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仕事はルールとモラルの切り分けでうまくいく

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仕事はルールとモラルの切り分けでうまくいく

【サイボウズ式編集部より】この「ブロガーズ・コラム」は、サイボウズの外部から招いたブロガーに、チームワークに関するコラムを執筆いただいています。今回ははせおやさいさんが考える「仕事でうまくいくルールとモラルの切り分け方」について。


こんにちは。はせおやさいです。

仕事を依頼する際、「何度言っても納期や約束を守ってもらえない……どうやって管理すればいいの?」という困った場面に遭遇することがあります。そういった場面において、混同しがちな問題点があるのですが、それは「ルール」と「モラル」の違いです。

今日はそのことについて書いてみようと思います。

何度お願いしても約束を守ってくれない相手、どう対処すればいい?

「Aさんがいつも締め切りを守ってくれないんだけど、どうすればいいんだろう。みんな残業して、なんとか間に合わせようとしているのに……」と相談されたとき、あなたならどう答えますか?

この会話で相手が感じている問題点、実は2種類あります。それは「締め切りを守らない」という点と、「それを何とかしてカバーしようとしない」という点。

前者を守らせるには「ルール」が大切で、後者のマインドを持ってもらうためには「モラル」の育成が必要という、似ているようでまったく違う問題なのですが、どうしてもこの2つは混同されがちです。

「ルール」と「モラル」は別のもの、と考えよう

「ルール」と「モラル」の違いについて、前項の問題をもとに説明してみます。

「◯月◯日までにこれをお願いね」という仕事を依頼したとき、その締め切りを守るのは「ルール」です。「ルール」が定めるのは最低限守るべき「約束ごと」であり、必達事項です。あまりに続くようであれば、業務不履行としてしかるべきペナルティや訓告が発生しますし、そのことを両者が仕事を開始する前に、しっかり共通認識しておく必要があります。

一方、「できる範囲で締め切りに間に合わせる努力をする」のは「モラル」で、あくまで個人の判断であり、強制されるものではありません。個人的には、この中に「どう見積もっても締め切りに間に合わないかもしれないから、早めに相談をする」も含まれると思っています。ルールとは異なり、モラルに基づいて期待する行動は、相手がしてくれるのであればこちらは非常に助かりますが、あくまで相手の判断に委ねるもので、強制するものではありません。

基本的には、相手のモラルに依存しないでも予定が進行するような設計をするべきです。

「プロとして締め切りを守るべき」は「モラル」

「そんなこと言っても、締め切りを守るのはプロとして当然のことだろう」という気持ちも、よくわかります。わたしも同感です。でも、その価値観がすべての人に適用できると思わない前提で物事を進めるほうが安全です。誰もが自分と同じ価値観・モラルを持っていると思って仕事を進めるのは、とても危ない。こちらの常識と相手の常識が、必ずしもイコールとは限らないからです。

こちらが適正だと思って頼んだ仕事の締め切りが、相手にとっては無茶な日程かもしれませんし、無茶な日程だからそもそも守れるはずがないじゃん、と思われているかもしれません。そして、締め切りに間に合わないかもしれないことを、余裕をもって事前にこちらへ伝えるべきだと相手が思っていてくれるとは限りません。

頼んだ仕事の締め切りを破られて困るのは自分なので、自分が困らないよう、あらかじめ予防策を取っておこうと思うなら、相手の「モラル」には期待しないほうが安全です。(もちろん、自分はこうあるべきだと思う、というのを相手に伝え、相手が共感してくれるならそれに越したことはありませんが、根気と繰り返し伝えていく努力が必要になるので、あまりおすすめできません)

「◯日までに仕上がらなかったらペナルティ」が「ルール」

「モラル」の育成には根気と時間が必要になりますが、「ルール」は明確です。

相手がルールを守らなかったこと、今回でいうと納期を守らなかったことで起こりうる損害について、事前に防げるように両者が努力をする前提を約束した上で仕事をスタートさせるべきですし、防ぐための措置を取らなかったことの責任は、相手にもとってもらうべきではないかと思います。

ペナルティはすなわち金銭的なものとは限りませんが、相手の業務不履行でこちらがどのような損害を負う見込みか、実際に負ったのかは、数字とともに、きちんと説明できるようにしておいた上で、ルール違反として厳しく指摘するほうがよいかと思います。

新入社員のときにやらかした思い出

こういった「ルール」と「モラル」の違いについて考えるきっかけとなったのが、新入社員のころにしでかした大きな失敗でした。

新卒1年目、あるデザイン会社に勤めていて、某メーカーのノベルティ用に使うグッズを制作する仕事を請け負ったことがありました。かなり無理な納期だったこともあり、現場からは当初約束をしていた納期から1日ほど後ろ倒しできないか、という相談を受けていたのですが、納期の遅れについての認識が甘かったわたしは、その相談をギリギリまで取引先にできずにいました。正直、「1日くらい、大丈夫だろう」という甘えがありましたし、それまでも何度か納期を半日〜1日ほどずらしてもらったことがあったので、今回もまあいいだろうと勝手に思い込んでいたのかもしれません。

直前になって、実は……と納期変更の相談をしたとき、相手からは、烈火のごとく怒られました。

正直、当時の上司にも言われたことがないほどの厳しい口調で、なぜ今回のことがいけなかったのか、の理由を説明されました。それは、わたしが「まあいいか」と判断した1日の遅れのせいで、そのノベルティを封入するために確保していた数十人のパートさんの時間はどうなるのか、さらに、改めて同じだけの人数を集めなければいけない人の手間を考えたのか、その上で、こんな直前に「1日ほど後ろ倒ししてください」と言っているのなら、お前はプロ失格だということで、当時のわたしにとって、まったく想像もしていなかった理由でした。

自分のしている仕事の先にまた他の人たちがいて、わたし一人の勝手な判断で、その人達にも大きな迷惑がかかるということを、認識できていなかったんですね。納期を守れないのはルール違反でしたが、それで発生する問題を最小限にするためなるべく早く相手に相談しよう、というのはモラルの話で、当時のわたしはまだそういった常識を知らなかったのです。

相手と自分の「モラル」は違うと認識しよう

この強烈な思い出もあり、わたしにとって「プロは納期を死守するもの、それが難しい場合は、可能な限り早く相手に報告し、状況をリカバリすること」というモラルが深く根付いているのですが、社会に出ていろんな人と仕事をしてみると、そうでもない、という人たちが、思ったより多いです。

もちろん業界や社風によるのかもしれないのですが、以前はそのことを許すことができず、よく腹を立てていたのですが、よくよく考えてみたら、その苛立ちは自分が考える「これがプロだ」というモラルを相手に押し付け、押し付けた上で相手に勝手な期待をしていたことで起きていたのです。そんな身勝手なことをしていたら、うまくいかないのは当たり前ですよね。

相手と自分はそれぞれ違う価値観を持っていて、それでも予定のスケジュールを達成するために、何をどうしたらいいだろう、どんなルールを決めるほうがいいだろう、という前提で考える方が効率も上がり、クオリティも高くなる、ということに気付いてからは、仕事で腹を立てることがなくなりました。

もちろん、対価に対して期待する成果物は何かというルールは明確に設定する必要はありますが、わたしの価値観と相手の価値観がイコールなはずはなく、また、遅れたことで困るのは自分自身です。万が一、相手がゆるふわでもなんとかなる、という前提でスケジュールとルールを組めば、いちいち無駄に腹を立てる必要はなくなるんですね。

ということで、「相手は相手、自分は自分。お互いの常識やモラルがイコールだとは限らない」という前提のもと、相手のモラルに期待することなく、お互いが無駄なストレスを抱えずに仕事をするためにも、「ルール」と「モラル」の切り分けをしっかりしておくとよいのではないでしょうか、というお話でした。

今日はそんな感じです。
チャオ!

イラスト:マツナガエイコ


結果の出る「仕事の依頼の仕方、受け方」
仕事を「任せる」技術
「できません」が言えない人はプロ失格


「偉大なるマンネリ」を感じるチームほど最高である

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若手リーダーが抱える悩みを齋藤孝先生がズバッと解決! 全5回、1回1質問で齋藤先生に具体的な解決策やそれに基づく理論なども交えて、お応えいただきました。第4回は、「チームのマンネリ感」についてです。

成熟したチームでマンネリをなくすには?

偉大なマンネリを恐れるな

「偉大なるマンネリ」になればなるほど、チームにとってはいいのです。

「10年も一緒の人と会議をしている」「言わなくても分かることが多いから、いつでもリラックスできる」という、まるで我が家で過ごすようなマンネリの良さってあると思います。

徒然草の「改めて益なき事は改めぬをよしとするなり」という言葉があります。あまり利益がないのであれば、無理に変えないほうが良いという意味です。

今「改革」や「イノベーション」という言葉をよく聞きます。その気持ちは分かりますが、経験値を共有しているメンバー同士で長くやっているのも、気楽で良いことだと思います。

マンネリは「経験値が共有されているチーム」の裏返し

組み換えたり新しくしたりするだけで、何か仕事をした気になっていることはありませんか。

委員会でも会社のチームでも、新しく編成し直すと、それに慣れるまで時間がかかりますよね。サッカーの日本代表の監督のように、監督が代わる度にやり方を変えると、”これまでのやり方”が一向に継承されません。

昔のマンチェスター・ユナイテッドのファーガソン監督のように、10年、20年と同じ方針を続けて圧倒的な優勝回数を誇る場合もあります。ファーガソンは「こうやるんだ」というマネジメントがはっきり決まっていて、偉大なるマンネリになっている。

マンネリは「経験値が共有されているチームである」とも言い換えられます。マンネリでメンバーも同じ、それでも業務が回っているというのはとてもいいこと。ほぼ無意識に業務が回っているという状態ですね。

「意識の量」を増やしてみよう

マンネリを感じているチームでは、「意識の量を増やす」のがお勧めです。自動化できる仕事を増やして、疲れないように仕事を進め、余ったエネルギーを「意識」に回すくらいがいいと思います。

”うまくいっているマンネリ”と”うまくいっていないマンネリ”に分類して、うまくいっている部分は下手に手を付けない方がいいでしょう。節約によって増えた意識のエネルギーを、新しい仕事に注ぎ込むのです。

「改革」や「変革」というのは、結構エネルギーを消費してしまいます。とにかく「変えよう」とする方針もありますが、それではメンバーが疲れてしまいます。

マンネリの部分がうまく回っているならば、それを良しとする。仕事をするチームはプライベートとは異なりますが、5年、10年、20年と長年仕事をしていると、まるで家族のようになっていくわけです。

「20年前は大変だった」と言いながら同じ仕事を続ける。多くの業務はマンネリの極地に達していて、システムは変わっても仕事に対応できます。20年も同じメンバーで仕事をしていると、ここが自分の生きている場所だと感じられることもあります。

仕事は結果だけではなく、慣れた仕事環境も大事です。だから、マンネリでも、別に新鮮な気持ちがなくてもいい。夫婦や家族も同じだと思います。

成熟したチームほど素晴らしいものはない

マンネリを感じていても、結果が出ていれば十分です。著しく成果が出ていない場合は刺激が必要ですが、新しく入って来る人がペース乱すこともありますし、うまく回っている所には確率論的にも手を付けない方がよいです。

勝っている時はやり方を変えない方がいい。勝っているにもかかわらずやり方を変えて、自ら負けにいく人も少なからずいます。「何かを変えれば効率が良くなる」ということに対する信ぴょう性はあまりありません。チームが成熟したというのは、素晴らしいことです。

成熟したチームになれるかそうでないかの差は、経験値の共有の有無です。私は本を執筆し、編集者を必要としています。編集者がどんどん変わると新鮮ですが、これまでの編集者の経験値が受け継がれていなければ、執筆は大変効率が悪いものとなります。

仕事は経験でやるものですから、経験値の共有や継承をもっと重視してもいいと思います。


「齋藤孝先生のお悩み相談室:記事予定」

プレイヤーとマネージャーの役割を切り離すのは時代遅れ(7月8日) ・マネジメントは調整ではない。コスパ重視のゲームと考える(7月15日) ・あなたに「カリスマ的なリーダーシップ」は必要ない(7月22日) ・「偉大なるマンネリ」を感じるチームほど最高である(7月29日) ・「過去の成功体験にとらわれるのは古い」という若い人の思い込み(8月5日)

PTA広報紙の無駄を洗い出す──コデラ総研 家庭部(45)

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テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第45回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「PTA広報紙の無駄を洗い出す」。

文・写真:小寺 信良

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学校単位のPTAを見ていると、会長や本部役員は2〜3年歴任する人が多い。自薦や他薦により、子供に貢献したいという気持ちが強い人がなるので、それはそうだろう。一方で各クラスから選出される委員のほうは、数年やるという人は少ない。ほとんどの人は1年やっただけで、疲弊してしまう。

この差はなんなのか。昨年1年間広報委員長というのをやって感じたのは、各委員会組織の決定権のなさである。各委員会は、実質的に本部の下働きでしかない。委員会の裁量で決定できることはわずかで、最終的には本部の承認がなければ何も決められないのである。

だから委員になった保護者は、多くの制約の中で「昨年通りのノルマ」をこなすだけになってしまう。それが非効率なやり方でも、変えられないまま何年も継承されることになる。

広報委員会とは、年3回PTA広報紙を発行するのが仕事である。うちの小学校の場合は、前期はA4サイズモノクロで8ページ、後期は6ページ、5月に号外としてA3サイズ1枚を発行する。筆者のように自分で取材して写真も撮り、毎日5000字から7000字の原稿を書いている者からすれば、2〜3日、取材から入れても1週間あればやれてしまえる程度の仕事量である。

これを広報委員会でやると、4カ月かかる。なぜこれほどまでに時間がかかるのか。前年までのワークフローを丹念に調べていると、そのほとんどが「待ち時間」で消費されていたことが分かった。

時間を整理する

これは学校によっていろいろなやり方があると思うが、うちの小学校では原稿を書いたあとは、近隣の出版社にDTPと印刷を依頼する形になっていた。従って広報紙のワークフローは、だいたい以下のようになる。

  1. 取材
  2. 原稿執筆、ページ割り付け
  3. 委員会で全体チェック
  4. PTA本部、学校側の内容チェック
  5. 出版社に入稿、DTP-初校見本刷
  6. 初校を委員会、PTA本部、学校でチェック
  7. 修正箇所を出版社に入稿、修正-再校見本刷
  8. 再校を委員会、PTA本部、学校でチェック
  9. 修正があれば出版社に連絡、見本刷
  10. 見本刷確認、印刷依頼
  11. 出版社で印刷
  12. 印刷物が学校に納品される

出版をやったことがない方にはよく分からないかもしれないが、プロセスとしては本を出版する際の手順とあまり変わらない。

ここで待ち時間が長くなる原因は、2つあった。本校の広報紙では、執筆者が内容をチェックするのではなく、委員会とPTA本部、学校側の3者でチェックする。

第1の待ち時間は、この3回のチェックで発生していた。1回に付き2週間、3回合計で1カ月半かかっている。なぜそんなにかかるかというと、見本刷をまずはPTA本部に回し、そこで1週間。次に学校に回して、そこでまた1週間かかるのである。

専門ではないことを依頼するのだから、1週間ぐらいかかることはやむを得ない。だが1箇所ずつチェックを回していくのは非効率だ。どちら側の修正依頼か分かるように、PTA本部は青で、学校は緑の色鉛筆で、などと変なところが細かく決まっているのもバカバカしい。

筆者が委員長になって、このプロセスを辞めた。どうするかというと、コピーを取って、PTA本部と学校に対して同時にチェックに出すのである。赤が入って戻ってきた原稿は、委員会で1本化して出版社に戻せば済む話である。これで時間が半分に短縮できる。両方に渡した原稿は見分けが付くので、わざわざ色鉛筆で色分けする必要もない。

出版社の問題を整理する

第2の待ち時間は、出版社側で起きていた。最初に入稿して初校ができあがるまで、3週間もかかっている。雑誌経験者からすれば、たかだか8ページや6ページで3週間はかかりすぎだ。再校、念校が出るのもそれぞれ2週間ぐらいかかる。出版社にとっては、学校の広報紙など年額で20万円にも満たない仕事など営業的にもどうでもいい数字なのだろうが、「暇なときにやります」ではこちらの予定が立たない。そのしわ寄せは、取材時間や執筆時間の制約として現われてくるのだ。

また見本刷を出版社の営業が学校に届けに来るのだが、それも1週間ぐらいかかっている。なぜならば、学校の近所に納品などの用事があるついででしか立ち寄ってくれないので、いつ届くのか分からないのである。こうして内容チェックのタイミングが、どんどん後ろに押していく。

扱いとしてはかなりヒドいと言わざるを得ない。だが広報委員会としては、格安で本業の出版社にやってもらっているという負い目があるのか、改善を要求したことはないという。

もう1点、うちの広報紙には課題があった。現在多くの学校の広報紙はカラー刷が当たり前になっており、今どきモノクロの広報誌のほうが珍しい。本校もカラーにしたいという要望は、数年前から検討課題として上がっていた。問題は予算である。出版社にカラー化した場合の見積もりを取ってみたが、現在の3倍となって帰ってきた。今のPTA予算では、到底無理な話である。

ただ、筆者もモノカキの端くれである。元々原稿の写真などはカラーで入稿しているのに、印刷をカラー化するだけで3倍になるわけがない。何かおかしいと、知り合いの出版関係者に相談してみたが、相場としてその値段はないという。

結局中小の出版社にとって、小口の学校PTA広報紙など、お荷物でしかないのだ。そこにしがみついていく必要性は感じない。そもそも刷部数も、こちらは予備も入れて650部で十分と言っているのに、値段は変わらないからと、800部納品されていることも分かった。150部も違って、値段が変わらないはずはない。要するに、紙を押しつけられているわけである。

これまではそれで済んだかもしれないが、筆者は素人ではない。決戦のときは、来た。(つづく)


本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、とりあげて欲しいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


この記事を、以下のライセンスで提供します:CC BY-SA
これ以外のライセンスをご希望の場合は、お問い合わせください。

「自分の個性はなにか」なんて悩むだけムダ――「ほぼクローン人間」大量生産時代に大学生が思うこと

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「没個性」「クローン人間」「大量生産」──。

すべて最近の大学生を揶揄(やゆ)するときによく使われるフレーズです。たしかに、街を見渡せば就活生も含め、似たような髪型・服装・持ち物で身を固めた若者ばかり。そう嘆かれるのもうなずけます。しかし、それは若者に「個性がない」から起きている現象なのでしょうか。そもそも社会のいう「個性」とはなんなのでしょうか。少なくとも、教科書に答えは書いてなさそうです。

このモヤモヤをスッキリすべく、なんだかスッキリしていそうな大学生であるファッション武士RYO!さんとCITYBOY.ME 佐々木遼介さんに「個性」について語り合わないかともちかけてみました。そこで見えてきたことは、「気にしすぎない」ことの大切さでした。

自分の決めた目標には固執しない、ちがうと思ったら変える

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ファッション武士RYO!さん。「サムライや武士を切り口に、日本の文化や歴史に'楽しく'ふれるきっかけを作る」という志のもと、オリジナル武士ソングのパフォーマンスや、歴史講座をしている。吉田松陰に憧れ、吉田RYOいん!と名乗り、松下村塾ならぬRYO下村塾(りょうかそんじゅく)をひらく。アイドルが大好き。そんなRYO!さんの記事に載せきれなかった名言は『真のオタクというのは、その対象にエネルギーを捧げているのではなく、エネルギーをもらっているのだ。』

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大学生ブロガーの佐々木遼介さん。かもしだす独特な雰囲気、ユニークな切り口で年の近い大学生だけでなく、幅広い世代から支持を集める。その人気ぶりは、「ジャニオタ彼女を彼氏オタに」「一人ディズニー」で話題! "佐々木ゼミナール"って何者!?からもうかがえる。おろしたてのチェックシャツがよく似合っている佐々木さんの一言は『毎日楽しく暮らしています。』

「おもろいこと」を突き詰めると、勝手に個性は出てくる

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個性はROCKだ(ってちょっと言ってみたかった)

20150717_kosei_9.jpg 20150717_kosei_5.jpg

いいチームと個性の関係

20150717_kosei_6.jpg (写真:尾木司)

大学生が「大学生の就活と働き方」を追ってみた
「副代表」の君に伝えたい──リクルートスーツを着ると個性がなくなるんですか

プログラマーって何しているの? IT企業の中身はどうなっているの? 中学生が聞いてみた

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中学生職業体験

今回職業体験をした、東京学芸大学附属小金井中学校のみなさん。左からサイボウズ 代表取締役社長の青野慶久、鈴木陽大くん、小堀航聖くん、鎌田嘉仁くん、サイボウズ グローバル開発本部 副本部長の佐藤鉄平。今回の記事はすべて中学生の彼らが作成しました

はじめまして。私たちは、IT関係、プログラマーの仕事を将来目指しています。今回、中学校の職業体験でサイボウズを選び、サイボウズ式の記事を書かせていただきました。取材したのは社長の青野慶久さんとエンジニアの佐藤鉄平さんです。聞いたことはかなり素朴な疑問。それでも意外と知らないことも多いのでは? ITの仕事やプログラミングに興味のある人、読んでみてください。

まずは僕たちのプロフィール

中学生職業体験

職業体験の様子。何を質問するか決めたり、会議に参加したり、取材してみたり。しっかり編集部の仕事をしてくれました

自分が決めたゴールで社会をよりよくできるのが一番の喜び

青野慶久

サイボウズ社長の青野慶久。1971年愛媛県生まれ。大阪大学工学部卒業後、松下電工株式会社を経て、1997年、愛媛県松山市でサイボウズ株式会社を設立、取締役副社長に就任。2005年より現職

佐藤鉄平

エンジニアの佐藤鉄平。1982年新潟県生まれ。東京工業大学卒業後、2007年サイボウズに入社。大規模向けグループウェアのガルーン、国際版ワークフローのApprovalFlowの開発を担当したのち、次世代グループウェアのプロトタイプの開発に従事。その後、データベースソフトであるkintoneの開発に携わる。2015年7月グローバル開発本部副本部長に就任

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趣味の個人開発とは違う! 仕事では他人に理解されやすいコードを心がける

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世の中を変えていく。そのためのIT

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取材を終えた中学生3人のリアルな感想

サイボウズ式編集部と記念撮影

記事を書き終えた直後に「サイボウズ式」編集部のみなさんと。「仕事」を終えてちょっとホッとした表情!? 3日間の職業体験、お疲れ様でした!

(取材・執筆/写真:鈴木陽大、小堀航聖、鎌田嘉仁、編集:サイボウズ式)

ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔第21回:夏のホラー話(仕様変更秘話)

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元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載の第21回。今回のお題は「夏のホラー話(仕様変更秘話)」。

ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。

文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki

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第16回で伊豆長岡の鵺祓い祭に言及したが、これに限らず、以前から伊豆に旅行する機会が多くあった。ともかく伊豆は面白いというか「深い」。

今はあまり目立たないが、15年ぐらい前までは国道136号線(下田街道)、あるいは伊豆箱根駿豆線を南に下って大仁おおひとを過ぎて国道も線路も東向きに曲がったころ、南側の山肌に6〜7層はある天守閣のような建物が見えた(写真1)。

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写真1:取り壊される前の大仁金山の精錬所(1994年、天海良治君提供)。遠くから見るよりやっぱり下から見上げるほうが迫力がある。ガラスが残っている窓があるのが奇跡。

廃虚マニアなら知らない人はないという名跡だった。ガラス窓のガラスはほとんど割れてしまい、老朽化が激しく、危険な状態になったので1999年9月に取り壊された。そして多段のコンクリートの壁だけが山肌に張りついたような形で残った(写真2)。

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写真2:コンクリートの壁だけになった大仁金山(2007年)。実は2000年にはすでにこのような恰好になっていたのだが、この写真を選んだのは、人が上っているのと、イルミネーション(!)のための配線が見える珍しい光景だったため。

それとほぼ同時に伊豆温泉村「百笑の湯」がその足元に開設された。百笑の湯はいわゆるスパリゾートであるが、いつ行っても結構地元のお客さんが来ている。

このリゾートにはパオの形をした独立家屋の宿泊施設があり、一度そこをベースに鵺祓い祭に参加したことがある(写真3)。

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写真3:伊豆温泉村の百笑の湯に隣接したパオ型の宿泊施設(2006年)。この時点ではまだ建設中だった。左奥のほうに写っている赤い屋根の建物が百笑の湯。

見てお分かりのように天井が丸い。おお、これはプラネタリウムに使えるというので、小型のプラネタリウムを持参した記憶がある。幸い天井も白壁で大変具合がよかった。

私が仲間たちと大仁金山廃虚に毎年行くようになったのは、伊豆長岡の鵺祓い祭からちょっとだけ足を延ばせばいいからである。写真はバンバン撮ったはずなのだが、整理が悪く、今回いくら探しても見つからない。いつも同行していた天海良治君の写真をいくつか使わせてもらった。

大仁金山廃虚の往時の面影はもう見ることができないが、波多利朗さんのFunky Goodsという面白いWebページの「廃虚系」に、取り壊される直前の大仁金山廃虚の内部探訪の写真が出ている。これによれば正確には帝國産金興業大仁鉱山という名前のようだ。毎年「参拝」していた我々もさすがに中までは入らなかった。相当の危険を感じたからである。ちなみに取り壊されたあとの紹介ページも同じディレクトリにある。

「帝國産金興業大仁鉱山跡(1999年1月)」
http://www.funkygoods.com/hai/oohito/oohito_a.html

金山として有名なのは佐渡金山であるが、こちらは観光資源として整備されていて、廃虚感は薄い。ここへ行ったときに実は一番驚いたのが途中で見た「佐渡の挟み岩」と呼ばれている奇妙な岩である(写真4)。

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写真4:佐渡の挟み岩。これは奇岩と言えよう。どうして(多分1000年以上)この状態を保てるのかが不思議である。佐渡に行ったら必見だろう。

いつからこの状態になっているのか分からないが、「佐渡弁慶」が投げたといった逸話以外に「いつから」という説明が見当たらないので、相当昔からこうなっているらしい。世の中には落ちそうで落ちない岩という観光カテゴリがあるそうだが、確かに一見の価値がある。検索すると、ドローンを飛ばして撮影している人がいた。ドローンくらいじゃぶつかっても落ちないか。

◆     ◆     ◆

さて、話が逸れた。通常は大仁金山廃虚を見て終わりなのだが、少し周囲も見ようというので、精錬所の背後まで足を延ばしてみると、これまたすごい。多くの廃虚マニアもここまでは気がつかなかったようだ。

実は大仁金山の上のほうに行くのは、内部の階段のほかに背後からも回っていたようなのだ。金の精錬は上から下へと流れるような工程なので、こういう山の斜面に張り付けたような建物が便利だ。つまり、いろいろなものは上から入るわけで、背後からのアプローチが必要なのである。写真5は金山を正面に見て左から上がっていく道を少し歩いたところにあった、何ともいえない建物である。

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写真5:波のようにうねる廃屋(天海君提供)。純粋な自然の造形とは言えないかもだが、人間の営み+物理法則によって完成したスムーズな姿と言えるのではなかろうか。山の中を身をくねらせながら、すいすい泳いでいるように見える。恐くて中には入れないが……。後ろの山の右すぐ裏が大仁金山の精錬所跡。

ちゃんと建っている建物を一流画家がこのように描写して、おお、名画だと称讚することがあろうが、自然にこのような「描写」が可能になるとは、自然は実に奥深い能力を備えている。写真5の右上に空が見えるが、このあたりへ通じる坂道があり、そこを越えればいきなり金山精錬所の最上部に到達する。今は当然この建物はない。養蜂場になったかと思えば、資材置場になったりしている。なお、坂道はもう封鎖されているかもしれない。

文字どおり流線形のこの建物を過ぎてさらに奥に向かうと、昔の資材置場(もちろん同程度に流線形で、ダイナマイトと書いた箱などが転がっていた)があったり、潰れてしまって、そもそも何であったか分からない元建造物があったりと、ちょっとした廃虚テーマパーク気分で散策できた。もちろん、今はほとんど何も残っていない。

金山跡だけにあちこちに洞窟の入口がある。危険なのですべてコンクリートで封印されている。一部に「地震観測装置が設置されているので入るな」の掲示のある大きな洞窟もある。

そして、さらに奥に行くと鳥居が見える。神社があるのだ。地図では山神社(さんじんじゃ、やまじんじゃ、やまのかみしゃなどと読むらしい)となっている。山神社は全国どこにでもあるタイプの神社なので、ほとんど普通名詞である。帝國産金興業関係者が操業の安全を祈念して建立したものだろう。

この山神社、祠に至る階段が立派である。ほぼ45度の傾斜(※1)の階段が50段ほどある。45度というのはスキーのジャンプ台の最初のほうの急な35度を越える、通常の感覚ではほぼ絶壁である。登るのはまだいいが、下りが恐い。しかも、苔や落葉やらで滑べりやすくなっている。

2005年の台風で伊豆地方が大きな被害を受けたが、この山神社も例外ではなかったというか、むしろ例外的にひどい被害を受けた。大木がどんどん倒れ、その1本の根っ子が階段の山肌をスコップのようにひっくり返してしまった。そのおかげで、階段の一部がめくれ上がってしまい、ますます参拝が困難になった(写真6写真7)。

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写真6:山神社に上る階段の下から22段目あたりから階段の石がめくれ上がっている(2006年)。大きな台風のその左にある大木が倒れ、その根っ子がテコの原理で階段を持ち上げてしまった。白い手摺もふにゃっと持ち上げられている。この部分を通るのには細心の注意が必要である。ともかく、まだ通れるだけでも感謝しなければなるまい。

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写真7:一旦小さな踊り場を経て、祠の手前へ。鳴らす鈴はまだ健在。

実際、かれこれ25年以上、鵺祓い祭のときには、ここに必ず参拝している。私がLisp言語の実時間ゴミ集めの実装をしていたころ、バグがあって回収されなかったセルや、逆に生きているのに回収されちゃったセルを供養するために、「car」「cdr」と書いた2つの箱を並べたLispのセル(図1)を厚紙で作り、この神社に奉納して供養したことがある。そのご利益があってか、実時間ゴミ集めシステムは無事完成した。

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図1:セル供養のための御札。数枚を奉納した。掃除に来た人には意味不明だったはず。

この祠、以前は掃除や御札等ある程度はメンテされていたようだが、最近はサビだらけの賽銭が放置されたままになっている。山の神がお怒りにならなければいいのだが……。

地図を見ると、大仁金山側からではなく、反対側(修善寺側)からアプローチする道がある。神社周辺をちょっと見ても、階段の写真から想像がつくように道らしいものがあるようには見えない。一度そちらからどこまで近づけるのか挑戦しようと考えている(※2)。地図を見ると途中にフェリスという、かなり場違い(?)という印象の高級レストランがあり、そこからだと大仁金山側から行くのとほぼ同じ距離に見える(約500メートル)。そもそもこんな道がなぜ必要だったのかは謎である。金山効果だろうか。

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鵺祓い祭とは直接関係しないが、さらに南に下った西伊豆町の山奥に「ネイチャービレッジおおたき」(旧大滝らんど)というところがある。ここは今はキャンプ施設になっているが、大滝らんど(「おおたるらんど」と読む)という名前のころは実に不思議なところであった。ここも廃虚マニアには有名なところである(※3)。最近は行ったことがないので、あまり状況が分かっていないが、大滝らんどの痕跡はホテル予定だった建物と、あたりに散在しているモニュメントの残骸のみだろう。

1990年ころ、私がクルマ好きだったので定期購読していた月2回刊行の雑誌「ベストカー」に、根本敬さんによる「根本敬の世界は圓遊會だ」という連載があった。それの第二十三回のタイトルが「再び伊豆へ行った」である。これが大滝らんど(※4)の紹介であった。漫画がメインであるが、文章のほうの冒頭を引用させていただく。

「今まで私は、名付けようがないが、確かに存在する、あるモノに魅せられ、それを求めてこのページの取材に出かけたり、(後略)」(「根本敬の世界は圓遊會だ」より)

求めるものの正体はなかなか見つからなかったそうだが、この大滝らんどにあった「大仏閻魔えんま」を見て初めて得心したとのことである。

漫画に書かれていることをざっと粗筋で紹介しよう。

土地のえらい人に、占い師がこの辺に温泉が出ると告げた。村興しというわけで、温泉堀りと施設建設が始まった。ところが、温泉は出ない。プールにしようとしたら水温が低すぎて保健所からはNG。シンボルとなるべき大仏ができ上がり始めたが、契約した某有名寺の分家に、この大仏はうちの流儀でないと一蹴され、できかけの大仏は閻魔に仕様変更。そうこうしているうちに脱税事件やら利権争いで泥沼状態。こうして、開業する前に廃虚化してしまった。

これが大仏閻魔なる巨大な像が山の上にしばし鎮座することになった経緯である。これはぜひ行かなくてはなるまいと、1991年4月8日に私を含め数名が休暇を取って探訪した。雨のうえ、山道はすれ違いに苦労するような道幅だった。

大仏閻魔の向かい側にホテルと想定された建物がある(写真8)。

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写真8:ホテルを想定した建物(1991年)。この建物は建って30年以上は経っている今でも白い壁はきれいなようである。手前にプールを作ろうとしていたことが分かる水槽風のものが見える。今この周辺にはたくさんの犬が飼われているというレポートがある。手前の赤いパイプは大仏閻魔に上るための階段の手摺。ちょうどこのときはペンキが新しく塗られた直後だったようで、場違いにきれいな赤色が目立った。]

ホテル開業が無理となったあと、宗教法人の施設になったり、ちょっとオカルトっぽい研究所になったり、またホテル開業の動きがあったりしたが、今は一部に誰かが住んでいるだけらしい。

大仏閻魔を遠景から近景への順に写真9写真10写真11に示す。

HW021_ph09_orig.jpg HW021_ph10_orig.jpg HW021_ph11_orig.jpg

上から写真9、写真10、写真11:大仏閻魔へのアプローチ(すべて天海君提供。私も撮ったのだがなぜかみんなピントが甘かった)。ちょうど桜の時期で、ピンクの桜と、塗り直されたばかりの赤い手摺がアクセントになっている。階段は百数十段程度。上りつめると男女(?)の守護のレリーフの間に入口がある。といっても大きな賽銭箱がそれ以上の進入を止めていた。傘は内部に進入した2名のもの。そう思って見ると「消えた2人」。ホラーっぽい。大仏閻魔全体を眺めると、最初から閻魔として作ってはなかっただろうなということが分かる。実際、写真は載せないが、背中は大仏そのものである。

途中で仕様変更するとこうなるのかという奇妙さである。ソフトウェアの大仏閻魔もこんな感じなのだろう。根本さんの見出し「大仏か!?エンマか!?それとも人間の業の化身か!?」は実に的を射ている。

ここまで来たからには中も見たいという欲求が出てくる。人間の業だ、業に従えば業に入れ! 結局、私と片桐泰弘君(現はこだて未来大学)が進入した。内部の写真12〜15はさすがにちょっとおぞましいので、目をつぶってご覧いただきたい。

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写真12:賽銭箱の正面奥に見える祭壇。明るく光っているのはストロボのせい。右側に階段が見える。勇気を出して上がってみると、窓のないガランとした和室があった。押入れは空っぽだったが、寝泊りできるように見えた。

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写真13:地獄巡りの1シーン、地獄の最下層である無間地獄で苦しむ人がGIジョーで表現されている。舞台のベニヤが剥き出しになってしまっているところが余計不気味感を増している。

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写真14:こちらは薄汚れているが、多分天国を表現している。ちょっと恐い天国に見える。この天使たちもきっとGIジョー。

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写真15:これは2階の廊下で見かけた作りかけ(?)の3体の大きめの人形(3体目はこっちを見ている顔の一部だけが座蒲団の陰に不気味に見えている)。ここは地獄巡りではないが、場違いなツルハシ、片付いていないチリ取り、人形の中途半端な塗装。暗闇でこれを見たら腰を抜かすこと必定。明らかに中途半端な地獄巡りを超えている! 窓のようなものがあるが、大仏閻魔像の内部なので採光はない。

大仏によくある地獄巡りがご他聞に洩れず回廊になっている。かなり荒れ放題なので、却ってリアルな地獄感が出て、迫力がある。ちなみに亡者に使われているのは一時一世を風靡したタカラのGIジョーだった。

地獄巡りで心が洗われたというか何というか、やっとこさの思いで外に出て、空気の美味しさを感じてふと振り返ると大仏閻魔のお腹のところにもうひとつの小さい閻魔さまがいる(写真16)。

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写真16:大仏閻魔のお腹のところにいた小閻魔。十字架をかけていることに気づいた人はほとんどいないのではないかな。

こちらは仕様変更がなかったせいかずっと悪魔っぽい。歯というか牙が左右で上下の向きが違う。それよりも驚いたのが十字架を首にかけていること。

ともかく、大仁金山や山神社よりも、途中で仕様変更しちゃあかんという深い教訓が得られた大仏閻魔であった。(つづく)


※1:手摺とそれを支える垂直の柱を真横から見ればそうと分かる。
※2:実は昨年夏そちら側から行こうとしたのだが、雨が降っていたのと、単独行だったので断念した。
※3:上で参照した波多利朗さんもここを取り扱っているが、写真の一部は天海君がWebに載せたものを使っている。
※4:そこでは大滝ランドと書かれていた。


竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


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ママ友接待の無茶ぶり? 親の反応は?──「男は仕事、女は家庭」を覆す主夫の本音

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「男は仕事、女は家庭」という価値観が強かった時代、家事や育児は主に女性=「主婦」が担ってきました。しかし近年、こういった性別役割分担意識は薄れ、家事や育児を主に夫が担う「主夫」家庭も増えつつあります。

現在日本に存在する「専業主夫」は、なんと11万人。この15年で3倍近くに増加しました。(※)

そんな状況のいま、NPO法人ファザーリング・ジャパンに 所属する主夫7名が、「秘密結社・主夫の友」を結成!  サイボウズで開催した「入社説明会」トークライブでは「どうして主夫に?」「親や周囲の反応は?」等々、世間一般が抱く「?」に本音で答えました。

※「平成25年度 厚生年金保険・国民年金事業の概況」によると、公的年金加入者の第三号被保険者は男性が11万人、女性が934万人。平成10年度の同調査では、男性が4万人、女性が1,178万人だった。

きっかけは病気、介護、収入差、時間の自由度、離婚!?

白河桃子さん

「秘密結社・主夫の友」の“顧問”を務める、白河桃子さん。少子化ジャーナリスト・作家・相模女子大客員教授。最新刊『専業主婦になりたい女たち』(ポプラ新書)ほか、著書多数。

堀込泰三さん

堀込泰三さん(38)。兼業主夫/翻訳フリーライター。主夫暦8年。家族は妻(38)、息子2人(8・4)。大手自動車メーカー在籍時に2年間の育休を取得。子どもと過ごす大切な時間を増やすため「子育て主夫」に転身。『子育て主夫青春物語 「東大卒」より家族が大事』(言視舎)著者。

中村さん

中村哲也さん(39)。兼業主夫/ミュージシャン。主夫暦10年。経営者の妻(47)、娘2人(7・4)と4人家族。ネットオークションの達人。

片元彰さん

片元彰さん(32)。気持ちは兼業主夫。主夫暦1年。家族は妻(32)と息子2人(6・4)。広島生まれで広島大好きだが、新潟在住。「新潟に住んでる主夫のブログ

吉田さん

吉田尚史さん。中高非常勤講師/兼業主夫。主夫暦10年。9歳上の妻と3人の子ども(8・6・3)と5人暮らし。妻氏婚(戸籍筆頭者が妻)だが、ふだんは旧姓を使用。ブログ「子育て主夫男子の日常

佐久間さん

佐久間修一さん(48)。専業主夫。主夫暦18年。妻(40)、長男(3)と3人暮らし。「子育て専業主夫・しゅうちゃんのブログ

村上さん

村上誠さん(44)。兼業主夫/グラフィックデザイナー。主夫暦12年。妻(43)と2人の息子(9・3)と、イクジイである実父(75)と5人暮らし。

杉山さん

杉山錠士さん(38)。兼業主夫/放送作家。主夫暦6年。 服飾デザイナーの妻(34)、2人の娘(11・3)と4人家族。コミックエッセイ『新ニッポンの父ちゃん ~兼業主夫ですが、なにか?』(主婦の友インフォス情報社 絵/アベナオミ)の原作者。

稼ぎ頭は交代もアリ

回答

妻の扶養に入っている人は2人、「いまから入ります」が1人、という回答。

妻の小遣いは?

実親・義親はこんな目で見ている

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妻からの無茶振りあるある

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次回に続く

文:大塚玲子 撮影:内田明人 編集:渡辺清美

「過去の成功体験にとらわれるのは古い」という若い人の思い込み

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若手リーダーが抱える悩みを、ベストチーム・オブ・ザ・イヤー 実行委員長の齋藤孝先生がズバッと解決! 全5回、1回1質問で具体的な解決策やそれに基づく理論なども交えます。第5回は「成功体験に関する考え方」について。

年上のチームメンバーに仕事の取り組み方を変えてもらうには?

年上のチームメンバーに仕事の取り組み方を変えてもらうには? 年齢が上で社会人経験が豊富な人がチームにいます。こだわりが強く、自分なりのやり方を崩そうとしません。過去の成功体験もあると思うのですが、ビジネス環境の変化が激しい最中、自分を変えることに抵抗を持たず、新しい環境に適応した仕事をしてもらうにはどうすればよいでしょうか?

どんなチームにもこういった人はいます。これが難しい問題なのは「過去の成功体験にとらわれる」という言葉が常套句になっていることです。「過去の」「とらわれる」という言葉には、ネガティブな評価が入ってしまっています。

「過去の成功体験にとらわれる」と思うこと自体が1つの偏見と言えます。経験不足の人に「経験がないから……」と言ってしまうのと同じく、「過去の成功にすがりつく」と思うのもまた偏見なのです。

年上の人の話を聞く年下の人は「あー、この人は古い考え方だ」と思うわけですが、それも一種のネガティブな先入観ですよね。「時代は変わっているから……」と思うこともあるかもしれませんが、どう考え、どう進んでいくのが正解かは誰にも分かりません。逆に「過去の成功体験」がずっと通用する場面も多いのです。

結果がすべて。「過去の成功体験」という言葉に縛られるな

私は「結果がすべて」だと思います。結果の出る、出ないはその時々の局面によって変わりますし、過去の成功体験をなぞって同じことをやったらうまくいった、という場合もあります

「自分のブームは10年に1回ぐらい来ます」──。漫画家の本宮ひろ志先生がおっしゃっていた言葉です。『男一匹ガキ大将』『俺の空』『サラリーマン金太郎』でマンガブームが起こりました。登場する主人公の顔はだいたい同じ、性格も似ています。

本宮先生は「自分があんまり動いちゃだめだ」といった趣旨のこともおっしゃっていました。あえて自分から動かないことで、ブームや流れが自分に回ってくることもありえるわけです。

もしみなさんの周囲に、昔の成功体験を語っている方がいた場合、その人の発言内容について、本当に見込みがあるかをそのつど判断してみることをお勧めします。内容の良し悪しや是々非々はいったん置いておいて、発言内容だけを見てみるというのも良いと思います。

「仕事で先輩後輩関係ない」と言い切れない場合

「日本では、年上は扱いづらい」という認識があるのもまた事実です。欧米で仕事をされてきたカーデザイナーの奥山清行さんは、とあるインタビューで「日本に帰ってきた時は、急に仕事がしにくくなったと感じている」と話されたそうです。

ものの言い方に気を使わないといけない雰囲気があるからかもしれません。会社の会議でも全員が平等な一票を持っているわけではありませんし、上下関係が残っている社会では年上の人を尊重しなければならない。正直に言うと、ちょっと面倒な一面が残っていたりします。

仕事をする上で「先輩も後輩もない」と踏み切れるか。心情的に難しいものです。まずは敬語を上手に使って、チーム全体で気持ちよく仕事をしていただくことから始めてみるとよいです。

相手を敬い、過去の経験が生きる場面を作る

チームのメンバーが仕事のやり方を変えられない場合もあるでしょう。その場合はルーティーンな仕事を数多く担当してもらうのも1つの解です。

仕事は「新しいこと」ばかりではなく、型にはまった仕事も多く存在します。そこは過去の経験値が生きる分野です。人に応じてそういった仕事を多く配分すると、チーム内での仕事の住み分けも自然とできてくるでしょう。

「年上の人だから仕事ができない」と無理に決め付けてはいけません。人によって生きる仕事、できる仕事が必ずあるわけです。そこを確実にこなしてもらって、チームの仕事の負担のバランスを取るのがよいです。

仕事の依頼は、その人を尊重し、不信感を持たずに仕事を任せることが大事です。「私達はこの分野でこういったアウトプットが必要ですので、後方支援をお願いします」というように伝えるとよいです。

ほめる技術

できた仕事を評価することを忘れてはいけません。任せた仕事が完了すれば「ありがとうございました」とお礼をしたり、「助かりました、お陰で仕事がやりやすくなりました」とねぎらったりすることが大切です。

ほめる・ほめられるという動作を通じて良い人間関係が作られていきます。人はいくつになってもやりがいを求めるものですので、「どう役立ったのか」や「助かった」というていねいな気づかいの言葉が一言あるだけで、良い関係ができていくものです。

頑固に見える人ほどあまり褒められたり評価をされなかったりしています。逆に、良い人間関係やなごみを求めているとも言えます。だからこそ、ほめることは大切です。

「この人は頑固だ、自分を変えようとしない」という気持ちがもし生じた場合は、それは悪循環への第一歩です。無理にその人を変えようとせず、あきらめてその人にできることをやってもらうのも一考です。

指示と同時に相手を敬う

指示の仕方には注意が必要です。指示が明確でないと、見当はずれなアウトプットにつながる可能性があるからです。最初は「こういうふうにしてください」と具体的な指示を示すのがお勧めです。

成果物には「これで良いですね」といって受け取り、修正をして、伝えるといったことを繰り返していく必要があります。最初は時間が掛かりますが、仕事が型にはまり出すと、後はそれを実行するだけでよくなります。

人を変えるというのはとても難しいです。他者が人を変えるためには膨大なエネルギーを要します。私はあきらめが早いほうですので、「この人は変わらない」と感じた瞬間に、その人ができるシンプルな仕事をたくさん担当してもらおうと考えます。そしてたくさんほめます。

自分を変えるのだって難しいのに、他人を変えられる?

「柔軟性がない」という人はだいたいどの部署にもいます。だからこそ、その人に確実に任せられる仕事を見つけていくのがいいです。

人は変わらないものです。50歳になって大きく変わるというのは、まずありません。40歳でも変わるのは難しいものではないかと思います。

変わる可能性があるのは30代前半くらいかもしれません。逆にそれを過ぎて30代後半くらいになると、男女ともに急速に考え方が凝り固まってくると感じます。

職場には仕事が上手に見える人もたくさんいます。それらの人も40歳前後を境に、仕事の仕方は大方決まってくるのではないかと思います。

自分のスタイルで仕事をし、結果を出している人がいるとします。彼らはその時々の局面に応じた仕事のやり方で実績を挙げてきたのだと思いますが、仕事の仕方自体はずっと同じという人も少なくないはずです。

仕事の仕方が強引な人がいて、何かがあればネゴシエーションをして成功をしてきた。このやり方を20代、30代と突き詰めてきた場合、40歳以降もずっとそのやり方にこだわり続けてしまいがちです。結果を出しているなら、誰からも文句を言われないでしょう。

結果が出ていると、同じ仕事をしていても「すごい。この人は世間を知っている」という印象になるわけです。逆に結果が出ていない場合は「古いやり方をしている」と印象を周囲に与えてしまうかもしれません。

若い人の方が実は頭が固いって本当?

仕事のやり方を知らず知らずのうちに変えられなくなっている人は多いです。柔軟性は、たいていの人が持ちあわせていないものです。

よく「若い人の方が、柔軟性がある」と言われますが、本当にそうでしょうか? 実はそうでもないと感じる場面もあります。これまでの経験がない分、柔軟性に乏しくなる場合があるのです。

私は大学の教員として、学生とよく接しますが、若いからといって柔軟な人ばかりではないですよ。むしろ頑固な一面があって、「自分の考え方に固執していないか?」と感じることもあります(笑)。

柔軟性に乏しい人がチームにいた場合は、本当に重要なプロジェクトには加えないことも、時には大事です。その人の使い道を考えも疲れてしまいますので、「最後の書類の仕上げだけお願いしますので、それまでお休み下さい」と伝えて、残りのメンバーで全部仕事に着手してみるのもありです。

その人が重鎮だった場合は、ご意見を伺うようにして、実作業はほかのメンバーでやる。その人を尊重しつつ、時々仕事の報告をしておくと良いかもしれません。

「仕事が進まないストレス」が積み重なるほどしんどいことはない

「働くのが根源的に嫌だ」という人は実は少ないです、仕事が嫌だと言っている人の多くは、仕事自体ではなく、仕事が進まないことにいらだちを感じるわけです。

チーム運営で重要なのは「ストレスを少なくすること」です。その人がいてチームがうまく回らなければ、それはみんなのストレスになりますから。

もしチームメンバーがストレスにまみれているなら、仕事のできる人3,4人でワーキンググループを作り、密やかにパッパッと決めて進めていくと良いですね。

ワーキンググループに入っていない人にとって、この進め方は楽なわけですから、チームにとっては良いことです。チームメンバーは7人でも、実質は3、4人で仕事している。そんなケースがあってもいいと思いませんか。もちろん、全員が動けるのが理想です。


齋藤孝先生のお悩み相談室バックナンバー
saitou_1_250.pngプレイヤーとマネージャーの役割を切り離すのは時代遅れ
プレイヤーか、マネージャーか──。この役割は完全に分かれる時代でもないと思っています。その人がチーム内で任される役割によって、誰もがマネージャーにもプレイヤーにもなり得るわけです。...
saitou_2_250.pngマネジメントは調整ではない。コスパ重視のゲームと考える
達成に向けたプロセスを調整ではなく、一種のゲーム感覚で考えてみることをお勧めします。「誰々が調整しなければならない」ではなく「チームで勝ちにいく」という意識が芽生えてくるからです。「今回の仕事は色々なプロセスを省けて少ない労力で終えられた。うまくいった」となればしめたものです。 ...
saitou_3_250.pngあなたに「カリスマ的なリーダーシップ」は必要ない
今、カリスマ的なリーダーは求められていないと思います。まずは「何の目的のために、何をするのか」というビジョンがあり、優先順位をさっと決めて、段取りを組み、最終的な責任を持ってくれる、つまり後始末をつけてくれる人。この4つの素養を持つ人なら、だれでもリーダーの資質があるといえます。...
saitou_4_250.png「偉大なるマンネリ」を感じるチームほど最高である
「偉大なるマンネリ」になればなるほど、チームにとってはいいのです。「10年も一緒の人と会議をしている」「言わなくても分かることが多いから、いつでもリラックスできる」という、まるで我が家で過ごすようなマンネリの良さってあると思います。...
saitou_5_250.png「過去の成功体験にとらわれるのは古い」という若い人の思い込み
年上の人の話を聞く年下の人は「あー、この人は古い考え方だ」と思うわけですが、それも一種のネガティブな先入観ですよね。「時代は変わっているから……」と思うこともあるかもしれませんが、どう考え、どう進んでいくのが正解かは誰にも分かりません。逆に「過去の成功体験」がずっと通用する場面も多いのです。...

[往復書簡] 田原総一朗から津田大介さんへ。これからのジャーナリズムの居場所はどこにある?

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インターネットが生んだジャーナリスト、津田大介さん(41)。早稲田大学在学中からIT関連のライターを始め、1999年に有限会社ネオローグを設立。音楽業界の動向を追ったブログを皮切りに、2003年よりジャーナリストとして活動する。2011年より有料メルマガ「メディアの現場」を配信、2013年には政治メディア「ポリタス」を立ち上げ、社会を読み解くための視点と深く知るための論点を投げかけている。絶妙なバランス感覚で、インターネットを主戦場に世の中に問いかけるジャーナリストだ。

Twitterにメルマガ、Webメディア……新興メディアを開拓して居場所をつくり、新聞、テレビ、ラジオといった既存のメディアでも物申す。あらゆるメディアを手段として駆使し、変化し続ける"メディア人"の代表とも言える。

ジャーナリストの田原総一朗さんは、自分が築いてきた「メディアの解放区」を津田さんにつくってほしいと期待する。インターネットを舞台にこれからのジャーナリズムを模索し続ける津田大介さんに、テレビを中心にジャーナリズムの歴史を築いてきた田原総一朗さんが迫る―――。

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※メディアの第一線で活躍する「これまで歴史を築いてきた人」と「これからの時代をつくっていく人」。その過去、現在、未来を探る、Web時代のチャットのような往復書簡を、現代ビジネスとサイボウズ式の2つのメディアでお届けします。津田大介より田原総一朗さんへ「"メディアの解放区"はどうやって作ればいいんですか?」。

変わらないメディアの役割と変わるメディア環境

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これからの期待するメディア人

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スキャンダルが少なくなったのはなぜ?

複雑化する世の中で感じる、伝えることの難しさ

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これからのジャーナリズムの居場所は?

_MG_9682.jpg (文・徳瑠里香/写真・岡村隆広)
「ぼくらのメディアはどこにある?」スタート
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津田大介より田原総一朗さんへ "メディアの解放区"はどうやって作ればいいんですか?


ぼくらのメディアはどこにある? サイボウズ式と現代ビジネスが探しに出ます

特技を活かしてPTAの負担を減らす──コデラ総研 家庭部(46)

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テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第46回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「特技を活かしてPTAの負担を減らす」。

文:小寺 信良
写真:風穴 江(「tech@サイボウズ式」編集部)

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PTAの広報紙をカラー化するにあたり、出版社からは従来のモノクロ印刷の3倍の見積もりが返ってきた。カラーになるとやっぱり高いのね、と普通の人なら思うところだろうが、今どき業者に頼む出版物でカラー以外のほうが珍しい。近所の自治会や川を守る会のような団体でさえ、日常的にカラー印刷の掲示物を発注していることを考えれば、そんなに高いわけがない。

すでに広報予算が決まってしまった中でカラー化へ動き出したため、予算的には従来のモノクロ印刷分しかない。つまり、「お値段据え置きでカラー化する」というのが、筆者に課せられたミッションだ。

地元には、PTA広報紙のような小規模な印刷物を扱う印刷所のようなところがいくつかある。ほかの業者でも同じなのか、電話で調査してみた。すると多くは、こちらがPTAだと分かると、だいたい同じような価格を提示してきた。おそらくどのPTAでも、広報予算はある程度の額を最初から設定しており、小規模な事業者にしてみれば値切られるわけでもなく、毎年似たような発注量が延々と続くことで、かなり美味しい商売のようだ。ある事業者などは、こちらの希望予算を伝えると、「あんた素人だから教えてあげるけど、そんな値段でどこもやるとこなんかないよ」と電話口で延々15分も説教された。おもしろい。それならその値段でやってやろうじゃないか。

もちろん、こちらとしてもうかうかしていたわけではない。知人が同人誌を中心としたオフセット印刷の会社を起業していたこともあり、ネットで発注できる印刷システムがあることは知っていた。ちと遠いがいざとなればその会社に発注することを念頭にいろいろ調べていたら、「ラクスル」というネット印刷システムがあるのを見つけた。

ラクスルは2009年創業のネットベンチャーである。日本全国の印刷会社をネットワークで繋ぎ、サイトで受注した印刷物を最寄りの提携印刷会社に発注、そこから納品先へ直送するというビジネスモデルだ。「印刷業界のオープン化」を目指すというだけあって、発注の仕組みも分かりやすい。A4中とじ8ページのカラーオフセット印刷600部で、受付から8営業日仕上がりであれば、1万5500円である。

ただし、これはDTPされた原稿をデータ入稿しなければならない。PTA広報委員会にはそのようなスキルはないので、これまでは出版社にDTPから印刷までを依頼していたわけだ。逆に言えば、DTPしてくれる人を探してくれば、格安でカラー化できることになる。

DTPの外注先を探す

これまで依頼していた出版社に、印刷はなしでDTPだけ依頼できないかと打診してみたが、印刷とセットでなければ受けられないという。ならば仕方がない。こちらでDTPできる事業者を探すだけだ。

筆者は仕事柄、友人に編集者やDTPデザイナーは多い。その中で、地元に近い隣町に住むフリーの編集者に「ラクスル」のサービスを紹介しつつ打診してみたところ、快諾していただけた。編集、DTP、データ入稿まで、これまでのPTA予算のままで面倒見てくれるという。

ここまで見えてきたところで、PTA会長から横やりが入る。これまで依頼してきた出版社を変えると、学校側に迷惑がかかるのではないか、というのだ。PTAはそもそも広報紙しか付き合いがないが、学校は定期的に発注があるのかもしれないという。

そこで教頭先生に確認したところ、学校側で出版社に依頼している出版物はないという。また長年付き合いのある出版社への発注をやめることについても、了解をいただいた。それはそうだろう。公立校が特定の事業者との関係が切れないということになれば、大問題である。

PTA本部と学校の許可も取れたので、出版社に対してはメールで取り引き停止の連絡をした。返事はない。これまでも同じメールを2〜3回送らないと返事がこないような営業だったので、見ていないのかもしれない。ただまあ、この話はもう1年以上前の話で、これまで何も言ってこないところをみると、読んではいたのだろう。

5月に広報委員長を引き受けてからこうした紆余曲折の間、およそ2カ月半が経過していた。外注先の変更が正式に決定したのは、夏休みに入る直前、7月も終わろうとする頃だった。

成果もきちんと出す

その間も委員の皆さんは、それぞれ手分けして原稿の執筆を行なっていた。発注先も決まらない状況で原稿を作るのは、気が気でないことだったろうと思うが、皆さんがんばって仕上げてくれた。

取材から執筆にかけては、あえて何も口出ししなかった。以前の広報委員会では、取材にいちいち委員長副委員長が立ち会っていたようだが、一緒に付いていっても邪魔なだけなので、これもやめた。その代わり、企画会議の段階でガッチリ内容に入り込み、全員で仕上がりのイメージを固めた。テーマは何か、具体的にどこにどういう内容を取材するか、最終的な落としどころはどこか、といったことを綿密に話し合うわけだ。

これらのことは、すでに小学校からずっと学校の授業の中で何度も繰り返し教えられてきたことなので、保護者の年齢になってもなんとなく覚えているものである。さすがに文章力はその人それぞれで力量の差が出るが、それはこちらで直せばいい。内容的にはよくある学校行事レポートではなく、社会派とも言える硬派な出来となった。

編集者へ入稿し、初校は紙ではなく、PDFをメール添付でもらう形にした。これをPTA室のパソコンとプリンタで印刷し、PTA本部と学校のチェックに同時に回す。1週間後に戻ってきたら、それを合体してPDFに注釈として埋め込み、編集者に戻す。これを2〜3回ぐらい繰り返して、完成である。

従来この作業で1カ月半かかっていたのだが、半分以下の3週間で完了した。編集者が直しをすぐやってくれるので、そこでも1週間ぐらい時間短縮できている。確認作業が短縮できれば、発行日まで余裕が取れるので、印刷費が安くあがる。ラクスルでは、急ぎの印刷ほど値段が上がっていくシステムなのだ。したがって編集者は、急いでやればそれだけ利益が増えるということでもある。

最初の号の印刷仕上がりは、さすがに不安があった。どんな印刷業者に当たるのか分からないし、発行日前日に届けられるだけなので、中身をチェックしてNGだったら、刷り直ししても間に合わない。発行日に委員を集めて検品作業を行なったが、品質的には十分満足いく仕上がりであった。紙の質も1ランク上がり、しかも念願のカラー化を果たしたということで、PTAにも学校にも好評であった。

のちにこの広報紙は、県で毎年行なっている学校広報紙コンクールで入選を果たした。本校で入選したのは、数年ぶりのことだという。カラー化したからということではなく、中身の良さが評価されたものだろう。

紆余曲折ありつつも成果をきちんと出したということで、次年度の予算は4万円のプラスとなった。もっとも、従来予算のままでカラー化できたので、増分の予算は使わないことになるだろう。

印刷物というのは、身近なものではあるのだが、それを作るとなると一般の人にはなかなか分からない分野である。1年こっきりの当番のように回ってくるだけの保護者には、手に負えない部分も多い。そこに大きな無駄が生じるのは、誰も専門知識を持っていないからだ。だが誰か分かる人間が現場に入って整理すれば、大きく効率化できる部分でもある。

隣の小学校では、広報紙の発行を委員会でやるのはやめて、保護者の有志で「広報部」を作って発行しているという。つまり1年で任期交代するのではなく、慣れた人たちがずっと専門でやる体制を作ったということだ。それもひとつの方向性だろう。

方法論を固定せず、今どきの時勢に合わせながら合理化するほうが、PTA活動は苦しくならない。「誰でもできる」から、「特技を活かして負担減」が今後のトレンドになればいいと思う。(つづく)


本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、とりあげて欲しいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


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「外で遊ぼう」「人との対話が大事」なんて子どもにとって余計なお世話──実践子どもIT教育

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清水誠さん

子どもへのIT教育が関心を集める中、Webアナリストの清水誠さんの教育法は特殊といえるかもしれない。日本最大級のセキュリティコンテスト「SECCON」などに出場し、「天才ホワイトハッカー」として次代を切り開く清水さんの息子さん。その教育の秘訣を聞くと「好きなことを止めずにやらせていたら、自然とこうなった感じです」とあっけらかんだ。本当のところはどうなのか? 清水さんに聞いてみた。

自分も、子ども扱いされるのが嫌だった

清水誠さん

清水誠さん。1995年国際基督教大学教育工学科修了。インターネット暦20年。凸版印刷や外資Webエージェンシーにて情報アーキテクチャの分野を開拓しつつ大手企業へのWebコンサルティングを提供。ウェブクルーでは開発・運用プロセスの改善、日本アムウェイでは印刷物のデジタル化とCMS導入、楽天ではアクセス解析の全社展開、GILT GroupeではKPIの再定義とCRMをリード。2011年9月に渡米、米国ユタ州にてデジタルマーケティング製品の品質・プロセス改善に取り組むかたわら、執筆や帰国時のセミナー活動も続けている。

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幼稚園児とパパがネットゲームに同時ログイン

「もっと外で遊べ」「人との直接対話が大事」とか、余計なお世話

大人の「子どもはどうせわからない」は思い込み

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清水誠さんのブログ「こどもIA日記」

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Webからダウンロードして集めた画像

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3歳の息子から届いたガラケーメール

「ゲームなんて時間の無駄だ!」プレイヤーから開発側へ

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ゲーム攻略Wikiを更新する小学生

近日公開予定、「清水誠の子どもIT教育論(後編)」に続きます。

(執筆:河崎環、写真:橋本直己)

子どもにこそ上位機種のMacを与える、親はお古で良い──実践子どもIT教育

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清水誠さん

子どもへのIT教育が関心を集める中、Webアナリストの清水誠さんの教育法は特殊といえるかもしれない。日本最大級のセキュリティコンテスト「SECCON」などに出場し、「天才ホワイトハッカー」として次代を切り開く清水さんの息子さん。「もっと外で遊べ、人との直接対話が大事」といった干渉をまったくしなかった清水さんに、子ども教育の秘訣を聞いたところ「勝手に好きなことをやればいい、突き進んでほしい」という答え。実際はどうなのか?

(前編「「外で遊ぼう」「人との対話が大事」なんて子どもにとって余計なお世話」の続きです)

結局、人間って自分がやりたいことしかできない

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子どもにこそ、上位機種のMacbookを買い与えた

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自意識はどうすれば芽生えるか?

清水誠さん

清水誠さん。1995年国際基督教大学教育工学科修了。インターネット暦20年。凸版印刷や外資Webエージェンシーにて情報アーキテクチャの分野を開拓しつつ大手企業へのWebコンサルティングを提供。ウェブクルーでは開発・運用プロセスの改善、日本アムウェイでは印刷物のデジタル化とCMS導入、楽天ではアクセス解析の全社展開、GILT GroupeではKPIの再定義とCRMをリード。2011年9月に渡米、米国ユタ州にてデジタルマーケティング製品の品質・プロセス改善に取り組むかたわら、執筆や帰国時のセミナー活動も続けている。IT教育について書き記してきたブログ「こどもIA日記」。

日本と北米で、マインクラフトに親子同時ログイン

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開発について彼が何言っているか、僕はわかんないですからね(笑)

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息子さんの読んでいる本

勝手に好きなことをやればいい、突き進め

後日談:DEFCON会場で開催された競技「Open CTF」で、彼が率いるチームが第3位に入賞

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前編「「外で遊べ」「人との対話が大事」なんて余計なお世話──清水誠の子どもIT実践教育論」もどうぞ。清水さんと息子さんが本音で話してみた「おやこホンネ対談記事」は後日公開予定です。
(文:河崎環、写真:橋本直己)

「100人、100通りの働きたいオフィス」に挑戦したい理由

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サイボウズ日本橋オフィスのラウンジ

サイボウズ 副社長で、現在はUS事業本部長としてアメリカ市場開拓に従事する山田理が、その時感じた思いをつづるサイボウズ式「まるボウズ日記」。今回はサイボウズが日本橋オフィスに移転したことをきっかけに考えた、「100通りの働きたいオフィスの実現」について。

「集めよう、統一しよう」で作られた働く場所は幸せなのか?

世の中には多様なチームワークのスタイルがある。にもかかわらず、世の中の成長企業は「統一しよう」「集めよう」とする。

GoogleもFacebookもAppleも楽天も。みんな大きなキャンパスやビルにできるだけ多くの人を集めて、その中の空間を快適なものにしようとする。無料の社食があって、娯楽施設があって、BARがあって……。効率的な経営のためである。

だが、メンバーはみんな、本当にそれを望んでいるのだろうか?

それって、行きたくないところに行くためのエサじゃないのか? 家に帰りたいのに「帰らないこと」へのごほうびじゃないのか? だからと言って、みんながみんなホームオフィスで一人になりたいのか?

チームの理想を理解・確認できる場所があり、チームを肌で感じながら、働きたければ好きなところで働ける。そんなオフィスや働く場所を実現できないのだろうか?

「100人100通りの働きたいオフィス」に挑戦したい

サイボウズはこのほど、日本橋にオフィスを移転した。新しいオフィスのコンセプトは「Big Hub for Teamwork」、チームでワークするための中心地という位置付けだ。

サイボウズの「チームワークあふれる"社会"を創る」と同時に「チームワークあふれる”会社”を創る」、このビジョンに想いを込めてのコンセプトである。

チームの対象は「社員」に限らない。パートナーの方々も含めたチームワークを実現するためのものである。これからのオフィスは「会社」の枠さえも超えると思っているし、これぞ「ソーシャルチームワーク」である。

100人100通りの人事制度」だけでなく、次は「100人100通りの働きたいオフィス」にチャレンジしたい。新しいオフィスがその試金石になればと思う。

父「子どもの環境を整え、あとは本人次第」 、息子「父親より先輩の存在が大きかった(笑)」──実践子どもIT教育のホンネ

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Webアナリスト 清水誠さんの「ITと子育て」の実践過程は、「「外で遊べ」「人との対話が大事」なんて子どもにとって余計なお世話」「子どもにこそ上位機種のMacを与える、親はお古で良い」の通り。では、こんな清水さんの子育ての考え方に対して、息子の郁実くんは率直にどう感じていたのか? 親子の会話から見える、こんな本音──。

少年ホワイトハッカー、幼稚園前にPCゲーム。「ゲーム課金はしなくていいと思います」

参考:4〜13歳のまとめ :: 「清水 誠」公式サイト

参考:9歳の息子がDropboxの更新通知を使ってチャットしてきたぁ :: 「清水 誠」公式サイト

清水郁実さん

清水郁実くん

中学受験期は淡々と勉強、「マインクラフトのMODを作るためにJava覚えたい」

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父が勤務していたアメリカで雪遊びした時の思い出をマインクラフトで再現

父親より学校の先輩のほうが環境として大きかったと思う(笑)

清水さん親子

都心の「隠れ家」で男二人、「親子ルームシェア」状態

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ネットゲームに一緒にログインして遊ぶ親子(6歳の時)

「15のころ、僕もこんな感じでありたかった」

清水親子

「周りがほめ始めたら危険」、父が教えるIT道の身のこなし

前編「「外で遊べ」「人との対話が大事」なんて余計なお世話──清水誠の子どもIT実践教育論」、後編「子どもにこそ上位機種のMacを与える、親はお古で良い──子どもIT教育論」もどうぞ。

(文:河崎環、写真:橋本直己)

PTAにとりつく公平負担の幻想──コデラ総研 家庭部(47)

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テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第47回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「PTAにとりつく公平負担の幻想」。

文・写真:小寺 信良

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PTA活動の話題も今回で4回目になるが、やはり小学校の子供を持つ世代の多くが気になる話なのか、意外に「読んでる」という人が周りに多くて驚いている。今回は、無償のボランティア活動であるPTAに、どのようなスタンスでアプローチすべきなのかを考えてみたい。

昨年末から今年頭にかけて、プロは無償の仕事を依頼すべきではないし、引き受けるべきではない的な話がネットで盛り上がった。筆者もそれが「仕事」なのであれば、無償で引き受けることはないが、PTAのようなボランティアではまた別の考え方があると思っている。それというのも、PTAの委員を決める際に、自分はそれのプロだからやらない、という人が出てきているのだ。

プロのスキルは、無償で身につけたものではないため、スキルに対価が発生するのは分かる。だからボランティアではやらないという考え方も、一理ある。だがPTAは、どのみち何かの役を1回はやらないといけない決まりになっているところは多い。そこがおかしいという話もあるが、それはここでは置いておいて、どのみち何かやらないといけないのなら、自分が得意なことをやったほうが、自分が辛くないですよ、ということなのである。

例えば経理の経験がある人が会計を引き受けるとか、総務の経験がある人が書記を引き受けるといったことだ。僕の場合はモノカキの経験があったので、広報委員を進んで引き受けたわけである。

もしこれまでやったことがない仕事が抽選などで割り振られたら、大変だ。例えば予算書の書き方を知らない人が会計を担当するような事態を想像してみるといい。素人がいちから前任者に教わりながら、あるいは自分で勉強しながらやることになるので、ものすごく時間がかかる。当然クオリティも上がらない。

多くのPTA活動は、誰でもできるような仕事、ということになっている。だが知識やスキルがある人がやれば30分で終わるような仕事を、初心者だと有給を取って1日がかりでやるような羽目になるわけだ。そして実際、多くの活動がそんなことになっている。各自のスキルとPTA活動の内容が、マッチングできていないからだ。こんな勿体ない話はない。

求められるスキルとのズレ

ではなぜマッチングできないのか。まず理由のひとつは、それぞれのPTA活動にどんなスキルが必要なのかが、全然整理されていないからである。例えばこの仕事ではパソコンで書類を作るスキルがいるよとか、この仕事ではエクセルで集計する仕事があるよとか、この仕事では大勢の子供達を扱うよとか、いったことである。

これらのことは、誰でもできると思ってはいけない。この記事をご覧の皆さんはパソコンを使うことに抵抗がないだろうが、パソコンがない家庭も増え始めている。これまでパソコンでやっていたことが、今はスマホでやれてしまうので、いらなくなったのである。

子供を扱うにしても、大声を出して子供を整列させたりといったことが苦手な保護者もいる。自分に子供がいるからといって、誰でも「子供達のリーダー」がうまくできるわけではないのだ。これはスキルというより、向き不向きである。

だから方法論としては、先に求められるスキルや特性を提示し、それに対して応募するような方式に変えていくほうが、より望ましい結果が得られるのではないかと思う。

ただ、すべての役職が応募で埋まるわけではないだろう。細かい役割については、役員がアサインしたほうが早い場合もある。この場合に困るのが、その保護者の特性が分からないことだ。パソコンが使えるのかというところから始まって、何の仕事をしているのか、プライベートな付き合いがなければ、まったく情報がない。

かといって、PTA役員が保護者の職業を把握し、それに応じた仕事が割り振られていくとなると、不公平感が出る。全部自分に仕事が集中しているような気がするのだ。公平な負担感を求めていくと、究極的には全員が未経験な仕事を、やたら効率悪くやったほうがいいということになる。誰か1人でも効率良くやれる人が出てくると、「何よあの人」が始まってしまう。そういう様々な面倒が重なって、誰もPTA活動をやりたがらず、しかたなしに役割が強制的に割り振られる、の悪循環を辿るわけである。

PTAは規模が大きくなるほど組織としても人間関係としても複雑になり、うまく回すのが難しくなる。あの人が嫌いとかいった事情で先へ進めなくなるケースも出てくる。かといって規模を小さくすると、活動も小さくなってしまい、十分な成果が得られない。

PTAの委員2年目をやっている個人的な感想だが、全員の公平負担は、もう成立しない時代にさしかかっているのではないかという気がする。「やって欲しいことリスト」をバッと提示して、能力がある人が「あ、これやっとくから」で回るのが、本来は一番いい。それに近い形に向かって、少しずつにじりよっていくしかないんじゃないかと思う。(つづく)


本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、とりあげて欲しいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


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ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔第22回:小学生に情報科学を教える

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元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載の第22回。今回のお題は「小学生に情報科学を教える」。

ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。

文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki

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中学生や小学生にプログラミングを教えることが流行り始めている、あるいは流行っているように思われる。私の身近なところでは、2012年1月末に俄かに結成された臨時特殊科学分析班の原田康徳隊員(遺言状第4回参照、現在合弁会社デジタルポケット代表)が開発した「Viscuit」による小中学生向けのビジュアルプログラミング教育が日本中にどんどん浸透していっている。未踏の若者たちも絡んでいる「Life is Tech」は、中学・高校生向けで、メニューがとても豊富だ。

文部科学省がプログラミングを義務教育化しようとしているらしい。2012年から中学校の技術・家庭科でプログラミングが必修になったというのだが、現状では、私が子供のころ学んだ裁縫による雑巾作りの延長にあるように思えてならない。中学校の3年間で数時間の時間しか割り当てられていないのだから、プログラミングはまぁそんな程度のものかという価値基準を子供たちに刷り込む効果しかなさそうな気がする。雑巾縫えなくても100円ショップに行けばいくらでも買える。プログラム書けなくても何も不自由しない……。

御上が定めた学習指導要領ではどーにもならんと思った人たちがどんどん独自路線で子供のためのプログラミング教育を始めている。

私がエジプトで大学院生に「プログラミングの心」みたいなことを教えていた2011年〜2013年の3年弱、早稲田大学から派遣されるという形だったので、早稲田の先生方にはいろいろお世話になったり、脅されたりしていた。脅したのは元副総長の村岡洋一先生だ。NTT時代の先輩でもあったので「ねぇ、ねぇ、竹内さん。エジプト大丈夫? 何かあっても早稲田はなんも面倒見てくれないよ」というのが、遭うたびのご挨拶だった。

その村岡先生、70歳で早稲田大学を定年退職されて、時間の余裕ができたせいか、「竹内さん、もうエジプト終わった? なら、これからちょっと面白いことをやりたいのだけれど、手伝う? もちろん、いやならいいよ」と、断れないお誘いをかけてこられた。

いわく、「お役所にいくら働きかけてもちっとも世の中変わらない。だったら、中学・高校生向けの私塾を作ってボトムアップでコンピュータの教育を改善していくしかない」と言うのだ。こうして情報教育の権威である筧捷彦先生、村岡研究室から明治大学にトラバーユした秋岡明香先生、それと私の4人でどんな私塾を作るのかの議論が始まった。

早稲田のネームバリューを活かそうというずるい魂胆もあったが、すでにあちこちで流行り始めたプログラミング塾とどのように一線を画して、独自性を出すかについて議論が集中することになった。ただし、独自性のための独自性ではなく、何か太い筋が通っていないと恰好悪い。そこで侃侃諤諤かんかんがくがく。いろいろな人がおっしゃっているようにプログラミングは手段、それを支える「情報科学」があるではないか。やはり、ちゃんと情報科学を教えよう、でも、それだけでは中学・高校生に人気が出ないかもしれないので、ビジュアルな効果が見えるプログラミングもそれに付随して教えようということになった。

幸い、2013年の未踏IT人材発掘・育成事業で採択された早稲田大学の鈴木遼君(当時大学4年生)が、未踏で開発した、というより未踏でフィニッシュした感のある「Siv3D」という、プログラミング初心者にも取り付きやすい言語の成果で、スーパークリエータ認定を受けた。鈴木君は特にプログラミングの教育も受けず、独学で高校1年からSiv3Dを開発し続けてきたというから、何と苦節7年目で大きく開花したことになる。情報科学を学んだあとのプログラミングコースにSiv3Dを採用することになった。

実は、Siv3Dは、中学・高校生に教えるには誰もが相応しくないと思うC++という強面の言語を拡張したというか、オブラートで包んだような言語(ライブラリ)である。いくらオブラート(袈裟?)で包んでも、C++の鎧がチラチラ見える。本当に大丈夫かという心配もあったが、鈴木君のデモを見て、みんな「おお、これなら大丈夫」と太鼓判を押した。鈴木君はプレゼンが猛烈にうまい。Siv3Dはゲームを作ろうとしたら、とても強力な言語なので、深く突っ込んでもそれを受け止める懐の深さがある。これは才能のある子供には好ましいことである。

結局、最初は座学で、Siv3Dで作ったビジュアルな教材を活用しつつ、情報科学の講義を2日間聞き、そのあとにSiv3D入門を3日間学ぶというコース設計になった。こういうカリキュラムの私塾はほかにないような気がする。最終的に決まった名前は「早稲田情報科学ジュニア・アカデミー」である。

何と5日間のコースのあと、みんなちょっとしたゲームを作ってプレゼンするところまで行くのである。

◆     ◆     ◆

プログラミングと情報科学をどのようなバランスで教えるかは誰しも悩む問題だろう。私が電通大から東大に移ったころ、東大の理系の1年生の秋学期(第2学期)にプログラミングをどう教えるかについての再検討が始まっていた。それまではJavaによるプログラミング入門の科目があった。カリキュラムの抜本改訂により入学直後の春学期は文系・理系共通の「情報」という科目になり、それを受けて秋学期の理系共通科目は「情報科学」という名前になった(※1)。

私もいきなりこの準備委員会に参加することになった。科目「情報科学」のシラバス作成の基本方針には2つの選択肢があった。

(a)プログラム言語・プログラミングを通じて情報科学の基本概念や思考方法を身に付ける
(b)情報科学の基本概念や思考方法を主とし、プログラミングはその学習の手立てとする

準備委員会では後者の(b)案を採用することになった。すなわち、プログラミング技術は「学習の手立て」という位置づけになったのである。そして、学習の手立てとなるプログラミングには、導入が短時間ですみ、各種の実験的なプログラミングも容易な「対話型言語」を採用することまでは割りと早く決まった。

この対話型言語の選択には、進学先の専門学科からの期待など、非常に多面的な配慮をしなければならず、結構時間がかかったが、紆余曲折の上、Rubyに決まった。Lisp屋のはずの私も比較的早くからRubyを推したことがメールのやり取りを掘り返すと思い出される。ちなみに候補に上ったのは、Ocaml、Scheme、Mathematica、Haskell、Standard ML、Common Lisp、Emacs Lisp、Ruby、Python、Perl、JavaScript、などなどであるが、多くは「試して合点」がすぐにできる対話型言語でないことで候補から落ちた。

途中で出てきた文書には以下のような文章も見える。

これまでの「実用プログラミング教育」は原理から離れた表層のみを扱っており、有効なプログラミング能力の育成方法としては非能率であるのに対し、基礎原理を早期にしかも容易に(楽しく)習得できる今回の方式は、学生のプログラミング能力を涵養するための近道である。

こういった議論があったことと「早稲田情報科学ジュニア・アカデミー」のコース設計の考え方には共通点がある。一言で言うと、プログラミングには「情報科学」という「学問」の背景があるということを子供たちや学生に知ってもらいたいということだ。

◆     ◆     ◆

午前10時から、昼休みを挟んで午後4時までビッシリの授業とはいえ、わずか2日だから、中学・高校生に情報科学の何を教えるかは悩ましい。試行錯誤の結果、データ表現周辺に話題を絞ることになった。2進数はもちろん最初のテーマだが、そのあとは画像や音といったリアルなデータの量子化と標本化(視覚的にも聴覚的にも分かりやすい──Siv3Dによる教材がここで役に立つ)、そしてパリティの考え、そのあと簡単なアルゴリズムとモデル化、そして次に何とデータ圧縮と続く。そして、最後が「オートマトン、コンピュータ、プログラム」。

私は2日目のデータ圧縮(午前2時間)と「オートマトン、コンピュータ、プログラム」(午後2.5時間)を一気に喋りまくる。もう4回のコースを行ったが、最初のころに比べて受講する子供たちの質がかなり上がってきたのがよく分かる。まさに継続は力なり。

データ圧縮では、「情報を測る」という話から始めて、ほんのちょっとだけ「情報理論」という言葉に言及して、あとは数当てクイズで、二分法と2進数の関係を子供たちと遊びながら紹介する。そして、「情報量」と「データ量」は違うという話に持っていき、「データ量」なら圧縮できるぞという話をする。デジカメのJPEGは、人間の感覚のいい加減さを利用して非可逆のデータ圧縮をしている、など。RGBで24ビット、1000万画素だと真面目に記録するとすぐメモリがパンクするという話をすると子供にすぐ分かる。

そして、Huffman符号化とか、ファックスなどに使われるランレングス(連長)圧縮の話までする。中学生に教えるには何ともとんでもない内容だが、実は実例を示しながら説明すると中学生にも十分理解できる話なのである。「これ大学に行ったら勉強するかもしれない話だよ」と中学生の心をくすぐることを忘れてはいけない。

「オートマトン、コンピュータ、プログラム」では、コンピュータの歴史から始まり、簡単な有限オートマトンのダイヤグラムを書いてもらう演習も含め、コンピュータはプログラムも含めて内部はすべて2進数だよという話から、他のコンピュータを模倣する万能マシンまで一気に話を進めてしまう。まさに大学の講義のミニ版だ。

思えば、私も小学生のころ、親に買ってもらった本を読んで想像を脹らませたものだ。同じことを若い子供たちに再現してほしい。だから、ちょっと手の届かない話をやさしく紹介するのが秘訣だと思っている。

とはいえ、オートマトンの話をするときは、「先生はドラクエをIからXまで全部クリアしたよ」と紹介したあと、「ドラクエ」の謎解き問題のほとんどはオートマトンが分かっていると簡単に作れるよ、と説明すると、ゲームを作りたくて受講している子供たちの目が輝く。「ほら、このオートマトンの練習問題で、初期状態に戻す『#』の入力はドラクエではダンジョンの元の階に戻ることだよ」でほぼダメ押し。

ついでに、「ロールプレイングゲームなどで次の怪物が出てくるタイミングはただの乱数で決めちゃいけないよ、ちゃんとポアソン分布というのを使うんだよ」とほのめかすと彼らの学習意欲フラストレーションが溜まってくる。ともかくこんなキーワードを散りばめるのが私塾の極意だろうなぁと思う。

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さて、村岡先生、今年になってこの私塾を小学生にまで広げようと考えられた。夏休みに小学5、6年生を対象に、もっとやさしい内容でやろうというわけである。その最初のトライアルをこの8月上旬に行った。さすがにSiv3D入門はなしである。2進数入門から始めるのは同じとして、何と私は「情報とセキュリティ」という授業を午後1時から3時まで、1時間ごとに休憩を入れながら行うことになった。

私の授業は、簡単な暗号(IBM→HALなど※2)の話の紹介のあと、2人のうちの1人がコインを投げ、もう1人がコインの表裏を当てて駒を動かすというゲームを遊ばせる。そして、このゲームを映像のない電話越しで遊ぶにはどうするかという問題にする。つまり、相手の言っていることを信頼できるようにするにはどうすればいいかをテーマにした。十分にセキュリティと関係ある話だ。

授業の準備をしているとき、小学6年生は進学塾で全滅、小学4年生のほうが多くなったという情報が聞こえてきた。「あれ? 小学4年生はどこまで漢字が読めるのだろう?」「アルファベットは?」など、急に心配になってきた。Webを見ると、何と「情」も「報」も小学6年生で学ぶ漢字。あちゃあ、というわけでPowerPointにルビを振ることになったが、PowerPointにはルビの機能がない! 行間調整など結構大変な思いをして、いろんな漢字にルビを振った。

電話越しのコインの表裏当てには3つの設問を用意した。最初は太田和男先生たちが書いた講談社ブルーバックスの「情報セキュリティの科学」(1995年)の中の、同じ本を2人が持っていて、何ページの何行目の左から何文字目が「た」かどうかを1秒以内で当てさせるという方式である。言われたほうは所定の文字を1秒以内には見つけられないという原理である。

2つ目は大きな整数(10進数)の2進数表現の上から9桁目が1か0を1秒以内に答えさせるという方式だ。小学生は最初に10進数から2進数への変換の勉強をしているから、これが大変なことはすぐ分かる。

3つ目は、RSA暗号で使われる素因数分解だが、さて小学4年生が夏休み前に素数を学んでいるのかどうかが心配になってきた。文科省のページを見るとどうも怪しい。しょうがないのでちゃんと説明スライドを作った。素因数分解はさらに怪しいので、さらに説明を加えた。大きい2素数の掛け算の結果を素因数分解するのは本当に大変だという説明に苦労は要らない。ちょっとした桁数の練習問題を出せば小学生にもよく分かってもらえる。大きな2素数の積を素因数分解して小さいほうの素数の2進数表現の上から45桁目は0か1か?というような問いにすればよいのだ。

そこから先は、急に小学生レベルを超える話になるので、ざっとした話しかしなかったが、とりあえず電話で時間無制限でコインの表裏を当てるゲームをインチキなしでできることは小学生にも分かってもらえたと思う。

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と、書くと、実に順風満帆の授業のように聞こえるが、いやぁ、小学生(10数名)相手の授業は本当に大変だった。ほとんどが初対面の子たちなのだが、すぐ仲良しになって、まぁ、よく騒ぐことよ。講話だけでは5分と持たない。みんなそわそわしだして前後の子供たちとつつき合いやら、ぺちゃくちゃ話を始める。一部の父兄の方が後ろで傍聴していても関係なしである。「はい、これからテストします」と言うと、急にシャキッとなるとも聞いていたが、私はその手は使わなかった。

最初に2進数の説明を3時間する予定だった村岡先生は何とこの喧騒にやられて2時間で「ダウンして」しまわれた。その話を聞いていたので、相当覚悟して3日目の授業に臨んだが、案の定、これはすごい。このときばかりは小学校の先生はすごいと、尊敬の念を持ってしまった。

例のコイン投げのゲームを実際の(100円ショップで調達した)玩具デカコインを使って2人ペアで遊ばせたら、もう大変。金色のコインが教室中を飛び転がり、それを追って、子供たちが教室中を駆け回る。なにしろすべてがこの調子なのだ。

しかし、驚いたのはみんな「情報」も「秘密」もルビなしで読めていたこと。そりゃ、そうか、文部科学省の学習指導要領などとは関係なく、マンガにはこういった漢字が氾濫しているのだ。素数もどなたか大人の方が「あ、それはもう塾では習っています」とおっしゃってくれた。やっぱり役所の公式ページなんか見ていてはいかんのだ。

もっと驚いたのは、騒々しいけれど、小学4年生なのに利発な子がいて、授業の話をほとんど瞬時に理解できていたことだ。盛んに手を挙げて「あ、その素数の話、聞いたことがあります」という調子。日本の将来は明るい!

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8月17日から3日間、米子の近くの堺港のホテル(※3)で開かれた情報処理学会の「コンピュータと教育研究会 SSSS2015」にお招きいただいた。墨田区の「みどりっ子クラブ」で子供の放課後教育について熱心な活動をなさっている勝沼奈緒実さんが、パネル討論の最後の締めで「本当に子供たちに全員プログラミングを学ばせる必要なんかあるの?」という強烈な意見を投げかけられた。

それに対して、パネル討論の本当の最後の締めで、私は「プログラミングもサッカーも同じ。子供のときみんなでわいわいやって、その楽しさと難しさを体感し、大人になったときに、素晴らしいプログラマや、素晴らしいサッカー選手を尊敬できるようになる感性を培ってほしい。それが日本のITやサッカーを伸ばす基本だ」というような応答をした。時間オーバーなので、これが本当の締め。

さらに付け加えれば、何度も上で述べたように、コンピュータプログラミングがしっかりとした学問体系に基礎を置いていることをみんなに実感してほしい。うーむ、こんなプログラミング教育が学校でちゃんとできるのはいつの日だろうか?

いやあ、今回は写真も図版もなしの遺言状になってしまった。そういえば遺言状に写真や図版が入ったなんて聞いたことがない。(つづく)


※1:「情報」の試験は1年生全員の共通問題だったので、駒場周辺に向かう電車には山手線を含め、同じ教科書を開く学生がぞろぞろいて壮観であった。
※2:当然「2001年宇宙の旅」のHAL9000なのだが、いまごろの小学生はそんな映画見てないことをすっかり忘れていた。しかし、HAL東京とか、ロボットスーツHALを知っていた子はある程度いた。
※1:米子周辺はゲゲゲの鬼太郎の水木しげるさんにちなんで「米子鬼太郎空港」だったり、駅名の横に妖怪の名前が書かれていたりして、それを観光の売りにしているのだが、このホテルはそんな売りをするまでもなく、普通に妖怪があちこちに潜んでいるような由緒があった。


竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


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悩めるパパから楽しむシュフへ──「主夫」を名乗りいきついた境地とは?

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「妻が厨房に立つことは何パーセント?」の回答は、0%が1人、5%が3人、10〜15%が1人、30%が1人という結果に。

妻を支え、家事や育児を“メインで”担う夫=「主夫」。実際のところどんな生活を送っているのか? 本音はどうなのか?

前回に引き続き、7人の主夫が結成した「秘密結社・主夫の友」入社説明会よりトークライブの内容を抜粋でお届けします!

妻が厨房に立つ率は0〜30%

“弁当のフィニッシュ”で花を持たせる

中村さん

家族の食事を作ってから出かけるという兼業主夫/ミュージシャンの中村哲也さん。

“シュフ”業はじつはブラック!

吉田さん

主夫業は「朝6時から夜8時まで」と営業時間を決めている、中高非常勤講師/兼業主夫の吉田尚史さん。

いくらやっても、実母には遠く及ばない

掘込さん白河さん

左より「秘密結社・主夫の友」CEO(ちょっとエグゼクティブなお父さん、の意)の堀込泰三さん。同社顧問で少子化ジャーナリストの白河桃子さん。

ふっきろう!と決めて金髪に染めた

佐久間さん

金髪ヘアは「ふっきり度」のあらわれであることを明かした、子育て専業主夫の佐久間修一さん。

ふだん子どもを見てるのはこっちじゃい!

堀込さん

子どもの頭をなでつつファシリテーションする兼業主夫/翻訳フリーライターの堀込泰三さん。『子育て主夫青春物語 「東大卒」より家族が大事』(言視舎)著者。

いかにオリジナルさを認められるか?

村上さん

実親の介護のために主夫となった兼業主夫/グラフィックデザイナーの村上誠さん。PTA活動も夫婦で行う。

相手に対する“期待”より“自分との戦い”

片元さん

‟キッチンは聖域派 “の片元彰さんは、専業主婦歴1年目。気持ちは兼業主婦。

悩める専業主婦、兼業主婦へのメッセージ!

杉山さん

悩める主婦に“夫や子どもの観察”を提案する兼業主夫/放送作家の杉山錠士さん。座右の銘は、「毎日が文化祭」。コミックエッセイ『新ニッポンの父ちゃん ~兼業主夫ですが、なにか?』(主婦の友インフォス情報社 絵/アベナオミ)の原作者。

前編:ママ友接待の無茶ぶり? 親の反応は?──「男は仕事、女は家庭」を覆す主夫の本音 文:大塚玲子 撮影:内田明人 編集:渡辺清美

「意識高い系(笑)」にならず、意識高い系を笑わないためには? ──吉本隆明、最初にして最後の課題

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名前だけは知っていても、その具体的業績は意外と知られていないビジネス界の偉人を分かりやすく解説してもらい、あわよくば我々の明日の仕事にも生かしてしまおうというお得なこの「ビジネス偉人伝」

これまで、D・カーネギー二宮尊徳手塚治虫萩本欽一池波正太郎を取り上げましたが、今回は最近よく耳にする「意識高い」ということについて、偉人を介して考えてみます。

「意識高い系(笑)」とは何か?

戦後最大の思想家

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ほげほげ

全集を発刊する晶文社のサイト

意識高い系=自意識過剰?

「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうといふ妄想によって ぼくは廃人であるそうだ」廃人の歌より 『転位のための十篇』
 

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大衆を啓蒙する知識人は「終わってる」

ほげほげ

擬制の図式

「市井の片隅に生まれ、そだち、子を産み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。」『カール・マルクス』
ほげほげ

吉本図式

最後の吉本、最後の課題

「人間が知識―それはここでとりあげる人物の云いかたをかりれば人間の意識の唯一の行為である―を獲得するにつれて、その知識が歴史のなかで蓄積され、実現して、また記述の歴史にかえるといったことは必然の経路である。 そして、それをみとめれば、知識について関与せずに生き死にした市井の無数の人物よりも、知識に関与し、記述の歴史に登場したものは価値があり、またなみはずれて関与したものは、なみはずれて価値あるものであると幻想することも、人間にとって必然であると言える。」 『カール・マルクス』
「<知識>にとって最後の課題は、頂を極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂を極め、その頂から世界を見おろすことでもない。頂を極め、そのまま静かに<非知>に向って着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の<知>にとっても最後の課題である。」
『最後の親鸞』

子供会の役員連絡にメールが使えない5つの理由──コデラ総研 家庭部(48)

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テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第48回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「子供会の役員連絡にメールが使えない5つの理由」。

文:小寺 信良
カバー写真:風穴 江(tech@サイボウズ式)

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昨年はPTAで広報委員長を務めたが、今年で娘も小学6年生。小学生に関わり合う活動も、最後の1年となった。さらに下の子が生まれる可能性もないし、本当に小学校との付き合いもこれで最後である。何ができるかなと考えた結果、今年は、子供会の会長を引き受けることにした。

子供会というのも、PTAと並んで昔から存在するものの、実態がよく分かっていない組織である。皆さんも子供のころ、夏休みには首からカードを下げてラジオ体操に行った記憶があることだろう。ああいうのを主催しているのが、子供会だ。

子供会の定義は、地域でスポーツやレクレーションなどを通じて、子供の健全育成を目指すボランティア団体だ。一般的には「○○丁目子供会」といった名称だが、広義には「○○少年団」といった団体も入るという解釈もあるようだ。

子供会のポイントは、地域に密着していることである。自治会や町内会の組織の一部として子供会を持っている地域や、学校の通学区域ごとに別途組織する地域など、いろいろな形態がある。僕の地域の場合は、組織範囲は自治会と同じ区域だが、下部組織ではなく別団体だ。ただ地域のお祭りを始め、自治会対抗運動会などで綿密な協力関係がある。ずっと昔は自治会の中にあったのかもしれない。

各子供会は、それぞれが独立した任意団体ではあるが、市町村レベルで連合会や連絡協議会としてまとめられ、これが集まって公益社団法人「全国子ども会連合会」という形で全国的な組織化もされている。組織構造としてはPTAと似ている。

ただPTAと決定的に違うのは、PTAが保護者と先生によって構成されるのに比べ、子供会の構成員は「子供」である。役員や保護者は、あくまでも「指導者」という立場になる。

活動に対するメールの問題点

子供会の役員は、保護者からの立候補や推薦、抽選などから選抜される。うちの子供会役員は10名で、内訳は会長2名、副会長2名、書記2名、会計3名、全国子ども会連合会担当1名となっている。僕以外は全員女性だ。会員数(子供の数)としては250名超で、近隣ではもっとも大きな子供会である。

子供会は活動歴も長いため、各役職の役割が綿密に分担されている。トップダウンで指示が必要なケースはほとんどなく、むしろ各役職から上がってくる報告のほうが多い。報告はかなりの頻度におよぶことが予想された。

メールによる連絡は、すぐに破綻することは目に見えていた。理由は5つある。

(1)S/N比が悪すぎ
メールというサービスは、今となってはスパムも含め、様々な加入サービスからのお知らせで日常的にメールボックスがパンク状態にある。もはや連絡手段というよりは、プッシュ型の通知ツールとなってしまっている。

(2)同報メールが難しい
役員全員がスマートフォンユーザーだが、10人ものCCやBCCが全員問題なく使えるのか。Gmailのように連絡先をグループ化できればいいが、キャリアメールしか使わない人には無理だ。メーリングリストを運用するという手もないではないが、所詮メールなので、(1)の問題が解決できない。

(3)タイトルと本文が加速度的にズレていく
CCやBCCが難しいとなれば、誰かが同報メールしたものに対して返信するのが一番楽だ。だがそれを繰り返していくと、メールタイトルと話の内容がズレていき、タイトルによるスレッド化が機能しなくなる。「初めまして小寺信良です」というタイトルのメールが半年ぐらいやりとりされることになりかねない。

(4)返信を続けると本文が汚れる
複数人が互いに返信を続けていくと、誰も返信時に引用された相手の本文を消さないので、加速度的に本文に積み重なっていく。たいした内容でもないのに、いつの間にか3000字ぐらいのメールをやりとりするような羽目に陥り、わけが分からなくなる。

(5)気軽な返信ができない
メールとなるとどうしてもフォーマルな文章になってしまい、ひと言「了解」と返信すれば済むことなのに、妙に手間がかかる。こういったストレスが積み重なると、相談や連絡が滞るようになり、活動が活性化されない。

これらのことは、昨年広報委員会の三役をやって、すでに経験済みだ。たった3人のやりとりに過ぎないのだが、上記のような問題が起こっていた。これが10人ともなれば、混乱は目に見えている。何か別の手段を考えないと、とは思っていた。

だがその時点では、LINEを導入するべきか、躊躇があった。なぜならば、当時は個人的にLINEはメインの連絡手段ではなく、むしろFacebookのメッセンジャーのほうがメインであったからだ。しかもLINE上で、大人数のグループでディスカッションした経験がなかった。ただ、将来的には子供もLINEを使うようになるのであれば、保護者らが使ってどういうものなのか体験しておくのは、悪いことではない。

連絡手段をどうするのか逡巡していたのだが、意外なことにLINEを使おうと提案したのは、もう1人の女性会長であった。彼女はすでに上の娘とLINEで日常的に連絡を取り合っており、慣れているようであった。彼女の熱心なプレゼンにより、連絡手段にLINEを利用することはすんなり了承された。(つづく)


本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、とりあげて欲しいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


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