり前と思っている世界は、この先、かなり大きく変わってしまいます。

それも、一時的なものじゃなくて、ぼくがいまいる、君にとっての未来でも、目の前で変化の速度がまだまだ上がり続けている。 きっと、これからは、もっと先が読めない世界となっていくことでしょう。

これはあくまでぼくの意見ですが、変化の速度がはやい環境の中で一番大事なことは「変化についていくことじゃない」と思うんですよね。 なぜなら、過去のぼく自身が、必死に変化についていこうとして、すっかり消耗しちゃったから。 「これからは●●だ!」っていうのを追いかけ続けても、ゴール自体が変わっちゃうから、いつまでたってもやりたいことにたどりつけないんです。

それよりも、いま、目の前にある自分が取り組んでいる仕事に、ていねいに、じっくりと向き合うことのほうが、ずっと役立つ、ということを覚えておいてほしいんです。 それがいかに、つまんなそうで、将来の自分の役に立たなさそうに見えても、です。

なぜなら、そうやって目の前のことと格闘しているうちに、君の中に1つの基準ができるからです。

すると、次にやってくる仕事や、やりたいことを冷静に見つめることができるようになるし、同期や友人、知人からいろいろと自慢話を聞かされても、ちょっとだけ心が乱されにくくなります。

「誰がどう言おうと、オレはここまではやってきたぞ」という小さな自信ができて、そこを軸として周りを見回せるようになる。 視野が少し広くなるわけです。

そう、視野の広さ、これとっても大事なんです。

視野が広いと世界が広くなる

ええと、話は冒頭に戻りますけど、ぼくはいま40代半ばなので、君にとっては20年くらい先の未来から話しかけているわけです。まあ20年もあったらね、本当にいろいろありますよ。

広告業界もすっかり変わっちゃったし、誰もかれもがオンラインで会議をするようになっちゃった。恋人は携帯電話のサービスで見つけるようになっちゃったし、わからないことがあったら人工知能に質問するようになっちゃった。

でも、一番大きいのは、ぼく自身の変化かもしれません。 ぼくはぼくなりに、仕事でもプライベートでもいろんなことを経験してきて、価値観が大きく変わったように思います。

若いころは、周りのことばかり気にしていました。 ところがいまは、とにかく自分が大事だと思うこと、やりたいと思うことに対して、若いころよりももっと真剣に取り組むようになりました。

それはまあ、若いころと比べて先が短いから……ということももちろんありますが、それ以上に、いろんな経験をしてきたことで、いかに自分が狭い世界の中で生きてきたか、と感じることが増えたからだと思います。

若いころは、狭い世界の中に、無理に自分の生き方をあてはめようとしてきました。 でも、そんなことしなくてもいいんだ、といまさら気づいたわけです。

きっといま、君が「周りの人」と聞いてイメージするのは、いっしょに働いているチームのメンバーや同期、得意先の担当者ぐらいでしょう。

でも、本当は、世界はもっと広い。 君が活躍できるフィールドはいくらでもある。 そして、その大冒険の第一歩を、たまたまの職場で始めただけにすぎないんです。

心配しなくても、これからたくさんのワクワクとドキドキとハラハラとオロオロとゲロゲロが待っています。 君の貪欲な好奇心を満たしてくれる出来事がたくさん待っています。

だから、大丈夫。 まずは、その一歩をていねいに、自信を持って進めてください。

年を取ることは楽しいよ

そうだ、もうひとつ。

きっと君は、年を取ることに関心がないというか、若いうちにやりたいことをやるイメージしか持っていないと思います。 まして40代のおっさんになった時のことなんて考えてもいないでしょうし、40代なんてもう、人生も終わりに近いとすら思っていることでしょう。

でも近い将来、君はきっと、それは間違いだったと気づくでしょう。

20代ももちろん楽しいけど、30代はもっと楽しいですよ。 そして40代はもっともっと楽しい。 これからやってくる50代はさらに楽しいことが待っていると思うと、ワクワクします。 なので、やっぱりあせらなくて大丈夫です。

それよりも、いま、君が等身大の若者として感じていることを大切に。 腹が立つことも、悲しいことも、うれしいことも、ドキドキすることも、全部、これからの人生に役立ちます。

どんなふうに役立つかって?

それはまた次の機会にでも、伝えられたらと思います。 それまで、どうか、毎日をじっくりと味わってください。

まるで、おもしろい小説を1ページ1ページ、ていねいに読んでいくように。

(おしまい)

執筆:いぬじん/イラスト:マツナガエイコ/企画:穂積真人
「代えがきく会社員」でもいい。自分にしかできないことは、世界中にあふれている
自分でコントロールできない「異動ガチャ」に心で対処するには?
「まだ大丈夫」と心は嘘をつくから。しんどさに素直になる技術の育て方

第1章 自由な会社に転職──よちよちぺんぎん日報                                                 

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「みんな一緒」のお堅い企業から、「多様な個性を重視する」IT企業に転職したコウテイペンギンのエマ。

100ペン100通りだけど、ペンギンたちのチームワークは素晴らしいです。自由すぎる環境に戸惑いつつも、​自分はどういう働き方・生き方をしたいのかを問い、よちよちと自立していく日常をお届けします。

第1章は、エマの新生活をご紹介します。

第1話「100ペン100通り! ワクワクの初出社」

転職初日、ペンギンのエマはわくわくしていた。 エマは前職ではみんなが同じ働き方をしていたことを思い出している。 エマは新しい勤め先が個性や自由を尊重する会社だと紹介している。 そのオフィスの光景は想像以上に自由に溢れている。 同僚たちは各々のペースで仕事をしている。 帰る時間もみんな違う。 エマは、前の職場では皆と同じようにしていたから自分で決めることを難しいと感じている。 1週間が経ち、エマはご飯すら今まで通りで良いのかわからなくなった。

第2話「わたしの希望ってなんだろう」

エマの同僚のアデリーちゃんはズバズバとものを言う。 エマも自分の希望を言うように促され、迷っている。 アデリーちゃんがオフィスに温泉を作るのはどうかと提案するが、エマは断る。 エマは上司のもとへ来て、週2でリモートで働きたいと相談した。 エマは寡黙な上司のヒゲさんの反応を怖がる。 しかし、あっさりとヒゲさんは了承してくれる。 ヒゲさんはエマに、この会社では一人一人の意向を尊重したいから希望は遠慮せず言うように伝える。 さらにヒゲさんは社長が世界一周しながら働いていることを紹介し、エマは驚く。 社員紹介。エマ。皇帝ペンギンだけど寒いのが苦手。前職で寒い土地への転勤をめいじられたことをキッカケに転職。自由を愛するが猫を被って生きてきた.png つづく…
マンガ:井上知之/企画・編集:たむら めぐ

すぐそこに迫る労働供給制約社会。危機と好機の分岐点は「同調圧力」の扱い方──リクルートワークス研究所 古屋星斗さん

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年々深刻化する「人手不足問題」。配管工不足による水道管の破裂や、乗務員不足が原因で路線バスが運休や減便するなど、その影響はさまざまな業種で広がっています。

こうした状況を踏まえ、情報サービス大手の研究機関「リクルートワークス研究所」は、2040年に働き手が全国で1100万人以上不足すると予測。

将来、生活を担うサービス(以下、生活維持サービス)の人手不足が懸念されるなか、この社会と人々の生活を豊かにしていくために、わたしたちはいま、何をすべきでしょうか。

日本が今後直面する実態と日常生活への影響、解決策を提示したレポート『未来予測2040 労働供給制約社会がやってくる』を発表したプロジェクトのリーダー・古屋星斗さんにお話を伺いました。

労働供給制約社会は、すぐそこに迫っている

竹内
竹内
リクルートワークス研究所の「Works未来予測20XX」プロジェクトでは、急激な人口減少に伴う日本社会のリアルな現実を発信しています。

そもそもなぜ、仕事の未来予測に取り組んでいるのでしょうか?
古屋
古屋
これから日本社会が迎える切迫した状況に、強い問題意識を持ったことがきっかけです。

いま、さまざまな業種で深刻な人手不足に陥っている大変な状況です。にもかかわらず、「不便だけど、ちょっと我慢すればいい」と精神論や根性論で片付ける雰囲気があるような気がして……。

でも、そういった考えでは片付けられないほど、日本社会の現状はこれまでとまったく違うんです。
インタビューに応じる古屋さん

古屋星斗(ふるや・しょうと)。リクルートワークス研究所 主任研究員。2011年一橋大学大学院社会学研究科修了。同年、経済産業省に入省。産業人材政策、投資ファンド創設、福島の復興・避難者の生活支援、政府成長戦略策定に携わる。2017年より現職。労働市場やキャリア研究を専門とする。一般社団法人スクール・トゥ・ワーク代表理事。近著に『なぜ「若手を育てる」のは今、こんなに難しいのか』(日本経済新聞出版)がある

竹内
竹内
これまでの社会とは、何が大きく違っているんですか?
古屋
古屋
「好景気で人手が足りない」といった一部業界の一時的な人材不足ではなく、景気に左右されづらい物流や建築、医療、介護などの生活維持サービスにまで、人手不足が慢性的に広がっていることです。

わたしたちは少子高齢化によって、労働"供給"が労働"需要"の数を下回ってしまう状態を「労働供給制約」と名付け、そうした状態が続く社会を『労働供給制約社会』と呼んでいます。
労働需給シミュレーションの図

出典:未来予測2040 労働供給制約社会がやってくる 高齢人口比率が高まることによって、労働の需要と供給のバランスが崩れ、労働の供給が絶対的に不足する「労働供給制約社会」。2040年には、約1,100万人の労働供給不足が発生すると試算。その結果、物流や建築、建設、土木、医療や介護などの生活維持サービスがもっともダメージを受けるとされる

竹内
竹内
現在さまざまな少子化対策が講じられていますが、出生率が少しでも増えれば、2040年に労働供給制約社会を迎えずに済むのでしょうか。
古屋
古屋
いいえ。労働供給制約社会がやってくるのは、ほとんど決定事項です

仮にいま、大勢の子どもが生まれたとしても、その子たちが社会人として働けるようになるまで約20年かかるので、2040年にはほぼ間に合いません。

ですから、いまを生きるわたしたちが考えなくてはいけない、切迫した問題なんです。

ファーストインパクトは、生活維持サービスの崩壊

竹内
竹内
これまでも少子高齢化による人材不足は叫ばれてきましたが、どうして十分な対策が取られてこなかったのでしょうか?
質問を投げかける竹内

竹内義晴(たけうち・よしはる)。1971年、新潟県妙高市生まれ・在住。マーケティング本部ブランディング部 兼 ソーシャルデザインラボ 所属。新潟でNPO法人しごとのみらいを経営しながら、サイボウズで複業している。地方を拠点に複業をはじめたことがきっかけで、最近は「地方の企業と都市部の人材を複業でつなぐ」活動をしている

古屋
古屋
いちばんの原因は、社会の高齢化による労働市場への影響が「よくわかっていなかった」からだと思います。これほどまで高齢化になる事態を、いままで人類は経験したことはなかったですし。

高齢者は現役世代に比べて、労働の消費量(需要量)が多いんです。

たとえば、介護サービス。30〜40代を中心とした現役世代は介護サービスをほとんど必要としませんよね。一方、高齢者の多くは必要とします。 しかも、介護は人手がかかります。
竹内
竹内
たしかに、そうですね。
古屋
古屋
このように高齢者は、医療・福祉・物流・小売業などをはじめ、生活を維持するサービスへの依存度が高く、労働力を消費します。

一方、加齢とともに労働力の提供者ではなくなるため、労働の担い手は加速度的に減少していきます。

すると、物流を担うドライバーや、道路のメンテナンスなど社会のインフラを支える建設業の人、生活に必要なものを生産する工場の人や、飲食物を調理する人など、「生活を維持するサービス」の担い手が不足します。

その結果、生活に必要なサービスがいちばんにダメージを受けてしまい、わたしたちの生活水準が低下してしまう可能性があります
竹内
竹内
高齢化の問題点として、年金や医療費などの社会保障がクローズアップされがちですが、わたしたちの生活に直結するサービスへのダメージがとても大きい、と。
古屋
古屋
実は、社会保障の問題が顕著化するのは、もっとあとの話です。高齢化がもたらす最初の影響は、輸送、建設、生産、販売、介護、接客、医療など、人が関わる職種の労働者が不足することで、生活を維持サービスが崩壊することでしょう。

とくに懸念しているのは、インフラの整備・改修といった建設サービスです。ある地方都市では、作業員だけでなく、交通誘導などで現場を支える警備員も不足している状況で、インフラの整備や補修に支障が出ていると聞きました。

また、地元企業で人手を取り合っているため、首都圏から警備員を派遣してもらうこともある。そうなると交通費なども税金から支払われるので、財源がますます枯渇し、新しい道路の建設や災害が発生したときの復旧など、インフラの維持が難しくなっていくかもしれません
真剣に答える古屋さん(横カット)

人手不足をカバーする、最新技術の意外な活用法

竹内
竹内
レポートでは、労働供給制約社会の到来を遅らせる解決策として「徹底的な機械化、自動化」「ワーキッシュアクトという選択肢」「シニアの小さな活動」「待ったなしのムダ改革」の4つを提示されていますよね。
竹内
竹内
これらを一言でまとめると、「複業」や「DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進」なのかなと考えていて。

どうして、この4つの解決策に焦点を当てたのでしょうか?
古屋
古屋
多数の解決策があるなか、すでに芽が出ているからですね。つまり、机上の空論ではなく、実際に着手している人がいる分野に絞って4つにまとめました。

誰かにとってつらい労働が、ほかの誰かにとっては幸せ

竹内
竹内
労働供給制約社会では、1人の人間が1社だけでなく、いろいろな場面で力を発揮する必要がありそうです。そう考えると、解決策の「ワーキッシュアクト」は欠かせないですね。
古屋
古屋
そうですね。ワーキッシュアクトは「何か社会に対して提供しているかもしれない、本業の仕事以外の活動」という意味ですが、基本的な発想は、“誰かにとってつらい労働が、ほかの誰かにとってつらいとは限らないこと”です。

この発想が生かされているのが、三重県のあるキャンプ場が提供している「草刈り付きキャンププラン」です。

草刈りは、人手不足に悩むキャンプ場にとって大変な作業である一方、草刈りを経験してみたい宿泊客にとってはアクティビティになります。実際、ほかのプランよりも予約が早く埋まったそうです。
ワーキッシュアクトの意義を訴えかける古屋さん
竹内
竹内
まさにWin-Winの形ですね。
古屋
古屋
今後、誰かの労働需要を満たす必要が増す社会で必要なのは、こういう発想だと思うんですよね。

つらい仕事をエンタメなどと融合して、楽しいものに変えることで、ほかの人の幸せにつなげていく。こうした新しい働き方を創造することには、無限の広がりがあると思います。
竹内
竹内
いままで、「つらい状況をなんとかして解決しなければいけない」と考えがちだったので、その発想は新しいですね!
古屋
古屋
人手不足で我慢の限界に達しているからこそ、これまでしてこなかったような発想を試してみる余地が生まれるんです。

強い“課題感”さえあれば、本当にちょっとしたことから仕組みづくりはできると思いますね。

人材の獲得や育成、ゼロサムゲームではもう限界

竹内
竹内
地方で人手不足を解消するために、複業やDXの推進に取り組んでいると、さまざまなハードルが現れます。

たとえば、人手不足に悩む地方企業と、都市部で働く複業人材とのマッチングです。地方企業側は複業人材との仕事の経験がなく、複業人材がいることすら知らないケースもある。一方、複業人材側は時間や報酬などの条件がなかなか一致しない。

こういったハードルは、どう乗り越えればいいのでしょうか?
古屋
古屋
ここでもやはり、おたがいWin-Winの関係になれるようなプラットフォームが必要だと思います。

このままいけば、2040年の日本は「どんどん不便になっていくけど、我慢できるよね」みたいな精神論や根性論がまかり通っていくはずです。

そして、人手不足で放置されていることを「助け合い、共助」といった義務感でさせようとする状態になるでしょう。でも、それでは絶対にうまくいきません。
竹内
竹内
「助け合い、共助」と言いつつ、誰かの行為を搾取してしまいますもんね。
古屋
古屋
おっしゃるとおりです。誰かの犠牲のうえに成り立つような仕組みは、持続可能ではありませんから。

だから、誰かの行為に対して金銭や心理的、社会的など「何らかの報酬」を与えて、双方が利益を得られる仕組みをつくることが重要です。その仕組みづくりの競争は、すでにはじまっているんじゃないかなと思いますね。
手を握りながら話す古屋さん
竹内
竹内
その仕組みづくりは地方であまり進んでいないイメージがあるのですが、どうしてだと思いますか?
古屋
古屋
最大の原因は、地元企業が複業人材とマッチングした成功体験が溜まっていないからだと思うんですよね。

都市部の若手を中心に約4割が複業を希望していますが、受け入れる企業が全然増えておらず、複業マーケットは圧倒的な買い手市場になっています。

でも、そのことを知らない地元企業が多く、複業人材とマッチングした企業とも成功体験が共有されていません。
竹内
竹内
では、どんな手を打てばいいのでしょうか?
古屋
古屋
行政と産業、教育機関が連携して、地域ぐるみで人材の採用や育成をしていく必要があります。これを「地域共同育成」や「地域共同採用」と呼んでいます。

地域ぐるみで取り組むことのメリットは、現役世代の争奪戦にならないこと。争奪戦はゼロサムゲームになるので、必ずどこかの企業が人手不足に陥ります。でも、その地域では、みんななくてはならない企業ですよね。

だからこそ、地域ぐるみで人材を育てていき、地域全体の人手不足の解消につなげていくことが解決策になると思いますね。

労働供給制約に対するイノベーションが、おもしろい社会をつくる

竹内
竹内
労働供給制約社会に向けて、地方の企業ほど「複業」や「DXの推進」をしなきゃいけないと思っています。

でも、実際には掛け声だけで、何もしていない状況が散見されるな、と。どうすれば、自分ごととして取り組めるのでしょうか?
古屋
古屋
行政などと歩調を合わせて、いきなり大きく変えようと考える人は多いのですが、いまの局面で必要な発想は逆です。

まずはできる人から始めて、そこで成功した方法を周りが真似していけばいいと思います

そうした土壌をつくるには、各社にいる感度の高い人たち同士で集まるコミュニティを設け、取り組みを共有し合えるようにするといいでしょう。

そして、そのコミュニティで見つけた「地域ならではの複業やDX」を、今度は地域全体に還元していく。そのサイクルを回せれば、地域全体が徐々に変わっていくはずです。
竹内
竹内
たしかに、ほかの会社でもやっていることがわかれば、「うちでもやってみよう」となりますよね。
インタビュー風景(古屋さん・竹内が映るカット)
古屋
古屋
地域を変えるためには、日本社会に根強い「同調圧力」を使うしかないと思います。日本の企業は同調圧力で変わり出したら、速く変われるポテンシャルがあるんですよ。

歴史的に言えばペリー来航のような時代の変化もそうですし、直近ではコロナショックによる生活様式の変化もありました。あれだけ「できない」と言われていたテレワークですら、横並びで突然広がりましたよね。

そういう外発的な「危機」があったときに、日本人は「横並び」で大きく変わってきたんです。
竹内
竹内
「同調圧力」「横並び」と聞くとネガティブなイメージがありますが、変化の速さというポジティブな側面もあるのですね……!
古屋
古屋
まさに、逆の発想が大事なんです。世界的な生物学者であるジャレド・ダイアモンド氏は、「日本語の“危機”という言葉はおもしろい」と言いました。

危険の「危」と、機会の「機」を組み合わせているからです。だから、日本語の危機は自ずとチャンスを含んでいるんだ、と。それは日本社会に備わった「危機」に対する考え方を象徴しているんだ、とも言っています。

人口が減っているからと言って、あきらめる必要はありません。労働供給制約社会を「危険」とするか「好機」とするかは、むしろこれからの行動にかかっています

終わりのない人手不足によって現場にイノベーションが求められている分、同調圧力で変われば、ものすごくおもしろい社会になるかもしれませんよね。

ひょっとすると2040年の日本は、いまの北欧のように経済的には小さいけれど幸せな生活を送れる国になれる可能性を秘めているのでは、と感じているんです。

執筆:流石香織/撮影:栃久保誠/編集:野阪拓海(ノオト)/企画:竹内義晴

地方は組織も「空き家化」している? 維持できない組織やルールはなくそう──宮崎のシャッター街を再生した田鹿倫基さん
否定的な意見が多かった「地方で複業」。だが、潮目は変わった
「地方は仕事がない」は幻想でしかない――ひとりの力が地域に与える「複業×二拠点生活」の影響力

社長の引き継ぎ、どうする?「最強の青野を倒す人材」求む──三浦工業 宮内 大介×サイボウズ 青野 慶久

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フラットな組織でどんなときも公明正大に議論し、チームワークの輪を広げていく。サイボウズはそんな文化を大切にして成長してきました。

しかしサイボウズも、現在では従業員数1000名を超え、文化の共有に苦労する場面も増えてきています。多様な個性が行き交う社内で、会社文化を維持しながら、次世代に引き継ぐにはどうすればいいでしょうか。

この問題意識のもとでサイボウズ代表・青野慶久が今回お招きしたのは、“ミウラのボイラ”で知られる三浦工業株式会社のトップ・宮内大介さん。

同社は設立60年超、連結従業員数6000名を超える大企業でありながら、創業時からの文化を受け継いで新たな事業やブランディングを展開しています。

徐々に大企業化していくなかで、どのように文化を継承し、後進を育てていくべきか。2人の経営者が語り合いました。

「創業者だったらどうするか」を考える

青野
青野
三浦工業さんは設立から60年超ということで、サイボウズと同じ愛媛県発祥の大先輩企業としてリスペクトしているんです。
宮内
宮内
ありがとうございます。私自身は4代目社長なんですよ。
みやうち・だいすけさん

宮内 大介(みやうち・だいすけ)。三浦工業株式会社 代表取締役 社長執行役員 CEO。1962年愛媛県松山市生まれ。1986年京都大学工学部資源工学科卒業。1997年三浦工業株式会社入社。首都圏事業本部長、米州事業本部長、アメリカ法人社長などを経て、2016年4月に代表取締役社長 社長執行役員に就任。同年6月より現職

青野
青野
もう4代になられるんですね。

組織が巨大化していくなかで、どのように企業文化を継承して来たのかを学ばせていただきたいと思っています。
宮内
宮内
当社の場合は、創業者である故・三浦保が残した「三浦保伝説」のようなものが脈々と語り継がれていますね。
青野
青野
カリスマ創業者がいまもなお、大きな存在感を放っていると。
宮内
宮内
ただ、私たちは「創業者がやってきたことをそのまま引き継ぐことが伝統ではない」とも考えています

設立から60年の間に外部環境は変わり続けてきました。いまも大きな変化の波にさらされています。その時々で「もしここに三浦保がいたら何をするだろうか」と思いを巡らせ、必要なスタンスを受け継いでいくことこそが三浦工業の伝統ではないかと。
青野
青野
なるほど。創業者の歩みをただ真似るのではなく、その考え方を引き継いでいくことこそが重要なんですね。

いまのお話で思い出したことがあります。私はパナソニック出身ということもあって、同社の創業者である松下幸之助さんの考え方から大きな影響を受けてきたんですよ。

だけど松下幸之助さんの「水道哲学」だけはなかなか理解できなくて。
宮内さんに語りかける、青野さん

青野 慶久 (あおの・よしひさ)。サイボウズ代表取締役社長。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年サイボウズを設立。2005年に現職に就任。著書に『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)、『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。』(PHP研究所)など

宮内
宮内
電化製品を水道の水のように手に入れやすい価格で提供したい、という経営哲学ですね。
青野
青野
はい。以前の私は「それって単なる安売りじゃないの?」と疑問に思っていました。

でも大阪・門真の松下幸之助記念館を訪れた際に、その疑問が解消されました。

記念館に陳列されている最初期のテレビは、現在の貨幣価値でいうと1000万円近い価格だったそうです。私はテレビが10万円以下で手に入る時代しか知らないから、水道哲学を理解できなかったんです。
宮内
宮内
松下幸之助さんは、いかにテレビを低価格で提供して人々を楽しませるかを真剣に考えていたんですね。
青野
青野
そうした時代背景を知らないと、創業者の言葉の本質が理解できないのだと学びました。

考え方さえ理解できていれば、受け継いだモットーを新たな形で実行していけますね。

社長を務めた人にも、次のキャリアがあっていい

青野
青野
以前、宮内さんと食事をごいっしょした際に話していたことを紹介してもよろしいでしょうか?
宮内
宮内
ええ、構いません。
青野
青野
宮内さんは「もう一度、現場で新規事業を動かしてみたい」とおっしゃっていましたよね。あの言葉の真意が気になっていまして。
宮内
宮内
もう一度現場に身を置きたいというのは私の偽らざる思いです。社長になってからも現場にはちょこちょこ顔を出して、プレイヤーであり続けようとしてきました。
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宮内
宮内
それに、ガバナンスなどの観点から1人の社長の任期が長くなりすぎるのはよろしくないとも考えています。

そのため指名委員会で社長の任期について決めて、社内にも共有しました。
青野
青野
ご自身の任期に期限を設けたのですか。これは大きな決断ですね。
宮内
宮内
会社を船に例えるなら、社長はすなわち船長。航海士や機関士と同じく役割の一つに過ぎないんです。

そのキャプテンシートに誰が座るのかは、時々の適任で決めればいいと思っています。状況によっては、もっともリーダーシップを発揮できる人間が航海士を務めるべき場面も訪れるかもしれません。
青野
青野
同感です。

日本企業の多くはピラミッド型の組織構造で、若手から課長・部長へ、運が良ければ役員や社長へ昇進し、その先は会長、顧問、相談役などの役割に限定されていました。

でも実はそれだけではない。社長を務めた人にも次のキャリアがあるという概念が一般的になれば、日本の固定化された組織のありようが変わるかもしれません。
宮内
宮内
おっしゃる通りですね。

私は、組織には最低でも2つの軸が必要だと思っているんです。既存事業でより「ベター」を求める軸と、新規事業の「ユニーク」を求める軸です。

ベターを追いかけなければ企業は成長できませんが、同時にユニークな違いを生み出していかなければ成長の可能性が広がりません。

自社はいまどの軸に注力すべきなのか。それをみんなで議論し、「宮内はユニークな違いを生み出すことに注力すべき」という結論になれば、私は喜んで新規事業の現場に飛び込みますよ。
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「青野と戦って勝つ」人間が現れるまで

青野
青野
私自身も、そろそろ後継者について考えなければいけない時期になってきたと感じています。
宮内
宮内
青野さんには創業者としてサイボウズを立ち上げ、ここまで成長させてきた自負があるでしょう。その思いが強ければ強いほど、誰かに経営を引き継ぐのは難しいのでは?
青野
青野
はい。本音を言えば後継者のことなんて考えたくもありません(笑)

これは起業家の特性なのかもしれませんが、どうしても「俺が俺が」となってしまって。
宮内
宮内
分かる気がします。青野さんはいまのまま、「俺が俺が」志向のままでいいのかもしれませんね。
青野
青野
そうでしょうか?
宮内
宮内
逆に言えば、青野さんを超える人間が社内から出てくるまで待てばいいんですよ。青野さんがサイボウズのなかで最強である以上は、ずっと青野さんがやればいい。

その代わり、「青野さんと戦って倒す」ための舞台を社員のために作らなければいけないと思います。
青野
青野
たしかに……。事業作りや組織作りで社員と戦っていなければ、いずれは弱体化した私が君臨し続けてしまうことになるかもしれません。
宮内
宮内
そうなる前に、ですよね。青野さんがもし誰かに負けたら、潔く社長の座を明け渡すべきだと思います。

いまはまだ若いから社員と本気で戦っても勝てる。でも年を重ねていくと、そうも言っていられなくなるかもしれません。そのときにさっと身を引かないと、いわゆる「老害」になってしまうわけです。

「椅子取りゲーム」になりがちな後継者選びを変えるには?

青野
青野
考えてみれば、プロレスでもボクシングでも、チャンピオンは防衛戦を戦い続ける宿命にあるわけですよね。勝ってチャンピオンベルトを防衛できればいいけれど、もし一度でも負ければその座を降りなければいけない。
宮内
宮内
そして後進の育成に力を入れる。これがある意味では王道なのかもしれません。
青野
青野
実は最近、社内に「経営塾」を立ち上げたんです。

現状のサイボウズでは各機能ごとに本部があり、その上に私が君臨しています。この体制だと私が営業やマーケティング、開発などの全体像を見られるので、その視点で私に勝てる人が出てきません。

しかし、私と同じように全体を見られる人を増やさなければ、会社がどんどん縦割り化してしまうでしょう。
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宮内
宮内
大企業病に陥っていく第一歩ですね。
青野
青野
はい。だからこそ経営塾を通じて、私と同じリングに上がってくれる人を増やしたいと思っています。
宮内
宮内
いいですね。最初からトップダウンで後継者を選ぼうとすると椅子取りゲームになってしまいますから。
青野
青野
そして、どんどん内向き志向になってしまう。それだけは避けたいですね。
宮内
宮内
青野さんが最強の存在として君臨しているいまだからこそ、この取り組みが奏功するのではないでしょうか。

やるからには、本気で青野さんを超えようとする人が現れることを期待したいですね。

もし負けたら、青野さんはどうするんですか?
青野
青野
簡単に降りるつもりはありませんが、もし私が負けたら……そのときにやりたいことは宮内さんと同じです。
宮内
宮内
私と同じ?
青野
青野
はい。誰かに社長の役割を任せることができたら、私も現場にどっぷりと浸かって、全力でコミットしてみたいです。

考えれば考えるほど、「早く俺を倒してくれ!」という思いになってきましたね(笑)
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企画:神保麻希・高橋団 執筆:多田慎介 撮影:高橋団

フラットな組織を守り抜くために「トップダウンをあきらめ、自分が間違っている可能性を受け入れた」
時代が変わるとは、少数派が多数派に入れ替わること。未来は少数派の「わがまま」にある──明石市長 泉房穂×サイボウズ 青野慶久
本企画は、三浦工業が運営するオウンドメディア「ミウラplus」編集部との共同取材として実施しました。「ミウラplus」では、おふたりが「オモロイ」をヒントに語り合う対談記事を公開中です!

宮内社長、青野さんのミウラplus対談記事

【サイボウズ×ミウラ】\ 青野さんに聞いた / 「オモロイ」の実現法。いらないものを手放せば「オモロイ」が見えてくる!

「介護はテレワークで」の幻想。親孝行の呪いを解く、本当の「親との向き合い方」──となりのかいご 川内潤さん

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「テレワークで、仕事と育児・介護を両立しよう」。多様な働き方の広がり、このようなメッセージを見聞きする機会が増えました。

「うちはテレワークができるから、親の介護が必要になったとしても何とかなるだろう」「テレワークで子育てもしやすくなったし、介護だってきっと両立できるはず」と考える人は少なくないでしょう。

しかし、介護支援コンサルティングや普及啓発などを行うNPO法人「となりのかいご」代表理事の川内潤さんは「親の介護のために、テレワークをしてはいけない」と言います。

その言葉には、要介護者を抱える家族の悩みに寄り添い続ける川内さんが見てきた「テレワークしながらの介護の実態」が反映されています。

仕事と介護を両立するとは、どういうことなのか。テレワークを活かした「親との向き合い方」とは。川内さんに聞きました。

テレワークが原因で、介護がつらくなる

竹内
竹内
仕事と育児・介護を両立できるようにと、テレワークを導入している企業は少なくありません。

でも、川内さんが「仕事と介護の両立にテレワークは有効ではない」と情報発信されていたので驚きました。
川内
川内
国も介護とテレワークの両立を推進していますし、実際にテレワークを活用して親の介護をしようとする人は少なくありません。

しかし、僕は基本的に、家族を介護する方はテレワークをしないようにとアドバイスしています。
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川内潤(かわうち・じゅん)。1980年生まれ。上智大学文学部社会福祉学科卒業。老人ホーム紹介事業、外資系コンサル会社、在宅・施設介護職員を経て、2008年に市民団体「となりのかいご」設立。2014年に「となりのかいご」をNPO法人化、代表理事に就任。厚労省「令和2年度仕事と介護の両立支援カリキュラム事業」委員、社会福祉推進事業「重層的支援体制整備事業『参加支援』推進のための手引」有識者会議参画。著書に『わたしたちの親不孝介護 「親孝行の呪い」から自由になろう』(日経BP)がある

竹内
竹内
介護とテレワークは両立できないということでしょうか。いつでも親の様子を確認できれば、安心できそうなイメージがありますけど……。
川内
川内
心身が不自由な親を見守りながら仕事するのは、そう簡単ではありません。そばにいる親の様子が気になって、仕事に集中できなくなると思いますよ。

わたしたち介護のプロでも、自分の親となれば介護とテレワークの両立は難しいです。
竹内
竹内
プロでも……ですか?
川内
川内
テレワーク中、「親が自力で歩けているか不安で、杖の音をいつも気にしてしまう」「認知症の親がWeb会議に何度も入ってくる」となれば、仕事どころではなくなります。

その結果、仕事の生産性は下がり、適切な働き方ができなくなるでしょう。
竹内
竹内
そのような弊害があるのですね。
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川内
川内
しかも、子どもがていねいなケアをするほど、親は介護の外部サービスを拒否するんです。子どもがケアしてくれるから、デイサービスなどを利用する必要がなくなるので。

そうなると、親に介護のプロが研鑽した技術が提供されなくなってしまう。その結果、トレーニングを受けていないご家族がプロの何倍もの時間をかけてケアをすることになります。

そして、おたがいにストレスが溜まり、家族の関係が壊れてしまうんです。
竹内
竹内
子どもはよかれと思ってやったのに、最悪な結果になってしまうわけですね。

「自己犠牲」を介護の目的にしない

竹内
竹内
テレワークと育児を両立している人はたくさんいます。一方、介護との両立が難しいのはなぜでしょうか?
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竹内義晴(たけうち・よしはる)。1971年、新潟県妙高市生まれ・在住。マーケティング本部 ブランディング部 兼 ソーシャルデザインラボ 所属。NPO法人しごとのみらいを経営しながら、サイボウズで複業している。新潟で高齢の両親と同居しながら、テレワークで働いている。

川内
川内
育児と介護では、その過程に起こることや、行動から得られる結果が全然違うからです。

徐々に成長する子どもを見守っていると、「こんなこともできるようになったんだ」とたくさんの喜びが得られるでしょう。

一方、できないことが増えていく親の姿を直視するのは、つらいものです。喜ばしい場面は、ほとんどありません。
竹内
竹内
たしかに、わたしも年老いた両親と同居していますが、親が老いていく状況と直面するのはメンタルが削られます。
川内
川内
ですよね。また、育児には手離れしていく目処が立ちやすいですが、ほとんどの介護に目処を立てるのは困難です。癌などで余命宣告されていない限り、基本的に介護はどこまで続くかわからないので。
竹内
竹内
そうですね。
川内
川内
さらに、育児は親子の信頼関係が築ける一方、介護はかかわるだけ家族関係が悪くなる傾向にあるんです。おたがいに思うようにならないストレスから、きつい言葉を発してしまったりするので。

そのような精神的負担が仕事にマイナスの影響を与え、介護のために本業の仕事を辞めてしまう、いわゆる「介護離職」につながるケースが少なくありません。
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竹内
竹内
介護の場合、どれだけがんばったとしても、必ずしも報われるわけではないんですね。
川内
川内
そうなんです。でも、ほとんどの日本人は「がんばれば、なんとかなる」と思っていて、その感覚を社会から嫌というほど刷り込まれていますよね。

でも、介護では、その感覚は役立ちません。わたしが知る限り、テレワークでいつでも親の近くにいれるようになった結果、おたがいが幸せになったケースはほとんどありません。

実際、厚労省のデータによれば、コロナ禍で世の中にテレワークが浸透したあと、介護離職した人の数は増えています。やっぱり、「テレワークは仕事と介護を両立するための解決策じゃない」と言えるのではないでしょうか。
竹内
竹内
自分を犠牲にして、親にたくさん尽くしても結果が出ないとなれば、何を目標に介護すればいいのでしょうか?
川内
川内
「親がいかなる介護状態になったとしても、良好な親子関係を維持すること」を目標にするのがいいと思います。

そのためにも、外部の介護サービス、介護のプロの力を積極的に頼ってほしいんです。
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介護する側の「がんばりすぎ」が、プロを消耗させる

竹内
竹内
良好な親子関係を維持するためには、介護のプロを頼る必要があるんですね。とはいえ、まずどこに相談すればいいのでしょうか?
川内
川内
介護に関する地域のさまざまな情報が集まる「地域包括支援センター(※)」に電話で相談するのがおすすめです。

※各市区町村に設置された、地域に密着した総合相談窓口。高齢者および高齢者を支える人たちが利用でき、高齢者の健康面や生活全般に関する相談を受け付けている。相談内容は、日常生活でのちょっとした心配事から、病気や介護、金銭的な問題、虐待など。保健師・社会福祉士・主任ケアマネジャー(主任介護支援専門員)などの専門スタッフが対応してくれる。総合相談や介護予防ケアマネジメントについて、無料で利用可能。

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川内
川内
地域包括支援センターで働く職員は、地域の大事な社会資源です。しかし、ご家族ががんばって介護すればするほど、職員の仕事が増えてしまう構造になっているんです。
竹内
竹内
一体どういうことでしょう? 家族ががんばって介護するなら、その分、職員の仕事は減りそうなものですが……。
川内
川内
よくあるのが、介護する家族が途中で力尽きてしまい、いきなり職員が介入しなくてはならなくなるケースです。

たとえば、独り暮らしの親御さんを介護しようと、実家でテレワークすることにした人がいるとします。

その人は親御さんから過剰に頼られて、日中は仕事になりません。夜中に残業することになり、睡眠時間が削られていき、ついには倒れてしまった。

そうなると、地域包括支援センターの職員たちが、親御さんを受け入れるショートステイ先を緊急で探すことになります。
竹内
竹内
介護する家族ががんばりすぎてしまうことで、最終的には介護のプロに負担を強いてしまうんですね。
川内
川内
はい。だから、職員を守るためにも、親の様子が心配になった段階で、まず地域包括支援センターに相談してほしくて。

相談を受けた職員は、親御さんのところにタイミングを見て通いながら信頼関係を構築していき、よいケアがしやすくなります。
竹内
竹内
なるほど、地域包括支援センターへ早めに相談することで、プロの負担が減り、なおかつよいケアにつながるわけですね。
川内
川内
決して、「家族が直接世話するのがいちばんいい」なんていう幻想は抱かないでほしいんです。

わたしたちのような介護の専門職でも、認知症の方と穏やかにコミュニケーションがとれるようになるまで数年はかかります。ただ話しかければいいのではなく、その方の記憶の状況に合わせて、いろいろなテーマを展開しなければいけないので。
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竹内
竹内
よいケアをするには、想像以上に高度な技術が必要なんですね。
川内
川内
そうなんですよ。「家族をがんばってお世話したい」という気持ちには、わたしも共感します。でも、よいケアを届けようとするとき、その気持ちが必ずしもプラスには働きません。

従業員の介護リテラシーを高めることが、人事戦略につながる

川内
川内
「介護」って、就職や結婚、出産と同じようにライフステージのひとつでしかないんですよね。にもかかわらず、いざ直面すると介護する側が身構えすぎて疲弊し、おたがいが不幸になっていく。
竹内
竹内
義務教育でも介護について勉強しないので、改めて考えてみると介護の実態ってよくわからなくて……。
川内
川内
そういう方って多いんです。各地域で介護情報を発信していますが、いそがしいビジネスパーソンは確認する暇がないでしょう。とはいえ、わたしたちが生きていく上で介護は切り離すことはできません。

介護をしながら働く人が増えていく社会で、介護についてしっかりと伝えていくことができる場って、企業だけだと思うんです。
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竹内
竹内
介護は家族の話なのに、それを伝えられるのが企業だけなのって、不思議な感じがします。
川内
川内
ですよね。いま、企業ができることは何か。それは、プッシュ型で従業員の介護リテラシーを高めることです。

たとえば、「できるだけ家族が面倒を見て、どうにもならなくなってから介護のプロに頼むべき」という“親孝行の呪い”にかかっていないかどうか、従業員に自覚を促す。かつ、その呪いを解くことが必要です。

そうすれば、多くの従業員が介護のプロの手を借りながら、介護しながらでも生産性を落とさずに働くことができます。
竹内
竹内
うんうん。
川内
川内
これからの時代、福利厚生として介護支援を盛り込むだけでは足りないんです。

従業員のロイヤリティを高める、または介護があっても生産性を落とさない従業員を育てるために、「人事戦略」として従業員の介護リテラシーを高めていく。

そうすれば、要介護状態になりやすい団塊世代が今後ますます増加していくなか、企業の主戦力となる現在50歳前後の団塊ジュニア世代が介護問題に直面しても、離職せずに済みます。こんなに費用対効果が高い支援はありません。
竹内
竹内
たしかに、重要な人事戦略ですね。
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竹内
竹内
ひとつ気になったのですが、従業員だけでなく、従業員の家族も介護リテラシーを高めないと、従業員はいつまでも“親孝行の呪い”に苦しめ続けられるんじゃないかな、と。
川内
川内
おっしゃるとおりです。だから、当法人「となりのかいご」が支援する企業の介護セミナーや個別相談には、従業員のご家族も同席できるようにして、介護リテラシーの浸透に努めています。
竹内
竹内
企業の介護セミナーに家族も参加できるのは手厚いですね。
川内
川内
ただ、それでも「親のためなら、子どもは自分を犠牲にすべき」といった固定観念を持ち続ける方もいます。そのような身内から「なぜ介護しないんだ!」と責められてしまう方もいるでしょう。

そのときの対応方法は、地域包括支援センターの職員から説明するので、まず相談してみるのがいいでしょう。身内の方の感情を受け止めた上で、やるべきことを具体的に提示していきます。
竹内
竹内
よいケアにつながる方法を教えてくれる第三者とつながることが大事なんですね。
川内
川内
そうです。まずは第三者が「おたがいの距離感を大切にしたほうが、親御さんのためになりますよ」と伝えることが大事で。

それは人事担当者にもできることですし、利害関係が発生するのであれば、わたしたちのような介護・福祉の専門家から客観的なアドバイスをすることもできます。

テレワークを使った介護は、あくまで「ひとつの手段」

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竹内
竹内
「テレワークできるから、親の介護ができるようになる」と考える人は多いでしょう。でも、現実はそう甘くないことがよくわかりました。
川内
川内
「デイサービスを利用したり、施設に入れたりするのは後ろめたい」という気持ちを解消するためにテレワークを使って介護しようとする人がいます。

でも、そうやって自分を犠牲にしても、絶対によい介護はできません。どこかで必ず「親のせいで犠牲を払った」と感じて、親の長生きを喜べなくなるはずです。
竹内
竹内
それでは、介護する側もされる側も苦しいですね。
川内
川内
ええ。その状況は、もうどんなにがんばっても「よい介護」とは呼べないと思います。親子関係だって、ほぼ崩壊していると言えるでしょう。
竹内
竹内
たしかに。
川内
川内
働きながら親の介護をする「ビジネスケアラー」の問題と直面したとき、わたしたちには「自分を大事にして働くとは何か」が問われています。

介護でテレワークを選択するとき、「みんながしているから」とか「これが常識じゃん」で済ませていませんか、と。

介護相談でも「ほかの方はどうされていますか?」とよく聞かれます。でも、周りは関係ないんですよ。
竹内
竹内
周りではなく、自分はどうしたいか。
川内
川内
そこがスタートです。誰でもいつかは「老い」を迎えて、身体が思うように動かなくなります。だから、まず親の「老い」を受け入れることが大切です。

その上で、「どんな状況であれば、自分はいちばん心地よく働けるのか」を考えることです。独り暮らしをする親の介護でも、同居と別居、どちらが心地よく働けるかは人それぞれに違うわけで。
竹内
竹内
親の近くのほうがいい人もいれば、離れていたほうがいい人もいますもんね。
川内
川内
はい。その結果、良好な親子関係を維持するのに役立ちそうであれば、テレワークを活用すればいいわけで。テレワークは、あくまで手段のひとつなんです。
竹内
竹内
テレワークを「介護」という目的のために使ってはいけない、と。
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川内
川内
「親の介護」というテーマの根底にあるのは、「わたしたちは、これからどう生きていくのか」ということです。

自分の気持ちを大事にして、介護が必要となった家族との距離感を保つ。その勇気をもつことが大切だと思います。

取材・執筆:流石香織/撮影:栃久保誠/編集:モリヤワオン(ノオト)/企画:竹内義晴

「パパがずっと家にいてうれしい」。息子の不登校に家族全員で向き合えたのは、きっとテレワークだったから
5年前からテレワークをしていた僕は、ようやく「家族」と「仕事」を重ねることに挑戦できた

懐かしのプロフィール帳が、チームに「一体感」を生み出す ──仕事仲間とプロフィール帳を書いたら「寂しさ」が和らいだ

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ここ数年、リモートワークやフレックスタイムなどの「多様な働き方」を取り入れる企業が増えてきました。ただ、働く時間や場所がバラバラになると、いっしょに働く仲間とのつながりを感じにくくなることもあります。

筆者であるわたくし曽我は、最近サイボウズに入社し、遠方からリモートワーク中心で働いています。

「仕事には慣れてきたけど、なんとなく寂しいな……。」そんな時、チームメンバーから「実はプロフィール帳を作ってみたから、みんなでやってみようよ!」という意外な提案が。

「え、プロフィール帳? それって、学生の頃に流行ったアレでしょ?」と最初はちょっと疑問に思いましたが、一度試してみることにしました。

入社して半年。仕事には慣れてきたけど……

サイボウズに入社して半年。気がつけば業務に慣れてきました。

サイボウズへ転職したのは「多様な個性を重視」する考え方に共感したから。かくいうわたしも、地方からリモートワークで働いています。

でも、業務に慣れて心に余裕が出てきたからなのか? 最近、なんとなく「寂しいな」と感じる瞬間も増えてきたんです。

普段の業務は、チャットやオンライン会議で滞りなく進められます。チームメンバーとも打ち解けて、雑談も楽しいです。

けど、会議が終わって画面をオフにすると、一気に「シーーーーン」。いきなり静寂に包まれて「ひとり」を実感しちゃうんですよね。

ちなみに、チームメンバーの多くはリモートワークなので、自分だけ仲間外れというわけではありません。でも、物理的な距離が与える影響は大きい。遠方に住んでるから「今日は人と話したい気分だから出社しよう!」とできないのが、どうしようもないとわかっていても、もどかしいんです。

もちろん、遠方からリモート中心で働くことを決めたのは自分。寂しさをうまく紛らわすのも自己責任なのですが、なんとなく心が晴れません。

そんなモヤモヤをチームの朝会で共有してみました。そしたら「実はプロフィール帳を作ってみたから、みんなでやってみようよ!」と提案があったんです。

アラサー世代のど真ん中に刺さる「プロフィール帳」

「プロフィール帳」

この単語を聞いた瞬間、友だちと花鳥風月でプリクラを撮り、せまりくる制限時間と格闘しながら「我等友情永久不滅!」と落書きをしていたあの頃の記憶が、昨日のことのようによみがえってきました。

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プロフィール帳とは、平成初期に大流行したグッズ。「わたしは〇年〇月生まれ。血液型は〇型。すきな人は……」のように、みずからの基本情報や趣味、はたまた「すきな人」といったプライベートな質問まで回答してもらいます。

友だち同士でプロフィール帳を交換し、記入し合う。気になるあの子にプロフィール帳を渡して返ってくるまでのドキドキ。

いまみたいにスマホやSNSが普及していなかったからこそ、プロフィール帳はお互いを知るための重要なコミュニケーションツールだったんです。

会社の人とプロフィール帳を交換するって、なんだか楽しそう! でもぶっちゃけ「仕事」と関係なさそうだけどいいのかな……?

と、楽しさ8割・不安2割の気持ちを抱えつつ、誘われるがまま実際やってみることになりました。

懐かしい! 「仕事の自分」を忘れて童心にかえる

「プロフィール帳交換大会(勝手に命名)」は、せっかくなら顔を合わせて! とのことで、わたしが東京オフィスに出社するタイミングで実施されました。

当日、会議室に向かってみると……

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あれ、もしかして「平成初期」にタイムスリップしたのでしょうか……!?

キラキラペンやぷっくりシール、ファンシーなペンケース……。あまりにも懐かしすぎて、本題に入る前から童心にかえり、気持ちがとても盛り上がりました。

「シール交換もしてたよね!」と大盛り上がりのメンバー

曽我
曽我
ところで、今回やるプロフィール帳って……?
神保
神保
あ、これです!
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サイボウズ式編集部オリジナルのプロフィール帳は、なんと平成レトログッズのど真ん中にありました。あまりにも自然になじみすぎて、ほかのグッズと区別がつきません。

肝心の中身は、こんな感じです! 先生の目を盗んで、ルーズリーフに書いた手紙を授業中にまわしていた「あの頃」のプロフィール帳みたいで、ますますテンションが上がります。

ダウンロードはこちらから!(クリックでPDFデータがダウンロードされます)サイボウズ式オリジナルプロフィール帳

サイボウズ式がプロフィール帳を作った理由

曽我
曽我
そういえば、プロフィール帳ってサイボウズ式にあんま関係なさそうですよね。どうしてつくろうと思ったんでしょうか?
神保
神保
オンラインが発達したからこそ、アナログの力はすごいというか。「懐かしい!」という強い感情でおたがいがわかり合える方法はないかなと思っていました。

そんな折、ドラマ「ブラッシュアップライフ」が流行っていて。シール交換やガラケーなど、平成レトロな雰囲気がSNSでも話題になっていたんです。
曽我
曽我
「ブラッシュアップライフ」はどれも懐かしすぎて、エモメーターが完全に振り切れました(笑)。
神保
神保
わかります(笑)。「懐かしい!」って感情は、面識のない人同士でもSNSで共感して盛り上がるくらい、とても強いものですよね。

サイボウズには「チームワークあふれる社会をつくる」というパーパスがあります。「懐かしい!」という強い感情を活かして、働く人たちのチームワークを向上させられないだろうか? と考えたときに、プロフィール帳のアイデアが浮かんだんです。

プロフィール帳を使えば、あらたまって自己紹介するよりもラフに自分のことを伝えられるんじゃないかって。
曽我
曽我
なるほど! ちなみにプロフィール帳はオリジナルでつくったとのことですが、どんなところにこだわってるのでしょうか?
神保
神保
一番は「懐かしい!」って感じてもらえるデザインかな。あの頃友だちとやり取りしていた思い出がよみがえるよう、背景の色味や質問口調など細かい部分までこだわりました。
曽我
曽我
たしかに、ほかのプロフィール帳と混じってても違和感がなく、完璧に当時が再現されています(笑)。
神保
神保
もうひとつは、普通のプロフィール帳よりも「仕事」にフォーカスしているところです。仕事のなかで楽しいと感じることや苦手なことなど、いっしょに働く上で理解し合えるとスムーズなことが気軽に伝わるようにしています。

あの頃のプロフィール帳と同じくポップな口調で、仕事に関する質問がしれっと用意されている

神保
神保
逆に、血液型や性別という項目は排除しました。サイボウズの文化である「多様な個性を重視する」にのっとって、バイアスがかかりそうな質問はなくしています

「あの頃」のプロフィール帳だから、素の自分を見せれる

「懐かしい!」と「仕事で役立つ」のバランス感が絶妙なプロフィール帳。

平成レトログッズを眺めながらひとしきり盛り上がったところで、さっそく書き始めることにしました。

せっかくなので、小学生の時によく使っていた「キラキラペン」で書いてみます

書き終わったら、みんなで見せ合ってみることに!

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曽我
曽我
よく考えたら、みなさんの手書きの文字を見るのは初めてです!
田平
田平
サイボウズでは「自己紹介アプリ」とかありますけど、手書きのプロフィールはいままで見たことがないですよね。書く時間はかかるけど、なんか楽しい!
たむら
たむら
せっかくなのでシールも貼ってみよう! 小学生の頃って、なんでこんなにシール集めてたんだろう?(笑)

懐かしきシールたち!

田平
田平
曽我さんのランキングにある「アウェイ遠征」ってなんですか?
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曽我
曽我
サッカー観戦が趣味なんですけど、アウェイ戦(敵チームのホームスタジアムでの試合)に行きたいなと思っていて! 北海道や佐賀、神戸のような、わたしが住んでいる場所からだとなかなか行かないところに行ってみたいです。
田平
田平
めちゃくちゃアクティブですね(笑)。
たむら
たむら
選択式の質問で、どちらでもないときに「・(中黒点)」に丸をつけがちなの、プロフィール帳あるあるだ!

プロフィール帳あるある

穂積
穂積
あ! アレックスさん「Linkin Park」好きなんですか! 僕も好きで中学生の時、よく聴いてたなぁ。
神保
神保
わたしも! 中高時代にめちゃくちゃ聴いてました(笑)。
Alex
Alex
国境や時間を超えて同じ曲を聴いてたなんて、エモーショナルですね。
神保
神保
よく考えたら、普段みんなと話すのは仕事のことばかりなような。プライベートの話といっても、せいぜい大学時代とか?

でも、プロフィール帳を使うと中高時代とかもっと小さい頃とか、普段みせられない「仕事以外の自分」も自然に話せますね
曽我
曽我
仕事関連のところをよく見ると……。みんなブレストが好きなんですね(笑)。

仕事の楽しい瞬間は、みんな「ブレスト(アイデアを出すための話し合い)」だった

神保
神保
アイデア出しが好きなんて、さすがサイボウズ式チーム!
穂積
穂積
これからは、ブレストの頻度を増やしてしていきましょう。
曽我
曽我
あと「低気圧」のときに調子が悪いの、わかります! 電話が急に来るのも焦りますよね(笑)。
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たむら
たむら
プロフィール帳を使うと、苦手なこと・調子が悪いサインのように、まじめに話すと少し空気が重たくなってしまう話題もポップに伝えられるのがいいですね。

顔を合わせてみんなで書くのがおすすめ

曽我
曽我
これだけ盛り上がれるプロフィール帳、いろんな人に使ってほしいです!
神保
神保
新しいメンバーが入ったときはもちろん、普段顔なじみのメンバーとやってもいろんな発見があるはず。誰でもダウンロードできるので、ぜひ使ってほしいです!
ダウンロードはこちらから!(クリックでPDFデータがダウンロードされます) サイボウズ式オリジナルプロフィール帳
曽我
曽我
どんな人とでも気軽に打ち解けられるツールとして、大いに活躍しそうな予感がします!

あと実際やってみて、顔を合わせて書いたほうが盛り上がるなと思いました。子どもの頃の話とかプライベートな趣味をわいわい話せて、ぐっと距離が縮まった気がします。普段はオンライン上でのやりとりがメインですが、これを機により気軽にお話しできそうです。
神保
神保
プロフィール帳を使っていなかった世代からすると、「どこまでまじめに書けばいいの?」とテンションがわからないかもしれません。顔を合わせて書いたほうが、より自然に「素」を見せられると思います。

「懐かしい!」で一体感がうまれる

今回は、「仕事には慣れてきたけど、なんとなく寂しい」というわたしのぼやきをきっかけに、サイボウズ式編集部でプロフィール帳をやってみました。

リモートワークで感じていた、なんともいえない寂しさを解消するためには、仕事以外の「余白」なコミュニケーションが重要なんだと再認識しました。

1on1や飲み会など、コミュニケーション不足を解消する方法はたくさんあります。そのなかでも、プロフィール帳は「懐かしい!」の気持ちをきっかけに、仲間の「新たな一面」を見れるので、より一体感がうまれる気がします。

新しいメンバーが増えた、普段なかなかいっしょに話す時間がない、なんとなくチームに停滞感がある……。

そのような、チーム内で相互理解を深めたいとき、プロフィール帳はかなり役立つツールです。ぜひ、みなさんも使ってみてくださいね!

ダウンロードはこちらから!(クリックでPDFデータがダウンロードされます)サイボウズ式オリジナルプロフィール帳

執筆:曽我智恵里/撮影:高橋団/編集:田平貴洋

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第1章 自由な会社に転職──よちよちぺんぎん日報

【能登半島地震】奥能登で被災した当事者と、石川県でIT支援を続けるサイボウズ社員が伝える、現地の声

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2024年1月1日に発生した能登半島地震。 奥能登在住のサイボウズフェロー野水克也は、現地で被災しました。

一方、震災や水害など自然災害が発災したとき、ITで支援しているサイボウズ災害支援チームの柴田哲史は、発災直後から災害対策本部に入りました。

発災直後の被災地はどんな状況だったのか? 災害支援の取り組みは? サイボウズ代表取締役の青野慶久が聞きました。

本記事は、発災直後の状況、災害支援の取り組みや課題を、当事者に伝えてもらうことで、社員一人ひとりが自分でできることを考えられるよう、2024年1月17日にオンラインで実施した全社向け報告会をもとに作成しました。
(※掲載情報はすべて2024年1月17日段階のものです)

奥能登で被災したサイボウズ社員

青野
青野
今日は年始に発生した能登半島地震について、野水さんと柴田さんにお話を伺います。

野水さんは被災され、柴田さんは現地の災害対策本部にいらっしゃいます。まずは発災から現在までの状況を教えてください。
オンラインで話すサイボウズ野水克也

野水 克也(のみず・かつや)。サイボウズフェロー。公益財団法人ほくりくみらい基金理事。サイボウズのエバンジェリストとして各地で講演、先端案件を支援。副業でビデオグラファー、DIYで奥能登の空き家リノベと自伐林業に挑戦中だったが、能登半島地震で全壊し金沢に避難。現在は復興支援活動に従事中

野水
野水
元旦は能登の自宅の古民家にいました。地震のときは、1秒間に2m水平に往復するのが50秒間くらい続いた感じです。

部屋中のものが落ちてきて、障子が外れ、窓ガラスが割れて、そのうち壁や天井が崩れてきて。
倒壊した自宅内部。天井が大きく落ちている
野水
野水
揺れが収まったあとに外に出たら近隣の家屋が倒壊したり、鉄筋コンクリート造りの病院の1階がつぶれていたり。当然水や電気も止まっていました。

金沢につながる道路が山崩れと電柱の倒壊で完全にふさがっていて、反対方向の輪島に向かう道路も通れなくなっていたので、「あ、これは完全に陸の孤島になった」と思いました。
倒壊した建物 がけ崩れの現場
野水
野水
倒壊した建物のなかに人が残っていないかみんなで探しながら避難所に行って、発電機で電気を確保してぎりぎりの電力で暮らしつつ、石油スト―ブを持ち寄ってみんなで寝ていました。

弟の迎えで金沢に来たあとは、サイボウズの災害支援チームとして、また地元のコミュニティ財団・ほくりくみらい基金の理事として、復興支援活動に民間側として関わっています。

サイボウズ災害支援チームは発災直後から災害対策本部で活動

柴田
柴田
私は1月3日に自見はなこ大臣から連絡があり、「災害対策本部に入ってほしい」と要請がありました。

大臣とはコロナ禍で一緒に動いていたことがあり、覚えていてくださったようです。現在は石川県の西垣淳子副知事のもとで被災者の復興生活を支援するチームにいます。
オンラインで話すサイボウズ柴田哲史

柴田 哲史(しばた・さとし)。サイボウズ災害支援チームリーダー。東日本大震災をきっかけに災害現場のIT支援に携わる。2020年よりサイボウズ災害支援プログラムの立ち上げを推進。被災地の災害ボランティアセンターのIT支援を実施している。近年は全国の都道府県社協との連携により、さまざまな地域に拡がっている

青野
青野
現地に入ってからはどのような活動をされていますか?
柴田
柴田
まずは一番の課題である避難所と孤立集落の見える化に着手しました。被災状況が見えない事態を打開すべく、現地入りした自衛隊が発見した孤立集落や避難所をkintoneにまとめてデータ化しています。

現場の自衛隊の状況を知るために使っているのがBuddycomというスマホ用のトランシーバーアプリです。話した内容や撮影した写真、話した場所(緯度経度)が地図上に記録されます。

孤立集落の状況把握に自衛隊がkintoneを活用

青野
青野
地図はあっとクリエーションさん(サイボウズのパートナー)のものですか?
カンタンマップ(あっとクリエーション)の画面。

カンタンマップ(あっとクリエーション)のマッピング画面

柴田
柴田
はい、「カンタンマップ」です。2023年のいわきの台風災害や秋田の大雨災害などでも活躍しています。

kintoneに入力された情報とBuddycomからの写真や通信情報をもとに、本部では自衛隊の居場所を確認しつつ作戦を立てています。自衛隊と自治体、民間それぞれが協力しあったことで、現場にスムーズに浸透していきました。

今後は、孤立集落の発見と情報集約、災害関連死の防止、自治体支援、2次避難所での生活支援を頭に入れて、自衛隊、医療関係者、自治体職員、福祉関係者といった方々と相談しながら進めていきます。

サイボウズの災害支援パートナーの方々も案件を手伝ってくださっています。
現地の話を聞くサイボウズ青野慶久

青野 慶久 (あおの・よしひさ)。サイボウズ代表取締役社長。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年サイボウズを設立。2005年に現職に就任。著書に『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)、『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。』(PHP研究所)など

広範囲に広がる被災状況

野水
野水
今回の地震で特徴的なのが広範囲であることです。2023年5月の奥能登地震では、震源から半径2kmくらいの範囲に被害が集中しました。

今回は半島の端から端まで約70km、首都圏でたとえると千葉から八王子くらいの範囲全域が震度6以上、あくまで私が見た感覚ではありますが、輪島市と珠洲市では半数以上の建物は半壊または全壊といった状況です。
能登半島の被害範囲を示した地図
野水
野水
被災地自治体の職員の中でも、かなりの人が地震や津波で家も使えないまま働いている状況で、当然ながら復旧がとても遅れています。

問題は道路で、能登の入口に至る道が一本しか使えないので、そこを片側交互通行でやっと通している状態でした。1月2日の時点で、輪島に至る道路は救急車と自衛隊の車で渋滞していました。

また、今回特徴的なのは海岸が隆起したことです。下の図の左上がGoogleの衛星写真で見た輪島市の黒島漁港ですが、現在の状況は下の写真のようにもはや震災遺構みたいになっています。ただ、これによって予想より津波の影響が少なかったという分析もあるようです。
隆起した黒島漁港
青野
青野
なるほど、海岸が隆起したから。
野水
野水
海岸が隆起した土地では津波が来ず、たまたま隆起しなかった地域にだけ津波が来てしまった。もしここが隆起しなかったら、輪島市内が津波で相当やられていた可能性もあります。皮肉なものですね。
青野
青野
インフラの復旧も難しい問題ですよね。
野水
野水
電気や水道の問題もありますが、とくにトイレが問題でした。うちの避難所もそうでしたが、みんなが用を足したビニール袋が10日分くらい避難所脇に積みあがって悪臭を放っていました。

今はやっと仮設トイレになりましたが、当初は和式しかありませんでした。和式で用を足せる人は半分くらいしかいないので、われわれのボランティアグループで洋式トイレを1つ作って持っていったりしました。
青野
青野
トイレが使えないと衛生の観点からも厳しいですよね。

実態を把握するための情報は「あらゆる手段」で

青野
青野
自衛隊の活動にkintoneが使われるのは、今まであまり聞いたことがないケースですね。
柴田
柴田
孤立集落を「どう見つけようか」と議論していたときに、以前に別の現場の災害支援で使用したkintoneの仕組みがあったんです。そのデモ画面を見せたら「これで行こう」となり、一気に構築しました。
野水
野水
ただ、発災からだいたい4日目までは通信が機能していなくて、最初は足で稼ぐような民間の人的ネットワークで拾っていました。
青野
青野
草の根、ボトムアップでも情報を集めていったということですね。
野水
野水
もともと奥能登には移住者ネットワークがありました。通信環境が回復してからは地域に住む人たち同士でweb会議をして情報を共有しました。

そのネットワーク経由で撮影した写真や避難所の状況を県に送ったり、行方不明者の安否確認をしたりしています。それが今回の災害支援に使うkintoneの元データになっています。
被災地の情報を入力しているkintoneの画面

被災地の情報を入力しているkintoneの画面

柴田
柴田
私はその情報と地元の方がGoogle My Mapに挙げてくれていたデータをkintoneに1つひとつ移植しました。
野水
野水
ほかにも、大学生のボランティアの方などにX(旧Twitter)で奥能登の情報を探してもらい、「孤立しています」という発言をすべて送ってもらって地図上にプロットしていました。
青野
青野
それらを母体にしてデータベースを作ったと。
柴田
柴田
はい、そこに自衛隊に実際に入ってチェックしてもらって、現地の様子を写真やテキストで直接入力してもらっています。
青野
青野
避難所は何か所くらいあるんですか?
柴田
柴田
公式の発表では約400か所です(※1月17日段階)
雪に覆われた避難所

雪に覆われた避難所

野水
野水
ただ、自宅避難や一家で近所の家に避難しているケースもあります。また、金沢以南に避難していった方たちの追跡も大事です。

能登の避難所のように周りに話す人がいる環境に比べると、たとえば加賀方面などに行って孤独になった人が震災関連死するケースのリスクもあります。

日ごろの準備が「発災直後からの対応」に

青野
青野
今回の災害を受け、日頃から準備しておいて良かったことがあれば、ITによる災害支援と個人の観点から伺えますか?
柴田
柴田
自衛隊とDMAT(災害派遣医療チーム:Disaster Medical Assistance Team )系、医療団が現地にどんどん入ってきているなかで、集まったデータをどう統合させるかという課題がありました。

災害支援からの立場からすると、今まで、kintoneを使って被災地で構築してきた災害支援の仕組みがあったので、避難所の地図をパッと出したり、災害対応ポータルとしてkintoneのデモ画面を見せたりすることができました。そのおかげで、これで行こうとなったときに関係各所にすぐに展開できたのが良かったです。
野水
野水
2023年の5月奥能登地震のときに、石川県の災害対策本部に行ってkintoneの説明をしたことがありました。kintoneへの理解の下地があったことも幸いしました。
青野
青野
被災地でいろいろなパターンに対応してきたから、今回もすぐに対応できたわけですね。パートナーさん含めた連携実績がたくさんあったのも良かったですね。

個人の観点からはどうでしょうか。
野水
野水
私見ではありますが、家庭や個人でできる対策としては、この9点でしょうか。
1.車のガソリンは常に半分以上入れておく
2.災害用トイレの凝固剤を揃える
3.カセットコンロ常備で年に一度ガスを交換
4.水は常に2Lを1ダース+米を備蓄する
5.大きくて丈夫なダイニングテーブル
6.高齢者の寝室は耐震壁に
7.ラジオ必須(カーラジオでも可)
8.スマホつながらないときは諦めて切っておくこと
9.普段より子供に緊急の電話番号は暗記させる
野水
野水
車のガソリンが半分以上残っていれば、ケチケチ使えば3、4日程度は車中泊で暖が取れます(①)

トイレについては、大事なのは凝固剤です。凝固剤がなかったらどれだけ袋をしばっても臭ってしまいます(②)

カセットコンロはガスが古くなっていると使えなくなってしまうので、年に一度は新しいものに交換してください(③)

また、お水と米を備蓄してください。これがあれば、1週間は大丈夫です。これも時々新しいものと、入れ替えてください(④)
青野
青野
なるほど、備蓄だけではなく定期的に新しいものと入れ替えることも重要ですね。
野水
野水
発災時は私もダイニングテーブルの下に隠れましたが、私が知る限りでは、うちの町内でも大きなテーブルの下に隠れた人はみんな無事でした(⑤)

高齢者の寝室については全部の壁を耐震壁にすると費用や手間が大変なので、寝室だけでも耐震壁にすると夜間に被災して崩れた場合でも隙間で生き残れる可能性が高まると思います(⑥)

それから、通信が不安定になるのでラジオは必須(です(⑦)

スマホは電波がつながらない状況で電源をオンにしたままだと、満タンのバッテリーが数時間でなくなります。半日に一回くらいつないでみて、つながらなかったらまた切るというのを繰り返しやるとよいでしょう(⑧)

電話番号については、今回、僕の携帯がたまたまつながったので、周りの人にも僕の電話を使ってもらいました。その時に家族の電話番号を覚えていない人が結構いました。自分の子どもや家族には、緊急連絡先の番号を絶対暗記してもらってください(⑨)
青野
青野
組織においても、個人においても、日ごろからの備えが重要ですね。

肉体的には疲れがたまっていると思いますので、お体には気を付けていただいて。なにか依頼したいことがあればどんどん頼んでください。

サイボウズも組織として動いていきますのでよろしくお願いします。今日はお2人とも、迅速なご対応とご出演をありがとうございました。
■野水が理事を務める、ほくりくみらい基金の災害支援基金への寄付はこちらから
https://saigai.site/home/07saigai/

■サイボウズ災害支援
https://saigai.cybozu.co.jp/

■サイボウズ 令和6年能登半島地震の影響により被害を受けられた皆様へ
https://cs.cybozu.co.jp/2024/010704.html

執筆・編集:サイボウズ式編集部/撮影:野水克也/企画:小野寺真央
なぜ、専門家たちが被災地に入った「ICT支援」がすべて失敗したのか? 災害現場のDXで欠かせなかったこと

50代突入。これからどう生きる? 大阪大学、同じ下宿先から歩んだ30年とキャリア選択──MBSアナウンサー 西靖×サイボウズ 青野慶久

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関西エリアで活躍する毎日放送(MBS)のアナウンサー・西靖さん。実は、サイボウズ代表・青野慶久と同い年で、同じ大阪大学に通い、同じ下宿先に暮らしていたのです。

当時はつながりがなかったというふたりが、30年ぶりに大阪大学の豊中キャンパスがある街、石橋阪大前の思い出の居酒屋「ごん兵衛」に集って乾杯。キャリアの選択や転機をふり返りながら、これからの50代のあり方について語り合いました。

大阪大学、同じ下宿先「緑荘」で過ごした青春時代

青野
青野
いやあ、懐かしい。大阪大学生行きつけの居酒屋「ごん兵衛」で、西さんと乾杯ができるなんて。
西
西
ほんとに。お久しぶりの「ごん兵衛」で、乾杯!

せっかくなので、昼から飲んじゃいます!

青野
青野
乾杯! 学生時代、僕は「フロンティア」っていう社会福祉系のボランティアサークルに入ってて、メンバーとよく「ごん兵衛」に来てました。
西
西
僕は陸上部で大学から棒高跳びをしていたんですが、体育会系の激しい飲み会をここでしてましたねえ。
青野
青野
当時はつながってなかったけど、絶対会ってますよね。
西
西
絶対会ってますよ、僕らの「緑荘」で。
青野
青野
同じ下宿先、ひとつ屋根の下で暮らしていたんですもんね。家賃が当時21,000円、途中で値上がりしたけどそれでも23,000円。僕は2階の階段上がってすぐ、3分100円のコインシャワーの横の部屋で……。
西
西
僕は1階の11号室。コインシャワーを使ってましたが、表札に「青野」って書いてあった気がするんですよ。
青野
青野
そこにいましたから。1階の奥に洗濯機があったの覚えてます?
西
西
あった! アメフト部のヤツも緑荘には住んでて、彼らが使ったあとは、砂まみれで最悪なんですよね(笑)。今日ね、写真を持ってきたんです。
青野
青野
まじですか!

写真を見ながら思い出トークに花を咲かせるふたり

西
西
6畳1間の汚い部屋。押し入れの襖を取って、テレビとコンポを置いてました。狭いのによく友だちが転がり込んで寝てましたね。
青野
青野
僕は引きこもりなんで「緑荘」に友だちはいなくて、すれ違うだけでした。
西
西
僕はさみしんぼうで友だちを増やしたいタイプなので、大学1年時は中央環状線沿いにある民間の学生寮に住んでたんですが、2年からその学生寮の友だち3人と「緑荘」に引っ越してきたんです。
青野
青野
そうだったんですね。
西
西
青野さんは工学部で途中から吹田キャンパスに移ったのに、4年間「緑荘」にいたんですよね?
青野
青野
キャンパスから遠くなったけど、4年間「緑荘」にいました。居心地がよかったんでしょうね。安いし。

「Windows95」に未来を見た。日本中のチームの働き方が変わる!

西
西
大阪大学の工学部って、結構な割合で大学院に進むと思うんですが、青野さんはどうしてすぐに就職したんですか?
青野
青野
勉強がそんなに好きじゃなかった、というか早く社会に出たかったんですよ。もともとコンピューターオタクで、工学部に入ったけど、データベース理論を突き詰めたかったわけではなかったので。
西
西
それで松下電工に技術職で入社された。
青野
青野
入社して3年3ヶ月、球場にある大型のスコアボードを売る仕事をしていました。技術担当として営業といっしょに西宮球場とかに行くんですが、1台何億円もするんで、なかなか売れないんですよ。
西
西
僕らが就職した時代は、会社を辞めて起業するってことがいまほど盛んではなかったですよね。大企業に就職して、なんで辞められたんですか?
青野
青野
コンピューターオタク少年が松下電工に入って、PCを使えない人がいっぱいいるなあと思っていたその年に「Windows95」の誕生ですよ。
西
西
おお! そうだ!
青野
青野
瞬く間に広がって、みんなが指を震わせながら「青野くん教えて!」とPCを叩くようになった。そこにインターネットが入ってきて、アメリカのHPが見られる! Yahoo!で検索ができる! すごいことが起きている! と興奮しました。

青野 慶久 (あおの・よしひさ)。サイボウズ代表取締役社長。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年サイボウズを設立。著書に『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)、『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。』(PHP研究所)など

西
西
僕らが社会に出た95年前後は、まさにインターネット黎明期でしたよね。
青野
青野
1994年に誕生したアメリカのウェブブラウザ「ネットスケープ」の創業者は、1年後に大富豪になった。これはきたぞ、と。この技術は、いつか社内の情報共有でも使われる。そのツールを開発したら、僕も大富豪になれる! って未来が見えて。当時25、6歳だったので、半ば勢いで気づいたら会社を辞めてました。
西
西
インターネットの黎明期って、世界中とつながるってみんな意識が外に向いてましたよね。青野さんはどうして、いまサイボウズがやっている社内のコミュニケーションに目が向いたんですか?
青野
青野
僕はスコアボードの技術営業だけでなく、部門内のネットワークを管理する仕事もしていて、当時の松下には「イントラネット」という社内掲示板のようなものがあったんです。
西
西
イントラネット、懐かしい!
青野
青野
社内のネットワーク環境を整えることで、メンバーの働き方が変わっていくのを見るのがうれしかったんですよねえ。この技術はチームワークに貢献するって。
西
西
その頃から「チームの働き方」に関心があったんですね。
青野
青野
そうですね。それに当時の僕は下っ端なんで、営業先から電話を受けて、上司の予定をホワイトボードで確認して伝えるってことをしていて。「このホワイトボードを営業先に見せられれば、この仕事はなくなるのに」って思ったんです。
西
西
なるほど......! そこでひらめいたんですね!
青野
青野
探してもいいソフトがなかったんで、自分たちでつくって売ろうと。開発できたら、日本の企業にあるホワイトボードの数だけ売れるぞ、日本中のチームの働き方が変わるぞって。

「阪神淡路大震災」の現場で得た、自分の仕事の背骨

青野
青野
西さんは大学卒業後、どうして毎日放送に就職されたんですか?
西
西
マスコミに行きたかったんですが、僕もあまり勉強が好きじゃなかった……というか棒高跳びに夢中でね。就活でわざわざ東京に行くこともなく、なんとかマスコミに潜り込みたいという一心で、毎日放送のアナウンサー職に受かりました。

西 靖(にし・やすし)。1971年岡山県生まれ。毎日放送(MBS)アナウンサー。大阪大学法学部卒業後、1994年にMBS入社。情報エンターテインメント番組「ちちんぷいぷい」メインパーソナリティ(2006~2016年)、報道番組「VOICE」(2014~2019年)、「ミント!」(2019~2021年)のキャスターを務める。現在はMBSアナウンスセンター長、相愛大学客員教授

青野
青野
それで大阪大学法学部からアナウンサーに?
西
西
ただ、放送局の報道記者になりたいとは思っていましたが、アナウンサーで採用されるとは思ってなくて。春に入社してから秋ごろまで会社の地下のセミナー室でひたすら「あ・え・い・う・え・お・あ・お」とか練習するわけですけど、学生時代にアナウンスの勉強をしてないから下手くそでね。
青野
青野
さすがプロですね。声に張りがある! それにしても研修、長いですね。
西
西
報道部に配属されて火災現場のレポートをする同期を横目に、こんなとこにいないで早く現場に行きたいってずっと思っていました。いま思えば、下手くそかつ生意気なアナウンサーだったんです。

でね、1995年の入社1年目、青野さんが「Windows95」に魅せられていたときに僕にも転機がありました。阪神淡路大震災です。
青野
青野
忘れもしない1.17。あの日は僕も衝撃を受けました。会社のロッカーが倒れて、テレビをつけたら阪神高速が崩れていて、わけがわからない。
西
西
僕が初めてちゃんと経験した現場は、阪神淡路大震災だったんです。入社1年目の若造がね、「メディアには伝える使命がある」「これが僕のやりたかったことだ」と、しょーもない自己実現の欲求と青臭いドライブ感を持って現場に行くわけです。
青野
青野
前のめりですね。
西
西
そう。でもね、避難所の体育館でパジャマ姿で毛布にくるまってガタガタ震えている人のところに、スーツを来てライトを煌々とたいてカメラを向けて「なにか困りごとはないですか?」って取材に行っても、怒られるわけですよ。「あっち行って」とか言われて。使命感に燃えていたのが、ポキッと鼻を折られました。

そうなると今度は、体育館の床を歩いてギシって音がするだけで「ごめんなさい」って気持ちになるんです。
青野
青野
ああ。僕も当時ボランティアで神戸に入りましたが、辛かったです。
西
西
それから15年後に東日本大震災の現場も経験しましたが、「取材される側はいやだろうな」って気持ちをもてるかどうかの差は大きかったです。傲慢だった新人のうちに打ちのめされていてよかったなと。
青野
青野
貴重な経験だ……。
西
西
それからね、当時現場に行かないときは、ラジオのスタジオでひたすらライフライン情報を読み上げていたんですよ。その情報の中に、銭湯の無料開放のお知らせがあったんです。
青野
青野
自宅が崩壊した被災地の方はお風呂に入れないですもんね。
西
西
そうなんです。でね、震災の翌年、高校野球のアルプススタンドの取材をしていたときに、ひとりのおじいちゃんが声をかけてくれて。

あんたが西さんかい。震災のとき、ラジオでほれ、お風呂のこと言うてくれたやろ。あれでわし、1週間ぶりにお風呂に入れたんや。ありがとうな。ずっと伝えたいと思うてたんや」って伝えてくれたんです。
青野
青野
いやあああ……痺れますね。
西
西
号泣しました。いまでもこの話をすると涙が出てくる。
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青野
青野
そのおじいさんにとっては、銭湯の情報が輝いて見えたんでしょうね。
西
西
ものの価値って自分が勝手に決めることではないし、どんな仕事も尊い。現場に行くことがかっこいいと思っていた自分を恥じました。仕事のやりがいをどこに置くか、その答えを見つけたような手応えがあって。

あの経験がなければ、自己実現を追い求めてやりがいを失って、アナウンサーを辞めていたかもしれません。
青野
青野
太いバックボーンですね。

デジタルな価値観をアップデートし、フィジカルな価値観のバトンを渡す

青野
青野
それにしても感慨深いですね。同じ年に大阪大学を出て、働き始めてすぐ、時代の転換期にそれぞれ影響を受けて、30年。ふり返ってみると、自分の価値観も含めて、変化は大きかったと思います。
西
西
いま僕ら52歳でしょう。これからの50代はどう過ごします?
青野
青野
僕としては、ようやくおもしろい時代になってきたという感覚なんです。
西
西
ほう。
青野
青野
会社でグループウェアを使うことが当たり前になって、僕らが提供しているものがインフラになりつつある。いつどこにいても、チームで仕事ができて、より自由な働き方ができる。

1995年にこんな未来になると予測して、なかなか来なくて、やっと思い描いた社会になってきたな、と。
西
西
青野さんは30年前にこの未来を見ていたんですね。
青野
青野
インターネットを通じて誰もが情報を受発信できる時代、見えない権力に打ち負かされることなく、可視化された状態でおかしいと声を上げられる。企業でも社会でもチームワークが働くようになっているというか。僕はこういう時代を待っていたんです!
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西
西
おもしろい時代になってきたというのは僕も同感です。ただ、僕は情報を伝える現場にいる人として、誰もが発信できる時代に、取材する体力をどう維持するかっていう課題感をもっています。
青野
青野
取材する体力?
西
西
発信源は無数にある一方で、地道にひとつのテーマを追ったり、ものづくりをしたり、どうしても時間とお金がかかる世界がある。机の前でキーボードを叩くだけでは得られない情報や、フィジカルな体験をどう確保していくのか。
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青野
青野
なるほど。本当にそうですね。粘り強く現場で取材をしてくれた人たちがいるから、その情報を拡散できる。一次情報はAIにも書けないわけで。
西
西
誰かが粘り強く取材をしないと、いまネット上で巻き起こっている議論の起点が生まれないんですよね。
青野
青野
誰もが情報を拡散できるからこそ、これからの時代は一次情報を取材する力がより重要な意味をもつようになりますね。
西
西
50代になって、自分が現場に行く機会は減ってきました。それこそチームとして、放送局の若い世代に、取材が大事だよってバトンをどう渡すかを考えています。
青野
青野
これからの50代は、若い世代のデジタルな価値観に触れて自分をアップデートしながらも、培ってきたフィジカルな価値観のバトンを次世代にどう渡すかが肝になりそうですね。ますます、楽しみましょう!

企画・編集:深水麻初 執筆:徳瑠里香 撮影:高橋団

お二人の会話をもっと聞きたい方は、サイボウズ式YouTubeをチェック!

社長の引き継ぎ、どうする?「最強の青野を倒す人材」求む──三浦工業 宮内 大介×サイボウズ 青野 慶久
女性議員や子どもが増える街。改革の一歩は「政治は男社会」の先入観をなくすこと——武蔵野市長 松下玲子×サイボウズ 青野慶久

育休が不安なら「男性の時短勤務」がおすすめ。「休まなくていいからはよ帰れ」──MBSアナウンサー 西靖×サイボウズ 青野慶久

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同じ歳で、同じ大阪大学に通い、同じ下宿先で暮らしていた毎日放送(MBS)アナウンサー・西靖さんとサイボウズ代表の青野慶久。ふたりにはもうひとつの共通点があります。それは、3人の子どもがいる親として「男性育休」を取得したこと。

前編では、ふたりの30年のキャリアをふり返り、50代のあり方を考えました。後編では、それぞれの男性育休の経験から「誰もが育休をとりやすい組織をどうつくるのか」をテーマに対談しました。

キャリアへの不安から「おそるおそる育休」そして自信喪失

青野
青野
西さんのところは、いまお子さんが……?
西
西
2歳、5歳、7歳です。
青野
青野
大変なときですね。うちも構成が似ていて、2歳差、3歳差の3人きょうだいです。

青野 慶久 (あおの・よしひさ)。サイボウズ代表取締役社長。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年サイボウズを設立。著書に『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)、『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。』(PHP研究所)など

西
西
青野さんが最初に育休をとったのはいつですか?
青野
青野
長男が生まれた2010年の夏ですね。
西
西
早いですねえ。周りに男性育休を取得している人、いなかったでしょう? 先見の明がある。
青野
青野
僕も昭和生まれなんで、育休に関しては先見の明があったわけじゃなく、「男性が育休?」って感じでした。まさにこの本のタイトルのまんま、『おそるおそる育休』でしたよ。ご著書、共感することも多く、すごくおもしろかったです!

西さんの著書『おそるおそる育休』。2021年に3人目の子どもが生まれ育休を取得した西さんのリアルな体験が綴られている

西
西
付箋がたくさん! ありがとうございます。
青野
青野
西さんは2023年、3人目のお子さんが生まれて育休をとったんですよね。
西
西
はい。育休をとった理由はいくつかあるんですけど、大きいのは「たまたま暇な時期だった」ってことですね。情報番組「ちちんぷいぷい」や報道番組「VOICE」など、ずっと月~金の帯番組を担当していたんですが、三男が生まれる少し前にそれが終わってしまった。つまりキャリア的にもとりやすいタイミングだったんです。

西 靖(にし・やすし)。1971年岡山県生まれ。毎日放送(MBS)アナウンサー。大阪大学法学部卒業後、1994年にMBS入社。情報エンターテインメント番組「ちちんぷいぷい」メインパーソナリティ(2006~2016年)、報道番組「VOICE」(2014~2019年)、「ミント!」(2019~2021年)のキャスターを務める。現在はMBSアナウンスセンター長、相愛大学客員教授

西
西
あとは正直、アナウンサーという人前に出る仕事をしている立場で男性育休をとることが、社会的なメッセージになるのでは? という想いもありましたね。
青野
青野
僕も文京区長に「育休とったらメディアが取材に来て、会社の宣伝になるよ」って言われて(笑)。社会的波及効果への期待がなかったらとってないと思います。とはいえ正直、めちゃくちゃびびってました。
西
西
会社の社長であり、バリバリのスタートアップで働き盛りの30代でしょう? 僕以上に「おそるおそる育休」でしたよね。
青野
青野
最初の育休はたったの2週間で、もはや夏休みレベルなんですが(笑)。それでも2週間後に会社に戻ったら僕の席がなかったらどうしようって怖かった。社長なのに。自分で思い返してもアホだなって思うんですけど、会社を離れる概念がなかったんで。
西
西
離れてみてどうでした?
青野
青野
もうね、2週間後には自信喪失ですよ。育休をとる前は「多少は仕事できるだろう」「なんなら読書もしたいな」なんて思ってたけど、とんでもない。実際は自分の睡眠すら十分に確保できない。離乳食を食べさせるのに毎日必死で。
西
西
うんうん、わかります……!
青野
青野
その間もね、グループウェアから会社の情報が入ってくるんですよ。トラブルが起きてるのに、自分はなにも貢献できない。かといって、育児も上手にできない。完全に自信を失いました。あんなに落ち込んだことはないんじゃないかなあ。
西
西
それでも2人目も、3人目も育休をとられたわけですよね。
青野
青野
育児に向き合う孤独感や大変さが身に染みたので、妻ひとりだけに任せることではないと思ったんですよね。それに育児を経験したからこそ、なぜ日本で少子化が起きているのかも腹落ちした。でもやっぱり育休をとるうえでキャリアの不安はあったし、勇気は必要でした。

職場を離れる不安を解消する「男性の時短勤務」のススメ

西
西
育休で職場を離れるのって不安じゃないですか。なにか工夫されたことはあります?
青野
青野
2人目のときは、毎週水曜日に休むのを半年間つづけたんですよ。僕が土日と水曜の子育てを担当すれば、妻も週3日は休めるので、精神的にストレスが溜まりにくい。
西
西
メンタルのサポート、本当に大事ですよね……。
青野
青野
3人目のときは、妻に「わたしが赤ちゃんを見るから、上の子2人を見て!」と言われたんで、朝保育園に2人を送って、16時に退社して、16時半にお迎えに行くっていうのを半年間つづけたんです。社長が一番に「お先に失礼します!」って帰ると。
西
西
社長が最初に退社する会社!
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青野
青野
育休で職場を離れるのが不安な男性におすすめなのは、時短勤務ですね。「休まなくていいからはよ帰れ」っていう。とくに2人目、3人目のときは相当いい。
西
西
ほう、どうしてですか?
青野
青野
たとえば3ヶ月育休をとったとして、その間は子どもたちが健康で、育休後に病気になったらなんの役にも立たないですよね。それよりも、時短勤務を長くつづけるほうが、夫婦で役割分担しやすいと思います。
西
西
たしかに! うちの会社にも女性の時短勤務はいますが、男性の時短勤務はほとんどいないですね。
青野
青野
男性側としてもキャリアに空白ができないので、ハードルが低いと思うんですよ。会社の人たちと毎日会えるから孤立もしないし、情報もキャッチアップできるし。
西
西
育休で新生児と向き合う時間は、女性だけでなく男性も孤立しますよね。痛感しました。
青野
青野
育児から離れる時間も大事ですよね。その点においても、時短勤務はバランスがいい。「男性の時短勤務」は妻の発明だと思いますね。
西
西
なるほど、その発想はなかったなあ。

ぶつかり合って、子育ての修羅場をともに乗り越えた妻は戦友

青野
青野
育休で大事なのは、ふたりで育児を分担することで、精神的なストレスをいかに軽減するかですよね。どちらかひとりで育児に向き合っていたら、おかしくなっちゃうんで。仕事でも、美容院でも温泉でも、息抜きできる時間を確保する。
西
西
僕が育休をとることの一番の意義は、育児を中心に担う妻の精神的なサポートにあったと思います。
青野
青野
ほんとに。育休は家庭平和につながるんですよ。奥さまとのパートナーシップは、育休前後で変化しました?
西
西
僕ね、育休中、めっちゃ喧嘩したんですよ。
青野
青野
はいはい。
西
西
基本おたがいに睡眠不足なので、ささいなことで水掛論になっちゃう。「もう俺がやるよ」「なにその言い方?」「いや、俺がやるほうが早いやん」「わたしができてないってことね」「そんな言い方してない」「してたやん」みたいな(笑)。
青野
青野
うわあ、わかる! すごいわかる!

夫婦喧嘩のきっかけなんてね、しょうもないことなんですよ……トホホ

西
西
大人が2人いて、思い通りにいかないことが目の前で起きつづけたら、そりゃ喧嘩するよねっていう話で。育休後はね、毎日僕が朝ごはんをつくっているんですが、任せてもらえることも増えて、水掛論も減って、なんかね、しっくりきている感じがあります。
青野
青野
期待を込めて言うと、もっとしっくりきますよ。だんだん間合いのとり方がおたがいにわかってくる。
西
西
僕ね、男性育休の家庭への効能として、熟年離婚の防止になると思ってるんですよ。育児という逃げ場のないところで「ぶつかり上手」になっておくと、熟年で2人だけになったときに、変に正面からぶつかってこじれたりしにくいんじゃないかと。
青野
青野
わかります! 妻は戦友ですよ、いっしょに子育てという修羅場を乗り越えた。
西
西
戦友とは戦場では怒鳴り合うんですけど、乗り切ったら肩をくめるし、振り返ってがんばったなあと労り合えるんですよね。
青野
青野
うちも「あのとき大変だったよね」って思い出すだけで、何時間でも語れますね。

“替えが効かない存在”であるからこそ、不在をチームで守る

西
西
今日ね、組織の育休取得という点で青野さんに聞きたいことがあって。僕らアナウンサーは、余人をもって代えがたい存在になりたいと思って仕事をしているんです。「このナレーションを西にやらせたい」と言ってもらいたい。
青野
青野
そうですよね。
西
西
僕はいま管理職として、どのアナウンサーにどんな仕事をしてもらうかを決める立場にありますが、「この仕事をこの人にお願いしたい」って瞬間が、僕にも番組にもあるわけです。働く側にしても、誰でもいいからやってよ、という仕事よりは、あなたに頼みたいんだと言われたほうがモチベーションは格段に高い。働きやすい環境をつくって育休取得を勧めていくうえで、仕事の属人化にどう折り合いをつけていけばいいのか……。
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青野
青野
めっちゃ悩ましい! 実はサイボウズも、営業部だけは属人化が残りやすい部署だったんですよ。この人がいるから、このお客さんが使ってくれるという。でも個別にお客さんに対応していると営業部だけどうしても残業が多くて、ついには異動したいというメンバーも出てきた。
西
西
働きやすいと思ってサイボウズに入社してたのに、思ってたのと違うぞと。
青野
青野
まさに。そこで営業部は、個人ではなく、チームでお客さんを担当する体制に変更しました。自分のお客さんを手放すことなく、自分が不在でもチームで対応ができるように。いまでは残業も減って、子育て中のメンバーも女性も多いですね。
西
西
なるほどなあ。個人を尊重しながらも、チームで補う。後につづく世代に「君の代わりがいくらでもいるわけじゃない。君は君だ。でも君が留守する間は僕らが守るよ」ってことを、どう伝えられるかですね。
青野
青野
優しく頼もしいメッセージですね。
西
西
今度、育休から職場復帰する女性がいるんです。子どもが小さいうちは熱を出したりいろいろあるじゃないですか。だからこれまでは、そうした家庭の事情に対応しやすいようにと、育休復帰後の女性アナウンサーには1年間くらいはレギュラー番組をつけないっていうのがうちの会社では普通だったんです。でも彼女は「できれば復帰後、なにかレギュラー番組を任せてほしい」と言ってくれたんです。
青野
青野
いいですねえ。
西
西
「育休後は大変だからレギュラー番組はつけない」と、こちらが決めつけないってことが重要な気がしています。時短勤務の人がいてもいいし、フルでレギュラー番組を担当する人がいてもいい。サイボウズが提唱している「100人100通りの働き方」に近いかも。
青野
青野
それって、子育て世代だけでなく、あらゆる人が働きやすい組織をつくることにつながりますからね。

誰もが育休をとりやすい組織をつくるために

西
西
誰もが育休をとりやすい組織をつくるという視点では、今日はひとつ「男性の時短勤務」というヒントをいただきました。
青野
青野
西さんのような管理職の人が率先してとってくれると、仕事をある程度任せないといけないので、下の世代の育成にもつながると思います。僕が時短勤務を半年やったときに、メンバーがいきいきしてたんですよ。16時以降、僕に代わって社長業ができるので。
西
西
社長は決断する機会も多いと思うんですが、リスクはなかったですか?
青野
青野
多少リスクはありますけど、もしその決断によって手戻りが発生したとしても、翌日に対話をして回収できるし、実際になんとかなりました。復帰したらメンバーに「時短勤務のままでいてほしかった」って言われましたから(笑)。
西
西
まじですか!(笑)
青野
青野
僕が時短勤務なので「重要な会議は16時までに入れる」っていうのが定着したんです。すると、ほかの時短勤務のメンバーも会議に参加できるようになったんですよ。僕がフルタイムだった頃は、平気で18時以降にミーティングを入れちゃっていたので。
西
西
育休をとってから、重要な会議が18時をまたがないことの重要性が身に染みてわかりますね。

「今日は晩御飯に梅干しを買ってきて」と妻に頼まれたのに、買っていけないことが、どれだけ妻のメンタルに、ひいては家庭平和に影響を及ぼすか……(遠い目)

青野
青野
ほかにも、僕自身に変化があって。育休をとる前は「社長である僕じゃなきゃいけない」と勝手に背負い込んでいたんですよ。でも、僕が会社を離れている間になんとかしてくれたメンバーがいて、チームへの信頼が湧くと同時に、気負いを少しずつ手放せた。
西
西
自分の仕事を任せられる人がいるってことは支えになるし、寂しいっていうより、楽になりますよね。
青野
青野
まさに。アナウンサーは属人化が強い職業だと思いますが、番組で「今日は担当の○○アナは子どもの熱で早退したため、わたしが代わりに担当します」とかあってもいいと思うんですよ。
西
西
それね、実は社内で提案したことあるんです。うちの夕方の番組は15時半過ぎから19時までで長いんで、保育園のお迎えがあるアナウンサーは17時までとかにしたらいいんじゃないかって。
青野
青野
めちゃくちゃいいですね! いまの時代、好感度と視聴率が上がると思います。
西
西
働きやすさを示すリクルート戦略にもなりますよね。
青野
青野
男性も「いまから子どものお迎えなのでお先に失礼します」とか番組で言ったら、めちゃくちゃかっこいい! その番組を観られる日を楽しみにしています。
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企画・編集:深水麻初 執筆:徳瑠里香 撮影:高橋団

お二人の会話をもっと聞きたい方は、サイボウズ式YouTubeをチェック!

50代突入。これからどう生きる? 大阪大学、同じ下宿先から歩んだ30年とキャリア選択──MBSアナウンサー 西靖×サイボウズ 青野慶久
大事な商談の日なのに、保育園に預けられない──両親の代わりに営業チームで子守をした話
すみません、育休前は「早く帰れて、楽でいいじゃん」って思ってました

「経営者目線を持て」と言われて、腹が立った話──この厄介な言葉と、どう向き合うべきか

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サイボウズ式の人気シリーズ「ブロガーズ・コラム」。このシリーズでは、ブロガーのみなさんの体験談をもとに、新しいチームワークや働き方について考えます。

今回は、日野瑛太郎さんに「仕事の視座を上げる前に考えたいこと」についてコラムを執筆いただきました。

会社で働いていると、えらい人から受けがちなアドバイスに「経営者目線を持って仕事をしよう」というものがあります。

言葉にはいくつかバリエーションがあり、「経営視点を持って仕事しよう」とか「視座を上げて働こう」とか色々言われますが、基本的にはすべて同じことを意味しているのだと思われます。要は、ひとりの従業員としての立場を離れて、高い視点から自分の仕事を捉えつつ働こうというアドバイスです。

僕も新卒で入った会社で、事業部長から「もっと経営者目線を持って仕事をしたほうがいいよ」と言われたことがあります。当時はまだ社会人2年目ぐらいでしたが、正直あまりピンと来るアドバイスではありませんでした。もっとはっきり言ってしまうと、こういったアドバイスを受けて、僕は猛烈に腹が立ちました。

僕たち従業員が経営者目線を持って仕事をしたところで、待遇が経営者並みになるわけではないし、本当の意味で経営に関与できるわけでもない。なんだかものすごくズルいことを言われている気がする──当時の僕は、そう考えたのです。

あれから10年以上が経ちました。当時、僕がこの言葉に対して抱いた反感は、いまでも部分的には正しかったと思っています。「経営者目線を持って仕事をしよう」というアドバイスには、やはりどこかにズルさが潜んでいることは否定できません。

その一方で、自分のやっている仕事を俯瞰してみる、つまり視座を上げつつ働くこと自体には、良い面も少なからずあるとも思うようになりました。捉え方や実践の方法さえ間違えなければ、視座を上げて仕事をすることは、実は働く個人にとっても大きな利益をもたらします。当時、社会人になりたてだった僕は、まだこのことがわかっていませんでした。

そこで今回のコラムでは、「経営者目線を持って働くこと」の意味について、良い面と悪い面の両方から、あらためて考えてみたいと思います。当時の僕のように、このアドバイスを受けてもやもやしている人がいるとしたら、参考にしてもらえたら嬉しいです。

「経営者目線を持て」という言葉の裏にあるズルさ

まず、「経営者目線を持て」という言葉をなぜ僕はズルいと思うのか、その点を少し整理してみます。

僕がこの言葉をズルいと思う最大の理由は、それがあまりにも経営者にとって都合が良すぎる言葉だからです。

基本的に、経営者と従業員は立場がまったく異なります。経営者は仕事の指示を出して給料を払う側であり、従業員は労務を提供して給料を受け取る側です。会社の規模がどうであろうと、仕事の内容が何であろうと、「雇用する側と、される側」という立場は変わらないはずです。

そしてこの関係に立って考える限り、経営者の利益と従業員の利益は、多くの部分で相反します。たとえば、経営者から見れば従業員には安い給料で多くの仕事をしてもらったほうがいいですし、有給だってできるだけ取ってもらわないほうがいいでしょう。一方で、従業員から見れば給料は高いほうがいいでしょうし、有給だってたくさん取得したいはずです。

このような状況下で、仮に従業員が「経営者目線」を愚直に実行してしまうと、どうなるでしょうか。会社のためを考えて、安い給料でも文句を言わずに働こうとか、有給を取るのはできるだけ我慢しようとか、そういった考えを是認することになりかねません。

さすがにそれは極論だと思う人がいるかもしれませんが、現実に「経営者目線」で考えた結果、本来であれば行使できるはずの従業員の権利を放棄してしまう人は少なからずいます。

僕が新卒で入った会社でも、有給が使用しきれずに消えることを勲章のように語る人や、働いた分だけの残業代をもらっていないことを誇らしげに語る人が大勢いました。彼らはみんな、例外なく仕事の目線は高かったと思います。高すぎて、自分が従業員として行使できる権利があることをすっかり忘れているように見えました。

このように、「経営者目線」という言葉は、低待遇で従業員から高いコミットメントを引き出すために​​便利に使われてしまうことがあるのです。実際、ブラック企業ほど従業員に経営者目線を求めがちです。

なので、もしえらい人から「経営者目線を持って仕事をしよう」と言われたら、アンフェアな取引を持ちかけられているのではないかと、一度は警戒してみるぐらいの心構えはあったほうがいいと思います。

このように「経営者目線」という言葉は厄介な言葉なのです。

それでも仕事の視座は上げたほうがいい理由

一方で、経営者目線を持って仕事をすることがすべて会社から搾取されることにつながるのかというと、そういうわけでもありません。

僕自身、視座を上げつつ働くことの利点に気づいたことがありました。それは新卒で入った会社を辞めて、社員数5名程度の小さなスタートアップで働き始めた時のことです。ここまで会社の規模が小さくなると、社員は全員、嫌でも視座を上げて働かざるをえなくなります。すると、新卒の時には見えていなかった、視座を上げて働く利点が少しずつわかるようになってきました。

従業員の利益や権利を放棄するような形で発揮される経営者目線は問題ですが、それ以外の面では、むしろ経営者目線を持って仕事をすることは、個人にとってプラスの効果をもたらします。

では仕事の視座を上げると、どのような良いことがあるのでしょうか。

まず挙げられるのは、そのほうが面白く働ける場合が多いということです。これはものすごく単純に思えますが、極めて重要です。人生のなかで仕事に費やす時間は少なくないですから、どうせなら面白いほうがいいに決まっています。

個人の仕事は、ほとんどが会社全体が扱っている仕事のほんの一部分です。まともな会社であれば、大抵は会社全体の戦略のようなものがあって、個々人の仕事はそのどこかに位置づけられます。それを知って働くのと知らないで働くのとでは、仕事から感じられる面白さに大きな差が出ます。

たとえば、ある会議に出席して議事録をひとつ取るにしても、単に会議の内容をテキストに起こす仕事だと捉えてしまうと、その仕事を面白いと思える要素はほぼないと思います。

一方で、その会議が会社全体にとってどういう位置づけの会議なのかを把握したうえで議事録を取るなら、そこでされた議論がどう会社の戦略に影響するのか、自分なりに考えられるようになるでしょう。

さらにその戦略と自分のいまの仕事との関わりが把握できれば、議論の内容にも自然と興味が出るでしょうから、単純なテキスト起こしと考えるよりも面白く働けるかもしれません。

また、そのように視座を上げて仕事ができると、単に面白いというだけでなく、結果的に仕事の質も上がることも少なくありません。

さきほどの議事録の例でいえば、視座を上げて考えることで、議事録を起こす際の情報の取捨選択の精度が上がるといったことが考えられます。また、仮にその会議が大局的な視点から見てあまり意味のない会議だったとすれば、「そもそもこの会議、要ります?」といったような、踏み込んだ提案だってできるかもしれません。

個人が日々の仕事を面白くすることや、仕事の質を上げることは、従業員と会社の双方にとって良いことです。こういった目的で経営者目線を持つのであれば、反対する理由は何もありません。

キャリアプランは、視座を上げないと見えてこない

さらに、仕事の視座を上げることで、初めて把握できることもあります。それは自分の労働市場における市場価値です。これは個人がキャリアプランを描く際には、必ず知っておかなければならないものです。

市場価値というのは結局のところ、雇う側がその労働力に対して、いくらまでなら払っても良いと考えるかによって決まります。つまり、経営者目線によって決定されるのです。

自分のいまの仕事が、客観的に見て高く売れる仕事なのか、あるいは買い叩かれてもおかしくないぐらいありふれた仕事なのかは、自分を守るためにも知っておいたほうがいいと言えるでしょう。

つまり、個人にとっての良いキャリアプランを描く際にも、経営者目線に立って考えることは役に立つというわけです。

もっと言うと、この場合の視座は、ひとつの会社の経営者よりもさらに上、社会全体という視点に立って考えられるとなお良いと思います。その場合は、もはや経営者目線とは言わないかもしれませんが、視座を上げることが個人の役に立つという点では同じです。

「自分のために」経営者目線を持って仕事をする

ここまで述べてきたように、経営者目線を持って仕事をすることには、会社から搾取されることにつながりかねない危険な側面と、働く個人にとっても利益となる側面の両面があります。ではこのふたつの面と、個人はどう向き合っていくべきなのでしょうか。

まず、個人と会社の利害が対立する部分では、自分はあくまで「労務を提供して給料を受け取る、従業員である」ことを忘れないようにすることが大切です。とくに「経営者目線」という言葉でなんらかの権利が侵害されそうな場面では、立ち止まって「おかしいのでは?」と考える勇気を持ってもらいたいと思います。

一方で、個人と会社の利害が一致する部分では、しっかりと視座を上げて働くことも大切です。具体的には、日々の仕事に取り組む際には、基本的には視座を高く持ったほうが仕事も面白くなりますし、いい仕事ができる割合も増えるでしょう。そういった部分では、個人と会社は互いに協力ができます。

以上を一言でまとめるなら、「自分のために」経営者目線を持って仕事をしようということになると思います。それが結果的に、会社のためにもチームのためにもなるはずだと、いまの僕は信じています。

思えば、新卒の頃の僕は、ここまでは考えることができていませんでした。警戒感だけが先立って、仕事で視座を上げることを全面的に拒否していたような気がします。もしかしたら、それで個人的に損をしていたこともあるかもしれません。

みなさんが同じ轍を踏まないように、うまくこの言葉と付き合っていけることを祈っています。

執筆:日野瑛太郎/イラスト:マツナガエイコ/企画・編集:神保麻希(サイボウズ)
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「自律って言うほど簡単じゃない?」サイボウズ人事「社員のキャリア」の悩みを武石恵美子教授にぶつけてみた

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サイボウズでは、「100人いたら100通りの働き方」があってよい、という考え方のもと、働き方に関するさまざまな取り組みをしてきました。

キャリアについても、「会社が決める」のではなく、それぞれのステップに合わせて「自分で選択する」自律性を大切にしています。

しかし、キャリアに関するアンケートを取ったところ、社員の2人に1人が「キャリアについて困っている」という結果となりました。

「今後、人事としてどのような支援をしていけばいいのか」──そこで、社員のキャリア自律と組織のあり方について、法政大学キャリアデザイン学部教授の武石惠美子先生に、サイボウズ人事の石川憂季が悩みをぶつけました。

石川 憂季
石川 憂季
サイボウズでは2023年秋にキャリアに関するアンケートを実施しました。サイボウズの社員は1000人ほど。約600人が回答しました。

そのうち300人強が「キャリアについて困っている」と答えたんです。

「何について困っているのか?」を聞くと、「ロールモデルがいない」「そもそも、キャリアの考え方がわからない」など、根本的なところで悩んでいることがわかりました。

数字も内容も、わたしにとっては衝撃でした。
武石 恵美子
武石 恵美子
衝撃を受けたのは、「サイボウズだから、もうちょっと自律しているだろう」って思われたんだろうと思いますが……。
武石恵美子さん

武石恵美子(たけいし・えみこ)。 法政大学 キャリアデザイン学部教授。博士(社会科学)。筑波大学第二学群人間学類卒業後、労働省(現 厚生労働省)、ニッセイ基礎研究所、東京大学社会科学研究所助教授等を経て、2006年4月より法政大学に。著書に『キャリア開発論〈第2版〉: 自律性と多様性に向き合う』(中央経済社)など

武石 恵美子
武石 恵美子
まず、自身のキャリアに対して「不安だ」という気持ちを抱くのは、当たり前だと思うんです。いまのような、先が見えない時代の中では、余計に。

逆に、不安じゃなかったら能天気すぎます(笑)

なので、取り立てて「課題だ」と思わなくていいんじゃないかと思います。
石川 憂季
石川 憂季
そう言っていただけると、少しホッとしました。
武石 恵美子
武石 恵美子
とはいえ、「じゃあ、何から考えればいいか」となりますよね。

自律とは「選択できる」ことだけなのか?

石川 憂季
石川 憂季
これまでサイボウズでは、自律性として「自分で選択する」ことを大切にしてきました。そこで、選択肢をいっぱい用意してきたんですけど、アンケート結果から「選択肢はあるけど、選べない」みたいな状況なのかな、と。
石川憂季

石川憂季(いしかわ・ゆうき)。2016年4月、大手建設会社に総合職として新卒入社。本社の人事部、財務部を経験したのち、2020年5月にサイボウズに人事として入社。採用業務を中心に、キャリアコンサルタントの資格を生かして、キャリア支援の制度企画や人事制度を社外に発信するなど、広報業務もおこなっている

石川 憂季
石川 憂季
また、自分で選ぶと「自分の選べる範囲でしか選べない」というか。「この中から選ぶことが、その人にとって本当に幸せなことなのか」といった課題もあります。

場合によっては、人に選んでもらうから、開ける可能性もありますよね。そのバランスを、どう取ればいいのかな? というところで悩んでいます。
武石 恵美子
武石 恵美子
キャリア自律の一番ピュアな定義は、「自分で選んで、理想に向かって努力をしながら、その道を切り拓いていく」だと思います。

けれども、それができる人って、ごくごくわずかですよね。

特に、日本はジョブ型ではないので、「キャリアを選ぶ」という場面が少なかったこともあります。
石川 憂季
石川 憂季
「選択できる個人」を、組織として支援していく仕組みをどう作るか? を考えなきゃな……と思ってるところです。

「日本的な自律」を再定義する

武石 恵美子
武石 恵美子
わたし、「日本的な自律って、何かな?」と考えた時に、広義な意味での「納得性」だと思っていて。
納得性について語る武石さん
石川 憂季
石川 憂季
納得性……ですか?
武石 恵美子
武石 恵美子
たとえば、転勤でも何でもいいですけど、上司から「あそこへ行け!」と言われたものに対して、いままでは嫌と言えずに、しぶしぶ従っていましたよね。

この「有無も言わさず」というのが、非常につらい状況にあったわけです。

でも、「行け」と言われた時に、「なぜ、そこ行かなきゃいけないのか?」「そこで、自分は何を期待されてるのか?」といったことを、ちゃんと説明してもらう。

そして、「なるほど。そういうことなら行きましょう!」となっていたら、それは1つの自律だと思うんです。
石川 憂季
石川 憂季
つまり、自分で選ぶことばかりが自律とは限らない、ということですね。
武石 恵美子
武石 恵美子
人に言われたことでも、自分の中で消化し、納得して一歩踏み出せたら、それは自律のひとつの姿だと思います。そういうものが、日本の仕組みの中での、自律のあり方なんじゃないかと思っています。
石川 憂季
石川 憂季
そういえば、先ほどのアンケートでも、約600人のうち7割ぐらいが、「周囲からの提案が欲しい」「納得できれば、そこに挑戦したい」と回答していた社員がいました。

本当に支援したいのは「声をあげられない人」

石川 憂季
石川 憂季
ただ、提案するにも技術が必要そうです。いままでサイボウズでは「自律が大事」とか「自分で選択する」みたいなところを大事にしてきました。なので、提案する技術は人によってまちまちで。

また、提案したくても「何に悩んでいるのか見えにくい」ことも課題です。ここ数年で、社員が急激に増えたこともありますし、コロナ禍によってリモート環境で働くことが当たり前になったこともあります。
武石 恵美子
武石 恵美子
「家庭内で困ってること」とか、「いま、こんなことに興味持っている」みたいな、仕事と関係ない話は、ますます話しにくくなっていますよね。
石川 憂季
石川 憂季
そうなんです。ミーティングやマネジャーとの1on1も、予定を入れて話すから話す内容が決まってしまって、偶発的な話がしにくい状況があるなと思っていて。
「声をあげられない人」について語る石川
武石 恵美子
武石 恵美子
興味深い悩みですよね。「それを言うのはちょっと恥ずかしい……」というようなことも、あるのかもしれませんね。
石川 憂季
石川 憂季
わたしはキャリアコンサルタントの資格を持っています。キャリアの相談窓口として、社員から「相談したいんですけど……」と言われたら、相談にのりたい。でも、声をあげてくれないと助けられない。

本当に支援したいのは、そういった声をあげれない人や制度を使えない人なんです。じゃないと、動ける人と動けない人で、すごい差が出ちゃうので。
武石 恵美子
武石 恵美子
キャリア研修はやっていないんですか?
石川 憂季
石川 憂季
毎年9月に「キャリアを考える月間」というキャンペーンを打って、毎週研修をやっています。ただ、いつも同じ顔ぶれになっちゃうんです。

本当は、出てこない人ほど支援したいんですけど、自律を大切にしている分、強制的な研修はなかなかできなくて……。
武石 恵美子
武石 恵美子
強制しちゃうと反発が来るのかな?
石川 憂季
石川 憂季
そうですね。社内炎上する危険がありますね(笑)
武石 恵美子
武石 恵美子
反発や炎上があってもいいじゃないですか! やってみたら?(笑)
行動を促す武石さん

個別最適が進んだ結果、出てきた「全体最適の問題」

石川 憂季
石川 憂季
キャリア自律には、もう1つの課題があります。社員一人ひとりの個別の最適化が進んだ結果、会社全体の最適化が弱くなってきたことです。

いままでは「100人100通りの働き方」を掲げてきました。そのために「人事は選択肢を用意するから、あとは好きなように選んでね」というコミュニケーションが多かったんです。
武石 恵美子
武石 恵美子
「100人100通り」という言葉をはじめてお聞きした時、「すごく魅力的だな」と思いました。
石川 憂季
石川 憂季
その結果、個別の最適化は進みました。たとえば、社員の可能性を広げ、業務とのミスマッチを減らす「大人の体験入部」という制度があります。

ただ、個人の「やりたい」を優先して異動や役割変更を行なうと、「いまはA部署に人員が必要だから、現在の部署から異動してほしい」のように、事業の変化に合わせて組織を戦略的に変えることが難しくなります。

実際、いま組織として「みんなで事業を盛り上げていこうよ」「もっと製品を世の中に広めていこうよ」という方向にベクトルを動かしていきたいのですが、個人の幸福と戦略的な組織運営との間には、バランスが必要だな、と。

キャリア自律には、マネジャーの力量が必要

武石 恵美子
武石 恵美子
それでは「自分がやっていることが、組織のどこに結びついているか考えさせる」といったことはやっていますか?
石川 憂季
石川 憂季
マネジャーによって、そういったコミュニケーションができている人と、できていない人に差がありますね。
武石 恵美子
武石 恵美子
キャリア自律には、上司の力量も必要ですよね。

組織として「我が社は何のために活動しているんだ?」ということが大切なのに、「うちの会社は、わがままが言える会社だから……」のように、間違ったメッセージを伝えているとしたらまずいです。

「自律」と「自由放任」は違います。そこを履き違えちゃうと、ただの「みんながわがままを言って、居心地だけがいい会社」になってしまいます
石川 憂季
石川 憂季
マネジャー自身が、いままでそういったコミュニケーションを受けてきてないから、どう支援すればいいのかわからない問題もあります。
課題について語る石川
武石 恵美子
武石 恵美子
でも、その状況でマネジメントをやってはダメですよね。それは、マネジャーとしての役割の半分ぐらいを放棄していることになります。

マネジャーも専門職だと思います。「キャリア支援ができる」とか、「育成ができる」といった能力をマネジメント力として位置付けて、評価できる仕組みが必要ですよね。
石川 憂季
石川 憂季
現状、社員の目標設定も任意になっていて、人事が確認できるわけではありません。誰がちゃんと支援されていて、誰がそうじゃないか? みたいな仕組みは考えたいと思っています。

ただ、ルールを作って、つまんない会社にはしたくなくて。ワクワクみんなで働けるみたいなところは大事にしたいですね。
武石 恵美子
武石 恵美子
サイボウズさんは、すごく自由な雰囲気とか多様な働き方に寄与してきた施策がたくさんあったんだと思います。

それをうまく生かしながら、全体最適につながる仕組みがあるといいですね。

キャリアは「いま」が起点じゃない

石川 憂季
石川 憂季
個人の選択と、会社の方向性をうまくつなげられたらいいですよね。
武石 恵美子
武石 恵美子
キャリアって、ワクワク感だけではないと思うんです。「あっち行くと大変そうだから、ここでいいや」と選択していくと、どんどん自由放任で、成長しなくていい人になっていきます。

キャリアは、未来につながっていくものですし、選択にも責任が伴います。自分に対する責任もあるし、組織に対する責任もあるし。

「いま辛いけど、ここを頑張ると成長できる」とか、「これによって、自分がどう変われるか?」みたいに、未来のキャリアとどうつながっていくかを考えられることが大事だと思います。
未来のキャリアについて語る武石さん
石川 憂季
石川 憂季
そうですね。
武石 恵美子
武石 恵美子
また、キャリアの起点って、時間軸で考えると「いま」じゃないんですよね。キャリアは過去から繋がっているものでもあります。「いままで、何をしてきたか」っていうところの延長に、これからを考える。それが一番考えやすいですよね。

「あなたはどんな時に頑張れましたか?」とかね。

未来に対して、いまこの場で「選べ」と言われても、なかなか選べないかもしれませんが、過去には、いろんな分かれ道があったはず。

「あの時わたし、何を大事にして選んだかな」みたいな「選択した理由」を振り返ることは、すごく大事なことなんじゃないかなと思います。
石川 憂季
石川 憂季
「選択する力をどう身につけていくか?」みたいなことですかね?
武石 恵美子
武石 恵美子
そうですね。いろんな偶然があったとき、「これは自分にとって大事か?」と思えるかどうかですよね。「これは捨てていいけど、これはなんか気になる」というように。

その「気になる」っていう感度を、いかに上げていくか? というところだと思うんですよ。

その感度と、組織をちゃんと結びつけて、「わたしがいまやっているこのことって、うちの会社のどこに役立つのかな?」を考えてもらう仕掛けが必要ですよね。
キャリアの時間軸について語る武石さん

自分ごととして、仕事をどうとらえ直すか?

石川 憂季
石川 憂季
コミュニケーションを取り、本人の納得感を得ながら、自身のキャリアと、会社の方向性をつなげていく仕組みが必要そうです。
武石 恵美子
武石 恵美子
「5年、10年後どうしたいか?」を考える。つまり、自分ごととして、仕事をもう1回捉え直す機会が必要なんじゃないかと思います。キャリア研修って、そういうことですよね。

わたし、伝統的な会社で働いている人が、最高に自律していたときって就活のときだと思っていて。
石川 憂季
石川 憂季
就活のときが……ですか?
武石 恵美子
武石 恵美子
就活のときに自己分析をしたり、業界研究をしたりするじゃないですか。学生だから限界はありますけど、それなりに、自分を振り返る機会になります。

転職しようとすると、職務経歴書とか書きますけど、転職もしないでずっと会社にいると、そういう節目がないまま過ごしてきているので、改めて、自分と向き合うことがありません
石川 憂季
石川 憂季
自分と向き合う機会が必要だ、と。
武石 恵美子
武石 恵美子
たとえば、3年に1回「あなたはこれから転職すると思って、職務経歴書を書いてみなさい」とか、「どこで勝負できると思うか、強みを考えてみましょう」とか、そういうワークショップをやるっていうのは、1つあるかなと思いますね。
石川 憂季
石川 憂季
自分で「好きなタイミングで考えて」って言ったら後回しにしますもんね(笑)
武石 恵美子
武石 恵美子
絶対やらないです(笑)。「自分で考えよう」という人はなかなかいないので、そういう機会を作るのは、人事が支援できることかなと思いますね。
日本の「ジョブ型」は迷走している。表層の人事制度を変えても、根本のOSが変わらないと意味がない――海老原嗣生×髙木一史
自由な働き方のカギは採用にあり──サイボウズ人事が「ファン」ではなく「仲間」を採用する理由

多様性をアピールするほど、冷める社員。「エイジダイバーシティ」が当事者意識を育むカギ

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多様性とは「ある集団の中に、さまざまな特徴や特性を持つ人がともに存在していること」。

少し前までは、人種や国籍、性別、年齢、障がいの有無、宗教、性的指向といった「何らかの事情を抱えたマイノリティ(少数派)」に対して使われるケースが少なくありませんでした。

一方、近年は、価値観をはじめ「一人ひとりの違い」に目が向けられ、より多くの場面で、多様性という言葉を見聞きするようになりました。

しかし、多様性という言葉が多くの人に知られるにつれて、各企業では「新たな課題」が生まれているようです。

世代間ギャップが「多様性の課題」に

僕はサイボウズで複業しながら、しごとのみらいというNPO法人を経営している。

しごとのみらいでは、僕がかつて受けた、ストレスをかけるマネジメントにより心が折れかかった経験や、自身が管理職になり、関わり方を変えることで、チームが変わった経験をもとに、組織づくりやコミュニケーションに関する企業研修や講演に携わっている。

特に、2022年5月に『Z世代・ゆとり世代の上司になったら読む本』を刊行させていただいてから、世代間ギャップに関する講演依頼が増えた。

世代間ギャップの講演といえば、以前だったら人事や研修担当部署からの依頼がほとんどだった。しかし近年、DE&Iの部署からの依頼が増えている

ここでいうDE&Iとは、ダイバーシティ(多様性)、エクイティ(公正性)&インクルージョン(包括性)の略で、いわゆる「多様性を扱う部署」である。大企業を中心に、DE&Iの担当部署が設置されている。

なぜ近年、多様性を扱う部署からの講演依頼が増えているのか? そこには、各企業で起こっている「多様性の尊重が生んだ弊害」があるようなのだ。

特別な事情がないと「尊重されていない」と感じる

ここでいう「多様性の尊重が生んだ弊害」とは、特別な事情を抱えていない社員が、「自分たちは尊重されていない」と感じてしまう問題である。

講演を依頼いただくDE&I担当者と話をさせていただく機会が多くある。彼らは、口をそろえて次のように指摘する。

「一人ひとりの個性や事情を尊重し、働きやすい職場を作るためには、多様性はとても大切な考え方です。しかし、多様性の重要性を伝えれば伝えるほど、特別な事情がない社員の関心が薄れていくんです」

多様性という言葉は、最近多く使われるようになってきた。だが、「一人ひとりの個性や事情を尊重する」というよりも、まだまだ、何らかの事情を抱えているマイノリティ(少数派)に対して、「さまざまな事情を、個性の1つとして受け入れよう」といった印象がある。

多様性を「受け入れる」のは荷が重い。でも「そこにいる」と認めることならできるかも

その結果、「多様性」「ダイバーシティ」と言われると「それは、特別な事情がある人たちの話であって、自分たちのことではない」と感じる

そればかりか、「なぜ、少数派の人たちだけが優遇されるのか?」「わたしたちだってがんばっているのに……」といった声が聞こえてくるようになったと、先のDE&I担当者はいう。

本来、多様性は特別な事情を抱えている人だけではなく、一人ひとりの個性や特徴を活かして働くことができる環境づくりが大切だ。だが、特別な事情がない社員にとっては、自分ごと化しにくく、逆に「尊重されていない」と感じてしまうのである。

「当事者意識」をどう育むか──世代を「多様性の要素」に

そこで、DE&I担当者たちは、多様性を考えるうえで、すべての社員が「自分ごと化できるテーマは何か」を考えた。そこで上がってきたのが、エイジダイバーシティである。

エイジダイバーシティとは、「世代や年齢の多様性」のことだ。

年齢は、すべての人が持っている多様性の要素のひとつだ。一人ひとりの価値観は、それぞれが生きてきた環境や、時代背景によって当然異なる。

だが、仕事をしていると、「最近の若い世代は……」「おじさんはこれだから……」のように、ある世代をまるっと一括りにして、「あの人たちは、僕たちと違うから……」のような関わり方をしてしまう。

おじさんも多様性に含まれるといいな──「あんな風になりたくない、がわたしの未来」はつらいから

しかし、ある世代を一括りにしたとらえ方やコミュニケーションを過度にしてしまうと、世代間の分断が生じてしまう。また、異なる世代とのコミュニケーションがおっくうになって「関わらないでおこう」とする場合もある。

実際、世代間ギャップを感じている人は多い。龍谷大学が2022年に調査した世代間ギャップの調査によれば、上司・部下世代ともに、7割近い人が世代間ギャップを感じているそうだ。

特に近年は、パワハラ防止法などの法改正もあり、「パワハラ・モラハラが気になって、うまい距離感がとれずに困っている」といった声を、本当によく聞く。

このように、多くの人が当事者であるテーマであれば、多様性を「自分ごと化」できるかもしれない。そういった試みが、さまざまな企業で始まっているのである。

世代を越えて良好な関係をつくる「唯一無二の方法」

年齢や世代に関わりなく、一人ひとりの個性や強みが活かされているためには、それぞれの価値観や、理想、悩み、困りごとなどをおたがいに知る必要があるだろう。

そのためには、どうすればいいのだろうか?

僕の意見では、世代や年齢を含めて多様な価値観を知るためには、最終的には「1対1で対話をする」しかないんだろうな……と思っている

相手が「何を考えているのか分からない」のは、対話をしていないから。ざっくばらんに対話ができれば、相手を「理解」はできなくても、「何を考えているのか」はわかるのではないか。

とはいえ、「話をしよう」「対話をしよう」と言うのは簡単だが、これがなかなか難しい。「たまには、話をしませんか?」と声をかけるのも、かなり勇気がいることだ。

たとえば、サイボウズでは「ザツダン」という取り組みがある。ざっくばらんな話をすることで、上司・メンバー、おたがいを知る機会になっている。

しかし、僕自身もそうだが、関係がそれほど構築されていない相手に対して「今度、ザツダンしませんか?」と声をかけるのは、なかなか勇気がいる。年齢や立場が違えばなおさらだ。

「分かってはいる。でも、できない」――読者のみなさんにも、きっと経験があるのではないか。

対面よりも実践しやすい?「オンラインコミュニケーション」

だが、僕の場合、オンラインツールのおかげで、救われてきたところが多分にある。

サイボウズでは、日常の業務やコミュニケーションの多くを、kintoneという、弊社が提供している業務改善プラットフォームを使って行なっている。

kintoneは、業務改善を行なうためのアプリケーションを、専門的なプログラミングの知識がなくても作成できるサービスだが、それ以外にも、自分の考えを書いて社内に発信・共有したり、直接やり取りしたい人にはメンションを飛ばして連絡するなど、コミュニケーションツールの一面もある。

対面でコミュニケーションを行なう場合、人見知りの僕は、「あの~、〇〇さん」と、直接声を掛けることに、とてもドキドキする。だが、オンラインでのやりとりなら、対面よりもハードルが低い。

「転職先、会話が少なくて寂しい……」と思いきや、オンラインがにぎやかだった

また、僕はサイボウズで複業をはじめた2017年からフルリモートで働いているが、物理的に離れているために、そもそも、対面で声を掛けること自体ができない。

以前、「あいつ、家でちゃんと仕事しているのか?」──コミュニケーションが難しい在宅勤務を円滑にする工夫という記事を書いた。テキストコミュニケーションのポイントについて触れたものだが、さまざまな制約があるテレワークでも、いろんな工夫をしてきたし、「オンラインだからこそできる関係構築のやり方があるな」と思っている。

そこで、話しかける際には、まずはオンラインで声をかけ、そのあとで「今度、ザツダンしませんか?」のように、1対1で話をする場に誘うようにしている。

また、異なる世代とよりよい関係を構築していくためには、相手のよいところを見つけ、ポジティブなメッセージを伝えていくことも大切だと思う。

「○○さん、すごいですね!」と、面と向かって伝えるのはなんとなく恥ずかしいが、オンラインなら、目の前に相手がいないため比較的書き込みやすく、書き込んだポジティブな言葉はずっと残る。

そこで、冒頭にお話した世代間ギャップや多様性の講演会では、「もしも、異なる世代と関わるのが難しければ、オンラインからはじめるのもひとつの方法ですよ」「オンラインのほうが実践しやすいこともありますよ」と、伝えるようにしている。

多様性の「あるべき姿」とは?

冒頭でも触れたように、本来「多様性」とは、「ある集団の中に、さまざまな特徴や特性を持つ人がともに存在していること」である。ここには、特別な事情がある人だけではなく、すべての人が含まれる。

一人ひとりの事情が尊重され、個性や強みを活かして仕事ができる。それが、もっとも理想的な姿であることに、間違いはないだろう。

だが、多様性という言葉に「なんで少数派の人だけ……」といった、自分ごと化できないという声がある事実は、多様性が、まだまだ浸透していない証拠でもあるのだろう。

一人ひとりが自分ごと化していくためには、すべての人が当事者になる必要がある。

年齢や世代を多様性の1つの要素としてとらえ、多様性を自分ごと化していくこと。そして、年齢や世代を越えて、関わりを持てるようにしていくこと。

そのためにも、オンラインだからこそできる方法で、年齢や世代を越えた関係構築ができるといいなと思うのだ。





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