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子供会にLINE導入のハードルとメリット──コデラ総研 家庭部(49)

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テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第49回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「子供会にLINE導入のハードルとメリット」。

文・写真:小寺 信良

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子供会役員の連絡手段としてLINEを導入することが決まったのだが、10人中すでにLINEのアカウントを持っている者は7人だった。割合としてはかなり多いように思われるかもしれないが、実は全国平均に近い。

平成27年5月に公開された総務省の「平成26年情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」によれば、平成26年時点の30代のLINE利用率は69.8%、40代で63.4%となっている(図1)。したがって7割のメンバーにLINE利用者がいたとしても、不思議ではない。
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図1:主なソーシャルメディアの利用率 経年年代別(「平成26年情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」より)

内訳としては、上の子が高校生ぐらいの保護者は、子供との連絡手段がLINEになっているため、使うようになったという。さらにはママ友の連絡手段としても、今はメールよりもLINEのほうが気安いとして、よく使われているようだった。

LINE未経験者3名のうち、2名にはLINEのアカウント作成から使い方までをレクチャーした。1名はLINEを使うことに抵抗があるとのことだったので、連絡事項をメールで行なうことにした。うまく回るようになれば、そのうち気が変わるかもしれないという期待もあり、当初9名でLINEのグループがスタートした。

こういったグループ運用のコツは、何か新しい事項がなくても、定期的に「そう言えばあの件どうなった?」といった発言を投下することだ。いつも何か事態が動いている感が出るだけで、グループが活性化する。こういった手法は、古き良きパソコン通信時代にボードリーダーとして活動していたときのノウハウである。

メンバーの中で一番LINEを活用しているのは、意外にも初めてLINEデビューした1名である。珍しいということもあるのだろうが、好奇心が働いているうちに活発な議事や連絡事項がどんどん流れてくるので、その利便性に気づいたというところだろう。

ただ連絡事項ともなると、かなりの文章量になる。スマートフォンでそれを入力するのはしんどいので、メインで利用しているのはパソコン用のLINEクライアントである。これがあることで、LINEの稼働率が全然違ったものになった。

スマートフォンのLINEクライアントは、スマートフォン1台に縛られており、別のスマホのクライアントを有効にすると、その時点で「スマホを乗り換えた」という扱いとなり、過去ログが参照できなくなる。一方パソコン用のクライアントは、同時に利用できるのは1つだけという縛りがあるが、複数のパソコンにクライアントをインストールしておき、ログインして利用できる。

例えば家にいるときはデスクトップ機でログインしておき、外出時にはノートPCでログインするという使い方だ。ログインすれば、その場で過去ログがダウンロードされる。つまりスマホのクライアントがメインで、それに対するサブクライアント的な立ち位置だ。

普段は仕事柄、大半の時間をパソコンで原稿を書いて過ごしているので、いちいちスマホに持ち替えずに連絡の返信などができるのは便利だ。利用を始めた当初はグループのノートが参照できなかったり、スタンプや絵文字も表示されなかったが、今はアップデートによってスマホ版と機能の差はほとんどなくなった。

LINEのメリット

実際にLINEによる活動の連絡をすでに半年以上行なっているが、目立ったトラブルもなく、アクティブな状態を維持している。LINE利用に消極的だった1名も、やっぱり話の経緯が分からないと不便ということで、夏ごろからLINEを導入し、現在は全員がLINEのグループ内で連絡が取れるようになった。

この半年の中でいろいろメリットも見えてきたので、整理してみる。

(1)話が他の連絡手段と混じらない
これは個人的な理由だが、50代男性では、LINEの利用率はそれほど高くないだろう。せいぜい娘、息子との連絡ぐらいで、仕事上の連絡手段としてはほとんど稼働してないので、何かメッセージが届いたら、ああ子供会か、と分かるんである。

逆にすべての連絡がLINEに集まるようになったら、結局はメールの欠点と同じように、重要なものが見つからない状態になるだろう。今が一番いいバランスで使えるタイミングだった、ということだ。今年の子供会役員は、これまであまりLINEの利用率は高くなかったため、ほぼ全員がこのメリットを享受できている。

(2)グループでも既読が付くので、伝達率が分かる
これは結構重要なポイントだ。メールでの連絡網では、いちいちメールを読んだら読んだと返信してください、というルールが決まっている会もある。この手間がないだけで、連絡の効率が格段に上がった。誰が読んでないのかまでは分からないが、各投稿に対して今伝達率が何%ぐらいだなというのが分かるので、次の連絡を打つタイミングが分かりやすくなる。

(3)反応が良く、決めごとがやりやすい
メールと違ってLINEのようなチャットでは、単に○とか×の返信だけでも、十分会話が成立する。例えば何日の会議や行事に出られる人、といった出欠を取る機会は結構多いのだが、メールではなかなか全員の意向が集まらないところ、LINEではスピーディーに返事が貰えるため、決めごとがとにかく早い。

(4)流れると困る要件は、ノートに貼れる
グループにはノートという機能があり、トークの内容をコピーして貼っておけるスペースがある。トークは話がどんどん流れていくので、過去の重要な項目を参照するときに見つけづらい。あとできっと見返すなというまとめ的な項目は、ノートに貼っておけばいつでも全員が見ることができる。

(5)意外に通話が使える
今改めて考えてみると、今年は子供会役員名簿というものを作っていない。すべてLINEで済んでしまっているので、自宅や携帯電話の番号をリスト化する必要がなかったのだ。お祭りなどのイベントでゴチャゴチャしている中、緊急に相手に伝えたい案件は、LINEの通話機能を使っている。これもキャリアの着信音と違う音が鳴るので、子供会の誰かからの連絡だとすぐに分かる。

こうしてメリットを上げていくと、これまでのようなメールと電話だけでは手間がかかった部分が省力化できるツールであることが分かる。LINEが今後も失速せず、コミュニケーションツールとしての定番的地位を守り続けられるのかはまだ分からないが、子供が中学や高校になれば、どのみちこの手のツールを使うようになるだろう。その前に、保護者が良い利用方法を経験しておくことは、無駄にはならない。

学校で開催される多くのインターネット安全教室のようなところでは、怖さ、危なさといったデメリットしか教えておらず、どこに利用のメリットがあるのかを教えていない。ネガティブなイメージしか持たない状況で利用しても、メリットは把握できない。こういった状況を改善するには、誰かがリードしてモデルケースを作っていくことが必要なのだろうと思う。(つづく)


本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、とりあげて欲しいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


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会社と個人はフラットな信頼関係を築けるのか? 東京糸井重里事務所 篠田真貴子CFO×サイボウズ山田理副社長 アライアンス対談

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リンクトイン創業者 リード・ホフマンらが書いた本『ALLIANCE(アライアンス)』が話題になっています。アライアンスとは、人と企業が信頼関係を築きながら、仕事に応じて雇用関係を結ぶこと。コミットメント期間やその期間に達成されるべき目標を明確に定めて、個人と企業がフラットで互恵的なパートナーシップを築いていく、というのが具体的な方法です。社員がその企業から転職した後も、OB・OGネットワークを通じて良好な関係を維持し、終身雇用ではなく「終身信頼関係」を結ぶことも奨励します。

ただし、このアライアンス関係を、すべての企業が実現するのは容易なことではありません。日本企業で働く人が実践しやすい「人と企業の良い関係作り」の現実解はどこにあるのか? この本を監訳した東京糸井重里事務所 取締役CFOの篠田真貴子さんと、1年前からシリコンバレーに在住しているサイボウズの山田理 副社長兼サイボウズUSA社長が、たっぷり語り合います。

日本型の終身雇用なんてもはやフィクションだ

サイボウズが社員に約束していることって何ですか?

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篠田真貴子(しのだ・まきこ)/東京糸井重里事務所取締役CFO。慶應義塾大学経済学部卒、1991年日本長期信用銀行に入行。1999年、米ペンシルバニア大学ウォートン校でMBAを、ジョンズ・ホプキンス大学で国際関係論修士を取得。マッキンゼー、ノバルティス・ファーマ、ネスレを経て、2008年、糸井重里事務所に入社。2009年1月より現職。

「社員」っていったい何だ?

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サイボウズ取締役副社長 山田理

「理想への共感」こそ、アライアンスが意味のある仕組みになるカギ

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会社ってなんで続かなくちゃいけないの? 東京糸井重里事務所 篠田真貴子CFO×サイボウズ 山田理副社長」に続きます。二人の別対談「「赤って本当にいけないことですか?」」もぜひご覧ください。

(執筆:荒濱一/写真:橋本直己)

ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔第23回:やっぱりプログラミングは楽しい

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元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載の第23回。今回のお題は「やっぱりプログラミングは楽しい」。

ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。

文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki

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多くの読者はご存知だと思うが、情報処理学会という学会がある。コンピュータ関係では日本最大の学会だ。創立は1960年4月22日とある。ところが「第57回プログラミング・シンポジウム」(略称プロシン、以下プロシンと書く)という名前のシンポジウムが2016年1月に開催される。プロシンの第1回は大磯で開かれた。1年に1回、1月開催なので、第1回は1960年1月である。これは故山内二郎先生の努力のおかげである。要するに、情報処理学会よりも古い「プログラミング」に関するシンポジウムだった。プロシンが完全に情報処理学会の管轄になったのは割合最近のはずだ。

山内先生については、故浦昭二先生、有山正孝先生による以下の記述がある。

先生は会場では常に最前列に端然と着席されて講演・討論に耳を傾けておいでになり、しばしば鋭い質問を発して討論をリードされた。夜の自由討論の席でも深更に到るまで、時には酒盃を片手に、孫のような若者達の論争に加わって楽しそうに時を過されるのが常であった。このシンポジウムの伝統となった自由な雰囲気と率直な討論の習慣は、先生のお人柄と学問に対する姿勢から醸し出されたものと言っても過言ではなく、またそれあればこそこのシンポジウムが四半世紀にわたって熱心な共鳴者に支持され、活気と高い存在意義を保ち続けることができたのである。
(「プログラミング・シンポジウム こと始め」より)

その後1964年に、1月開催の「プログラミング・シンポジウム」ではなく、もっと気楽に将来の計算機の夢を語るシンポジウム、つまり「夢のプログラミング・シンポジウム」が企画され、1月ではなく夏に開催されることになった。当時日本にあったコンピュータが512語(キロもメガもついていなことに注意)程度のメモリだったのに、人工知能とか偏微分方程式の数値解法とかが平気で議論されていたようだ。私がまだ大学に入りたてのときだった。

夢のプロシンは現在「夏のプロシン」と呼ばれていて、ややテーマを絞って、夏・秋口に多いときは年2回開催されている。それに対して本家のほうは「冬のプロシン」と呼ばれるようになった。上記の引用には「四半世紀」とあるが、もう「半世紀」を超えて続いている。

くどくどとプロシンの紹介をしてきたが、山内先生の理念と行動「時には酒盃を片手に、孫のような若者達の論争に加わって楽しそうに時を過されるのが常であった。このシンポジウムの伝統となった自由な雰囲気と率直な討論の習慣」はどちらも脈々と生きている。もちろん「時には酒盃を片手に」は「常時酒盃を両手に」という正常進化をしているが(もちろん昼は飲みません)、自由闊達で率直な討論という伝統をしっかりと守っている。つまり、いまや冬も夏も「夢のプロシン」の精神を受け継いでいるのだ。

◆     ◆     ◆

私が大学院に進んで初めて計算機に触れて虜になり、そのままの流れ(?)でNTTの研究所でコンピュータ関連の仕事をするようになったのと、プロシンに参加させてもらえるようになったのとは絶妙なる同期だった。

話は脱線するが、コンピュータに触ったのも、アルコールと友達になったのも大学院に進んでからであった。つまり、超晩生おくてだった。最近の優れた若い子が小学生ぐらいにもうパソコンに触れ、中学生あたりでプログラミングに開眼したというのとでは大違いである。でも、晩生だったからこそ、50歳過ぎてもマイクロコードを書くという異常生活が送れたのかもしれない。プログラマ35歳定年説という悲しい説があるが、プログラミング35年間可能説のほうが嬉しい。

いまでこそ大酒飲みと思われている私が初めてアルコールを飲んだのは何と修士2年のときだった。下宿で角瓶か何かを独りで一晩で飲み干して、あぁ、そんなものかと思った記憶がある。どうもアルコールに強いことが分かってしまった。しかし、いまでも日本酒は絶対に飲まない。悪酔いするからだ。

私はNTTの研究室でもかなり自由にいろんなことをやらせてもらっていたが、プロシンに参加して、本当に多種多彩な諸先輩や似たような若い連中とお付き合いできるようになった。私にとってこれは複利がついて増殖するような財産になった。

1970年代のオンラインコミュニケーションは電話だけだった。だからこそ、プロシンでの夜を徹してのオフラインコミュニケーションはとても濃密なものであった。プロシンも例外ではないが、このごろのワークショップでは発表を聞きながらのチャットが大流行だ。私には話を聞きながらのチャットがもう無理という言い訳というより、せっかくオフラインの場でオンラインやるのかねぇ、という感想のほうが強い。でも、チャットを見ながら発表を聞くのも楽しい。

人が集まるシンポジウムやワークショップには、face-to-faceの良さが確実にある。同じ釜の飯には、人種を問わず大きな価値がある。

第15回の遺言状で、ダラス・フォートワース空港で私が麻薬の売人に間違われた事件について書いたが、それはIFIP(情報処理国際連合)の会議に行くときのことだった。会場はモハメド・アリと誰だったか忘れたボクサーとの世紀の対決が行われた、もの凄く大きなドームだった。そのドームでの開会式。何と客がガラーンとした会場全体の片隅の30分の1ぐらいしかいない。超寂しい開会式だった。学会の大会が総花主義の百貨店のような大会ではなく、専門分野の近い人たちが集まって濃密な議論をできるようなワークショップ形式に変遷する節目の年だったのだと思う。

しかし、実はプロシンは、プログラミングという共通のキーワードを除けば専門分野のまるで異なる人どころか、長老から若い学生、男女、つまり老若男女が集うシンポジウムなのである(写真1)。

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写真1:2000年の第41回の冬のプロシン記念写真@箱根小涌園ホテル。記念写真を撮ったのは後にも先にもこれだけだと思う。それにしても多士済済。ご存知の方もいらっしゃると思うので、クリックして原寸で見てください。あ、この回は意外と女性が少ない。

冬のプロシンはちょうどお屠蘇気分が抜けたころというか、別の言葉で言えば、新年会のような時期なので、みんな新しい年に何か面白い話ないかなぁと寄り集まってくるような雰囲気である。若い人には、学術的な面以外でもとてもいい刺激になる。真面目な人から見ると、「え、それ何?」かもしれないが、山内先生の精神を受け継ぐ、こういう価値をもつシンポジウムはほとんど類例がないのではなかろうか。

夏のプロシンはそれこそ20〜30人程度の小人数なのでもっと遊び心が豊かだ。というか、私が勝手にそう思って、そう仕向けているだけかもしれない。紙の資料が手元にないので、過去の履歴を全部列挙することができないが、私の夏のプロシンの発表のタイトルを並べるだけでも、雰囲気の想像がつくだろう。ほとんどの発表の事後に執筆された報告のPDFは

鵺のエッセイ

で見ることができる。

  • 1998年「プログラミングとTaoism」(プログラミングと老子の「道徳経」との関係についてジョーク混じりに述べたもの)
  • 1999年「21世紀大予言とその検証」(要するにホラ話)
  • 2001年「Programming on the Noisy SILENT」(SILENTという自作マシン上でのプログラミング)
  • 2005年「プログラム問題の創造」(主に「数学セミナー」誌や「bit」誌に出した問題の紹介)
  • 2006年「不定」(何を話すかが最後まで不定だった)
  • 2009年「プロトコル指向プログラミングとは?」(どうもそれまで「プロトコル指向プログラミング」という言葉がなかったようなので、適当な話をぶち上げた)
  • 2011年「こんなのもプログラミング」(狭義のプログラミングを超えたプログラミングの事例の紹介)
  • 2012年「プログラミング美学(仮題)」(美学の観点からプログラミングを分析?)

これだけやっていると夏のプロシンの幹事もよくやらされる。印象に残っているのが、岐阜県の下呂温泉で開催した2002年、お題が「リソース・コンシャス・プログラミング」の夏のプロシンである。主幹事だったので、いわゆるCFP(Call for Participation)を書いた。

2002年度 夏のプログラミングシンポジウムのご案内

この中では、リソース(資源)制約に関わる多種多様なキーフレーズが並んでいる。納期に間に合わせるためのプログラミング、その大胆な手法、人生訓、処世訓、管理手法、顧客対応、……、とか、電池状態・寿命コンシャスプログラムとか、制約のもとでプログラムのどこに力を入れ、どこを手抜きするかのノウハウとか、(もともと/疲れていて/酔っ払っていて)頭が悪い場合のプログラミングとか。

しかし、主幹事のくせに約束のプロジェクタを持っていくのを忘れてしまった! 誰かのアイデアで下呂市の教育委員会に駆け込み、大学教員の身分証明書を見せて借りることができたが、この失策はいまでも語り種になっている。

もちろん、下呂は日本三大名泉と言われているくらいだから、温泉入浴に制約があってはならない。またお昼の散歩も重要である。温泉街の中を流れる飛騨川を渡る高山本線の鉄橋のすぐ横に、主に通学の生徒が使うと思われる、人が歩ける幅の狭い橋が付随しているのだが、この橋には赤い服を着て歩かないようにと書いた看板があった。赤い布を振るのは列車の緊急停止を知らせる合図になるからだそうだ。

これよりずっと以前に下呂で開かれた科学研究費の集会に呼ばれたことがある。そのころまだ私はサッカー中年だったのだが、右膝を痛めてしまい、(医者に行かなかったのだから当り前だが)半年もの間何をやっても治らず、キックは左足だけでやっていた。おかげで左足のキックの精度は向上したものの、ちゃんと試合に出るのは無理だった。ところが、下呂の温泉に入った直後に、痛みがすっ飛んでしまったのである。だから、私にとって下呂は奇跡の温泉なのである。

◆     ◆     ◆

そして今年9月、私も幹事の一員だったことが功を奏したか、第14回の遺言状の「プログラムで一句詠む」ではないが、「プログラム詠み会」と題する夏のプロシンが奇しくも再び下呂で開かれた。もともとはプログラミングのハッカソン、つまり「プロソン」という新しい試みをやろうという意図だった。具体的なお題はわりと直前に公開されるという仕掛けである。実際、約1週間前に「Raspberry Piで何か作る」、「下呂でしかできないプログラム」、「対戦型2048のプログラム」(2048というパズルゲームを対戦型にしたもののプレイヤを作る)の3つのお題に決まった。

私は幹事のくせにやたらと雑事に追われて非常に忙しく、幹事としての仕事がまったくできないどころか、参加して何をやろうかを考えることもできなかった。行きの新幹線もその雑事の延長で忙殺。高山本線に乗ってから、さてどうしようかと考えた。特急列車が下呂駅の1つの前の飛騨金山駅に着いてから、「そうか、2と3で問題を作ろう」と思い立った。

2と3は最初の2つの素数だが、実に奥深い。沢山の例があるが、1つだけ例を挙げると、1937年にCollatzが提唱した予想、別名「3n+1問題」が有名だ。任意の正整数から出発して、

その数が偶数だったら2で割る
その数が奇数だったら3倍して1を足す

を繰り返す。こうすると、どの正整数から出発しても、いつかは1になるというのがCollatzの予想だが、いまだに証明ができていない。Wikipediaによると5x260までは予想が成立している。

「よし、2と3でまた新しい問題を作ろう」と考え始めたら下呂に着く前に以下の問題を思いついた。0から出発して

2を足す、3を足す、2を掛ける、3を掛ける

という4種類の演算を繰り返して、2以上のどんな正整数でも作れる。例えば、10=0+2+3x2=0+2+2+3+3=0+2x2+2+2+2だ(演算は左から順に実行する)。一番演算数の少ない方法を見つけなさい、という問題である。これだったら、下呂に着いてからでも簡単にプログラムを作れそうだ。

と思って、会場で泥縄。「二と三」というスライドを作って、その中の1つの例題、出来立てほやほやの問題としてこれを紹介した。そしたら、開智国際大学の田中二郎さんがすぐプログラムを書いてしまった。そしていろいろな分析をしてくれた。いつのまにか「下呂数」と命名されたので、「下呂でしかできないプログラム」の恰好の例になったものの、私は完全に先を越されてしまった。なので、2日目のプロソンでは別の2つのプログラムを書かざるを得なくなった。

それにしても2日目、朝から夕方まで、みんなずーっと黙々とノートPCに向かってプログラムを書いているという風景はプロシンとして過去に例のない風景であった(写真2)。ホテルの人々は相当不思議なものを見たという顔をしていた。

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写真2:プロシンとは思えない、それぞれ自分のPCに向かってひたすらプログラムを組んだり、RaspberryPiにつながるデバイスをいじったりしているプロソン風景。

途中で適当に散歩するもよし、温泉に入るもよし。私は以前から気になっていた問題を2つ選んでプログラミングを始めた。1つ目は午前中に完成した! しめしめと思い、2つ目に取り掛かったが、これが結構大変だった。まさに、賢者の思考を愚者(私のこと)がシミュレートできるかという問題だったが、「賢者は他の賢者を完全にシミュレートできる」ことをシミュレートすることが大変で、段々込み入ってきてしまった。頭を治すために温泉に入って気合いを入れたのは良かったが、4時ごろ、ついビールを飲んでしまった。これが敗因で、ビールを飲んだ愚者にはもう面倒なプログラミングは無理となったのである(※1)。1つ目のプログラミングでちょっと面白い発見をできたのが不幸中の幸いであった(記事末の「付録」参照)。いずれにしても、忙中閑ありの「下呂でしかできないプログラミング」だったことに間違いはない。

プロシンから帰ってからも忙殺され続けたが、時間制約のない中でじっくりプログラムを書いたら、何とか賢者の思考をシミュレートできたように思う(まだ、100%の自信はない)。この話を2016年1月の冬のプロシンで喋ろうかといま目論んでいる。

やっぱりプログラミングは楽しい、と実感した先日の夏のプロシンであった。みなさんも、こんな面白い夏のプロシンに参加されたらいかがでしょう。(つづく)

※1:1日18時間もマイクロプログラムを書いていたころは、ビールを飲みながらガンガン書いていた。昔は胆力も根性もあった。


【付録】
1つ目のプログラムの中で一番キモとなった部分を紹介しておく。答えは次回に書くので、腕に覚えのある方はぜひ取り組んでほしい。私はすっきりした効率のいいプログラムに到達するのに30分かかった。えーっ、この程度の問題に、と思ったが、結果が予想外に面白い形だったので、まぁ30分の価値はあったかと思う。

4, 9, 16, 25といった平方数(ほかの数の2乗になる数)を抜いた2以上の数の列

2,3,5,6,7,8,10,11,12,13,14,15,17,18,19,20,21,22,23,24,26,……

n番目の数を求める関数を作れ。例えば、n=3なら5を返す。


竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


変更履歴
2015年10月01日:「込み入ってる」の意図を分かりやすくするため、「『賢者は他の賢者を完全にシミュレートできる』ことが大変で」を「『賢者は他の賢者を完全にシミュレートできる』ことをシミュレートすることが大変で」に変更しました。


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会社ってなんで続かなくちゃいけないの? 東京糸井重里事務所 篠田真貴子CFO×サイボウズ 山田理副社長

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人と企業が信頼関係を築きながら、仕事に応じて雇用関係を結ぶことを提唱する「ALLIANCE(アライアンス)」。このアライアンスにまつわる、東京糸井重里事務所取締役CFOの篠田真貴子さんと、サイボウズの山田理副社長兼 サイボウズUSA社長の対談中編をお届けします。

1年前から米国に赴任している山田副社長は、アライアンスの考え方が浸透しつつあるシリコンバレーという「場」に対する共感を示した上で、「会社とは長く存続しなくてはならないものなのか?」という疑問を提示。対して篠田さんは「理念・価値観の共有」の観点から、歴史を引き合いに出しつつ持論を展開します。知的好奇心を刺激する2人の対話をお楽しみください。(会社と個人はフラットな信頼関係を築けるのか?」からの続きです。)

シリコンバレー成功の要因を、多くの人は誤解している

会社は「創業者が死んだらリセット」でよくないか?

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サイボウズ取締役副社長 山田理

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篠田真貴子(しのだ・まきこ)/東京糸井重里事務所取締役CFO。慶應義塾大学経済学部卒、1991年日本長期信用銀行に入行。1999年、米ペンシルバニア大学ウォートン校でMBAを、ジョンズ・ホプキンス大学で国際関係論修士を取得。マッキンゼー、ノバルティス・ファーマ、ネスレを経て、2008年、糸井重里事務所に入社。2009年1月より現職。

会社が「続かなくてはならないもの」になった理由

「家族」と「会社」の新しい関係とは?

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次回につづきます。初回は「会社と個人はフラットな信頼関係を築けるのか?」はこちら。東京糸井重里事務所 篠田CFOとサイボウズ 副社長の山田理「「赤字って本当にいけないことですか?」」対談もぜひご覧ください。

(執筆:荒濱一/写真:橋本直己)

会社と個人の関係は、「リンク・フラット・シェア」に近づくか? 東京糸井重里事務所 篠田真貴子CFO×サイボウズ山田理 副社長

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人と企業が信頼関係を築きながら、仕事に応じて雇用関係を結ぶことを提唱する「ALLIANCE(アライアンス)」。東京糸井重里事務所取締役CFOの篠田真貴子さんと、サイボウズの山田理 副社長 兼 サイボウズUSA社長の対談も最終回です。

アライアンスの考え方と、糸井重里さんが著書『インターネット的』で指摘した「リンク」「フラット」「シェア」の共通点について触れつつ、アライアンスに対応できる日本企業はどのくらいあるのか? そもそも日本でアライアンス的な雇用形態で働きたい人はどのくらいいるのか? に話が進んでいきます。この議論が、自分にとって理想的な働き方とはどのようなものかをあなたが考えるきっかけになるかもしれません。(「会社と個人はフラットな信頼関係を築けるのか?」「会社ってなんで続かなくちゃいけないの?」からの続きです。)

アライアンスで生まれる人と会社の関係は極めて「インターネット的」

働き方は「その時の期待のタイプ」で決めればいい

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篠田真貴子(しのだ・まきこ)/東京糸井重里事務所取締役CFO。慶應義塾大学経済学部卒、1991年日本長期信用銀行に入行。1999年、米ペンシルバニア大学ウォートン校でMBAを、ジョンズ・ホプキンス大学で国際関係論修士を取得。マッキンゼー、ノバルティス・ファーマ、ネスレを経て、2008年、糸井重里事務所に入社。2009年1月より現職。

「自立」ってどういうこと?

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ヒトもカネも、もっと会社の外にばら撒こう

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サイボウズ取締役副社長 山田理

前編「会社と個人はフラットな信頼関係を築けるのか?」中編「会社ってなんで続かなくちゃいけないの?」もどうぞ。東京糸井重里事務所 篠田CFOとサイボウズ 副社長の山田理の過去の対談「「赤字って本当にいけないことですか?」」もぜひご覧ください。

(執筆:荒濱一/写真:橋本直己)

まずは先生がITの恩恵を得るべき──品川女子学院で奮闘する酒井春名先生

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「子どもたちに接する教員側もスキルを磨いていないといけなくて、結構必死です」

こう話すのは品川女子学院(品女)の酒井春名先生。ICT(情報教育技術)チーフを担当している。品女は「社会で活躍する女性を育てる」という哲学のもと、品川で90年の伝統を持つ。学校全体にクラウドを導入し、生徒会活動や授業、教員間の非公式の連絡に活用している。

「教育現場のIT化が教員を救い、学校全体を活性化させる」と話す酒井先生に聞く、IT教育の正しい道筋。子どもにどうITを教えるかではなく、ITで子どもの将来を作り出すための考え方、実践法とは?

子どもにどうITを教えるかではなく、ITを子どもの将来に還元する

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品川女子学院。結婚や出産という女性のライフイベントを考慮に入れた現実的なキャリア教育「28プロジェクト」、世界のどの教育機関にも先駆けた生徒1人1台のiPad mini一斉導入を進める。文部科学省が定める国際的に活躍できる人材を育成する学校「スーパーグローバルハイスクール(SGH)」にも指定され、東京の女子教育をけん引する実力校として注目を集める

教育は個人プレー型からチームワーク型に変わらざるを得ない

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酒井春名さん。品川女子学院 ICT教育推進委員長、情報科主任、家庭科教諭。2014年度高校2年生(205名)に1人1台iPad導入、校内での教員研修などの推進役を務める。同年にはオーストラリアの学校と交流授業の実施などにも取り組み、iPadをツールとして使うための新しい授業に取り組む。社会に開かれた授業を展開する同校の旗振り役でもある。2013年Apple Distinguished Educator

激務で業務パンパンな教員をつぶさないために、ITができること

*「国のアンケートが「負担」 文科省、教育現場の業務緩和ガイドライン提示」(産経ニュース)

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ペーパーワークは授業のクオリティとはまったく関係ない

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教育とは「他人の人生」に向き合うこと。責任を果たすために実践し続ける

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(*)課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ『能動的学修』で、次の学習指導要領の全面改訂の目玉とされる

聞き手:和泉純子/執筆:河崎環/写真:尾木司

岡田武史さん、今治のサッカークラブ経営で地方創生が本当にできるんですか?

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岡田武史さんとサイボウズ 青野慶久

サッカー日本代表の監督を2度務め、ワールドカップ出場へ導くなど、日本サッカー界をけん引してきた岡田武史さん。2014年11月に活躍の場を四国地域リーグ「FC今治」に移し、オーナーとして活動をスタートしています。

欧州には、地域から生まれ、100年以上の歴史を持つクラブチームが多数存在しています。Jリーグは欧州のサッカーリーグほどの歴史を持っていませんが、日本のサッカーも少しずつ、クラブが地域に根ざしていくことの大切さが語られはじめています。

日本では「地方創生」という言葉で、地域に関する取り組みに注目が集まりつつあります。「地方創生ではなく『地方創発』を」──。そう語る岡田さんが描く地域の未来とは何か。「cybozu.com カンファレンス 2015」(11月20日に大阪で開催)講演に先立ち、サイボウズ 代表取締役社長の青野慶久がヒントを探ります。

地方創生への葛藤、「生き残りを掛けた競争」と割り切れるか

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岡田武史さん。1956年生まれ。大阪府立天王寺高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学でア式蹴球部所属。大学卒業後、古河電気工業に入社しサッカー日本代表に選出。 引退後は、クラブチームコーチを 務め、1997年に日本代表監督となり史上初のW杯本選出場を実現。その後、Jリーグの札幌や横浜での監督を経て、2007年から再び日本代表監督を務め、2010年のW杯南アフリカ大会でチームをベスト16に導く。中国サッカー・スーパーリーグ、杭州緑城の監督を経て、2014年11月、四国リーグFC今治のオーナーに就任。日本サッカー界の「育成改革」、そして「地方創生」に情熱を注いでいる

今の社会は、つながりをなくす進み方をしていないか?

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サイボウズ社長の青野慶久。1971年愛媛県生まれ。大阪大学工学部卒業後、松下電工株式会社を経て、1997年、愛媛県松山市でサイボウズ株式会社を設立、取締役副社長に就任。2005年より現職

今治を選んだのは「正解」、16万5000人の地域だからこそ1つになれる

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街も会社も同じ、目先ではなく長期の利益を考えて行動できるか

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夢はビジブル、ポジティブに妄想、小さな成功を積み重ねる

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地域の盛り上がり、人モノの流入、理念──3つのバランスに見る地方創生の夢

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執筆:モリ ジュンヤ、写真:尾木 司


サイボウズ式編集部からのお知らせ:

2015年11月に開催する「cybozu.com カンファレンス 2015」。基調講演ではサイボウズ 青野慶久が「変える覚悟、変わる覚悟。」を、11月20日の大阪会場の特別講演では、岡田武史さんが「世界と日本、そして地方におけるチーム運営・人材育成の違いとは」というテーマで話します。カンファレンスの無料お申込みはこちらのページから。

なぜPTAや子供会から「逃げる」のか──コデラ総研 家庭部(50)

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テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第50回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「なぜPTAや子供会から「逃げる」のか」。

文:小寺 信良
写真:風穴 江(tech@サイボウズ式)

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うちの小学校もそうだが、公平負担の原則により、保護者は6年間のうちで必ず1度はPTAの役員や委員をやるように設定されているところは多い。とはいえ低学年のうちはやはり親からなかなか離れないし、6年生になれば中学受験で忙しくなるかもしれない。計画性のある保護者の間では、比較的子供の手がかからない3年生から5年生ぐらいの間で委員をやるというのが、ひとつのコツのようなことになっている。実際うちのPTAでも子供会でも、学校や地域社会との関わりが長い5年生あたりの保護者が、非常に積極的で大きな戦力になっている。

その一方で、6年生になってから抽選で委員になった保護者は、あまり積極的ではないケースが散見される。それまで希望して委員になるチャンスが5回あったわけだが、結果的にずっとこの手の保護者ボランティアから逃げ続けてきた結果、とうとう逃げられなくなった6年目、というなし崩し的な理由で委員をやっているということは、想像に難くない。

保護者ボランティアから逃げる理由は、自分の経験からすると、3つに分類できる。

(1)活動に付随する人間関係が苦手
一般的にPTAや子供会役員は、女性の世界になりがちだ。男社会の中でバリバリ仕事をしている女性の中には、こうした女性だけの世界が苦手な人も珍しくない。委員会が終わったのにずっと廊下で子供の話をしてるのは時間の無駄だと感じているが、参加しないと何を言われるか分からないという不安もあり、結果的にはフラストレーションを溜め込んで家庭や職場に戻ることになる。リアル社会でもネット社会でも、コミュニケーション疲れは同じように起こる。活動そのものには参加する意思はあるが、それに付随する人間関係が面倒、というケースである。

筆者の場合、委員会活動になると、男性が自分だけというケースがほとんどだ。2人1組になる作業では、なんだかバツが悪い思いをすることもある。だが、しょっちゅう顔を出してると向こうもだんだん慣れてきて、そういうものだとして扱われるようになり、子供の話や世間話もそれなりにできるようになる。

委員会後の雑談も参加するケースはほとんどなく、さっさと帰ってきてしまう。女性の保護者も、そのあとすぐ仕事に戻る人がそこそこいるため、雑談に参加しないから云々という話は聞かなくなった。何か噂されているのではないかと心配する気持ちはよく分かるが、そういうのは気にしてもしょうがない。

(2)子供の扱いが苦手
一方で自分の子供以外の扱いが分からないという人もいる。保護者ボランティアは、多くの子供達のために奉仕する作業なわけだが、子供のリーダーとなって引率したり指導したりするのはそれなりにコツがいる。生意気なことを言ってくる子もいるわけで、そういう子をうまくあしらうことができないケースだ。

筆者もここは苦手な部分である。こちらは男性なので、ちょっと叱ったりすると、子供としてはガッツリ怒られたように感じるため、さじ加減が難しい。また子供たちを集めたり並ばせたりするときに、女子の体を触らないように気をつけたりと、男性ならではの苦労が多いところである。

だからそこはあまり無理をせず、そういうことが得意なお母さんにお願いするなど、役割を分ける側として全体に貢献するよう心がけている。

(3)子供を通じた人間関係が苦手
そもそも自分の子供のこともよく分かっていないというケースもある。子供の交友関係も把握していないし、これまで参観日もずっとパスしてきたので保護者の顔も全然分からず、子供の学校なのに保護者が登校拒否みたいになってしまっている。こうなってしまっては、保護者の代表として委員をやるのは苦痛以外の何者でもないだろう。

筆者も娘が小学2年生ぐらいまでは、こんな感じだった。だが一人で娘を育てることになり、否応もなく学校行事に巻き込まれていく過程で、3年ぐらいかかって馴染んでいった。委員ではなくても資源回収や校内清掃のときに学校に行くと、まず校務の事務員さんと顔見知りになり、ちょこっと校長先生や教頭先生と挨拶して立ち話をするようになれば、学校側との信頼関係ができる。そうなれば、保護者の信頼関係は勝手に付いてくる。

◆     ◆     ◆

最後にもうひとつ、少し深刻な話をしなければならない。保護者ボランティア活動に参加してこないのは、本人にもどうにもならないケースが出てきているのを感じる。会社員として働いている場合、平日の昼間の委員会活動を行うには有給休暇を取らなければならないわけだが、会社側の理解がなくて休みを取らせてくれないということもあるようだ。

女性の就業率が7割に、離婚率が2割に達する中、土日や夜も仕事を休めないお母さんもいる。これは実際、子育てする母親を労働力として強く搾取する業態があるということである。そしてこのことが大きく社会問題として取り上げられない背景には、社会全体が「子供を育てる過程で必要な保護者活動が存在する」という知識を、失いつつあるのではないかという気がしてならない。(つづく)


本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、取り上げてほしいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


この記事を、以下のライセンスで提供します:CC BY-SA
これ以外のライセンスをご希望の場合は、お問い合わせください。


「ベンチャーなんだからモチベーションは高くて当たり前だろ?」は間違い──「働きがいのある会社」1位の社員を盛り上げる方法

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宇佐美社長、青野社長

左よりサイボウズ代表取締役社長 青野慶久、株式会社VOYAGE GROUP 代表取締役社長兼CEO 宇佐美進典氏

Great Place to Work Institute Japanが毎年発表している「働きがいのある会社」ランキング。従業員と会社を対象に「働きがいのある会社」のアンケート調査を行い、評価・分析した結果をランク付けするものです。この「働きがいのある会社」ランキングの従業員100〜999人の部で、2015年、1位に輝いたのが、「ECナビ」をはじめとするメディア関連事業やアドテクノロジー関連事業などを幅広く手掛けるVOYAGE GROUP。サイボウズも3位に入りました。

実はVOYAGE GROUPの宇佐美進典社長と、サイボウズの青野慶久社長は、以前、一緒に合弁会社を設立したこともある旧知の仲。青野社長は宇佐美社長から人事に関する面で強く影響を受けたそうです。社員が働きがいをもってハッピーに働ける会社を築き上げるには何が必要なのか? 2人がじっくり語り合います。

楽しく働く様子に価値観が大きく変えられた

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育自分休暇制度 35歳以下で、転職や留学等、環境を変えて自分を成長させるために退職する人が対象。最長6年間は復帰が可能。

経営理念は魂をこめた言葉であるべきだ

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評価してほしい5人からフィードバックをもらう

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熱いどころかむさ苦しい会社(笑)

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次回に続く

撮影:内田明人 文:荒濱一 編集:渡辺清美

「だから言ったのに」と言う人の言葉を無視してはいけない

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サイボウズ式編集部より:著名ブロガーをサイボウズ外部から招いて、チームワークに関するコラムを執筆いただく「ブロガーズ・コラム」。はせおやさいさんが考える「チーム運営で意見を1つの視点ととらえることの大切さ」。


こんにちは。はせおやさいです。

「失敗は成功の母」と言いますが、失敗から学ぶことは思った以上に多いものですね。「失敗しないこと」よりも「失敗したとしてもそこから有益な知見を得られた」というほうに注目していくことがチーム運営では肝要かと思いますが、その空気を乱す人、というのも少なくありません。今日はそんな人の話を書きたいと思います。

あるプロジェクトが失敗したときの話

以前勤めていた会社でこんなことがありました。役員から降りてきた案件で、前提としてはとてもフワッとしているプロジェクトです。与件もゴールも、正確なところは誰も把握しておらず、とはいえ丸投げされた現場は手探りでなんとか形にしようと奔走する日々。

とにかく納品しなければ、という思いで一丸となってやり終えたのですが、やはり掛け違えたボタンはそう簡単にハマるわけでもありません。残念ながらその企画は「大成功!」という着地を見ることはありませんでした。

オレは最初からこうなることは分かってたよ

プロジェクト終了後、どこでどうリカバリすべきだったかを議論する場を持ったときのこと。中堅社員のメンバーの1人がこう言い始めたのです。

ただでさえ沈鬱だった場の空気はさらに悪化し、誰もあいづちを打つことなく、彼の「オレだったらこうした」の話を聞かされ続ける時間が流れました。とはいえ正論ではあったので「後出しジャンケンで負けた」という嫌な気分のまま、議論が盛り上がることなく、そのミーティングは解散となりました。

結果、彼に対してほかのメンバーの態度が少し変わり、なんとなく険悪な空気に。そのまま期が変わったため人事異動になってしまい、彼とふたたび仕事をする機会は失われてしまいました。

「オレは失敗するって分かってたよ」

時は流れ、お互い転職して、その彼と新しい肩書きで再会することになりました。

転職する過程で何か経験をしたのか、以前ほど舌鋒(ぜっぽう)鋭いトゲトゲしさはなくなり、管理職らしい落ち着きと配慮を伴ったビジネスマンになっていました。そんな彼と話す機会を持て、安堵したことを覚えています。

何度か打ち合わせを持ち、ひとまず取り組みができそうな目鼻がついたので「キックオフ的に食事に行こう」と約束しました。思い出話に花が咲くような、なごやかな空気に乗り、思い切ってあの時のことを聞いてみることにしました。

「『オレはこうなることが分かっていた』というなら、なぜ、最初からそう言ってくれなかったのか」

と直球で切り出してしまったので、若干の気まずい空気がありました。過去のことだからもういいじゃないか、というのに「どうしても理由が知りたいから」と懇願すると、彼は渋りながらも「だって、あの時のみんなは前に進むことばかり見て、オレの意見を聞いてくれなかったじゃないか」と話してくれました。

当時のわれわれは、降りてきた仕事をなんとかやり遂げることにばかり目が向いていて、「攻め」る一方でした。もっとここをこうしよう、こうすればもっと良くなるんじゃないか、こっちのほうが面白いんじゃないか、という、いわゆる”ワーカーズハイ”的な躁(そう)状態でした。

その中で彼が発言した「守り」の発言は、しばしば軽んじられました。そのアイデアだとこういうときに危ない、その方法は工数がかかりすぎる。彼の意見は「言ってることはわかるけど、とはいえ、やらなきゃいけないんだからさ!」と押し切られました。

でも、納品が終わり、火消しが終わったあと、課題として残っていたのは、彼の指摘していた「守り」の部分で、勢いで仕上げたせいで見落としていた箇所を埋める視点のものでした。

当時のわたしは「押し切った」側の1人で、いちメンバーとして、プロジェクトの勢いをそぐような発言を繰り返す彼を、うとましいと思ったことがないと言えば嘘になります。そんなネガティブなことばかり言ってたって、仕事は進まないじゃない、なんでそんなことを言うんだろう、と思ったこともあります。

でもそれは大きな間違いで、彼は彼なりの視点から、プロジェクトの成功のため、真摯に課題を指摘してくれていたのです。

「表現」と「内容」は、別物として切り分けよう

この対話は、わたしの中で大きな反省として残りました。話し方やその人のキャラクター、言葉の選び方にとらわれて、本当にその人が何をメッセージしようとしているのか、見失ってはいけなかったんです。

人はどうしても明るく楽しく、声の大きな人の意見に引きずられがちです。守るよりも攻めるほうが「仕事をしている」感じがするし、正しいように思えてしまう。でも、「攻め」も「守り」も、両方あってはじめて成立するもの。ネガティブな発言に「感情」が阻害されても、その意見の内容まで否定してはいけなかったんですね。

仕事でチームを組み、複数人のメンバーを抱えて進行していく中で、それぞれのメンバーに個性や性格、というものが当然あります。大声でメンバーを引っ張ってくれる人もいれば、後ろのほうで何かを言いたそうにしている人もいる。その人たち全員の意見を拾い、事実として並べてフラットに検討した上で、何がベストかを判断するのが正しいプロジェクトマネジメントです。

人間同士が働く上で、どうしても相性や好みがある、というのは否定できません。確かに「感情に引きずられない」というのはなかなかにハードなことではありますが、「自分が気付かないことを、この人は気付いているのかもしれない」という視点を忘れてはいけないのではないかと感じます。


ふせんで書き出し、「彼の意見」を「1つの視点」に変えた

ちなみにその後、彼と取り組んだ企画はトラブルなく無事に終えられたのですが、進行の過程で取り入れたのが「ふせんを使ったKJ法」でした。彼が感じる「ここが危ない」というポイントを、一方的にただ聞いて口頭で議論するのではなく、その場にいる全員が「この企画において、想定されるリスクは何か」を5分間、集中してふせんに書き出し、分類してみたのです。

5分間、思いつくだけふせんに書きだそうとすると、思ったより意見が出てこず、彼が書きだした大量のふせんは、みんなの賞賛を得ました。自分でやってみると思いつかなったようなリスクが挙げられ、参加者全員が「この人はこんな鋭い視点を持っていたのか」と実感できたせいかもしれません。

また、紙に書きだしたものを見て議論することで、みんなが「彼の意見」ではなく「1つの視点」としてフラットに向き合えたのも良かったように思います。

この経験を通じて人の得意不得意、そして、その意見をきちんと1つの視点としてフラットにとらえ、生産性の高い議論の材料にしていくこと、を学びました。

誰もが「誰にでも伝わるようにわかりやすく、耳障りのいい表現」をできるとは限りません。だからといって、その人の意見に耳を貸さないのも、大きな損失になりかねません。チームやプロジェクトを運営していく上で、このことを忘れてはいけないなと思ったのでした。

今日はそんな感じです。
チャオ!

イラスト:マツナガエイコ


チーム運営について仕事はルールとモラルの切り分けでうまくいく 失敗との付き合い方失敗した時に大事なのは「反省」よりも「分析」

海士町でIターン創業した巡の環──挑戦し続ける現場の雰囲気をほぐす「まかないランチ」を食べてきた

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海士町 巡の環にサイボウズ式がチームめし!取材

気になるチームのランチを突撃取材する「チームめし!」。今回は都内を出て、島根県の隠岐諸島の1つ、海士(あま)町に行ってきました。

過疎化、高齢化が深刻な問題となりつつある地方都市が多いなか、若者の人口が増えている地域として注目されている海士町。そこにIターンしたメンバーで創業して島の特産品を販売したり、島で「海士五感塾」という企業研修を手掛ける株式会社巡の環のランチにおじゃましてきました。

「今日はまかないの日なんです」とのこと。まるで誰かの家に来たようなあったかいランチをどうぞご覧あれ。

海士町ってどんなところ?

そもそも、島根県隠岐郡海士町ってどんなところなんでしょう。若者の人口が増えているのはなぜなのか、巡の環の代表取締役である阿部裕志さんに聞いてみました。

海士町の風光明媚な風景

「奇跡の町」とも呼ばれる巡の環では、この島を未来の社会モデルとし、それを日本中に広げるための事業を展開しています。社員は全員海士町とはゆかりのなかったIターンの人で構成されており、地元の方と結婚して子育てをしている社員もいらっしゃいます。

調理中

この日オフィスにいたみなさん。右奥が阿部さん

現在社員数は8人。みんなでご飯を食べる「まかないランチ」はどうして始まったのでしょうか?

「せっかく島にIターン就職してきたのに、仕事量が増えた結果、職場の雰囲気が悪くなるのは本末転倒です。食べながら会話することって大事で"ほっとする"雰囲気になるから」と阿部さん。食をともにすることは、チームや人と人との関係の潤滑油になりやすいですね。


さて、ランチの準備!

ちょうど、時間がお昼にさしかかってきたので、今日のランチの準備に入っていきましょう。この日の献立は以下の4品です。

・豚丼(オクラと細切りたくあんをお好みでかけて)
・ナスとみょうがのお味噌汁
・ツルムラサキのおひたし
・梨

「まかないランチ」を担当しているのは吉村史子さん。12時前くらいに吉村さんが動き始めたら、徐々に手が空いたメンバーから昼食の準備に取り掛かります。

調理中

地元で購入した豚を使って調理。「丼ものはツユが勝負!なので、以前作ってウケがよかったツユで挑戦してます」

味噌汁

その横でなすとみょうがのお味噌汁ができあがりました

豚丼

器にご飯をよそってさっきの豚をオン。器はこの日の通勤時に、町で古道具などを売っているお店で買ってきたとのこと。器8器とトレー2台で500円だったとか!

梨

梨もみんなで剥いて

準備

食べる準備

完成

準備完了しました!

準備

いただきます!

私(サイボウズ式 椋田)も「いただきます」をして、ランチに同席させていただきました。

オクラをのっける

豚丼を1口いただいたあとに各自自由に付け合わせる、オクラと細切りたくあんをのっけてみました。

たくあんも乗せる

おいしくなるのは当たり前!

ヘルシーなおそうざい

お惣菜もヘルシーです。

「献立は店に並んでいるものを見たりしてその場で決めることもあります」と吉村さん。まかないランチの頻度は基本は不定期で、通常の仕事に無理がないようにと「週3日くらいはできるようにしたい」とのこと。金額は1人300円で、10回分の費用で11回分使える回数券も発行されていました。

まかないランチの食券

巡の環のオフィスは古民家

そういえば巡の環のこのオフィス、門構えがとても立派なんです。

巡の環のオフィス「ドーン!」

ドーン!

巡の環

正面ではなくこの奥の横にオフィスの入口がありました

昔、この地域の有力者で、隠岐に流された後鳥羽上皇のお世話をしたと言われる旧家の一部をオフィスとして利用させてもらっているとのこと。

「歴史的資料館なので、見学に来られる方の案内も私たちの仕事の一部です」(阿部さん)

巡の環の入り口には特産品の紹介も

入口には様々な資料や特産品の紹介も

前例踏襲せず、挑戦し続ける海士町へ

最後に海士町の魅力について聞いてみました。

地域とともに生きていくのは、昔からの日本人の生き方や働き方でもあったはず。お話を聞いていて、東京のさまざまなものが異常なのかもという気がしてきました。ご飯をいただきながら「生き方」や「働き方」について少し考えてみたくなるまかないランチ体験でした。

写真:川島稔


サイボウズ式編集部からのお知らせ:

2015年11月に開催する「cybozu.com カンファレンス 2015」。基調講演ではサイボウズ 青野慶久が「変える覚悟、変わる覚悟。」というテーマで話します。地方創生の1事例として海士町の話も出てくる予定です。カンファレンスの無料お申込みはこちらのページから。

【11月10日開催ワークショップ】夫婦でもっと幸せになるための「おとなの、ぼくらの」課外授業 参加者募集

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これからの大きな日本の課題である人口減少、そして個人の健康や幸福感にも直結する男と女の関係。夫婦になったからには、対立構造ではなく、互いを理解し、パートナーとして寄り添いあえることが理想ではないでしょうか。

これまでワークスタイルムービー「大丈夫」など男女の相互理解に取り組んできたサイボウズと女性のカラダとココロをサポートするルナルナは、妻という最も身近な赤の他人を大切にすることを推奨している日本愛妻家協会の小菅氏をナビゲーターに迎え、男性を対象にパートナーに寄り添うためのヒントを学ぶ「おとなの、ぼくらの」課外授業を開催します。

3度の育児休暇をとり働き方改革に取り組むイクメン社長のミニ講座とサイボウズ東京オフィスのツアー、基本的な月のバイオリズムや妊娠期、産褥期、更年期などの女性のカラダとココロの変化を学ぶ講座、夫として未来に向けてどう進化すべきかを創造的に対話する場などご用意しています。興味をお持ちの方はお気軽にご参加ください。

※男性限定のイベントですが、メディア関係者は女性でも参加可能です。

※メディアの撮影が入る可能性がありますが、撮影NGな方には配慮させていただきます。

イベント概要

題名 be smart project まずはぼくたちからスマートに。「おとなの、ぼくらの」課外授業 in cybozu
日時 2015年11月10日(火)19:00~21:30(受付開始18:30〜)
会場

サイボウズ株式会社 東京都中央区日本橋2-7-1 東京日本橋タワー 27階 BAR(バル)
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■アクセス
東京メトロ銀座線・東西線、都営地下鉄浅草線「日本橋駅」B6出口直通
東京メトロ半蔵門線・銀座線「三越前駅」B6出口より徒歩3分
JR「東京駅」八重洲北口より徒歩10分

内容
1時間目19:00~ 【社会科見学】イクメン社長のミニ講座・オフィスツアー サイボウズ株式会社 代表取締役社長 青野慶久
2時間目19:40~ 【保健体育】「知っていそうで知らない女性のカラダ」 株式会社エムティーアイ ルナルナ事業部長 日根麻綾
3時間目20:20~ 【道徳】「パートナーシップ新潮流 変化してきた夫婦像」 日本愛妻家協会 主任調査員 小菅隆太
放課後21:00~ 【懇親会】
主催 サイボウズ、ルナルナ、日本愛妻家協会
定員 40名
申し込み こちらのフォームよりお申込みください。

登壇者プロフィール

青野 慶久(あおの よしひさ)
1971年生まれ。愛媛県今治市出身。サイボウズ株式会社代表取締役社長。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、 松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立。2005年4月代表取締役に就任(現任)。 社内のワークスタイル変革を推進し離職率を6分の1に低減するとともに、3児の父として3度の育児休暇を取得。総務省ワークスタイル変革プロジェクトの外部アドバイザーやCSAJ(一般社団法人コンピュータソフトウェア協会)の副会長を務める。

日根 麻綾(ひね まあや) システムインテグレーターにSEとして新卒入社ののち、2006年にエムティーアイ入社。子会社の広告代理店にてプロモーションやマーケティング、新規事業立ち上げを経験したのち2012年6月にルナルナ事業部の事業部長に着任。女性のカラダとココロに寄り添う必需品というブランドビジョンを掲げ、そのための勉強や活動はライフワークにもなっている。

小菅隆太(こすげ りゅうた) 1975年生まれ40歳。株式会社ディー・エヌ・エーのメンバーとして2000年から2006年まで在籍。広報・PRの経験を活かした地域活性化デザインを生業としており、ソーシャルデザインチーム「issue+design(社会の課題に、市民の創造力を。)」、“最も身近な赤の他人である妻を愛する人が増えると世界は平和になるかもしれないね“をスローガンとする「日本愛妻家協会」の主任調査員、群馬県嬬恋村の観光大使を務めるなど、精力的に活動している。自治体と連携した婚活デザインの「日本婚活会議」や、夫婦関係向上イベントなど、恋愛、結婚、夫婦生活、地域活性化をフィールドに、企画から、宣伝、運営までワンストップでプロジェクトを盛り上げるスペシャリスト。 二児(娘)の父。

地域ボランティアの労働コストを考える──コデラ総研 家庭部(51)

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テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第51回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「地域ボランティアの労働コストを考える」。

文:小寺 信良
写真:風穴 江(tech@サイボウズ式)

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PTAや子供会、あるいは自治会活動などは、総称すると地域ボランティアということになるだろう。それぞれに会費という形で金銭的コストを負担するわけだが、それ以外にも会員活動として、実際に体や手を動かす労働コストも負担することになる。

大人が普通に働く場合、月収50万円と仮定すると、1日8時間労働、20日出勤で計算すれば、時給換算で大体3000円強となる。つまり私たちの労働力は、ざっくり1時間3000円の価値があるということになる。PTAの仕事のために4時間働いたとするならば1万2000円分の労働力を、10分学校に立ち寄って書類を届けたり受け取ったりするだけで500円の労働力を、それぞれ提供したということになる。

こう考えていくと、会費という金銭的コストは実は大したことはなく、本当に厳しくコスト計算をしなければならないのは、実働時間であるということが分かる。つまり、最小限の労働力で最大限の成果が出るようタスクマネージメントしなければ、目に見えない大量の労働コストが無駄になるわけである。

しかし実際の地域ボランティアがこのようなコスト計算をすると、途端に破綻してしまう。そこには、「どうせ暇だから」「空いてる時間を提供してもらうだけだから」という甘えの構造がある。すでに定年退職した人が多い自治会活動ではそのような考え方でもさほど不都合がないが、ほとんどが現役の労働者であるPTAや子供会では、ちょっとしたことで簡単にコスト効率が悪化する。

例えばこんなことがあった。うちの小学校のPTAでは、書面による活動資料が目に見えて少なくなってきている。その代わり、全員を集めて口頭での指示が増えた。

こうすると、一見指示を出す本部役員の労働力が削減できているように見える。だが口頭の指示では、意味がきちんと伝わらなかったり、メモに漏れがあったりする。今回は文化祭の事後書類の提出に関して、すべての資料をまとめて提出するということになっていたようだが、17クラスのうち13クラスが、書類ができた順に提出してしまった。実に76%が、指示を把握できていなかったことになる。

結局これらの書類はまとめて出し直すため、各クラスから1名ずつ学校のPTA室に出向いて、引き取らなければならない。これに1人10分/500円程度の労働力かかるわけで、全体とすれば6500円分の労働力が無駄になる。当然、書類を取りに来いと指示を出すのにもコストがかかっている。確かにまとめて出てくれば本部役員の労働力は削減できるだろうが、そこまで厳格に対応しなければならないことか、というレベルの話でもある。安物買いの銭失いとはまさにこのことだ。

そもそもPTAの伝達手段は、双方向性が低い。一斉連絡は子供を経由したお手紙だし、関係委員への連絡は担当役員からの一斉メールで、こちらからの問い合わせにもレスポンスが悪く、返事が1日以上かかることも珍しくない。おそらく役員間の連絡もメールでやっていて、意思決定できる人間が少数なので、時間がかかっているのだと思われる。もっと各自に裁量権を与えてフレキシブルにやらせればいいのだろうが、それをやった結果どんな不都合があるのか、経験不足で分からないため、結局会長以下経験の長い役員の返事待ちになっている。

つまり、予定の軌道から外れた不具合を吸収できるだけの知識マージンがないため、追加の労働力を投入して無理やり軌道修正するという構造が、無駄働きを生んでいるわけである。

「面倒を引き受け、面倒をかける」というお互い様サイクル

話は変わるが、筆者が取材などで出かけているときに、うちの子が鍵を持っていくのを忘れて、家に入れず締め出しを食らっていることがよくある。そういうときは、僕が帰るまで面倒を見てもらっているお宅が何軒かある。おやつをもらったり、遅くなったときはご飯をご馳走になってたりすることもある。

普通こういうことになれば、その家とうちと1対1で、世話になったお礼などをすることになる。当然そういうこともしているが、こっちが世話になっている分に追いついていないのが現状だ。

だが筆者は自治会の広報紙を発行したり、町内清掃の手配をしたりといった地域活動をしているということをご存知なので、それでトントンということになっている。つまり、僕が他の人にできない面倒を引き受けている代わりに、ご近所はうちの子の面倒を引き受けてくれる。

これなどは、まったく金銭に換算できないコスト収支だ。その地域に住み続ける以上、世話になったり、世話をしたりという関係が永遠に続く。したがって、前回世話になったからとか、何回世話したからという貸借りというか、バトンの渡し合いみたいなカウントは無意味だ。さらに自治会の活動に何時間費やしたからいくら、という金銭換算も無駄だ。どれだけの労働力を提供したかの量とは関係なく、地域の面倒を見ている人ということで、地域に面倒を見てもらっている。

おそらくこういったサザエさん一家みたいな地域関係性を持っている家庭は、今どき少ないだろう。だが、日本の社会は大きく変わったように見えて、地域に暮らす人の心というのはそれほど大きく変わってしまうわけではない。地域住民同士の関係性が薄なる中で、どうすればそういう関係になれるのか、きっかけもなければやり方も分からなくなっているというのが実情だ。

その地域が大嫌いだから関係を持ちたくない、という人も中にはいるだろう。そういう場合は早く引っ越したほうがいい。隣近所のベタベタした関係が嫌い、という人もいるだろう。自分の家族だけで、核シェルターのように暮らしたいということだろうか。おそらくそれは、どうせそこに長く住むつもりはないと考えているからかもしれない。

実はこういうタイプの、顔が分からない住人が、地域にとっては一番の負担になっている。自治会費も払わず協力もしないが、毎日ゴミは出すし火事になれば消火器は使うし災害時には避難所に逃げてくる。「面倒を引き受け、面倒をかける」という、「お互い様サイクル」の外側にいるのだ。これらを運営する自治会は、お前など知らぬ帰れとは言えず、全員を受け入れなければならない。

PTAなどは、正直子供が学校を卒業したら終わりだ。だが、生活はずっと続く。子供にとっては、今住んでいる場所が故郷になるのだ。家庭を持ち、子供を持ったら、できる限り地域との関係性を良好に保つために、いくばくかの労働コストは提供するべきと考える。(了)


本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、取り上げてほしいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


この記事を、以下のライセンスで提供します:CC BY-SA
これ以外のライセンスをご希望の場合は、お問い合わせください。

「から揚げは男のロマン。」――イクメン社長、はじめて料理を習う

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2014年に青野社長のイメチェン企画を断行したサイボウズ式。今年も何か社長にチャレンジしてもらおうと思案していたところ、サイボウズの人事部感動課から「最近、青野さんがFacebookに手料理写真アップしとる(※)んやけど、全体的に茶色いなぁと思うんですよね……」というさりげない企画提案が!


6d2d2e1c461778311eeff14c5eb63a42d5108e7e.png(※)青野社長の手料理画像。茶色くなってしまう気持ち、よくわかる。


青野社長は、巷では「イクメン社長」ともてはやされているが、料理ができてこそ真のイクメン社長なのではないか――そんな勝手な思い込みとともに、料理ならクックパッドさんに相談すれば間違いない! ということで急きょ、恵比寿ガーデンプレイスにあるオフィスに伺い、企画について相談しご快諾いただきました。

今回は、クックパッド料理教室千駄ヶ谷教室の天池先生にご協力いただきます。

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イクメン社長育成企画遂行のため、クックパッドさんが手配してくださった料理教室にやってきました。

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(うまいこと見切れた部長と)青野社長の登場です!

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今回料理を教えてくださるのは、優しい笑顔がステキな天池航輔先生。

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和やかな雰囲気で打合せが始まりました。青野社長は「最近、スーパーに行くのが楽しくなってきた」らしい。

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大学生時代に週11個のカップラーメンを食べていた青野社長は、友人に「体が黄色い」と言われた強烈な過去をもっています。もちろんコンビニの商品は制覇済み。

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特技は「カップラーメンの大きさを見るだけで、ちょうどいいお湯の量がわかること」だと得意げに話す青野社長……イクメン社長は料理から程遠い存在だったようです。

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今回のイクメン社長育成企画では、「何度でも作りたくなるような基本の家庭料理」を学んでいただきます。めざせ、真のイクメン社長!

天池先生には、和食の基本「鰹と昆布のお出汁づくり」からはじまり、そのお出汁を活用して「鶏肉の唐揚げ・擬製豆腐・酢の物・枝豆ご飯・お味噌汁」の5品を作るメニューをご用意していただきました。これで、青野社長の手料理も色鮮やかでバランスのいいものになるはずです。

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天池先生「“あたたかいものはあたたかく、冷たいものは冷たく”食べるため、同時進行で進めていきます。」 青野社長「(同時進行とかあかんやつや……。)」

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「今日、何品作れるかな……3品できたらいいとこなんじゃないでしょうか(笑)」

すでに出だしから及び腰の青野社長。そんな自らを奮い立たせるためにも、クックパッドさんが準備してくださったエプロンをお借りして、まずは形から入ることに。

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「やっぱりできないやつは形から入らんとね!」
ふだんはエプロンをせずに料理するという青野社長、予想以上に似合うという声にご満悦です。

ひとしきりエプロン姿を楽しんだところで、ついに料理スタートです!

さっそくお出汁づくりから

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青野社長「昆布はなにがオススメですか?」 天池先生「この北海道の真昆布、リーズナブルで味もよくオススメです。」

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天池先生「これだけ分厚いと二番出汁まで美味しく取れます。鰹節はふりかけにしたり。お出汁自体は冷凍で一週間保存できますよ。」 青野社長「なんて有能なんだ……。」

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昆布のいい香りが部屋に充満して、全員が一斉に深呼吸をしはじめるという異様な光景が広がりました。

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立ち上る湯気と香りに思わず表情がゆるみます。

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天池先生「もっと入れてください。」


お出汁の香りに包まれながら酢の物の準備

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天池先生「かなり切れ味がいいので、気をつけないと親指もスパーンと切れちゃいますよ。」
青野社長「うわっ、こわっ!」

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力の入る手元を先生が不安げに見つめています。

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「塩でもむ」という新境地。


化学実験の結果を待ちながらお出汁の仕上げ

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天池先生「こした後は、あまりギュッと絞らない方がいいですよ。くさみが出ちゃう可能性があるので、軽くしぼる程度で十分です。」
青野社長「そうなんだ……。」すっかりお出汁の虜になったイクメン社長、真剣です。

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「あぁ~いい匂い……。」

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匂いをこれでもかという程に堪能したあとは……。

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「言葉はいらない」を見事に体現しました。CMのオファーがきそうだと話題に。


恍惚とした気分を引きずりながら酢の物

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天池先生「あー、いい絞りですね!」 親の仇を討つような目できゅうりを絞る青野社長「きゅうり絞るて……予想外です。」

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調味料の配分に興味津々な青野社長。


イクメン社長と油と鶏肉と

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から揚げへの並々ならぬ愛と情熱をのぞかせる青野社長と爆笑する天池先生。

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まずは先生がお手本を。

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いざ、挑戦のとき。

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青野社長「お、お、おお。形はなんとか。」 天池先生「慣れてしまえば意外と簡単に出来ますよ。」

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青野社長、渾身のアウトプットがこちら。感動もそこそこに、さっそく下味付けに移ります。

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青野社長 は もみこむ を おぼえた !


お待ちかねの擬製豆腐

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まず、キッチンペーパーなどで豆腐の水分を取る。水分を取った豆腐は、ザルでこしていきます。

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「ぼく、玉ねぎが好きなんですよ。炒めるだけで美味しいから。個人的に、にんじんは面白みがないと思う」炒めながらそう独自の野菜論を語る青野社長。


後編の公開は、10月30日を予定しています。お楽しみに!

定時後の「帰りにくい空気」とどう向き合うか

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【サイボウズ式編集部より】「ブロガーズ・コラム」は、サイボウズの外部から招いた著名ブロガーによるチームワークコラムです。今回は日野瑛太郎さんによる「定時後の“帰りにくい空気”との向き合い方」について。

2015年10月12日の朝日新聞朝刊に、「残業漬け 私はごめんだ」という見出しの特集記事が載りました。実はこの記事に、長時間残業を否定する立場のコメントとして僕のコメントが載っています。掲載されるという連絡は事前に記者の方からいただいていたのですが、いざ載ってみると一面の目立つところに掲載されており、想像していたよりも多くの反響がありました。

たとえば、この記事がきっかけになり、はてなブログでは「実録・残業列伝」というトピックが立てられ、さまざまな人が自身の残業の実体験をつづるエントリが投稿されています。中には月300時間なんていうおそろしい体験記事もありました。単純計算すると1日約14時間(土日なし)で働いていることになりますが……。

これだけ多くの人が「残業」というテーマに反応するということは、それだけ日本の会社では長時間残業が常態化しており、不満に感じている人がとても多いということだと思います。ほとんどすべての人が「残業は嫌だ」と思っているはずなのに、残業はなかなかなくなりません。会社によってはもはや残業状態がデフォルトになり、定時に帰る人なんて1人もいないというところすらあるぐらいです。

長時間残業が働く人個人の心や身体に悪影響を及ぼすことは言うまでもありませんが、残業が悪影響を及ぼす範囲はそれだけにとどまりません。長時間残業は個人を超えて、チーム全体にも悪影響を及ぼします

残業が常態化しているチーム内の雰囲気は悪くなり、生産性も著しく低下します。あまりにもその状態が長く続くと心や体を壊して離脱する人が出始め、そのことがさらにチームの状態を悪化させます。チームにとって長時間労働は明らかに悪です。

では、どうすればチームは長時間の残業を回避することができるのでしょうか。今回は、この問題について考えてみたいと思います。

業務効率化だけで残業はなくならない

僕はつねづね、残業が発生する理由は2種類存在すると考えています。1つは純粋に業務量が多すぎることで発生する残業、もう1つは職場の「帰りにくい空気」が原因で発生する残業です。

残業の話が出るとよく「業務を効率化して早く帰れるようにしよう」という意見が出ますが、この案は前者の問題しか解決しません。「帰りにくい空気」が蔓延する職場では、どんなに業務効率化をして仕事の生産性を上げたとしても、誰も定時後に帰ろうとしなければ、やはり帰りにくい空気は残るので結局はつきあい残業せざるをえなくなります。

また、たとえ業務を効率化して単位時間当たりにこなせる仕事量が増えたとしても、それで空いた時間にまた違う仕事を新しく振られるとしたら、結局は同じように残業しなければなりません。業務効率化だけでは、残業問題の解決策として不十分です。

それよりも大事なことは、「定時が来たらよほどのことがない限り帰る」「プライベートの時間まで仕事をするなんてありえない」という価値観をチーム内に浸透させることです。

残念ながら、多くの日本の会社はこれとは真逆の価値観の下で動いているのではないでしょうか。「定時が過ぎてもみんなが頑張っているなら自分だけ帰ってはいけない」「よほどのことがなければ仕事はプライベートよりも優先される」――こういう価値観が蔓延する会社では、どんなにハイパフォーマンスで働いたとしても、気持ちよく「定時帰宅」するわけにはいきません。

「頑張って効率よく働いてもどうせ定時には帰れない」のであれば、当然ながら生産性を上げる努力もされなくなっていきます。「日本人は世界の中でもかなり長時間働いている人たちなのに生産性は著しく低い」と言われることがありますが、そうなってしまう原因はこの点にあります。「生産性の低い長時間労働」は言わば人生のリソースの無駄づかいです。そうならないためにも、まずは職場の空気の問題を再優先で解消しなければなりません。

チームメンバーと、じっくり残業について話し合おう

職場の「帰りにくい空気」を払拭するために僕がおすすめしたいのは、チームメンバー全員で一度じっくりと残業について話し合うことです。「帰りにくい空気」は、結局のところルールが明文化されていないことから発生します

たとえば「定時は18時で、その時間になったらよほどのことがない限り帰ってよい。ほかの人が残っているかどうかは関係ない。その帰宅をとがめることは許されない」というルールがチーム内で明示的に合意されていれば、残業について空気を読んで判断する余地がなくなるので、気兼ねなく「定時帰宅」ができるはずです。そのような「残業についてのルール」をチームで決めてしまうわけです。

ルールを決める際には、たとえば以下のケースについてどうするのが望ましいか、行動方針を話し合うとよいでしょう。

1. 定時は何時なのか
2. 定時後に残業しなければならないのはどのようなケースか
3. 定時後に他人の仕事を手伝うべきか否か
4. 定時後に会議等を入れる可否
5. 定時後に仕事を依頼する可否

これらについて話し合う過程で、「暗黙のルール」は「明示的なルール」に変更されます。なお、意見が割れてしまった場合は、なるべく残業について消極的なものに決定するようにします。たとえば「3. 定時後に他人の仕事を手伝うべきか否か」という問題について、1人でも「手伝わなくてよい」と考えている人がいるなら、チームのルールは「手伝わなくてよい」にするべきです。

話し合いの結果、残念なことにあなた以外のチームメンバー全員が「つきあい残業」に賛成する立場だったとしたら、残念ですが中長期的にはチームを離れる判断が必要になるかもしれません。

もっとも、建前ではなく本音で話し合えば、多くの人は「つきあい残業」なんてやめたい、定時になったら気兼ねせず帰りたいと考えているはずです。「自分だけ先に帰るとよく思われないだろうなぁ」と勝手に推測する前に、実際に本当にそうすべきだとみんなが思っているのかどうか、話し合って確かめてみる価値は十分あります。

アウトプットを増やしたいなら、残業する前にやれることはたくさんある

1日8時間、週40時間という労働時間は、実は非常に長い時間です。残業をするというのは、つまりこの週40時間だけでは足りないという意味なのですが、果たして本当にそんなことはあるのでしょうか。

目の前の仕事が終わらない、チームの目標が達成できないという場合には、残業という手段を導入する前にまだまだやれることはたくさんあるはずです。ヘタに残業を導入するよりも、仕事の優先度を組み立てなおしたり、不要な会議を減らしたりするほうが、効果的なアウトプットを増やすという意味では何倍も意味があります。残業はあくまで最後の手段であり、安易に頼るべきではありません

日本には毎日のように残業をしているチームがたくさんあると思いますが、このことを普通だと思ってはいけません。チーム内で残業が恒常的に発生しているということは、仕事の進め方やチーム内の人員配置などのどこかに問題があるということです。残業はチームがうまくいっていないことを知らせるアラートだともいえるかもしれません。アラートが来たらそれを放置せずに、優先的に対処するようなチームでありたいものです。

イラスト:マツナガエイコ


「残業」を考える
定時後の「何かお手伝いすることありますか?」は必要ない
チームの生産性を上げるために必要なこと


「働く」ばかりが偉いわけじゃない──「働きがいのある会社」経営者たちの「仕事と人生」論

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株式会社VOYAGE GROUP 代表取締役社長兼CEO 宇佐美進典氏(写真左)。1972年生まれ、1999年に株式会社アクシブドットコム(現 株式会社VOYAGE GROUP)を創業し取締役COOに就任、2002年に代表取締役に就任。サイボウズ代表取締役社長 青野慶久、1971年生まれ、1997年にサイボウズ株式会社を創業し取締役副社長に就任、2005年に代表取締役に就任。

Great Place to Work Institute Japanが毎年発表している「働きがいのある会社」ランキング(従業員100〜999人の部)で2015年、1位に選ばれたVOYAGE GROUPの宇佐美進典社長と3位に選ばれたサイボウズの青野慶久社長の対談後編をお届けします。「働きがいのある会社」をつくるためにどんなことをしてきたのかを中心に意見を交わし合った前編に続き、後編では、そもそもお互いにとって「働きがい」とは何か? ということや、結婚・子育てを学生時代に経験した宇佐美社長と、乳幼児の子育て真っ最中の青野社長のワークライフバランス観が語られます。

社員のみならず内定者も含めて誰でもプランを提案できる

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ボトムアップ、トップダウン両方から次々と新規事業が生まれるVOYAGE GROUP。オフィスは、海賊である社員(クルー)が、既存のルールを打ち破り、新しい社会、新しいサービスを創り出していくべく航海(VOYAGE)する場と定義している。

「働く」ことばかりが尊重されすぎてきたのではないか

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2010年以降、3度の育児休暇を取ったサイボウズの青野社長。取材時は、0歳児の育児のため16時までの時短勤務。2015年10月現在は18時の定時退社を実践中。

人生全体の中でワークとライフのバランスがとれればいい

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広げてきたフェーズから、磨いていくフェーズへ

前編はこちら

文:荒濱 一 撮影:内田 明人 編集:渡辺 清美

【サイボウズ式編集部より】11月10日(火)、サイボウズ東京オフィスにてイクメン社長の働き方変革講座やオフィスツアーを盛り込んだ「おとなの、ぼくらの」課外授業を開催します。ご関心のある方はどうぞお申込みください。

産後クライシスなんて知らなかった!──離婚の危機からV字回復した男がいまだから語れる話

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日根氏・小菅氏

左より株式会社エムティーアイ「ルナルナ」事業部長 日根麻綾氏、日本愛妻家協会 主任調査員 小菅隆太氏

日本愛妻家協会」ってご存知ですか? 「妻というもっとも身近な赤の他人を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれない」という甘い理想のもと、愛妻家というライフスタイルを世界に広めていくことを目指している団体です。キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ、通称「キャベチュー」なんていうイベントも実施しています。 この日本愛妻家協会の主任調査員で初代サケビストも名乗る小菅隆太さんと、株式会社エムティーアイが運営する女性のカラダとココロをサポートするスマホサービス「ルナルナ」の事業部長を務める日根麻綾さんの対談をお届けします。 今でこそ立派な愛妻家に成長した小菅さんですが、実は過去には奥さまと険悪な関係になり、離婚の瀬戸際までいったヘビーな経験があるそう。一方の日根さんは、新婚で幸せ真っ只中。自分の夫にも愛妻家になってほしいとの思いから、夫婦関係の「奇跡のV字回復」を果たした小菅さんの話に興味シンシンです。 夫婦はいったいどうすれば、生涯にわたって愛し、愛される良好な関係を築いていけるのか? 以前から知り合いだというお二人の息の合った話に耳を傾けつつ、一緒に考えてみましょう。

お互いが思い描いていた夫婦像が、まったく違うものだった

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子供の誕生をきっかけに「人生のダークサイド」へ

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あの時サインした離婚届は、今もしまってあります

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離婚という“武器”がなくなった

DSC_4759.JPG 後編に続く 文:荒濱一 撮影:尾木司 編集:渡辺清美

【サイボウズ式編集部より】11月10日(火)、日本愛妻家協会の小菅氏とルナルナ事業部長の日根氏も登壇する新たな男女のパートナーシップを探るイベント「おとなの、ぼくらの」課外授業を開催します。ご関心のある方はどうぞお申込みください。

「田舎だから無理」のいいわけはもう止める──課題の宝庫・海士町を日本の最先端にするには?

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地方創生の理想モデルとして注目を集める島根県海士町。日本海の島根半島沖合約60kmに浮かぶ、人口わずか2374人(2013年現在)の小さな島です。海士町には日本各地から人が集まり、地域活性化に取り組んでいます。

2015年11月6日に東京、20日に大阪で開かれる「cybozu.com カンファレンス 2015」の基調講演では、島根県隠岐郡海士町にある 隠岐國学習センター の豊田庄吾 センター長が登壇。これに先立ち、サイボウズの椋田が海士町を訪ねました。

豊田さんはなぜ海士町に移住し、海士町の教育を立て直したのか。地域が生き残るために何ができるのか──。

何の不満もない暮らしを捨てた理由

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「田舎であることを言い訳にしない成功モデル」を作りたい

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海士町が直面した“高校廃校の危機”が意味するもの

海士町はこれからの日本の最先端

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手前の建物が 「隠岐國(おきのくに)学習センター」。その上に見えるのが島前高校

後編(11/4公開予定)に続きます。

執筆:野本 纏花、写真:川島 稔


サイボウズ式編集部からのお知らせ:

2015年11月に開催する「cybozu.com カンファレンス 2015」。基調講演ではサイボウズ 青野慶久が「変える覚悟、変わる覚悟。」について話します。そこで、地方創生の事例として、豊田庄吾氏も登壇予定。カンファレンスの無料お申込みはこちらのページから。

ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔第24回:名前、名前、名前、……、戒名

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元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載の第24回。今回のお題は「名前、名前、名前、……、戒名」。

ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。

文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki

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「名前」はいろいろな意味で意味深い。と書いて、すぐ気がついた。「いろいろな意味」は「意味」の水平展開。「意味深い」は「意味」の垂直展開。妙な言い方をしたものだ。これを「妙だ」と思うような感覚はどうも私の昔からの(悪い)癖だ。

私事になるが、私には長女と長男がいる。子供が生まれると名前に悩む、というか、あれやこれや考える方が多い。姓名判断の本を参照される方も多いだろう。お察しの通り、私はその手のものにはまったく拘らない。ただし、理由とか理屈のない命名をする気にはならない。

長女の名前は摩矢である。「マヤ」の発音では頻度の低い漢字だと思う。で、理屈は何か。Mayaが国際的に通用する女性名であることが一番の理由。とはいえ、サッカー全日本代表には吉田麻也という強面ディフェンダがいる。性別を超えてユニバーサルな名前なのかもしれない。もちろん、それだけでは理屈が足りない。「摩」は空に聳える「摩天楼」の「摩」だ。「麻」ではあかん。「矢」は生まれが射手座だったことによる。うむ、完璧。

長男の名前は一弓である。読みはもちろん「イッキュウ」。この読みでは圧倒的に一休さんが思い出される。ふつう自分の子供にはつけない名前だろう。ところがあいにく、長女と同じく射手座に生まれてしまった。姉が矢なら、弟は弓しかあるまい。あとは、ユニークさの追求と、象形文字のセンスで、弓から弓矢が飛び出す姿、これは一弓しかない。と、ここまで考えたのだが、さすがにこれは簡単には家族の賛同が得られまい。というわけで出生届を出してから、名前は「一弓」に決まったぞ、とご託宣したのであった。一弓は「かずみ」とも読める。

小学校時代、両方の子を担任した先生が、「ほんと、この姉弟は、兄妹だったらよかったのにねぇ」とおっしゃったとか。そういう対照的な性格だったのだろう。どちらも成人に近づいたころ、摩矢には自衛官のお誘いのダイレクトメール、一弓には振袖のダイレクトメールが来た。名前だけ見るとそう判断されるのかと感心してしまった。

一弓で有名なのは、2013年に亡くなったイチローの愛犬である。イチローの「一」と奥さんの弓子の「弓」を結合した名前だ。いまやこっちのほうがずっと有名になってしまったが、愚息の一弓は一応それよりずっと前につけたオジジナリティのある名前である。

人の名前はその人が一生背負う重要なものであるが、それはそれとして、悪い癖のある私にはときとして遊びの対象になる。私の名前は竹内郁雄だが、ときどき郁男とか郁夫に間違えられることがある。間違えた方はそのことを知って平身低頭状態になられるのだが、そこはそれ。「単なるオス(雄)である私を男にしていただいてありがとうございます!」と感謝の言葉でお返しする。「郁夫」の場合は微妙で、相手が女性である場合に限りなのだが「単なるオスの私を夫としてお認めいただきありがとうございます!」と、どっちがどっちやねんという熱烈感謝以上の言葉を投げさせていただいているのであります。

名前のユニークさは重要である。最近、かなり大きな名簿のそれぞれの名前をキーにして、その人たちが今何をやっているかを調べる必要があり、随分Google先生のお世話になった(なっている? 進行形)。やはりちょっとありふれた名前だと数名以上の同姓同名にぶち当たる。昔その人がどんなことをやっていたかの情報を勘案して、絞り込むのだが、それでも確証がつかめない人がいる。同じ名前なのだが、2008年までどこそこにいたのに、そこからあとはしばらく(インターネット上の)足跡が途絶え、2011年ごろから同じ名前で、微妙に近いけれど何か違う業界で活躍しているといった人がいるのだ。「この2人は同一人物か?」と、大いに悩まされてしまう。こうなると、別のキーワードも駆使して、継続関係をフォローするという、まるで探偵事務所みたいなことをやらざるを得ない。要するに、インターネットだけでは、なかなか特定個人の足跡を追跡するのは難しいことが分かった。

はこだて未来大学学長の中島秀之さんとはもう随分長いお付き合いである。名前で遊んでしまう私の癖のせいか、私の目が悪いせいか、あるいは眼光紙背に徹してしまうせいか、「秀之」がどうしても「禿え」に見える。というわけで私は中島さんをつい「はげえ」と呼んでいる。もう長いことそうなのだが、ほかの人は決してそうは呼ばない。一時期「はげえ呼称普及促進連盟」を作ろうとしたが、さすがに面と向かって「はげえ」と呼ぶ人はいない。

中島さんはこれを「マカクザル」現象と説明していた。マカクザルというサルは、個体に名前が付随しているのではなく、呼ばれるサルと呼ぶほうのサルの関係性において、呼称が成立しているのだそうだ。それにより、自分が「名前」で呼ばれたときに、誰から呼ばれたかがすぐ分かる。つまり、彼が「はげえ」と呼ばれたら、ただちに竹内が呼んでいることが分かるのである。これは結構便利なのではないかと思う。その昔、米国計算機学会(ACM)のSIGPLAN(プログラミング研究会のようなもの)に「これからはgo to命令ではなくcome from命令のほうが、プログラムの理解や保守性に効果的である」という妙な論文が掲載されていたが(※1)、それには一理あるかもしれない。

「あなたぁ」とか「おーい」とかいうのは、もう流行っていないのかもしれないが、相手を呼んでいるという意味では名前の一種である。つまり、この場合は音色が名前の重要な構成要素になっている。マカクザルの音節分化はそれほど進んでいないだろうから、音色が決め手になっているに違いない。というわけで、根源的社会ユニットの中では人間もマカクザルと同じ仕組みを利用していると言えよう。

◆     ◆     ◆

名前が重要なのは人間だけではない。人に使ってもらう、あるいは買ってもらう製品の名前は人々にどのようなインパクトを与えるかに大きな影響を持つ。例えば、ペットボトル日本茶業界で連敗続きだったサントリーが「伊右衛門」というネーミングを軸にして成功したという話は有名だ。

私が命名したプログラミング言語やシステムなどを思い起こすと、Lisp言語・処理系では、以下のようなものがある。

LIPQ(LIst Processing Language with Quaternary cells、リップク)
LIPX(LIPq eXtension、リッペケ)
TAO(ずばり、老子の道)
SILENT(以前開発したELISマシンの後継機なので、The New ELIS. 右から読んでください)
NUE(New Unified Environment, これは名前だけだったなぁ)

以前、日本ソフトウェア科学会の研究会にSPA(Systems for Programming and Applications)というのがあったが、これを命名したのは私である。もちろん、温泉をイメージしている。それより前に音声の研究者たちが「音声研究会」というのを結成していて、研究会はいつも各地の温泉で行っていた。だから別名は「温泉研究会」だった。当時の音声研究者にとっては「音声」と「温泉」を区別して認識するのも大変だったことが偲ばれる。ともかく、これに負けてはならないと頑張ったのがSPAである。名前だけではまだまだインパクトが足りないというのでSPAのロゴマークもデザインしたが、あまりに見え見えなので、採用されなかった(図1)。

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図1:自作のSPAロゴマーク。泡の位置が重要。一応、spaと読めませんか?

私が統括プロジェクトマネージャを務めているIPAの未踏IT人材発掘・育成事業では、自分の作ったシステムには、飛びきりいい名前をつけたほうがいいよと昔から力説していたせいか、最近の未踏クリエータのほとんどが最後には名前をちゃんとつけるようになった。名前をつけるのに結構悩む人も多いが、プロジェクトの途中でいい名前をつけると開発に不思議と元気が出るのは事実である。私は研究所時代、システムの開発に入る前に名前をつけることを最大の儀式としていた。

1997年にNTT研究所から電通大に移ってRoboCupのサッカーシミュレーションの研究を学生たちと始め、わりと早く国内でもいい成績を修めるようになったのだが、そのとき学生たちと悪乗りしてつけたチーム名が「YowAI」である。もろ「弱い」なのだが、結構強かったこともあり、相当皮肉っぽい名前であった。しかし、これを「よわい」と呼んだ外部の人はいなかった。そう呼んじゃいけないと思ったらしい。AIっぽいので、「ようAI」と呼んでいただいていた。でも、研究室内ではみんな「よわい」と発音していた。複数の学生がそれぞれ独自に開発・改良を進めたものの中で一番強いチームが、竹内研究室代表のYowAIを名乗ることができたのであった。この逆転感覚が面白い。

RoboCup Rescueという災害救助・対応のシミュレーションのリーグが始まった当初、竹内研の災害救助チームは世界でも1位、2位を争う好成績であった。そのチーム名が「YabAI」である。つまり「やばい」。これも、よその人は「やぶAI」と呼んでくれていた。変な研究室だと思われていたに違いない。

◆     ◆     ◆

プログラムを書いていてよく悩むのは手続き、関数、変数の名前のつけ方である。これについては昔日本ソフトウェア科学会誌に、学会誌が届くと真っ先にそこ(だけ)は読むというコラムを作れとのお達しで書き始めたコラム第1回に駄文を書いたことがある。いわく「我輩はコラムである、名前はまだない」。

大昔のFortran言語は、なんと空白に意味がなかったので、変数名の間にスペースを入れて書くことができた。例えば、「BAD JOB」、これはBADJOBと同じ。ただ、当時、名前は最大6文字、しかも大文字しか使えなかったので、それが嬉しいということはなかった。

プログラミング言語の進化に伴い、名前の文字数の制限が緩和され、小文字も使えるようになってから、複合語になるような名前の書き方がいろいろ使われるようになった。

do_something_mysterious(これがメジャーかな?)
do-something-mysterious(ハイフンが引き算を意味しないLispはこれが多い)
doSomethingMysterious(大文字を使えば単語区切りが不要というラクダのコブ型)

これらにもいろいろ細かい流儀があるのだが、ともかく流儀を決めたら守ることが重要だ。3作目のTAO(Lisp)を開発するとき、私はまず命名規則を整備してから設計・開発を始めた。もうあまりはっきり覚えていないが、名詞型関数は

[環境修飾子-][型修飾子-][形容詞-]名詞[-形容詞句]

動詞型関数は

[環境修飾子-] [タイプ修飾子-] [形容詞-] 動詞 [-目的語(句)] [-副詞(句)]

という風に、ある種の文法に従って命名せよというわけだ。これは面倒くさそうだけれども結果的に分かりやすくて楽なのである。

◆     ◆     ◆

遺言状と名前の組み合わせとくると、やはり戒名だ。もう時効なのでお許し願いたいが、私はNTT研究所時代、数々の美男美女に生きながらにして戒名を乱発した。それが過去帳として残っている。由来が思い出せないものもあるが、どうしてそのような戒名をつけたかについて紹介しよう。矢印の左が俗名で、右が戒名である。

日向野 幸恵 → ヒヒのヒにガのガ(ヒガノという名前から来ている。過去帳には、その後地獄の務め良く、ヒヒヒに昇格とある)
元田 慎子 → ガンダ(元田はやはりガンダだ。その後、地獄の務め悪く、ガガガに降格とある)
吉田 竹伸 → ヨッタブタノケ(訛りとアナグラム、つまり文字の入れ替えとの組み合わせ)
井澤 牧子 → グナイ(丼の中の点を抜くと、具のない井になる)
千田 恭子 → ダヤス一世(せんダ ヤスこ)
原田 康徳 → ダヤス二世(はらダ ヤスのり、その後ハラダ自身が戒名になった)
三神 かおり → ガオー(ちょっと濁ってみました)
大塚 裕子 → ヘルベルト・フォン・ケスナー(自己紹介のときに名前を書いてすぐ消したので、消すなぁと叫んだ瞬間についた名前)
永田 早苗 → 田日田の毛生え(早は日に、苗は田に毛が生えている)
幸山 たまえ → ヤマタマ(こうヤマ タマえ)
山本 英和 → 英和辞典

以下は、昔、カタカナでボケボケにカーボンコピーされた給与明細を研究室のメンバーに渡すときに私にそう読めてしまったことに由来する。

小暮 潔 → ヨゴレ キヨシ
内藤 昭三 → ナイトウ シヨウズミ
吉本 啓 → コシモト ケッ
片桐 恭弘 → カタコリ ヒョロヒョロ
山崎 憲一 → イキザマヤ チンケ(アナグラム)
中野 幹生 → ナンカ キミョウ(自然な読み方)
島津 明 → ツマヅ アキラ(妻津 明、ほかアナグラムのアラ キマヅシなど多数。1人で戒名をたくさん持てるという幸せを味わった上に、傷口にシマヅを塗るという造語も生んだ口の悪さ)

そういう私は、NTT研究所の新米時代に個人教習の自動車教習所に通っていて、ちょっと先走って府中の運転免許試験所に行っては仮免を不合格になっていたので、ウケイク オチタと呼ばれていた。もちろん、これはタケウチ イクオのアナグラムである。

しょうがない、これを私の戒名にするか。(つづく)


※1:もちろん4月号である。


【追記その1】
前回、プログラミングシンポジウムの集合記念写真が後にも先にもないと書いたが、天海良治君が、その前の年(第40回)にも記念写真があったという情報を教えてくれた(写真1)。彼は集合写真の予行演習の場面も撮影してくれていた。

HW024_ph01_orig.jpg

写真1:第40回プログラミングシンポジウムの記念写真。知っている方には懐しい方々が並んでいる。
(写真をクリックすると拡大表示できます)

【追記その2】
前回の付録で書いた問題の答えは以下のような意外な形をしている。

  $n+\sqrt{n+\sqrt{n}}$

ここで

  $p=\sqrt{n}$

は整数平方根、つまり整数 $p=\sqrt{n}$ で、

  $p=\sqrt{n}$

となるものを表わす。Common Lispにはisqrtという標準関数(integer square root)が用意されていて、何百桁の数に対してもきっちりと答えを出してくれる。

前回の出題を見て、サイボウズの西尾泰和君が

  $1+n+\sqrt{n-\sqrt{n}}$

という答えを出してくれた。平方根の記号は同じく整数平方根を意味する。一見まるで違う形をしているが、実は両者は同じ値になる。暇があったら、上の2つの答えが正しいことの証明に挑戦してみてください。


竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


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「田舎から出る」教育をぶっ壊す──海士、西ノ島、知夫を現代の松下村塾にするには?

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執筆:野本 纏花、写真:川島 稔


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2015年11月に開催する「cybozu.com カンファレンス 2015」。基調講演ではサイボウズ 青野慶久が「変える覚悟、変わる覚悟。」について話します。そこで、地方創生の事例として、豊田庄吾氏も登壇予定。カンファレンスの無料お申込みはこちらのページから。

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