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女性中心の活動とどう向き合っていくか──コデラ総研 家庭部(56)

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テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第56回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「女性中心の活動とどう向き合っていくか」。

文:小寺 信良
写真:風穴 江(tech@サイボウズ式)

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男女の意識差を表した漫画や図がときおりインターネットで話題になる。曰く、男性の会話は解決が最重要であり、女性の会話は共感が最重要とされているというのだが、なるほどという事例をいくつか経験したので、少し考察してみたい。

とかくPTAや子供会など、保護者間で活動する場というのは、どうしてもお母さん方が主力になりがちである。そこで会長や委員長などをやっていると、いろんな問題が報告されてくる。

現在僕は子供会の会長をやっているのだが、ある通学班内で、1人の保護者の振る舞いに対して他のお母さん方が納得いかないという話が持ち上がった。子供会役員を免除されるのがずるいとかずるくないとか、そういう話である。実際会長まで聞こえてこない細かいレベルではこの手の不満はよくあるのだが、今回は事が大きくなりそうだった。学校に出向いて校長に対応を迫るというような話も聞こえてきた。

解決するのは相当大変のように思えた。なぜならば、具体的に該当の保護者に対してこちらからアプローチできることは限られており、もはや他のお母さん方の気が済むとか気が済まないとかいうレベルの問題だからだ。とりあえず状況を確認してもらうべく、何度か女性の副会長に話を聞きに行ってもらった。

ところが2回3回と出向いて話をするうちに、もういいという話になっていった。特に何もしてないのだが、話を聞いてもらって共感してもらえたことで、納得したようだ。

もうひとつ、こんなことがあった。この4月に娘が中学校に上がるので、学校説明会に行ってきたのだが、そのときに中学校のPTA会長と役員から、次期PTA会長をやってくれないか、という打診を受けた。

実は同じようなことを、子供が小学5年生になるときにも経験している。そのときに知ったのだが、うちの地域ではPTA連絡協議会や育成会の会合がかなりの頻度で平日の夜に行われており、必ず会長が出席しなければならないということだった。

うちはシングルファーザー家庭であり、僕自身は子供をひとり残して夜に長時間家を空けるのは好ましくないと考えているので、これまでも仕事関係の夜のミーティングや飲み会やなどは極力断ってきている。さらにこれから反抗期も来るし、それまでに子供と向かい合う時間を大切にしたいということをお話しさせていただいたのだが、そうしているうちに先方も、そうなのようちも子供とご飯を食べるのが月に何回もないとか、反抗期は大変だったという話になる。僕もそうでしょうそうですよね、と話を聞いていただけなのだが、特に断ったわけでもないのに、PTA会長依頼の話はうやむやになってしまった。

解決が最終目的か

この話の主旨は、女性の共感力を利用せよという話ではない。意識差というのが厳然と存在する中で、ボランティア活動に男性がどのように参加するべきか、という話なのである。

当然女性であっても、ビジネスの現場においてまで、共感を重視しているわけではないだろう。そもそも社会の中においては、問題を解決することで利益を得ている仕事が圧倒的に多い。ビジネスミーティングで何かと「ソリューション」という単語が出てくるのは、当然である。

一方でPTAや子供会のようなボランティアでやっている活動の場合、常に問題を解決することが最優先されるわけではない。毎年やっていることを、今年もみんなで協力しながらうまく回すというタスクが中心になるため、生産性向上といった「ソリューション」はそれほど必要ではない。すなわち、女性が中心で回したほうがうまくいく世界であることには違いないのだ。

しかしその中でも、ついに活動の限界が見えてきて、どうしても改革が必要というタイミングがある。そういうときに男性がリーダーとして投入されるというのが、望ましい形であろう。ただ、男性特有の問題解決のためのリーダーシップは、男性同士の中では一旦認め合えば安定するが、女性の中においては長く続かない。あくまでも困ったときのワンポイントリリーフみたいなもんであろう。

女性が男性のリーダーに何らかの話を持ってくるときには、それが問題を解決して欲しい案件なのか、共感して欲しい案件なのかを、リーダーは見極める必要がある。例えば女性とミーティングしていると、「お腹すいたねー」とか「今日は寒いねー」みたいな話になるが、男性はじゃあ何か買ってこようかとか、エアコンの温度上げるとかして、解決してしまう。しかしそれはいますぐ解決して欲しい問題ではなく、それをきっかけに話を広げて欲しいのだ。そして共感のネタを増やしたいのである。

ただしここはよく見極めないと、本来は解決したほうがいい大きな問題でも、共感しているうちに、女性側でもどうでもよくなってしまうことが起こりうる。あとで冷静になったときに何も解決してないことに気づき、リーダーの資質が問われることになるのだ。

本来ならば、PTAや子供会も男女均等に保護者が協調するべきなのだろう。ただ現実は、男性がポツンと1人で参加するようなことになりがちだ。男性はどうしても目の前のタスクを「問題」だと捉えて、最短距離で解決しようとするが、女性はそう考えていない。タスクはあくまでも成果であって、目的はコミュニケーションのほうにある。だから、男性1人でいるときは、おかしくなくてもにっこり笑って話しかけやすい表情をすることが重要だ。男というだけで十分に警戒しているのに、仏頂面ではコミュニケーションもままならないだろう。こういうことを飲み込んでおくだけでも、随分と「浮く」ことは少なくなるはずである。(つづく)


本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、取り上げてほしいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


変更履歴:
2016年01月29日:「生産性向上といった『ショリューション』はそれほど必要ではない。」の「ショリューション」は、正しくは「ソリューション」でした。お詫びして訂正いたします。


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ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔第27回:やっちまった

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元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載の第27回。今回のお題は「やっちまった」。

ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。

文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki

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長い人生「あぁ、やっちまった」ということはしばしばある。私も当然そうである。しかし、「やっちまった」の記憶をまさぐろうとすると、意外に思い出せない。決して、「しばしばやっちまわなかった」(「やっちまった」の否定形?)わけではなく、どうも「やっちまった」ことの記憶を半自動的に忘却する脳内メカニズムがあるらしい。いわゆる忘却式健康法である。私はこの健康法に長けているようだ。

と思ってググると、「忘却式健康法」という言葉は見つからない。でも、イヤなことはさっさと忘れるべきといった記事はたくさん見つかる。面白かったのは、イヤなことがあったら、ちゃんとそれを記録として書き下すという方法である。書き下すということで、一種の抽象化を行い、個別のイヤな記憶を消し去りやすくするというのだ。

「イヤなことを確実に忘れる」意外な方法(佐々木正悟)

その心は、個別の事象の記憶、つまり「エピソード記憶」は、抽象化することによって、一般的な「意味記憶」に変化してしまうというところにある。具体性が少なくなれば「イヤ感」が弱まるということなのだろう。

齢を重ねてくると、「エピソード記憶」だろうと「意味記憶」だろうと、記憶そのものの力が衰えてくる。脳のキャパの問題があり、忘れないと、記憶を溜める場所がなくなるのではなかろうか。最近の私の「忘れようとしても、覚えられない」境地はここから来ている。

そういえば、私は飲み会で聞いたことや、自分が発言したと言われていることを、相当高い確率で忘れてしまう。さらに「あれ、この店、前に来たことあるでしょう。覚えてないの?」と言われても思い出せないことが多い。つまり、飲むということは、それ自体忘却式健康法の正しい実践なのである。このような重要な「意味記憶」は心の奥底に沈澱して、決して忘れ去られることはない。

◆     ◆     ◆

それでも「やっちまった」のエピソード記憶を探ると、中学1年生のときの「テープもじゃもじゃ事件」に思い至る。中学時代を通じての悪友、酒井吉弘君(だと思う、おお、このあたりまで忘れている)とはアホなことばかりやって遊んでいたが、英語の勉強を一緒にしようということでも一致した。しかし、「You are a madman」を単語ごとに反転して「Uoy era a namdam」(ウオイ エラ ア ナムダム)と発音するのを挨拶に使う程度でお茶を濁していた。そんなんで英語がうまくなるわけがない。それでも、英語の先生に勉強熱心と思われたらしく、中学校の中にある狭い畳敷の部屋(教職員の休憩室のような部屋だったのだろうか?)に案内されて、「この部屋でこの英会話のテープを聞くといいよ」と言われた。1959年ごろだろう。

英会話のテープといっても、カセットではなく、オープンリールである。幅6ミリ強(1/4インチ)の磁気テープが直径8センチほどのリールに巻き付けられている(動画1)。

動画1:1959年ごろのオープンリールテープレコーダ(YouTube「1959年製【真空管式】 ソニーテープレコーダーTC-101」より)

これとは同型機ではないと思うが、おおむねこんな機械だったと思う。まだ真空管式である。

動画2:(YouTube「1959年発売SONYvintage open reel to reel tape recorder オープンリールテープレコーダー TC-101」より)

動画2のほうを見ると、どういう儀式を行って再生をするかが分かる。カセットテープのようにカチャ、再生ボタンではないのである。

さて、2人で聞き始めたがさっぱり分からない。巻き戻しては再生などを繰り返していたら、テープがちょっと絡んでしまった。それを直そうとしたら、どういうわけかもっと絡んでしまった。その状態で、「アレレ?」と巻き戻しなどしたから、もうテープが機械の外にまではみ出すほどのグチャグチャ。事態のさらなる悪化で焦ってしまったものの、「ともかくリールにゆっくりと手で巻き取ろう」と一旦気を落ち着ける。しかし、「先生が戻ってきたらどうしよう?」という焦りのほうが先行してしまう。もうワチャワチャ。そして最後の結論が「もう、諦めよう。モジャモジャになった部分を捨ててしまおう」であった。少なくとも当日はバレなかったが、あとで「何だこれ?」となったに違いない。

オープンリールではもうひとつ「やっちまった」が思い出される。時代は下って、私が大学院を出てNTT研究所に入ってすぐのころである。学生時代に無理して買ったオープンリールデッキが健在で、FM放送をよく録音して聞いていた。オープンリールのテープはそんなに安くはないので、ときどき中古のよく正体の分からないテープを買ったりしていた。ひどい中古テープは走らせているうちに磁性粉がバリッとテープ面から剥がれたりした。

ある日、メンデルスゾーンの八重奏曲をやるというので、あまり期待しないでそのあたりにあった中古テープをかけて録音を開始したら、驚くほどの名演。あちゃあ、こんな変な中古テープを使うんじゃなかったと後悔したものの、何としてもいい音で録音したい。私の持っていたオープンリールのデッキは高級品ではなかったので、テープがヘッドに正しい圧力で接するためのテンションのメカニズムがちゃんとしていない。なので、フェルトのパッドを押し当ててテープと磁気ヘッドの接触圧を強くしていた。使った安物中古テープはテープのプラスチック自体が固く(?)なっていたようで、ヘッドとの接触が不安定。録音ヘッドのすぐ隣にある再生ヘッドでいま録音した音を再生モニタすると、音の強弱がフラつく。これはいかんということで、フェルトのパッドに軽く指を押し当てて接触を良くした。

こんなことをしてはいけないことは明らかである。走行抵抗が指の押し加減に応じてフラフラ変わるので、テープの速度がフラフラし、結局音の高さがフラフラしてしまう。ところがよくした(?)もので、録音直後の再生モニタではその速度変動が連動しているおかげでほぼ相殺される。だから、もう一度聞き直すまでおかしな録音になっていることに気がつかなかったのである。ものすごい名演であっただけに、まさに「やっちまった」。

レコードが出ていないか探したが、国内盤はない。どうにもたまらなくなって、貧しいくせに英国から直輸入した。これまで2000枚超のLPレコードを買ったと思うが、直輸入で買ったのはこの1枚だけである。フラフラしない音であの名演が聞けたときの喜びは「やっちまった」の後悔感をはるかに超えた。

ちなみにこの名演は最近亡くなった名指揮者ネビル・マリナーが昔主宰していたイギリスの室内管弦楽団「Academy of St. Martin-in-the-Fields」(ASM)の1968年の録音である。その名演の価値が確立したのか、いまはちゃんとCDが出ている(写真1)。

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写真1:唯一、私が直輸入で買ったLPレコード。手前にあるのはそのCD版。2007年になるまでCDが出なかった?

以下のURLはLPレコードの情報である。

「Mendelssohn」(Boccherini/Academy Of St. Martin-in-the-Fields)

マリナーがバイオリンを弾いていない新しい録音もあるが、1968年の古い録音の演奏が圧倒的に(少なくとも私にとっては)素晴らしい。そういえば、上記のFM放送で初めてマリナーの名前を聞いたのであった。

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もともと才能があるわけではないから、サッカーでは「やっちまった」が非常に多い。冒頭に紹介した佐々木正悟さんの記事によれば、たくさんあって日常化してしまうと「イヤな記憶」ではなく、「要するに自分は下手だ」という意味記憶への抽象化が行われ、個別のエピソードは記憶から薄れていく。逆にまぐれでうまくいったプレイは非常に少ないだけにエピソード記憶として残る。

例えば、私が29歳で社会人の部活としてサッカーを始めるきっかけになったNTT研究所内の部対抗サッカー大会で、何と40メートル弱のロングシュートを真正面から決めたあの情景はまぶたに焼き付いている。ライナーで飛んでバーのわずか下を通過した。キーパーは社内レクなのでみんなほぼ素人。だから取れないのである。

初めて出たNTTのサッカー全国大会(※1)。雨が降ってゴール前には水溜まりもある。どうも私は水溜まりに強いと思われていたらしく、フォワードとして途中交代出場。誰かが打ったシュートが、案の定ゴール前の水溜まりで止まってしまった。水溜まりをものともせず走り込んだ私が蹴ったら、水しぶきとともにゴールイン。

身長が高くないのに、ヘディングでのゴールのほうが多かったけれど、印象に残っているのは「ハラリング」。これも雨の中の公式戦、0-0の試合でチーム一番のスタミナとキック力を誇る元NTT関西のDF北田選手が30メートル以上後方の左サイドから斜めのクロスを上げてきた。斜め後ろのボールだからとても当てにくいのだが、右ポスト付近に走り込んで腹に当てて決勝ゴール。ダイビングヘッドするには足場が悪く、かつボールが近すぎたということなのでしたねぇ。

でも、こういうのは「やっちまった」ではない。実は一番記憶に残っている「やっちまった」は、市内リーグの公式戦で、我ながら見事なキックシュートを決めたあと、「ざまぁ見ろ」と言ってしまったこと。普段絶対にそんな物云いをしないのに、どういうわけか瞬間的にこの言葉が出てきてしまった。ヤクを飲んでいたわけでもないので、よほど気分が高揚していたとしか思えない。相手チームの選手たちから白い目で見られて、初めて我に返った。ゴールを決めてものすごい喜び表現をするプロ選手が多いが、私にもこの一度だけの経験があるので、実はその心情は理解できる。サッカーは点の入らないスポーツなので、それだけにゴールの喜びは大きいのである。

◆     ◆     ◆

研究所で仕事を始めてからも「やっちまった」が非常に多いはずなのに、こちらはサッカーよりも思い出せない。忘却式健康法が完全実施されているらしい。いまでも、多くの人から「竹内さん、元気そうですね」と言われるのは、きっとそのせいだ。

ところが、つい最近、本格的な「やっちまった」をやってしまった。以前(第23回第26回)紹介した「3人の賢者問題」がタネである。これのプログラムを書くのに七転八倒し、あまり記憶にないほどのデバグ時間を使ってしまったという話を前回紹介した。それでも、何とか書けたと思い、1月8日の情報処理学会プログラミングシンポジウムで、「3人の賢者の問題──愚者は賢者をシミュレートできるか?」と題して、問題とその難しさについて紹介をし、どうこの問題を解いたかの話をした。

しかし、私の解法もそれから得られる解答も間違っていたのである! 実は、「この問題でこんなに苦労するのはおかしい」という直感があり、シンポジウムの最後のスライドでも

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情報処理学会プログラミングシンポジウムでのスライドから

と書いて、問題提起をしておいたのである。まさにその直感が当たってしまった。

東大の田中哲朗さんが、Q&Aで「私は詳しくはないのですが、SMT(Satisfiability Modulo Theories)ソルバでうまく解けるのではないでしょうか?」と質問したのに対し、「私はさらに詳しくないので、何とも言えませんが、きっと解けると思います」と返答した。

2泊3日のシンポジウムの最終日(1月10日)に、田中さんが「SMTソルバで解いてみたら違う結果が出てきました」と教えてくれた。私の見落としを、単純な論理関係の記述だけからSMTソルバによって機械的に見つけてくれたのである。しかも、私がデバグに要した膨大な時間に比して、何たる短時間!

おお、まさに老兵去るべし! でも、遺言状第18回の「問題児も悪くない」を地でいった、つまり「問題を解くのもいいが、問題を作る・生み出すのも楽しい、つまり、問題児も悪くない」のだと、明るく考えることにした。忘却式健康法ではないが、すり替え式健康法とでもいうのだろうか。(つづく)


※1:当時はNTT関東とか、NTT関西とか、いまで言ったらJ3ぐらいのレベルのチームもいた。


竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


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「どうなる? 議員の育休」──宮崎議員と男の育休を語る

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集合写真

2015年1月18日、NPO法人ファザーリング・ジャパンが開催したFJ★緊急フォーラム「どうなる? 議員の育休〜永田町が変われば、日本の子育て・WLBが変わる」に登壇したオピニオンリーダーたち

衆議院議員の宮崎謙介さんによる男性国会議員初の育休取得宣言は、称賛とバッシング、両方を巻き起こし、各界の男性に「育休」について考える機会を提供してくれました。

そんな話題の宮崎議員を囲む緊急フォーラムに、働き方変革を推進するオピニオンリーダーが集結。育休を取得した経営者や首長、仕事と子育ての両立に取り組むジャーナリストらの熱いエールを中心にFJ★緊急フォーラム「どうなる? 議員の育休〜永田町が変われば、日本の子育て・WLBが変わる」の模様をお届けします。

男性の育児参加を進めないといけない

宮崎議員

衆議院議員 宮崎謙介さん

浜田さん

AERA編集長 浜田敬子さん

「日本版パパクオータ制」の導入を

塚越さん

ファザーリング・ジャパン理事、東レ経営研究所 ダイバーシティ&ワークライフバランス推進部 シニアコンサルタント 塚越 学さん

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目立つ人がやるのが大事

集合写真

文京区長 成澤廣修さん

青野さん

サイボウズ代表取締役社長 青野慶久

育児の社会的地位を上げよう

衆議院議員 寺田学さん

衆議院議員 寺田学さん

経済ジャーナリスト 治部れんげさん

経済ジャーナリスト 治部れんげさん

マタハラ、パタハラ、ケアハラは日本の経済問題


 NPO法人マタハラNet代表理事 小酒部さやかさん

NPO法人マタハラNet代表理事 小酒部さやかさん

川島高之さん

NPO法人ファザーリング・ジャパン理事、NPOコヂカラ・ニッポン代表、総合商社系上場企業社長の川島高之さん

反対意見は折り込みずみ

komasakihirokisan

認定NPO法人フローレンス代表理事 駒崎弘樹さん

少子化対策を前進させる機動力に

武石美恵子さん

法政大学キャリアデザイン学部教授 武石美恵子さん

安藤さん

NPO法人ファザーリング・ジャパン代表理事 安藤哲也さん

写真:尾木司 文:渡辺清美

フィリップス「ノンフライヤー」の本当の価値──コデラ総研 家庭部(57)

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テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第57回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「フィリップス『ノンフライヤー』の本当の価値」。

文・写真:小寺 信良

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2013年初頭に登場し、新しい調理器具として一躍ヒット商品となったのが、フィリップスの「ノンフライヤー」だ。油を使わず揚げ物ができるということで、まず最初に海外で評判になった。当時は日本国内で発売されておらず、並行輸入で購入するしかなかったのだが、同年5月ぐらいには国内向けにも販売されるようになった。僕もその頃購入した。確か2万3000円ぐらいしたはずだ。機能が限られた調理器具としては、高いほうだろう。

現在はその人気も一段落といったところではあるが、これまで2年半ほど使ってきたので、そのメリットやデメリットを改めてご紹介したいと思う。

調理業界、というのがあるのかどうか分からないが、加熱調理に関しては、もうかなり前から本格的な革命が起こっている。その先陣を切ったのは2004年に発売された、シャープのヘルシオだ。

電子レンジ的なルックスでありながら、水蒸気を使って高温調理するというスチームオーブンで、余分な油を落としながら調理でき、ヘルシーだというところがヒットに繋がった。初代ヘルシオは基本的にはオーブンなので、焼き物、蒸し物を得意とする一方で、電子レンジの機能はなかった。

ということは、キッチンに電子レンジも含めて2台置かなければならない。これがネックになって、買うに買えない人も多くいたはずである。現在のヘルシオは電子レンジの機能も備えており、1台で済むようになっている。ただ、シャープの先行きが不透明になってきているので、ヘルシオの行く末も案じられる。

一方ノンフライヤーは名前が表わす通り、油で揚げるという調理の代わりとして使うものだ。もちろんそれだけでなく、ある程度の分野の調理をカバーできるのだが、ヘルシオとは主軸が違うということである。

ノンフライヤーの構造はシンプルだ。実際に内部の構造を見ると、ほとんどオーブントースターと大差ないことが分かる。バスケット部を抜いて本体内部を見上げると、でっかい電熱線が入っている。電気コンロで使われているようなタイプだ。さらにその奥に、直径15cmぐらいのファンがある(写真1)。

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写真1:原理的には風が出るオーブントースター

このファンで熱風を下に吹き付け、調理するわけだ。さらに受け皿の底には、昔の洗濯機の底にあったスクリューみたいな突起が付けられている(写真2)。

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写真2:底部にも工夫が

ここは単に浮き出ているだけで、これ自体が回るわけではない。渦巻き状のフィンによって、上から吹き付けられた熱気がトルネード状に回転しながら周囲に拡散し、再び上昇することで、スムーズな対流を生み出しているようだ。

したがって実際には油で揚げるのとは違う、熱風調理ともいうべき別の高温調理法であり、おそらく自然界には存在しなかった方法だ。下手すればただ乾燥しただけで終わりになるところを、調理と呼べるレベルに仕上げたところがポイントである。

予想外のメリットに驚愕

実際にどのような仕上がりになるかというと、例えばとんかつなどは油で揚げるよりは仕上がりが白っぽい。衣はこんがりきつね色にはならず、白っぽい山吹色といった程度である。しかしそれでも中まで熱は通っており、生焼け感はない。ヘルシオのように、下にボトボト油が落ちるほどではないが、衣がそもそも油を吸っていないので、油の摂取量は揚げるよりは少ないはずである。

鳥の唐揚げは、唐揚げ粉の種類によっては向いてないものもある。粉をまぶしてなじませるような唐揚げ粉なら調理可能だが、水で溶いてベタッとした溶液にくぐらせるようなタイプは、ノンフライヤーだと表面がカピカピに乾いてしまって、ちっとも美味しそうにできない。ただもも肉の場合はそこそこ油も落ちるので、健康にはいいだろう。味も実際に油で揚げてみたものと食べ比べてみたが、ほとんど変わらない仕上がりになる。

こうしてみるといいことだらけのようにも見えるが、幾つかデメリットもある。まず調理時間だが、実際に油で揚げるのに比べると、2倍ぐらいの時間が必要だ。とんかつや唐揚げなどは、だいたい15分ぐらいかかる。

次に消費電力だが、スペックシートによれば1425Wとなっている。温度センサーでときどきはファンだけになるのだが、それでもだいたい10分ぐらいドライヤーを全力で回しているのと同じぐらいの電力を食う。電気代云々よりも、これが回っているときに電子レンジとテレビを一緒に使ったりするとブレーカーが落ちてしまうので、同時にいろんなことができないのが残念だ。

それでもノンフライヤーを使い続けているのは、別のメリットのほうが上回るからだ。個人的に一番大きいのは、火や油を使ってないので、調理中にずっとそばにいなくてもいい点だ。その間に買い忘れたものをスーパーに買いに行ったりということもできる。

2つ目のメリットは、うっかり時間が過ぎてもタイマーで勝手に電源が切れるので、揚げ過ぎにならない。毎回必ず同じ仕上がりになるのだ。いい感じの仕上がりになる時間は多少の試行錯誤が必要だが、それが分かってしまえばこんな楽な調理器具はない。

3つ目のメリットは、換気扇が汚れないことだ。以前揚げ物をしているときは、換気扇が油ですごいことになっていたが、今は月に1度ぐらい軽く掃除する程度で済んでいる。

健康のためだけでなく、運用上のメリットが大きいのは、実際に使ってみるまで分からなかった。内容積がそれほど大きくないので、量としては一度に2人分程度の調理しかできないが、うちではそれで十分である。4人家族だとまた違った評価になるかもしれないが、調理の効率化を考えるなら、導入検討の余地はある。(了)


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一生フリーランスの生存戦略を学ぶ──東海林さだお、マンガ界・エッセイ界の最長距離ランナー

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名前だけは知っていても、その具体的業績は意外と知られていない "ビジネス界の偉人" を分かりやすく解説する「ビジネス偉人伝」

前回は吉本隆明を取り上げ、「意識高い」とは何か、考えました。今回は「一生フリーで稼ぐ」ことについて、偉人を介して考えてみます。

組織に縛られない生き方

フリーエージェント社会の誕生

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最長の連載を持つ漫画家であり、日本の三大エッセイスト

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フリーの生存戦略 その1.「非日常」を活かす

「ぼくは家庭の食卓がとてもわびしく感じてしまいます。たとえそれが豪華な食事であったとしても、です。何ででしょうね(笑)」
「長らく続けていると、生活はどうしても安定してきてしまいます。そうなると、作品的にはダメになっていいきます。自分から壊す努力をしないと、いい作品は生まれないでしょう。」

フリーの生存戦略 その2.「若さ=好奇心」を保ち続ける

「自分も年を忘れ、若者気分になることです。自分が「年、とった!」などと感じてしまったら、その時点でもう若い読者向けのものは描けません。」

フリーの生存戦略 その3.将来に活きる副業を持つ

「漫画と文章とは、まるっきり関係がないとはいえないので、ま、いってみれば、おそば屋さんが店の片隅で、てんぷらの揚げ玉を袋に詰めて売っている、というようなものかも知れない。あるいは、お肉屋さんが、店の一角に「コロッケ及びトンカツのコーナー」を設けている、というようなものかも知れない。 比喩としては、「お肉屋さんのコロッケコーナー」のほうがいいような気がするので、こっちのほうで話をすすめていくことにする。」
『ショージ君のコラムで一杯』(文春文庫)

その4? 孤独であることを恐れない

「学校に籍はあるが学生ではなく、漫画家ではあるが、漫画家としての仕事はなく、定年退職者のようではあるが、定年ではなく、楽隠居の生活ではあるが、金はない、と言った不思議な生活を送っていたのである。」


「年上の部下」に失敗した話

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サイボウズ式編集部より:著名ブロガーをサイボウズ外部から招いて、チームワークコラムを執筆いただく「ブロガーズ・コラム」。今回は朽木誠一郎さんが考える「年上の部下との正しいコミュニケーション」について。

「年上の部下」は上司のマネジメントを映す鏡

こんにちは、朽木誠一郎です。年上よりも年下に、部下よりも上司に気に入られるタイプです。

プライベートであれば、不仲の相手からはさっさと距離を置いてしまえばいいのですが、仕事であればそうもいきません。上司・部下の関係ならなおのこと、苦手な相手ほど慎重な取り扱いが必要でしょう。この立場の非対称性が輪をかけて困難になるのが、年下や年上の要素が加味された場合です。

年上よりも年下に、部下よりも上司に気に入られる僕にとって、もっとも苦手な位置に分類されるのが「年上の部下」。僕は新卒でWeb系のベンチャー企業に就職、半年後にいきなり管理職になり、チームマネジメントをした経験がありますが、「年上の部下」には、頭を抱えてウワアアアアアとのたうちまわるような失敗の記憶があります。

IT業界やベンチャー・スタートアップの会社では、「年上の部下」がいるチームをマネジメントする機会もままあります。多様化する就労環境を背景に、今後も増加していくのではないでしょうか。この機会に「年上の部下」とのコミュニケーションを失敗させる要因を考えてみます。

人間への評価と仕事への評価は別である

上司には、上司という立場でいるだけの理由があります。それは能力の高さかもしれないし、経験の長さかもしれません。まぎれもない事実なのは、会社が上司を上司たらしめる評価をしていることでしょう。逆に、部下には部下という立場でいるだけの、能力や経験の不足があるともいえます。

上司の仕事は、部下の能力や経験を適切に評価することですが、通常の上司・部下の関係であっても、組織の権力を前提にした評価はなかなか同意が得られにくく、不満がたまりやすいのも事実です。

ここで問題になるのは、上司による評価に「年齢」という要素を介入させるべきかどうかです。

というのも、社会には「年上には敬意を払うべき」という規範が浸透しています。もちろんこの規範自体はそうあってほしい思います。しかし本来、部下の「仕事への評価」と「人間への評価」は別であるはずです。年齢を理由に部下への評価が上がりはしないことが、前提になります。

まとめると、上司が「年上の部下」とコミュニケーションする場合は、敬意が必要です。人間は人間らしく待遇される権利があり、それを主張するのは当然です。上司だからと年上の部下に横柄な態度をとるのは間違いですし、「年上の部下」であるからと、能力や経験の評価に手心を加えるのも間違いです。

「年上の部下」側も、人間への評価と仕事への評価を分離して、組織における部下の立場を受け入れる必要があると思います。ただし、上司側は、もともと不満が溜まりやすい関係であることを自覚しておくべきでしょう。

とは言え人間は理屈だけで動くわけではない

このコミュニケーションがうまくいくためには、「上司と年上の部下」の両者が人間と仕事への評価が別物だと認識することが原則です。理屈の上では問題ないかと思いますが、人間は理屈だけで動くわけではありません。誰だって、自分よりも年下の人間に否定されたらムカつくでしょう。これは仕方のないことです。

僕にも「年上の部下」と仕事をしていた時がありました。その時はこの自覚がなく、パワー・マネジメントをするタイプでした。自分がチームの誰よりも成果を出すことが上司の証明であり、成果を出せない部下は厳格に評価するべきだと思っていたフシもあります。

結果、「年上の部下」とのコミュニケーションはうまくいかず、チームは混乱しました。

2度の失敗がありました。1度目は「年上の部下」から僕の上司に、「部下から外してほしい」と僕を飛び越して相談があったこと、2度目は別の「年上の部下」が、社内で公然と僕を批判するようになったことです。その批判の内容は「僕が部下の手柄を自分の手柄のようにアピールする。言動が横柄だ」というものでした。

僕のマネジメントは、完全に失敗していました。あまり思い出したくない記憶であり、最近まで問題を分析しようとしていませんでしたが、今になって振り返ると、僕は人間の感情をまったく考慮しないマネジメントをしていたのだとわかります。

「年上の部下」はある意味、上司のコミュニケーションのいびつさを増幅する存在です。成果主義だった僕のパワー・マネジメントは、成果で人間の感情を屈服させるような手法でした。通常の上司・部下の関係では顕在化しないだけで、「部下の手柄を自分の手柄のようにアピール」「言動が横柄」といわれかねないマネジメントだとわかるのです。

人間と仕事の評価を切り分けつつ、感情のマネジメントを

どんなマネジメントであれ、部下がついてきているのであれば、いいマネジメントです。その条件は、部下がついていきたいと思うだけの能力や経験があるか、ついていきたいような立派な人間かだと思います。ただし、能力や経験は感情によって簡単に否定されてしまい得ることは忘れてはいけません。

「年上の部下」を呼び捨てにしたり、友だち口調で会話したり。年齢をイジったり……。これらのありがちな言動は、相手の感情という観点で見るとリスクです。社歴が絶対という企業文化もあるとは思いますが、ほかの部下とまったく同じようにコミュニケーションできるかどうかは相手次第。見誤ればマネジメントは失敗します。

上司には上司たる理由があるように、「年上の部下」もまた採用されただけの価値があるはずです。その感情に配慮するのは、一見してコミュニケーションコストのように思われ、「ついて来なければそれまで」とマッチョな思想になりがちです。しかしそれは、「年上の部下」の価値を最大化できていないといえます。

上司に必要なのは、仕事への評価と人間への評価を切り分けながらも、年下の人間にマネジメントされる年上の人間の感情にも配慮することです。いびつなコミュニケーションは、部下がついてこなくなるリスクだと自覚し、常にマネジメントを見直してみるのがいいのかなと思います。

かく言う僕も、過去に一番長く下に付いた上司は僕よりも年下でした。その上司は、能力と経験がありながらも、成果が上がれば必ずチームの成果であると信じて疑わず、メンバーの心と体のコンディションを一番大切にしていました。年下とか年上とかを意識する場面はほとんどなかったように思います。

これから一層の努力が必要ではありますが、「仕事も人間も評価される」ような上司こそ、僕にとっては理想です。

イラスト:マツナガエイコ

社長の僕が、率先して会社に通勤するのをやめてみたら?

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自宅などオフィス以外の場所で働く「リモートワーク」を認める企業が徐々に増えていますが、それでも“月に何度まで”といった制限がついているケースが大半でしょう。

「社員全員がリモートワーク主体に」と、ワークスタイルの大変換を実現したのが、倉貫義人氏が率いる株式会社ソニックガーデン。倉貫氏は、『リモートチームでうまくいく』で実際、どのようにリモートで働いているのかを詳しく述べています。

これに興味を示したのが、『チームのことだけ、考えた。』を刊行し、ワークスタイル転換の必要性を強調しているサイボウズの青野慶久社長。なぜ今、リモートワーク導入が求められるのか、成功させるには何がポイントになるのか。活発な意見を交わします。

まず社長の僕がオフィスに出社するのをやめた

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倉貫義人さん。1974年京都生まれ。株式会社ソニックガーデン代表取締役。1999年立命館大学大学院を卒業し、TISに入社。2011年、自ら立ち上げた社内ベンチャーをMBOで買収し、ソニックガーデンを創業。「納品のない受託開発」というITサービスの新しいビジネスモデルを確立し、注目を集める。新著は『リモートチームでうまくいく

会社とは概念的なもの。ならば出社も「論理出社」でいい

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青野慶久。1971年生まれ。サイボウズ株式会社代表取締役社長。今治西高校、大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立。2005年4月代表取締役に就任(現任)。3児の父として3度の育児休暇を取得。著書に『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)がある。

リモートワークは経営者にとって「逃げたらヤバいもの」

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自立した人材を生み出すのにもリモートワークはもってこい

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中編に続きます。

自己発信力のない人が「出社しない働き方」に向かない理由

執筆:荒濱 一/写真:尾木 司

幸福なシステム開発は実現できるか?――ソニックカーデン倉貫義人とサイボウズ青野慶久が考えた
日本のサラリーマンは「35歳定年」でいい――倉貫義人×青野慶久、プログラマーを再定義する

自己発信力のない人が「出社しない働き方」に向かない理由

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自社のワークスタイルをリモートワーク主体に転換した株式会社ソニックガーデン社長の倉貫義人氏と、倉貫氏の取り組みに強いシンパシーを感じるサイボウズ 青野慶久社長の対談。前編「社長の僕が、率先して会社に通勤するのをやめてみたら? 」では、リモートワーク導入の成否を分けるのは社員がセルフマネジメントできているかどうかということで、意見が一致した両者。

第2回では、対談に同席していたサイボウズの開発マネージャー・佐藤鉄平、田中裕一の2名も交えて、「何をもってセルフマネジメントができていると判断するのか」「リモートワーク導入により、経営者のマネジメントはどのように変わるのか」といったテーマへと話を深めていきます。

セルフマネジメントってどこまでできればいい?

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倉貫義人:1974年京都生まれ。株式会社ソニックガーデン代表取締役。1999年立命館大学大学院を卒業し、TISに入社。2011年、自ら立ち上げた社内ベンチャーをMBOで買収し、ソニックガーデンを創業。「納品のない受託開発」というITサービスの新しいビジネスモデルを確立し、注目を集める。新著『リモートチームでうまくいく』。

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佐藤鉄平(左):1982年新潟県生まれ。2007年サイボウズにエンジニアとして入社。Garoon、kintoneの開発を経て、2015年7月グローバル開発本部副本部長に就任。JavaScriptとカレーが好き。田中裕一(右):サイボウズ株式会社 グローバル開発本部 東京第2開発部 部長 兼 kintone開発チーム所属。自宅でリモートワークすると子どもがじゃれついてきてついつい遊んでしまうのが最近の悩み。

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青野慶久:1971年生まれ。サイボウズ株式会社代表取締役社長。今治西高校、大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立。2005年4月代表取締役に就任(現任)。3児の父として3度の育児休暇を取得。著書に『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)がある。

リモートワークは「偶発的な対話」を減らすか?

オフィスって、そもそも何のためにある?

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変わりゆくマネジメントのあり方―コントロールか、セルフマネジメントか

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後編に続きます。

執筆:荒濱 一/写真:尾木 司

社長の僕が、率先して会社に通勤するのをやめてみたら?
幸福なシステム開発は実現できるか?――ソニックカーデン倉貫義人とサイボウズ青野慶久が考えた
日本のサラリーマンは「35歳定年」でいい――倉貫義人×青野慶久、プログラマーを再定義する

「私は長時間働いているのに、あの人は……」とならない理想の立て方──クラシコム青木耕平 ✕ サイボウズ青野慶久

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めちゃくちゃ面白い! 共感するし、これを上場企業が実現している価値は計り知れない。こういう先人がいてくれる有難さ。

サイボウズ 社長の青野慶久の書籍『チームのことだけ、考えた。』を読んだ感想のつぶやきを見つけました。その主は、青木耕平さん。ECサイト「北欧、暮らしの道具店」を運営するクラシコムの代表取締役です。

クラシコムは、いい意味で「変わっている」。ECサイトなのにメディア化を強烈に推進したり、18時には必ず全員が退社する働き方を徹底していたりするからです。この”変わっていること”を”常識にとらわれない”と解釈した場合、サイボウズとなんだか似ているところがありそうだと感じました。

そうだ、青木社長と青野を引き合わせると、予想もできなかった話が聞けるかもしれない。そう感じた瞬間に、クラシコムで編集の仕事をしている長谷川さんにメッセージを送っていました。

いやー、面白いというか、こういうのを縁というのでしょうねぇ。青木がその投稿をした後に『サイボウズの青野社長に、僕らが話を聞くみたいなコンテンツができないかな』って言われたところだったんです。

5分後に返ってきたメッセージには、こうありました。以心伝心。

こんなことがあり、クラシコム青木さんとサイボウズの青野が出会うことになりました。あいさつもさながら、ゆっくりと、2人の話が進んでいきます……。

北欧、暮らしの道具店とサイボウズ式とがコラボレーションして、ふたりの対談をお届けします。テーマはチームワーク。「会社の中の話」に加え、より広い概念でのチームワークについて、考えてみたいと思います。クラシコムでの記事「【チームを考える】前編:家族も、仕事も。「チームワーク」はどうすればうまくいく?(対談!サイボウズ青野社長×クラシコム代表青木)」も合わせてどうぞ。

バラバラになった社会で“受け皿”役を果たすのは会社

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青木耕平さん。株式会社クラシコム代表取締役。1972年生まれ。サラリーマンとしての勤務や、共同創業者としての経験を経て、2006年にクラシコムを創業。2007年より、ECサイト「北欧、暮らしの道具店」の運営を開始

理想を宣言するから、満足した状態で働ける

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青野 慶久(あおの よしひさ)。1971年生まれ。愛媛県今治市出身。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立。2005年4月代表取締役社長に就任(現任)。社内のワークスタイル変革を推進し離職率を6分の1に低減するとともに、3児の父として3度の育児休暇を取得。2011年から事業のクラウド化を進める。総務省ワークスタイル変革プロジェクトの外部アドバイザーやCSAJ(一般社団法人コンピュータソフトウェア協会)の副会長を務める。著書に『ちょいデキ!』(文春新書)、『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)がある。

18時退社だからこその心苦しさもある

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クラシコムが運営する「北欧、暮らしの道具店」

後編に続く。

執筆:池田園子/写真:田所瑞穂/企画:藤村能光(サイボウズ)、長谷川賢人(クラシコム)

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夫の家事に妻が納得しない理由──コデラ総研 家庭部(58)

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テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第58回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「夫の家事に妻が納得しない理由」。

文:小寺 信良

以前も同様のテーマのことを書いたことがあるが、最近また同じような話がネットでちらほら聞かれるようになったので、もう一度「夫の家事に妻が納得しない問題」を考えてみる。

前回は資料をベースに夫婦で家事を分担しなければならない理由と、社会から振り下ろされる妻と母というイメージの重さについて分析した。今回はPTAのお母様方と飲み会の席でいろいろ話をする中で、気づいたことを中心に書いてみたい。

そもそも妻が家事のクオリティについて責任のある立場となる背景には、妻を育てた母親の影響が大きい。我々が子供だったころ、すなわち昭和後期の時代は、今と比べると専業主婦の割合が4倍ぐらいあった。家事全般を仕切るのが妻の仕事であったわけで、さらに家電のクオリティも今のようなレベルではなく、作業に対する合理化は主に「知恵と工夫」で賄われてきた。デイリーなタスク以外のイレギュラーな事態も知恵でカバーするため、家事に関する知恵の引き出しがとてつもなく多かったことだろう。

僕自身も家事のやり方で悩んだときには、母親はこんなときどうしてたかなと思い浮かべることも多い。各家庭における家事の方法論とは、自分の母親のやり方を模倣することで伝承されるものなのである。

その母親の家事クオリティを100%とするならば、今の自分自身の家事クオリティを、女性自身は低いと見積もっている。おそらく60%〜70%ぐらいだと見ているのではないだろうか。仕事を持ち、そちらの忙しさが増すにつれてその自信はさらに下がり、40%〜50%ぐらいまで低下する。

そのクオリティの低下を、夫の手伝いで賄おうとする。しかし手伝いとは、誰かのやり方をトレースさせるものだ。「これはこのように、このやり方でやってほしい」とリクエストするわけだが、所詮はオリジナルを模倣するだけなので、元々完成度が低いものなのである。例えば現状40%のクオリティしかないものに対し、手伝いを導入して30%の仕事量を積み上げたとしても、トータルのクオリティは55%ぐらいにしかなっていないということも、当然あり得る。

主婦としては30%のタスクを積んだはずなのに、半分のクオリティでしか仕上がってこないことに苛立ちを覚える。手伝う側からすれば、言われた通りにやっているのに、パフォーマンス的には労力の半分しか評価されないので、不満が残る。できないバイトとそれに苛立つコンビニの店長の関係みたいなものである。

僕自身は、僕の家事のやり方で不満を言ってくる相手もないので、独自の合理的なやり方を開拓している。その成果をここで披露してきているわけだが、女性に言わせればこの方法論は「おもしろい」とは思うが、同時に「自分としては導入しない」という。そこには、母親から受け継いできたやり方という引き出しの外側にある方法論は、なかなか受け入れられないという気持ちがあるようだ。

その理由には、独特の方法論を開拓した人間が「男性」で「素人」だから、という面も大きい。例えば僕がこの家事で本でも出せばまた事情は変わるかもしれないが、要するにここでご紹介している方法論には、導入するに足る根拠がないんである。

男の家事に対する脳内マップ

家事を分担する夫側にも、意識の問題がある。つまり現在担当している家事は、「手伝い」のつもりだからだ。言われたことや、自分が気がついた範囲のことしかやってないので、家事トータルでは大した戦力になっていない。つまり家事というタスクの全体像が見えていないという、抜本的な欠陥がある。

以前ネットで話題になったのが、家事のタスクを一覧にした分布図だ。

家事育児を「やっているつもり」の旦那へ見せた執念の分担図
http://select.mamastar.jp/90918

これはあくまでもこの家庭での一覧だが、僕らおっさんにとっては女性特有の考え方が分かって非常に興味深い。それは、家事のタスクが定期と不定期という軸で考えていることだ。男性の場合、こういう空間軸で考えないのではないか。この項目を僕の頭の中で再構築すると、こういうことになる(図1)。

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図1:上記の項目をおっさん脳で分類

そもそもおっさんの脳では、上記の記事にある分布図のように、タスクをバラバラのままでは把握できない。ジャンル別に分けてワークフローで考えないと、覚えていられないのである。さらにどっちみちやらないといけないことなら、定期とか不定期という概念も希薄だ。繰り返しのスパンが長いか短いかだけの問題でしかない。

男性の家事分担は、大ジャンル小ジャンルのうち、どれかのジャンル丸ごとガバッと任せてもらった方が、やるべきことやクオリティが管理できる。バラバラのタスクそれぞれを任されても、それは所詮「手伝い」でしかなく、クオリティに責任が持てないのである。

もちろんこれらを2人で分担すれば、それぞれのタスクをこなすタイミングを一致させなければならないといった調整は必要だろう。それはそれで話し合ってやっていくしかない。また互いの仕事の都合でどうしても細かいタスクが抜ける場合は、互いに補完しあう柔軟性が必要だ。これはビジネスのような陣取りゲームではなく、子供を育てつつ社会で生き残るための戦略だと考えれば、男性は理解しやすい。

大ジャンル丸ごとひとつ請け負うのは無理と考える男性もいるかもしれないが、そんなことはない。僕が仕事をしながらこれを全部一人でやっている実例である。もちろんそこには、妻には理解しがたい奇妙な方法での合理化は必要になる。

妻も母親のやり方ではない方法論を受け入れる覚悟が必要になる。主導権を手放すのは辛いだろう。ただ、どうしても生理的に受け付けないというところがあれば、そこは話し合いである。実は夫の側も、妻のやり方が受け入れられない部分というのはあるものだが、それを言い出すと喧嘩になるので言わないだけ、ということを知っておいても損はないだろう。

子供が小さいうち、自分もまだ若いうちは、自分自身にもやりたいことが沢山あるのに、家族や子供の犠牲になっているような気がしてしまうものだ。だがそれは家事を楽しめるような工夫によって不満はクリアできるし、合理化によって余裕が生まれれば、自分のやりたいこともまたできるようになる。そこに至るまで時間はかかるが、家族で生きていくトータルの時間に比べたら、わずかなものである。(了)


本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、取り上げてほしいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


この記事を、以下のライセンスで提供します:CC BY-SA
これ以外のライセンスをご希望の場合は、お問い合わせください。

これからの教育って、先生1人に任せ続けていいの?

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「子どもたちのために、なるべく多様な人材を招き入れる。自分で教えることにはこだわらない」

こう話す「教師らしからぬ教師」がいます。山口県立萩商工高等学校の松嶋渉先生です。学校授業の枠組みを超え、教育に地域人材とITを組み合わせたアクティブラーニングで、高校生たちに実社会での働きかたを教えています。

同校の授業でメンターとして活動するサイボウズ・中村龍太が、これまでの取り組みとこれからの教育の姿を聞きました。

周りの先生からは反対も、まずはやってみようで突き進んだ

松嶋さん

松嶋渉(まつしま・わたる)さん。山口県立萩商工高等学校、情報デザイン科長。2000年代初めからWebページ作成を教え始め、2008年に萩商工高等学校の情報デザイン科に赴任。授業ではSkypeやkintoneといったITツールを活用し、遠隔地や都心からメンターの授業を可能にしている

生徒の学びが増えるなら、周りの力も借りる

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龍太さん

中村龍太。マイクロソフトを退職後、サイボウズ・ダンクソフト・農業と複数の職に就く「複業」を実践する。松嶋さんとは複業先であるダンクソフトで出会った。授業では生徒たちにアドバイスをするメンター役を担う

先生以外からのダメ出しが生徒を成長させる

“萩LOVE"

萩LOVEハイスクールは「萩LOVEと萩商工の高校生が協働でWebを作り上げていく熱血特別授業」として、高校生が萩市の魅力を取材し、ホームページの制作やサイトアップを担当している

ダメだったら直せばいい、優勝を目標に「無理ゲー」に挑む

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高校生にロジカルシンキングを教えるには

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問題解決メソッドとは、「問題」とは「理想と現実のギャップ(差)」を発見、ギャップを解消する課題を設定し、解決することで、理想に近づくことができる。サイボウズの全社員共通のフレームワーク

 
“デザセン大会"

高校生が3人1チームで、問題・課題を見つけ解決方法を提案するデザセン。萩商工のチームは学生になじみが薄い政治をわかりやすくマンガで表現する『政治漫画アプリ「ポリコミ」』を提案し、初出場・初入賞を果たした(画像は全国高等学校デザイン選手権大会HPより)

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デザセンに初出場・初入賞を果たした赤木さん、鈴木さん、松浦さん(左から)。「問題解決について考え、提案するという経験を経て、自分の考えの伝え方を学ぶことができました」(鈴木)。メンターに対しては「困った時にアドバイスを下さる頼りになる存在です」(松浦)。後輩に萩LOVEやデザセンを勧めたいかを聞くと「絶対勧めます。実際体験しないと大変さやプレゼンが決まった時の嬉しさはわからないと思うので、ぜひ取り組んでほしいです」(赤木)

学生にはアウトプットの場がいる

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チームワークの要素を書き出しながら、大切なことは「信頼」と話す松嶋さん

これからの教師には「教えるのをやめる」ことが必要

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文:河崎環/写真:尾木司

まずは先生がITの恩恵を得るべき──品川女子学院で奮闘する酒井春名先生
「田舎だから無理」のいいわけはもう止める──課題の宝庫・海士町を日本の最先端にするには?

育休で得た「あきらめる覚悟」──北欧、暮らしの道具店 店長佐藤 × サイボウズ 中根弓佳

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クラシコムの代表取締役 青木耕平さんとサイボウズ社長の青野慶久が「チームワークのつくりかた」について話し合ったのと時を同じくして、実はもう1つの対談が進んでいました。

話し手は、クラシコムが運営するECサイト「北欧、暮らしの道具店」の店長佐藤と、サイボウズの執行役員 中根弓佳。2人は子育てをしながら働くお母さん。毎日のくらしの中で気づいたのは「お母さんとしての変化」や「あきらめる覚悟」。

葛藤、喜び、共感──そんな思いがあふれる2人の話。

クラシコムの「北欧、暮らしの道具店」と「サイボウズ式」のコラボレーションでお届けしています。「【はたらくを考える】後編:ワーキングマザーを助ける「ちょうどいい」の見つけ方(対談!サイボウズ中根さん×店長佐藤)」もあわせてどうぞ。

母になることがマネジメントに役立つ

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佐藤友子さん。株式会社クラシコム 取締役。インテリアコーディネートの仕事を経て、実兄と株式会社クラシコムを創業。「人の暮らしに近いこと」を仕事にしたい思いから、2007年9月に「北欧、暮らしの道具店」をオープンし、店長を務める。子会社が運営するフードブランド「KURASHI&Trips」のブランドマネージャーも兼任。プライベートでは一児の母でもある

母親になってみて、変わったこと

「これってやる意味ありますか?」という言葉を歓迎

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中根弓佳。サイボウズ株式会社 執行役員 事業支援本部長。慶應義塾大学法学部法律学科卒、大阪ガスを経てサイボウズ入社。知財法務部門にて経営法務、契約法務、M&A、知的財産管理等を経験

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クラシコムが運営する「北欧、暮らしの道具店」

「何のためにやっているのか」

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「18時に帰ること」は「18時に帰るためにどんな工夫ができるか」と同じ

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育休で「あきらめる覚悟」を得た

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クラシコム代表取締役の青木耕平さん、サイボウズ 社長の青野慶久とともに

「私は長時間働いているのに、あの人は……」とならない理想の立て方──クラシコム青木耕平 ✕ サイボウズ青野慶久

文:伊藤麻理亜/写真:田所瑞穂/企画:長谷川賢人(クラシコム)、藤村能光(サイボウズ)

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ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔第28回:走馬燈

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元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載の第28回。今回のお題は「走馬燈」。

ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。

文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki

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人は死ぬ間際に走馬燈のように自分の過去の映像を思い浮かべるらしい。私は遺言状第1回で紹介したように生前葬は行ったものの、まだ走馬燈の経験がないので、一度は眺めてみたいものだ。と言っても、老人としてはノロノロ思い出すだけである。牛歩燈と呼ぶほうが相応しい。

最近の初等・中等教育(つまり、高校までの教育)の状況がどんな感じなのか、私はほとんど理解していない。私にはもう40歳近い子供が2人いるが、彼らの初等・中等教育がどんなものだったかもほとんど知らない。ひどい父親だったなぁ、といまごろ反省しても遅い。

だから、そのあたりを無視して、自分の幼児・初等・中等教育時代のいくつかのエピソードを思い出すことにしたい。

◆     ◆     ◆

私の母の実家は大家族であった。母には5、6歳下の妹(つまり叔母)がいる。近所だったこともあり、よく私の実家に出入りしていた。私は5人兄弟(上の2人は幼くして死亡)の下から2番目だったが、生まれたときに、その叔母が「ありゃあ、この子、オハギを投げ上げてソロバンで受けたような顔してる」と言ったというのが伝説になっている。

言うに事欠いてという気もしないではないが、名言だと思う。ソロバンで受けたというわりには小学校3年のとき、先生に「8÷8は0だ」と言って聞かなかったのだから、ソロバンからのダメージが大きかったのだろう。

終戦直後の貧しい時代ではあったが、上の子が2人続けて幼少で亡くなったせいか、幼稚園に入れてもらえることになった。その幼稚園に私はまったく馴染めなかったらしい。先生が「手を上げて」と言い、そのあと「手を降ろして」と言っても絶対降ろさなかったなど(これは自分では記憶していない)、ともかく先生の手を散々焼かしたらしい。どんなことが連続したのか分からないが、私は3日で幼稚園を退園することになった。そのあとは自宅(実家はお寺)で小学校入学までを過ごした。

そして、小学校。実家の周囲には3つの小学校があった。学区というのがあり、どういうわけか実家は一番遠い小学校の学区であった。子供の足で10分以上はかかったと思う。残り2つは多分5分ぐらい。私はこの小学校でも拒否反応を示したらしい。記憶がもう飛んでいる。多分、父親が手を回して、5分で行ける小学校へ学区外から通えるようになった。つまり、3日で無理矢理転校をしたことになる。

2002年ごろ(当時電気通信大学教授)だと思うのだが、NHKラジオ第一放送の朝10時ごろからの1時間番組にゲストで出ることになった。オハギ・ソロバン受けの顔が映らないのなら、これはラッキー。ほぼ1時間、(すみません、名前が出てこない)練達の女性アナと、途中数分程度の音楽を挟んで、生で対談するのである。たしか事前の打ち合せはしなかった。ラジオ用のスタジオなので、窓からは明治神宮の森と新宿の高層ビルが見えるという絶景だった。

行方定めぬ話の流れの中で、私の子供時代についての質問が出た。そのとき上記の幼稚園3日退園・小学校3日転校の話を思い出して喋った。何だかんだと、こんな対談が、1時間も持ったものだと思いつつ、もうそろそろ終わりだなと思っていたら、「これから視聴者からのファックスをご紹介します」とのこと。そんなの聞いてないよ、と思ったけれど、片手以上のファックスが届いていた。そんな時間帯だから、ほとんどが子供を幼稚園に送り出して、家事をしながら聞いていた主婦だった。複数あった感想の内容が「大学の先生にもなるような人が子供のころはそうだったのですか。自分の子供のことを考えると励まされました」というものだった。こんな下らない話で励まされたと聞いてびっくりしたのは私のほうである。

ところで、昔ならいざ知らず、21世紀になったのに、私の多くの知り合いから「おい、あれ聞いたぞ、おもろかった」とか、「玉音放送のように聞きました(?)」などと連絡が来たのにはもっとびっくりした。おいおい、ラジオだよ。家族にはおろか、誰にもこの生放送のことを伝えていなかったのだから。悪いことはできないと、そのときも改めて思ったのでありました。

もうひとつの「ところで」は、「あの放送の途中で鳴っていたあの音楽は何だ?」という質問があったこと。実は、途中の休憩時間に鳴らす音楽のCD等を自分で選んで持ってきてほしいと事前に言われていた。で、番組の趣旨から言って、ほとんどの人は聞いたことがないだろうけれど、一聴瞭然の面白い短い曲を提案したのだが、NHKの人からも「よくこんな曲見つけましたねぇ」と感心された。写真1にそのCDを紹介しておく。全然関係ないはずだが、あのYMOのテクノミュージック(?)を思い起こさせるものがある。

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写真1:グレゴリオ・パニアグアの「ファンダンゴ」。彼が独りで電子鍵盤を弾いている変奏曲。番組でかけたのは第11変奏と第12変奏。残念ながらいまは絶盤。彼には有名な「古代ギリシャの音楽」などいくつかの名盤があるが、アトリウム・ムジケーという団体での演奏である。エスプリの効き方が半端じゃない異才だと思う。

いまは音楽を趣味にしている私だが、小学校のときは音楽の時間が大嫌いだった。五線譜を見るだけで虫酸が走った。当然、試験の成績も最悪。100点満点の10点台だったと記憶している。思い起こすと、中学時代に見た1959年の映画「ベン・ハー」のミクロス・ローザの名曲が私を音楽に目覚めさせたようだ。この音楽を聞くためだけに映画を(あの長時間映画を映画館から出ず、2回連続というのも含めて)7、8回見たという記憶がある。「とことん」精神が出てきたようだ。

「8÷8が0」と言って聞かなかったころ、つまり小学3年生のときに好きな女の子ができた。いわゆる「初恋」だ。だが、彼女が私の本に「鼻賀低雄」と落書して、ハートブレイクとなった。オハギ・ソロバン受けだからしょうがないか。

卒業するときの成績は50人ほどの学級の中で10番ぐらい。決して優れた成績ではなかったが、3年生からずっと担任していただいた先生から「優良賞」のようなものをいただいた。ポテンシャルがあるのだから、これから頑張りなさいというおまけのような意味だったらしい。昔の教育はいろんな意味で大らかだった。

◆     ◆     ◆

越境入学だったおかげか、中学校もその小学校から直接進学できる、これまた越境入学だった。その中学校は、市の中心部の子供たちが行く一応進学校だった。皮肉にも、この中学校も自宅から最短距離にあった。思うに、父親が坊さん兼学校の先生だったので、何か細工したのかもしれない。

中学校でのいわゆる部活(※1)は新聞部だった。校舎の階段の下に数人入ったら一杯の小さな部室があり、放課後、よく暗くなるまでそこでダベっていた。女の子がいたからだろう。

戦後のベビーブーム時代に生まれた、いわゆる団塊の世代なので、中学校の1学年はたしか500人ほどだったと思う。部活でダベってばかりいたせいか、中学2年生のとき、その中で180位の成績をたたき出した(?)。勉強してないのだから当り前だ。これでは小学校卒業時にもらった優良賞が泣く。

そこで一念発起。一応ちゃんと勉強をして、すぐに1桁台に挽回。「やればできるんだ」の安直至極。あまりいいことではないですねぇ。

サッカーとの出会いは、中学3年生だったと思う。何も知らないで、雨のグラウンドで全員がボールを追いかけるだけの超底レベル団子サッカーを1回だけした記憶がある。ボールを蹴るのは面白い! それが原体験となって後々のサッカー好きにつながった。

◆     ◆     ◆

高校は、親が教育熱心だったからだろうが、市内の県立高校ではなく、隣の県にある国立大学の附属高校(金沢大学教育学部附属高校、略称金大附属)に片道2時間弱もかけて通学することになった。常に一番近い学校に通っていた中学時代までとは様変りである。現在はそうでもないらしいが、金大附属は石川県内で屈指の進学校であり、1学年3学級、つまり150人ほどの小さな高校であった。男女比率は3対1。

ここからのエピソード記憶は非常に豊富だ。親には「こんな遠くに行くのだから、もし1番の成績を取ったら、ステレオ装置を買ってくれ」という提案を飲ませてしまった。あの音楽嫌いだった私が、当時は音楽に飢えていたから、まさに目の前のニンジンである。ニンジンパワーの威力は絶大で、最初の学期で本当に1番になってしまった。これには私自身が驚いた。親は本当にしょうがないという感じで、ビクターの、電蓄がそのまま大きくなったようなステレオ装置を買ってくれた(※2)。

金大附属高校は、金大附属中学校からの進学者が多く、田舎から出てきた私は最初友達もすぐにはできず寂しい思いをしていたが、持ち前のいい加減さで少しずつ頭角を現し始めていた。恒例のリレー・マラソン大会(一部山道がある)の学級代表を決めようというとき、手を挙げてしまった。何か偉そうなことを言ったのかもしれないが、「じゃあやれ」となった。そしてその結果は途中抜かれまくってチームはビリ。マジに体が動かなかったのである。そんなはずじゃなかったと思ったが後の祭。逆にこんなことの積み上げで友達が徐々に増えていった。

しかし、さすがに片道2時間弱の通学は辛い。幸い、オハギ・ソロバンの叔母が金大附属から1キロ程度のところに家を建てて引っ越した。母がそこへ私を(多分)強引にねじ込んだ。要するに平日は叔母の家に下宿することになったのである。本当にラッキーだった。叔母には大変なお世話になったが、これで私の可処分時間は一挙に増えた。

下宿なので、食事は一緒にいただいていたが、そのほかの時間は部屋に籠るしかない。ほかにすることもないので、わりとよく勉強した。木村明著「英文法精解」(培風館)の改訂前の黄色いカバーの分厚い本(改訂版で768ページもある)を1年生のときに全部読んだ。だから、英語の授業は聞き流すだけになった。そこで、どういうわけか時間割にあった第2外国語のドイツ語の授業を選択で取った。大学でもドイツ語を第2外国語に取って楽ができたが、使わないものはやっぱりだめで、いまやドイツ語は脳の片隅で埃を被っている。

1年生の秋の運動会。この学校にはサッカー場、野球場、テニスコートに加えて馬場、さらにそれにプラスして、よく分からない空き地があった。運動会はその空き地で行われた。プログラムに学級対抗のアトラクション大会があった。私が所属していた1年B組(※3)の番のとき、ほかの連中のアトラクションに先駆けて、校長先生などが座っておられる本部席のテントの真反対から、私は鉢巻にワリバシの旗を挟んで、右手を後ろに隠したまま、必死の形相でダッシュをかけたのである。テントに近づくと先生方はすわっ何事かと身を避けられた。直前で停止した私は、右手に隠し持っていた風船笛(※4)をフーッと吹き、そして右手に高らかに掲げ、プーッという情けない音を出したのであった。放送では「ただ今は『必死の形相』というアトラクションでした」というアナウンスが流れた。いまどきでも当時でも、まずは許されない余興をやってしまったわけである。

◆     ◆     ◆

部活はいろいろとやった。放送部、美術部(*)、弁論討論同好会(*)、野球部。このうち「*」のついているのは仲間たちと創設した部である。私が入学するのとほぼ同時に新しい校舎が建ち(※5)、放送部の部屋も音を出す装置もピカピカだったので、最も入れ込んだのは放送部だった。音が洩れにくいということもあり、仲間と一緒に意味不明の絶打絶叫の即興演奏をやったものである。「作品」には「馬の腹」とか「アフリカ」という名前をつけ、開校記念祭のBGMにそれと分からぬように音量を下げて混ぜた。

2年生の夏には30分の放送劇「無窮動会話とその劇的終止」を自作して、全国高校放送コンクールに応募することになった。これは、3人の奇妙な男たちがジャンケンの研究について長い会話を続けた挙げ句、最後は氷金時を食べに行くか、ラーメンを食べに行くかの論争で終わる、会話だけからなるペダンチックな劇である。3人の声優(もちろん、同級生)には苦労をかけたが、放送局のちゃんとしたスタジオで録音していただいた。背景に流れるのは20世紀の前衛作曲家エドガー・ヴァレーズの「イオニザシオン」である。予想通り、県大会で最下位であった。他校が「野菊の墓」といった作品を出しているときだ。このテープが残っているかどうか定かではない。もう一度聞いてみたいものだ(※6)。

野球部は選手だった友人2人に誘われてスコアラーをやっただけである。スコアラーはなかなか神経の参る仕事ではあった。試合を楽しめないのである。その友人たちはもうこの世にいない。

美術部を仲間たちと作ったときは、学校から補助が出て絵の具などを揃えてもらった。私自身、何枚の絵を描いたか記憶が怪しいが、海辺の村の夜景を描いた水彩画と、赤い油絵具だけで描いた「赤い森」の2枚だけは覚えている。水彩画のほうは後輩の女の子がどうしても欲しいというので差し上げてしまった。

油絵の絵の具は金属化合物を油に溶かして練ったものだと思うが、白でも赤でも、金属化合物の種類で、口紅の種類ほどではないものの、本当に微妙に色合いが異なる。これが面白くて描いてみたわけである。キャンバスではなく、ベニヤ板にまず石膏を分厚く塗って山の形をつけ、その上に描いた。金沢市の中心街の画廊で開催した美術部の展覧会ではこれを展示した。しかし、石膏がもろくて、動かしているうちにあちこち崩れて剥げてきてしまった。いまこれはどこにあるのだろう?

2001年ごろ、未踏事業で私は、はこだて未来大学の美馬義亮、木村健一、柳 英克さんたちの「アートゲノム・プロジェクト」のPMを務めた。このプロジェクトの成果「Thinking Sketch」を使って、油絵の「赤い森」の再現を試みたのが図1である。オリジナルは学校から見える山をモデルにしたのだが、ここでは立体感のない森になってしまっている。これは絵の要素をランダムに配置していくThinking Sketchだからやむを得ない。

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図1:赤い森。オリジナルの油絵(40インチテレビの画面ぐらいの大きさ)とはだいぶ様子が違うが色彩の配置は少し似ている。

弁論討論同好会は、どうもあまりまともな活動をした記憶がない。唯一の記念は文字どおり写真2に示した記念写真のみである。それにしても人が多い。しかも全員同じ学年である。こういう写真を撮りたいがための方便だったのかもしれない。

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写真2:弁論討論同好会記念写真。一番前で帽子を被って座り込んでいるのが私。手に持っているのは誰かの弁当箱だろうか。

まだまだエピソード記憶がダラダラと洩れ出てきて、切りがない。こんな時代があったというか、学校での生活をエンジョイしまくったというか、ともかく得がたい経験をしたなぁと思う。いまどきの子供たちはこんな経験をさせてもらえているのだろうか? 学校生活でもハッキングは可能なのである。(つづく)


※1:私のころは「部活」という言葉はなく、「クラブ活動」と呼んでいた。
※2:ウェブで画像検索したら、きっとこれだという画像が見つかった(「エレクトロニクス立国の源流を探る:No.116 電蓄からデジタルオーディオまで 第18回」)。この記事にある、ビクターの「STL-37」がそれである。いまどきは見ないスタイルである。横幅150センチほどはある結構大きな装置だった。価格は4万9800円。当時の初任給の3倍ぐらいではなかっただろうか。バネを使ったエコー装置がついていた。最初は面白がって使っていたが、すぐに使わなくなった。
※3:担任が板屋源清先生(ニックネーム「源ちゃん」)だったので、学級仲間で源B会という会を作った。このときの友人たちはいまに続く長い付き合いとなっている。学年でクラス替えがあるので、じわりと輪が拡がり、仲間も増えた。いまでも年に2回は「ダラ衆連」という名前で一緒に旅行したりしている。
※4:まだあるのかどうか知らないが、竹笛の先に風船がついていて、竹笛をくわえて息を吹き込んで離すと、風船がしぼんで竹笛が鳴る玩具。
※5:入学後の最初の冬は記録に残る昭和38年豪雪だった。古い木造校舎が屋根の雪の重みで崩壊した。ギリギリセーフだったということか。
※6:原稿はもう手元に残っていない。


竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


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エンジニアの評価基準、短期評価をやめてみたら?

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株式会社ソニックガーデン社長の倉貫義人氏とサイボウズ青野慶久社長のリモートワークにまつわる対談(前編中編)に続き、最終回となる第3回。サイボウズで開発マネージャーを務める佐藤鉄平、田中裕一の2人が、チームマネジメントの観点から倉貫氏にさまざまな質問をぶつけます。

「社員の評価はしない。ボーナスはみんなで山分け」との倉貫氏の発言に2人はビックリ。さらに、価値観の近い人を厳選する、ソニックガーデン独自の採用プロセスの全貌も大公開。一体感に溢れた、強いチームを生み出すためのヒントが満載です。

短期的な評価をするとチームワークが崩壊する

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倉貫義人さん。1974年京都生まれ。株式会社ソニックガーデン代表取締役。1999年立命館大学大学院を卒業し、TISに入社。2011年、自ら立ち上げた社内ベンチャーをMBOで買収し、ソニックガーデンを創業。「納品のない受託開発」というITサービスの新しいビジネスモデルを確立し、注目を集める。新著『リモートチームでうまくいく

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佐藤鉄平:1982年新潟県生まれ。2007年サイボウズにエンジニアとして入社。Garoon、kintoneの開発を経て、2015年7月グローバル開発本部副本部長に就任。JavaScriptとカレーが好き。

ソニックガーデンの採用プロセスは「脱落制」

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田中裕一:サイボウズ株式会社 グローバル開発本部 東京第2開発部 部長 兼 kintone開発チーム所属。自宅でリモートワークすると子どもがじゃれついてきてついつい遊んでしまうのが最近の悩み。

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「僕は何をしたらいいですか?」と聞いてきた時点でアウト

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“開発しない合宿”の効用

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昭和の大企業がやっていたスタイルに「多様性」を取り入れる

社長の僕が、率先して会社に通勤するのをやめてみたら?
自己発信力のない人が「出社しない働き方」に向かない理由

執筆:荒濱 一/写真:尾木 司


幸福なシステム開発は実現できるか?――ソニックカーデン倉貫義人とサイボウズ青野慶久が考えた
日本のサラリーマンは「35歳定年」でいい――倉貫義人×青野慶久、プログラマーを再定義する

育休中もスーツを着る<40男>──昭和と平成の「男らしさ」の狭間に生きる

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左から2015年に中途入社したサイボウズ株式会社 ダイレクトマーケティング部 副部長 倉林一範、「男性学」を研究する武蔵大学 社会学部 助教 田中俊之さん、産前産後の家事サポート会社アイナロハ代表取締役の渡辺大地さん

日本男性の平均寿命は80.5歳(2015年厚生労働省発表)。現在、ど真ん中の40歳は、中学・高校で男は技術・武道、女は家庭科と性別によって教育内容が分かれていた最後の世代。バブル期は中学生で、社会人になるころは経済不況。前の世代に比べ、晩婚化が進み、共働きの割合も多い。 そんな40歳を中心とした30代後半から40代前半を「40男」とよび、著書『<40男>はなぜ嫌われるか』で清々しいおじさんになることを提唱している男性学の研究者 田中俊之さんも40歳。同じく40歳で前職では育休を取り、サイボウズに転職をした社員の倉林一範、『 産後が始まった! 夫による、産後のリアル妻レポート』著者で35歳のアイナロハ代表 渡辺大地さんと共に「40男」の仕事と家庭、心の内を語り合った。

いまどきの<40男>

※編集部注:予定より早く1月に息子さんが生まれました

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田中俊之 1975年生まれ。武蔵大学人文学部社会学科卒業、同大学大学院博士課程単位取得退学。博士(社会学)。2013年より武蔵大学社会学部助教。社会学・男性学・キャリア教育論を主な研究分野とする。男性学の視点から男性の生き方の見直しをすすめる論客としてメディアでも活躍。著書に『<40男>はなぜ嫌われるか』(イースト・プレス)などがある。2016年1月に長男誕生。1児の父。

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渡辺大地 アイナロハ代表取締役 ままのわ産後パートナーズ代表取締役 1980年、北海道札幌市生まれ。明治大学法学部卒業後専門学校で油絵を学ぶ。就職ののち、2007年に結婚。2011年に株式会社アイナロハを設立。2015年12月、株式会社ままのわ産後パートナーズの代表に就任。著書に『 産後が始まった! 夫による、産後のリアル妻レポート』(KADOKAWAメディアファクトリー)など。2児の父。

会社員と大学教員の育休事情

倉林

倉林一範 1975年生まれ。サイボウズ株式会社 ダイレクトマーケティング部に所属。アクセンチュア時代に半年間、育児休業を取得。働き方を見直し地域活動に取り組む。2015年7月にサイボウズに転職。3児の父。

※編集部注:16時00分から取材を開始

仕事が好きな妻、詰める夫

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ついつい働きすぎしてしまう問題

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仕事の楽しさとはなんなのか?

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会社と社員の関係が対等

後編に続く

撮影:尾木 司 文:渡辺 清美

サイボウズの給料は「あなたが転職したらいくら?」で決めています
「籍を入れるまでの理由が見当たらん!」──ジェーン・スー×田中俊之、"未婚の理由"と"男のしんどさ"を深堀りする
少子化が止まらない理由は「オッサン」にある?-「男性学」の視点から「働き方」を考える-

人海戦術の発想を捨て、「早く仕事を終える」社会を肯定する──クラシコム青木耕平×サイボウズ青野慶久

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ECサイト「北欧、暮らしの道具店」を運営するクラシコムの代表取締役 青木耕平さんが、サイボウズ社長 青野慶久の『チームのことだけ、考えた。』を読んだことで実現した2人の対談。

「私は長時間働いているのに、あの人は……」とならない理想の立て方」に続く後編は、チームでの理想の働き方について意見を交わします。

クラシコムの「北欧、暮らしの道具店」と「サイボウズ式」のコラボレーションでお届けしています。「 上手なチームワークの作り方(対談・サイボウズ青野社長×クラシコム代表青木) - 北欧、暮らしの道具店」もあわせてどうぞ。

日本・欧州圏の働き方の違いは本当に顕著

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青木耕平さん。株式会社クラシコム代表取締役。1972年生まれ。サラリーマンとしての勤務や、共同創業者としての経験を経て、2006年にクラシコムを創業。2007年より、ECサイト「北欧、暮らしの道具店」の運営を開始

バカンス中の担当者と連絡が取れないのはあたりまえ

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青野 慶久(あおの よしひさ)。1971年生まれ。愛媛県今治市出身。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立。2005年4月代表取締役社長に就任(現任)。社内のワークスタイル変革を推進し離職率を6分の1に低減するとともに、3児の父として3度の育児休暇を取得。2011年から事業のクラウド化を進め、有料契約社は000社を超える。総務省ワークスタイル変革プロジェクトの外部アドバイザーやCSAJ(一般社団法人コンピュータソフトウェア協会)の副会長を務める。著書に『ちょいデキ!』(文春新書)、『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)がある。

お客さま、スタッフ、取り引き先……三者が幸せになる方法

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執筆:池田園子/写真:田所瑞穂/企画:藤村能光(サイボウズ)、長谷川賢人(クラシコム)


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「私は長時間働いているのに、あの人は……」とならない理想の立て方──クラシコム青木耕平 ✕ サイボウズ青野慶久
育休で得た「あきらめる覚悟」──北欧、暮らしの道具店 店長佐藤 × サイボウズ 中根弓佳

ハーバード・ビジネス・レビュー編集長は「働きたくなる会社」をどう考えているか

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仕事のやりがい、報酬、成果は何か。人の「働きたい」という気持ちが仕事の成果に直結するともいえる今、改めて「働きたくなる会社」とは何だろうと思いました。

サイボウズ式は、「DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー」(DHBR)の読者のみなさまと「働きたくなる会社」についてディスカッションをすることにしました。この議論を通じて、日本企業の未来を議論していきます。

ハーバード・ビジネス・レビュー 編集長の岩佐文夫さんは「働きたくなる会社」をどう考えているのか。サイボウズ式 編集長の藤村能光が聞きました。

自分ごとで考えられるか、「批判と対案」を出し続けられるか

「その会社で働きたい」は、今の時代の競争優位性となるか?

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岩佐文夫さん。1964年大阪府生まれ。1986年に自由学園最高学部を卒業し、同年、財団法人日本生産性本部入職(出版部勤務)。2000年ダイヤモンド社入社、DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー編集部。2004年書籍編集局に異動し書籍編集者に。2012年より編集長に

やりたいこと、やっていること、利益のプロセスは一直線か

ハーバード・ビジネス・レビューは、社会を変える人の武器になりたい

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岩佐編集長より:企業の競争優位の源泉も資産から人材へと確実にシフトしてきました。人の知的能力を最大限発揮してもらうためには、働きやすさを再定義する必要がありそうです。 育児休業や給与体系などの人事制度がユニークな企業として知られるのがサイボウズです。社長の青野慶久さんが書かれた『チームのことだけ、考えた。』を読むと、人材管理で何度も壁にぶつかった同社が考えた末でいきついたのがいまの制度だったことがよくわかります。 サイボウズは、「働きやすい会社とは何か」を考える「ネタの宝庫」かもしれない。こんな考えから、サイボウズを通して日本企業の未来を読者と一緒に考えてみたいと思いました。(画像をクリックすると、特設サイトに移動します)

編集者と編集長の仕事のたった1つの違い

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5つのアイデアから「選ぶ」は最悪、6つ目を「考え抜けるか」

差別化はいらない、ピュアにいいものを作ることを貫き通せるか

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サイボウズ式 編集長の藤村能光

取材・文:藤村能光/写真:山下亮一

「メシマズ」からの脱却──コデラ総研 家庭部(59)

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テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第59回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「『メシマズ』からの脱却」。

文・写真:小寺 信良

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家庭での料理全般を面倒見ることになったとき、面倒くさいというよりも先に、美味しくできないという挫折があった。独身のころは一人暮らしだったので、それなりに料理もしていた。だが当時は自分だけで食べるものだから、かなり適当だった。そのときから、料理の腕はまったく進歩していなかったのである。しかし家族にも食べさせるとなれば、美味しいほうがいいに決まっている。

おそらく料理を始めたばかりの男性も、美味しく、さらに加えて見た目がきれいにできないという悩みを抱えているのではないだろうか。料理初心者なら誰でも通る道だと思うが、いわゆる「メシマズ」状態からどうやって脱却していくかは大きな課題だ。今回は自分の経験から、どうやってメシマズ状態から脱却していったかをお伝えしてみたい。

自分の能力を疑え

日本で学校教育を受けた人なら、調理経験がゼロというのはないはずである。家庭科の時間で調理実習をやっているはずだ。ただし、中途半端に調理の知識がある場合は、かえってそれが邪魔になるケースが多い。「メシマズ」になる原因の第1位は、「大して経験もないのに適当にやるから」だ。

ほとんどの料理は、煮る、焼く、揚げる、蒸すに分類される。もっとも簡単なのは焼き物だろうが、適当に塩コショウして焼いただけで美味しくなるのは、たまたま素材が良かっただけの話である。

基本に立ち返るという意味では、当たり前だが「レシピを見る」ことが第一である。自己流料理と比べて他の人がどうやっているのかを知るべきだ。素材によってはアク抜きや臭み抜きが必要かもしれない。そういった下準備があることを知らず、完成形から逆算して想像で調理するのでは、うまくいかない。

次のポイントは、これも当たり前すぎてバカバカしいが、「レシピ通りちゃんとやる」ことである。素材のグラム数は多少の増減があっても仕方がないが、味付けに必要な調味料は、きちんと量る。大さじ2杯と書いてあるなら、目分量ではなく計量スプーンできれいに量るのだ。

計量カップや大さじ小さじがセットになった計量スプーンなど、100円ショップでいくらでも買える。重さを量る計量計、油の温度が測れる温度計といった計測器具も、きちんと用意すべきだ。

最初から目分量では、実際より多かったり少なかったりするので、味が必ずブレるのである。同じ味ができなければ、さらに砂糖を足したり醤油を足して調整することになり、目分量の感覚がさらにどんどんずれていく。器具できちんと計量し、量の感じが掴めてきた先に、初めて「目分量」が存在するのである。

レシピの読み方を覚える

レシピの中には、スプーンで計量できない単位の用語が存在する。例えば「コショウ少々」といった分量だ。「塩ひとつまみ」という分量もある。「少々」と「ひとつまみ」ではどちらが多いのか、初心者には違いが分からない。

一般的な定義として、「少々」とは親指と人差し指でつまんだ量で、重量としては0.5g程度である。一方「ひとつまみ」とは、親指、人差し指、中指の3本でつまんだ量で、重量としては1g程度である。少々とひとつまみでは、ひとつまみのほうが多いのだ。

もうひとつ謎の単位として、「生姜1片」というものがある。生姜は普通小ぶりのジャガイモぐらいの大きさで売られているので、1片とはそこからある程度の分量を切り取ったサイズとなるはずだが、初心者にははっきりしない。これも一般的な定義としては、親指の第一関節分の大きさだそうである。

水の分量にも、「ひたひた」や「かぶるぐらい」と言った表現がある。「ひたひた」は、材料の頭が見え隠れする程度の量で、部分的に材料の頭が出る程度ということである。一方「かぶるぐらい」は、材料の頭が出ないようにギリギリ、という量のことだ。大して違わないように見えるが、水の量で調理時間に差が出てくるため、レシピ通りの時間煮込んでも仕上がりがブレるわけである。

下準備にも、それぐらい分かってるはずとして説明されていない手順がある。例えば「下茹で」は本調理に入る前に、あらかじめ材料を茹でておくことで、調味料を入れないお湯で茹でる。一方「塩茹で」はお湯に塩を入れて茹でるわけだが、分量としてはお湯2リットルに対し、塩小さじ1杯分である。

その一方で「水煮」というものがある。スーパーではよくサバの水煮とかタケノコの水煮が売られてたりする。水煮とはWikipediaなどを参照すると、「水または塩水で煮ること」とある。つまり材料によって「下茹で」だったり「塩茹で」だったりするわけだ。これは自分で行う調理用語ではなく、食品加工用語のようだ。

調味料の基本としてよく「さしすせそ」などと言われる。さ=砂糖、し=塩、す=酢、せ=醤油、そ=味噌のことだ。これを単に調味料5種類セットとして覚えている人もいるかもしれないが、実はこの並び順は、味を浸透させやすい順となっている。

つまり砂糖と醤油を入れて煮込む場合、砂糖を先に入れて醤油を入れると、どちらの味も材料に入る。逆に醤油を先に入れて後で砂糖を入れると、醤油味は入るが砂糖が入りにくい。同時に入れた場合も同様だ。レシピには煮汁の作り方として材料しか書いていない場合があるが、調味料を入れる順序を考えないと味が入らないことになる。

調理は、適当にやってもある程度の味にはなる。だが美味いと言われるためには、手順も含めてきちんとレシピ通りにやる必要がある。そもそもレシピとは、誰が作っても美味くできるようになっているのだ。(つづく)


本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、取り上げてほしいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


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女たちは知らない、男の「働く以外の選択肢がない」苦しさ──小島慶子×主夫・堀込泰三

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旦那さんが会社を辞め、一家の大黒柱となり、養う立場となったタレント&エッセイストの小島慶子さんと、妻の海外勤務などを機に会社を辞め、主夫となる選択をした堀込泰三さん(「秘密結社・主夫の友」CEO)。 「主夫家庭」という共通項を持つおふたりに、サイボウズワークスタイルドラマ「声」(全6話)を見ながら、子育て家庭を取り巻く状況や、夫婦でそれを乗り越えるためのコツを語っていただきました。今回はその第1回目です(全3回)。

男女は関係ない、夫婦の「孤独」と「忙しさ」の悲しいすれ違い

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「働くパパ」に焦点をあてたワークスタイルドラマ「声」(全6話)。主人公は、東京の会社でエンジニアとして働く片岡(田中圭さん)。妻・亜紀子(山田キヌヲさん)との気持ちのすれ違いや、親の看病のために会社を辞めて帰郷した先輩・森嶋(オダギリジョーさん)とのやりとりを通し、いま、共働きで子育てする夫婦を取り巻く環境や困難をリアルに描く

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タレント&エッセイストの小島慶子さん。夫が会社を辞めたのを機に2014年に一家でオーストラリア・パースに移住。いまは仕事のため出稼ぎ状態で、1か月くらいずつ日本とパースを行き来している。『大黒柱マザー』(双葉社)、『解縛』(新潮社)ほか著書多数

夫が気づかない、妻の「もう無理」の裏にある文脈

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選択肢があったがために、「あっちの選択の方が幸せだったんじゃないか?」と思ってしまう不幸

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「秘密結社・主夫の友」CEOの堀込泰三さん。2人の息子(9歳・4歳)を育てる兼業主夫。東大大学院を卒業後、大手自動車メーカーでエンジン開発に携わる。2年間の育児休業を経て、2009年に退社。当時妻と子どもたちが生活していたアメリカへ渡り主夫となる。現在は翻訳業等。著書は『子育て主夫青春物語 ~「東大卒」より家族が大事』(言視舎)

男の人が見てきた苦しさは「選べない苦しさ」なんだと気付いた

仕事をやめると“負け犬”扱いされる男の現実

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次回に続く(次回は3月16日の予定です)


文:大塚玲子/写真:橋本直己/編集:小原弓佳


すみません、育休前は「早く帰れて、楽でいいじゃん」って思ってました

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左からライフネット生命保険株式会社 加納龍二さん、サイボウズ株式会社 華山聖二、木地谷健介、ライフネット生命保険株式会社 肥田康宏さん

サイボウズとライフネット生命保険で育児休暇を取得した男性社員4名。育児休暇を取り、家族とじっくり向き合うなかで見えたのは、「妻と子供の息をつく暇もない怒涛の生活」でした。

夫婦のささいなズレはどうして生まれてしまうのか。サイボウズワークスタイルドラマ「声」を見ながら、妻の気持ち、夫の気持ちを考えてみました。パパたちの家族と向き合う奮闘の様子が伝わる座談会となりました。

「サイボウズ式」とライフネット生命の「ライフネットジャーナル オンライン」のコラボレーションでお届けしています。「正直、男性が育児で休むって不安ですか?(前編)」「子どもと触れ合う時間は仕事より大切?(後編)」も合わせてどうぞ。

なぜ夫の「良かれと思ってやること」はだいたい裏目にでる?

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働くパパに焦点をあてたワークスタイルドラマ「声」(全6話)。主人公は、東京の会社でエンジニアとして働く片岡(田中圭さん)。妻・亜紀子(山田キヌヲさん)との気持ちのすれ違いや、親の看病のために会社を辞めて帰郷した先輩・森嶋(オダギリジョー)とのやりとりを通し、いま、共働きで子育てする夫婦を取り巻く環境や困難をリアルに描く


第5話「妻の言い分」

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肥田康宏さん。ライフネット生命保険株式会社 営業本部 マーケティング部 プロモーショングループ グループリーダー。ライフネット生命のプロモーション、主にテレビCMを担当。5ヶ月になる1児の父。4人の中で最長の1ヶ月半の育休を取得。まだ産まれたばかりで家事育児も探り探りの新米パパ

「家族を守るために働く」って、どういうこと?

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華山聖二。サイボウズ株式会社 カスタマー本部 ダイレクトマーケティング部 カスタマーコミュニケーショングループ セールスアドバイザー。cybozu.comのサービスを導入時のお客様支援をするコンシェルジュセンター運営を担当。3歳、1歳、2ヶ月の3児の父。育休は年末年始の休暇にプラス5日間取得。2人目から大変さを痛感し、主体的に家事育児にかかわるように。ほかの3人よりも育児に関しては先輩

家事を“やった感がゼロ”に耐えられない…

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加納龍二さん。ライフネット生命保険株式会社 営業本部 お申し込みサポート部 Webグループ チーフディレクター。ライフネット生命のWebサイトのディレクションを担当。6歳と3ヶ月の男の子の父。育休は2週間取得。育休中は仕事から一切離れて育児に専念

「わたしは店長、あなたバイト。次やったら、クビよ」

『子どもといっしょにいられて、いいよね』と手放しでは言えなくなった

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木地谷健介。サイボウズ株式会社 営業本部 ソリューション営業部。サイボウズ製品をお客様に提案するソリューション営業。1歳になる1児の父。育休は2週間程取得。看護師である奥さんの復職後、家事分担をどうしていくかがこれからの課題

1時間でも奥さんを家庭から解放してあげることが大事

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文:野本纏花/写真:村上悦子/編集:小原弓佳


先陣をきって育休を取ったイクメンのリアル
妻に対して「手伝う」はNGワード? 父親の役割って何?
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